【4年間の発掘作業が終了】
9月末をもって、今年度予定していた発掘作業が終了しました。今年度は遺跡の北西側を調査し、中世の方形にめぐる溝跡や、中世以降の建物跡と思われる竪穴状の遺構約10基、掘立柱建物跡の柱穴を含む土坑約260基などがみつかりました。遺物としては、中世以降の内耳鍋(土鍋)や陶磁器片、石臼、凹石といった当時の生活道具が多くみつかったほか、近世以降の鞴の羽口や鉄滓が出土するなど、鍛治の存在を思わせるものもみつかりました。
令和3年度から開始した真光寺遺跡の発掘作業は、今年度ですべて終了となります。今後は、長野市にある長野県埋蔵文化財センターにて、発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を進めていきます。
【これまでの調査成果】
〇波田地区ではじめての古墳発見
7世紀後半から8世紀初頭(飛鳥~奈良時代)頃に造られた古墳が2基みつかりました。石室の時期や造り方は、近くの安塚古墳群や秋葉原古墳群と似ており、梓川右岸地域の古墳築造を考えるにあたり貴重な事例となりました。
〇中世の土葬墓、火葬施設跡
現真光寺お堂の北東では、直径約70cmの円形の土坑が集中し、穴の底面近くでヒトの頭骨の一部や歯がみつかる例が複数確認されました(=中世の土葬墓)。歯の一部を鑑定したところ、埋葬されたのは6歳以下の子どもの可能性が高いことが分かってきました。また、遺体を燃やした「火葬施設跡」も多数みつかりました。
〇中世の方形にめぐる溝跡
遺跡の西側で、幅約2m・深さ0.3~0.6mの溝跡がみつかりました。溝跡はほぼ直角に屈曲する部分が2カ所あり、短辺が50m程の長方形にめぐることが予想できます。溝で区画された内側には竪穴状遺構や柱穴の可能性がある土坑などが多数あります。区画内がどのような場所であったのか、今後明らかにしていきたいと思います。