Research調査情報

2024年10月23日

松本市真光寺遺跡 2024発掘調査情報(2)

【4年間の発掘作業が終了】

 9月末をもって、今年度予定していた発掘作業が終了しました。今年度は遺跡の北西側を調査し、中世の方形にめぐる溝跡や、中世以降の建物跡と思われる竪穴状の遺構約10基、掘立柱建物跡の柱穴を含む土坑約260基などがみつかりました。遺物としては、中世以降の内耳鍋(土鍋)や陶磁器片、石臼、凹石といった当時の生活道具が多くみつかったほか、近世以降の鞴の羽口や鉄滓が出土するなど、鍛治の存在を思わせるものもみつかりました。

 令和3年度から開始した真光寺遺跡の発掘作業は、今年度ですべて終了となります。今後は、長野市にある長野県埋蔵文化財センターにて、発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を進めていきます。

真光寺遺跡の全景

 

【これまでの調査成果】

〇波田地区ではじめての古墳発見

 7世紀後半から8世紀初頭(飛鳥~奈良時代)頃に造られた古墳が2基みつかりました。石室の時期や造り方は、近くの安塚古墳群や秋葉原古墳群と似ており、梓川右岸地域の古墳築造を考えるにあたり貴重な事例となりました。

真光寺遺跡の古墳石室

 

〇中世の土葬墓、火葬施設跡

 現真光寺お堂の北東では、直径約70cmの円形の土坑が集中し、穴の底面近くでヒトの頭骨の一部や歯がみつかる例が複数確認されました(=中世の土葬墓)。歯の一部を鑑定したところ、埋葬されたのは6歳以下の子どもの可能性が高いことが分かってきました。また、遺体を燃やした「火葬施設跡」も多数みつかりました。

中世の土葬墓

 

〇中世の方形にめぐる溝跡

 遺跡の西側で、幅約2m・深さ0.3~0.6mの溝跡がみつかりました。溝跡はほぼ直角に屈曲する部分が2カ所あり、短辺が50m程の長方形にめぐることが予想できます。溝で区画された内側には竪穴状遺構や柱穴の可能性がある土坑などが多数あります。区画内がどのような場所であったのか、今後明らかにしていきたいと思います。

方形にめぐる溝跡

 

真光寺遺跡発掘だより 第2号(PDF:699KB)

真光寺遺跡発掘だより 第3号(PDF:734KB)

中信,真光寺遺跡,調査情報

2024年6月3日

真光寺遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

★令和6年度の発掘作業がはじまります

 4月中旬から、松本市波田(はた)三溝(さみぞ)の真光寺遺跡(しんこうじいせき)の発掘作業がはじまります。発掘調査は、中部縦貫自動車道松本波田道路建設に先立ち令和3年度に開始し、本年度で4年目となります。これまでの調査では、飛鳥時代から奈良時代に築造された古墳や、中世以降の火葬かそう施設しせつ跡あと・土葬(どそう)墓ぼ・溝跡(みぞあと)・石列(せきれつ)などがみつかっています。

真光寺遺跡の位置

 詳しい情報はこちら(真光寺遺跡発掘だより№1 PDFデータ:834K)

 

調査区遠景(東から撮影)

 

★令和5年度の調査成果 ~三溝地区の中世の様子~

 昨年度の調査では、中世の火葬施設跡(かそうしせつあと)や土葬墓(どそうぼ)、中世以降の溝跡(みぞあと)や石列(せきれつ)、土坑(どこう)などがみつかりました。火葬施設跡からは焼けた骨片や炭化物のほか、銭貨(せんか)(中国の宋の時代につくられていた銭)や15世紀ごろの陶器(仏花瓶)(ぶっかびん)が出土しました。また、土葬墓からは人の歯や銭貨が出土しました。このほか、土坑などから16世紀ごろの内耳鍋(ないじなべ)(日常の煮炊き道具)もみつかり、三溝地区の中世の様子の一端がうかがえました。

 

 

火葬施設跡でみつかった陶器片
土坑の底でみつかった人の歯(土葬墓)
現・真光寺北側でみつかった石列
土坑から出土した内耳鍋

真光寺遺跡,調査情報

2023年6月20日

真光寺遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【令和5年度の調査が始まりました】

 本年度で3年目となる真光寺遺跡の発掘調査が、4月25日(火)から調査員5名と作業員13名で始まりました。

 詳しい情報はこちら(真光寺遺跡発掘たより通巻5号 PDFデータ:956KB)

 

【令和3・4年度の調査成果】

 昨年度までの調査で、古墳が2基、中世の土坑墓や火葬施設、柵列跡などがみつかりました。

 

【今年度の発見!】

 今年度の調査では、土坑が30基ほどみつかり、周辺から骨片や焼土などが出土しています。調査を進め、土坑の性格などを確認していきます。調査は11月末までの予定です。今後どんな発見があるのか楽しみです。

中信,真光寺遺跡

2022年7月12日

真光寺遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

【2022年度の調査がはじまりました】

 5月16日(月)から、松本市波田三溝の真光寺遺跡の発掘調査を開始しました。昨年度は、波田地区初の古墳調査を実施し、中世の火葬施設なども見つかっています。

              「昨年度の調査の様子」

 

 

【2基めの古墳発見か】

 今年度の調査で、礫層を掘りこむ黒色土の落ち込みがみつかり、礫層には見られない大形の川原石も並んでいたことから、真光寺遺跡2基めとなる古墳の可能性があります。

 その他、昨年に引き続き、火葬施設とみられる炭化物・焼土・焼骨片が混じる黒色土の落ち込みが見つかっており、今後の調査に期待がふくらみます。

 

真光寺遺跡発掘だより通巻3号(PDF:1550KB)

真光寺遺跡

2021年12月16日

真光寺遺跡 2021年度発掘調査(3)

【中世の遺構を調査し、無事終了しました】

 9月からは掘立柱建物跡や火葬施設跡、柵列跡、東西方向の溝跡とそれに沿うように並ぶ土坑などを調査しました。

 今年度調査区の西側となる現在の真光寺に近い場所では、中世と考えられる遺構が集中的に発見されました。

 

【掘立柱建物跡】

 掘立柱建物跡の柱穴は、約1.8mの間隔で並び、現在のところ1間×1間の建物跡となることが確認されました。穴はさらに来年度の調査区に伸びる可能性が考えられます。

 

 

 

 

 

【東西方向の柵列跡、溝跡、土坑列】

 東西方向に伸びる溝跡に柱穴を伴う遺構は、検出面で幅約20cm、深さ約10cmで溝内には約0.7m~1.8m間隔で柱穴が並び、柵列跡と考えられます。柵列跡は、「永楽通寶」(1411年~)が出土した土坑と同じ規模、同じ埋土となる土坑に切られていることから、「永楽通寶」が使用された時期、あるいはそれ以前の遺構と考えられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

【火葬施設跡(SX13)から出土した炭化物、焼土、焼骨】

 火葬施設跡は7基発見されました。平面形は隅丸方形や円形で焼土、炭化物、焼骨が出土しました。特にSX12とSX13とした火葬施設は、使用時の状況を良好に残していて、遺構の性格を考えるうえで貴重な発見となりました。

 

 

 

 

 

【火葬施設跡(SX12)の 銭貨3枚の出土状況】

 SX12からは6枚の銭貨が出土し、内3枚は重なり付着して出土しました。最上位の銭文の残存が悪いため、肉眼では読み取ることができませんが、「寛永通寶」(1631年~)以前の銭貨と考えられます。

 

 

 

 

【調査終了式】

 12月8日(水)、発掘現場プレハブにて、令和3年度の真光寺遺跡発掘調査終了式を行いました。副所長と調査部長が来跡し、作業員にお礼を申し上げました。

 

 

 

 

 

真光寺遺跡 発掘たより№2

真光寺遺跡

2021年8月23日

真光寺遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

 4月から現在までは遺跡の東側(第1調査区)を調査しており、現和田堰のもとと考えられる溝跡、8世紀初頭と考えられる古墳、土坑群、焼骨が含まれる集石などが発見されました。8月末からは、遺跡の中央付近(第3調査区)の調査に入ります。

 なかでも、古墳の発見は波田で初めてであるため、周辺住民の関心が高いことから、7月11日(日)に地元現地説明会および報道公開を開催しました。

 

【地元現地説明会】

 説明会は、コロナ渦のため、波田第1区住民を対象とし、事前申し込み制で行いました。
午前10時30分と午後1時30分の2回、全体説明を行いましたが、発見された古墳を見て驚き、感心する見学者が多かったです。

真光寺遺跡現地説明会資料(581KB)

 

 

 

【古墳の全景】

 古墳は、墳丘、石室、周溝が残っていました。墳丘径約12m、周溝幅約1.5m~2m、石室全長は約7.5m、幅は奥壁で1.1m、入口部で1.85m、となります。

 

 

 

 

 

【石室の調査】

 石室の側石を精査している風景です。石室は細長いかたちをしていて、比較的大きい河原石(長径50㎝程)を丁寧に積んでいることがわかりました。

 

 

 

 

 

【石室内部の様子】

 石室の内部は、羨道(せんどう:①)、前室(ぜんしつ:②)、玄室(げんしつ:③)の3つにわかれていました。羨道と前室の境に、袖石の痕跡と框(かまち・しきみ)がみつかりました(矢印)。

真光寺遺跡

2021年5月20日

真光寺遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

 真光寺遺跡は、昨年度の松本市教育委員会が行った試掘調査の成果をもとに発掘調査を行っています。試掘調査では、「和田堰跡」とみられる溝跡や、「弘治3(1557)年建立の真光寺跡」の遺構が検出され、中世を主体とした遺跡と考えられています。また縄文時代の黒曜石製石鏃が表面採集されており、近接地に縄文時代の遺跡(葦原遺跡ほか)があることから、試掘調査で確認できなかった縄文時代の遺構が見つかる可能性があります。



【遺跡遠景(松本電鉄側から臨む)】

 今回の調査面積は6,000㎡と広いです。表土はぎで掘削した土量はかなり多くなるため、調査区を4分割(第1~4調査区)して調査を進めています。ブルーシートがかかっている部分は第1調査区で、現在調査中です。写真の矢印は現在の真光寺です。



【発掘調査の開始】

 重機で表土をはいだ後、作業員が壁を精査している風景です。現在の耕作土の下層には、どのような土層が堆積しているか、また遺構や遺物が見つかるかなどを観察しながら作業を行っています。



【作業員により精査した状況】

 調査区は縄文時代以降、幾多の洪水等による氾濫により、大小多くの礫(れき)を含む砂礫層が堆積した土地となっていることがわかりました。写真は平安時代と推測される第1調査面を精査した状況です。砂礫層上面での検出作業は大変な作業です。古代あるいはそれ以前には水田として開発されたようですが、水田層にも大小多くの礫が含まれています。



【第1検出面で検出した石積遺構】

 この石積遺構は、長さ約9m、幅約2mで、南側(写真手前)がラッパ状に開いています。検出時には4段の石が積み上げられていました。今後、石積の周囲を掘り下げ、積み上げられた石の数や積み上げ方法を捉えていきます。



【灰釉陶器の出土状況】

 石積の近くから、灰釉陶器の壺が出土しました(写真の黄色い円の中)。石積の時期を検討する重要な遺物ですが、今後、石積の精査でどのような遺物が出土するか興味深いです。

真光寺遺跡,調査情報

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