【土器の実測作業】
沢尻東原遺跡から出土した土器の復元作業はほぼ終了し、実測作業が本格的に始まりました。
【土器の写真を撮影する】
土器の実測には、デジタル技術を活用しています。デジカメで土器を全方向から分割して撮影し、その写真を委託業者が合成して3D実測図を作ります。1点の土器に必要なカット数は土器1点につき200カット程になります。
【完成した土器の3D実測図】
土器の凹凸の細部まで表現されています。
【断面図の作成】
土器の断面図は手実測で作成します。この段階で土器の作り方や使用痕などを観察します。
【完成した実測図】
3D実測図と手実測の断面図を合成して、実測図の完成です。報告書には実物の1/4や1/6の大きさで掲載します。
昨年度から実施していた土器の復元作業は順調に進み、石膏を入れた土器へ色塗りを開始しました。
【絵具を混ぜる】
何種類もの色(水性アクリル絵具)を混ぜて土器の色を作ります。石膏に塗る色は実際の土器の色と若干異なるようにし、実物の土器が残る範囲と復元した範囲を区別します。
【復元した土器に色を塗る】
石膏の範囲に色を塗っています。まず石膏範囲の中央を太い筆で塗り、実物の土器と接する部分は細い筆で慎重に塗ります。
【展示した土器】
写真は、6~7月に辰野美術館で開催した「掘るしんinたつの」における展示風景です。
11月8日に辰野町教育委員会主催による発掘調査成果報告会に講師として参加しました。
70名もの参加者があり、町内の多くの方に関心をもっていただけました。
【講演風景】
竪穴建物跡や土器の出土状況などの写真やイラストを使い、縄文人が沢尻東原ムラでどんな生活をしていたのかを説明しました。「黒曜石の原石は遺跡内で出土するのか」、「縄文人はムラの中に墓を作るのか」といった質問が会場から飛び出し、自分たちも縄文時代の理解を深めなければと身が引き締まりました。
【遺物・パネルの展示】
昨年の発掘で出土した遺物や、調査状況の写真パネルを展示しました。土器の文様や土偶の顔などを間近にみることができ、大変喜んでいただけました。
【当センターの遺跡の調査情報も紹介していただきました】
会場の受付では、当センターHPで公開している沢尻東原遺跡の調査情報も紹介していただきました。
現地説明会資料(2019年9月21日開催)
現地説明会資料(PDF1.8MB)
講演会当日の様子も放映されています
LCV「ねっとde動画」 辰野町「沢尻東原遺跡」発掘調査報告会
今年度の室内作業では土器の接合と復元のほかに、遺構図面の整理も進めています。今回は現場における記録をデジタル化して、どのように報告書の資料にするかを紹介します。
【埋甕炉を発見】
竪穴建物跡から土器を囲炉裏に使った埋甕炉(まいようろ)が発見されました。
現場では形や使い方がわかるように、様々な角度から記録写真を撮ります。
【実測図を書く】
写真撮影の後は、正確な記録を残すための図面を作成します。
発見した遺構を、真上や真横からミリ単位で測り、方眼紙に記録します。
【手書きの実測図】
この埋甕炉は1/10の縮尺で記録しました。図面に記された数字は、基準点(海抜703.514ⅿ)からの高低差を示しています。
【図面のデジタルトレース】
ここからが室内整理作業です。現場の図面をスキャンして、画面上で清書(デジタルトレース)します。
【完成したトレース図】
手書き実測図をデジタルトレースして、ようやく報告書に掲載できる資料となります。
9月24日に篠ノ井東中の2年生3名が当センターにおいて職場体験を実施しました。沢尻東原遺跡の作業室では土器の接合を行いました。
【土器を接合する】
たくさんの土器片が並ぶのをみて最初は戸惑いましたが、真剣に取り組み、破片同士がつながるようになりました。
【縄文土器の特徴を学ぶ】
担当職員から縄文土器の特徴について説明を受けました。当センターでの職場体験では、このほかに図書の整理も実施しました。
7月28、29日に沢尻東原遺跡の整理作業について、県文化財保護審議委員の早稲田大学高橋龍三郎教授より指導を受けました。
【土器を細かく観察する】
土器には変色したり、器面がすり減ったり、焼けた部分や煮炊きの焦げ痕など、たくさんの情報が残っています。こうした観察から土器が何に使われたのかを探ります。
【沢尻東原遺跡の評価について】
沢尻東原遺跡は縄文中期の集落を丸ごと調査し、集落の構造がわかるだけでなく器形や文様の残りが良い土器がたくさん出土しており、長野県の縄文時代を考えるうえで大変貴重な遺跡であるとの評価を頂きました。
(参考)沢尻東原遺跡概要(pdf1.07MB)
長野県宝「信州の特色ある縄文土器」 (長野県教育委員会HPへ )
【土器の接合・復元作業】
進行中
沢尻東原遺跡では、土器の接合と復元作業を進めています。
【復元した土器】
沢尻東原遺跡では、今から5,000年前(縄文時代中期)の土器が多く出土しています。上伊那地域のオリジナルな土器のほか県内外の様々な地域のものが出土しています。現在20個体以上の土器が復元できました。
【勝坂式(かつさかしき)土器(井戸尻式(いどじりしき)土器)】
粘土紐で立体的な装飾をするのが特徴です。神奈川県相模原市の勝坂遺跡や長野県富士見町の井戸尻遺跡を標識とし、中期中葉に西関東~長野県中部まで幅広く分布しています。
【梨久保(なしくぼ)B式土器】
細い粘土紐を貼り付けたり、胴体に縦横の直線を描くのが特徴です。長野県岡谷市の梨久保遺跡を標識とし、中期後葉に諏訪・松本を中心に分布しています。
【台形土器】
土器を作る時の工作台という説があります。山梨県で多く発見されています。
【夏休み考古学教室での展示】
8月7・8日に実施した、夏休み考古学教室で接合作業の公開と復元した土器の展示を行いました。複雑な土器の文様をみて見学者の方も大変感動していました。
【本格整理作業を開始しました】
沢尻東原遺跡の発掘作業は昨年度で終了し、今年度は報告書の刊行に向けた本格的な整理作業を開始しました。現在は土器の接合と復元を実施しています。
【たくさんの遺物が出土しました】
沢尻東原遺跡の発掘調査ではたくさんの遺物が出土しました。コンテナ数は土器270箱、石器50箱を数えます。
【土器の接合作業】
遺跡でみつかる土器は大部分が割れた状態で出土します。すべての破片の文様、色、厚さ、割れ口などの特徴を観察して、土器の形を想像しながら接合します。
【接合が終了した土器】
まるでパズルのようですが、全部のピースがあるわけではありません。このように大部分が復元できる土器は少ないです。
【土器の復元】
接合が終了した土器は立体的に復元します。破片どうしを接着し、テープで固定しながら底から上に向けて組み上げていきます。
【復元が終了した土器】
今から約5000年前、縄文時代中期のものです。
石膏(せっこう)で欠落している部分を補強します。
猛暑の中の発掘作業を乗りこえ、竪穴建物跡(たてあなたてものあと)を掘り始めるとそのようすも少しずつわかってきました。これまで取上げた土器以外にも、建物跡の床面(ゆかめん)からは屋根を支えた柱の穴や、煮炊きをおこなった炉(=イロリ)の跡などを発見しました。
今回は、縄文中期(約5,000年前)のいろいろな大きさや形の炉跡について紹介します。
【いろいろな炉跡】
竪穴建物跡で大小さまざまな炉跡を発見しました。中期の前半から後半へとうつるなかで、①から③へと炉の大きさも次第に大きくなってゆくようです。 【炉跡①】
7号竪穴建物跡では大変小さな石組炉(いしぐみろ)を発見しました。長さ約20㎝ほどの平らな石を4つ組合せています。他のものと違って、たった4つしか石を使わないので、小ささがわかると思います。
【炉跡②】
25号などの竪穴建物跡では石組炉の内側に土器を埋設していました。石組埋甕炉(いしぐみまいようろ)といいます。約60~70㎝の石の輪の中に、直径25㎝余りの土器が埋まっています。土器は底部や口縁などを打ち欠いて、胴部の高さ15~20㎝程度の部分を使っています。<
【炉跡③】
2号竪穴建物跡では、石で囲んだ炉の内側にも石を敷き詰めています。石囲石敷炉(いしがこいいしじきろ)といいます。長径約1.3mと、やや大型になっているのもこの炉跡の特徴です。
【来訪者が次々と】
7月22日、天候が悪化する中、辰野町の武居保男町長さん、山田勝己副町長さんが遺跡を見学されました。
縄文時代の集落のようすや出土した石器の使い方などを調査担当者が解説しました。
縄文時代の土器がまとまって出土した13号竪穴建物跡などを見学され、遺構・遺物の出土状況やその重要性について、理解を深めていただきました。
【何が出てくるか?ドキドキ!】
夏休み直前の7月23日、辰野南小学校の6年生につづき5年生が遺跡の見学と発掘体験をおこないました。
天竜川に近い調査地点の東端付近を移植ゴテで掘って、大小さまざまな土器のカケラを発見しました。
今回は特に黒曜石(こくようせき)のカケラを見つけることが多く、発見のたびにひときわ大きな歓声が上がりました。
5年生の皆さんも縄文時代を十分に体感できたようです。
【現地説明会 を開催します!】
ホームページで紹介した炉跡や竪穴建物跡の一部、発掘調査のようすなどを見学していただけます。出土したばかりの土器や石器も展示します。
☆お誘い合わせの上、お越しください!
☆9月21日(土)
①午前10:30~
②午後13:30~
※詳細は(案内チラシ 、案内図 )をご覧ください。(小雨決行)
4月から始まった発掘調査も、早いもので3か月がたちました。表土を取り除いてからの遺構検出も調査対象面積の8割ほどまで進み、だいぶ遺跡のようすがわかってきました。
40軒以上になると思われる竪穴(たてあな)建物跡は、天竜川を東眼下に臨む台地北部の南北140m、東西90mの範囲に収まりそうなこともわかってきました。天竜川の対岸1.5km北には、辰野町で今までに調査された中で最大の集落である、樋口内城(ひぐちうちじょう)遺跡があります。そこでは50軒を超える竪穴建物跡がみつかっていますが、沢尻東原遺跡もそのムラに匹敵する大きな集落であったと思われます。
現在10軒ほどの竪穴建物跡を調査中で、たくさんの土器や石器が発掘されています。
【竪穴建物跡から出土した土器】①
7号竪穴建物跡からは、4個体以上の土器が投げ込まれたような状態で出土しました。
右の写真中央の土器は、文様の特徴から縄文時代中期中葉の新道式(あらみちしき)土器の深鉢で、今から約5,300年前のものです。(推定復元高は約40cm)
【竪穴建物跡から出土した土器】②
13号竪穴建物跡から出土した左の土器は、長野県の東信地方から群馬県にかけて作られた焼町式(やけまちしき)土器です。
北東は岡谷・諏訪、北西は塩尻・松本と接した伊那谷の玄関口に立地する沢尻東原遺跡は、南北文化交流の要衝(ようしょう)であったと思われます。この土器も北の地の産物を入れて持ちこまれたのでしょうか。
【沢尻東原遺跡 国際デビュー?!】
6月14日、ほたる祭りを見に来たニュージーランドの皆さんが来跡しました。建物跡から出土した小型の土器を前に、職員の説明に熱心に耳を傾けていました。
Q:When do you dig up this pottery?
「この土器はいつ掘り出すの?」
A:Maybe one week after.
「一週間後くらいですかね。」
【何が出てくるか?ドキドキ!】
6月19日は辰野南小学校の6年生が遺跡の見学と発掘体験をおこないました。
移植ゴテで竪穴建物跡の土を注意深く掘ると、土器のかけらや黒曜石が・・・その度に歓声が上がりました。予定時間を延長して、小さな考古学者たちは縄文時代を体感したようです。
【倒木痕(とうぼくこん)】
皆さんは山の中で、倒れた木を見たことがありますか?立木の大きく張った根が、地表そしてその下の土を巻き込んで、倒れた木の根元には大きな穴があいています。月日が経ち、木や根は朽ち果て、巻き上げられた土が大きな穴の中央に、その周りには黒い表土が堆積していきます。
【遺跡でみられる倒木痕】
中央部の黄褐色土が下層の巻き上げられた土、その周りに地表の黒色土が流れ込んでいます。 かつては、逆堆積土坑とか、ロームマウンドと呼ばれていました。沢尻東原遺跡の台地上は今でも風が強く吹き付けます。縄文時代のムラが造られる前からムラの廃絶後も、たくさんの立木が倒れ、遺跡には多くの倒木痕がみられます。
長野県埋蔵文化財センターは、辰野町北沢東工場適地の開発事業に伴い、沢尻東原(さわじりひがしばら)遺跡の発掘調査を行っています。場所は中央自動車道伊北IC横にある長野オリンパス伊那事業所の東側です。発掘作業は4月~11月まで実施する予定です。この遺跡は辰野町教育委員会による確認調査が事前に行われ、縄文時代中期(約5,000年前)の集落跡がみつかると考えています。 地域の皆様のご理解・ご協力をよろしくお願いいたします。
【発掘調査の開始】
【重機で遺構のある地層まで掘り下げる】
発掘調査では、最初に重機を用いて地表から竪穴(たてあな)建物跡(住居跡)などの遺構がみつかる地層まで掘り下げます。
沢尻東原遺跡では、御嶽山の火山灰に由来する黄色い土(ローム層)まで掘り下げると、竪穴建物跡の炉石や遺物が出土しました。
【竪穴建物跡を発掘する】
重機を用いた後は人力による発掘を行います。写真の白線は竪穴建物跡の範囲です。直径は5.6m、床までの深さは30㎝程あります。現在3軒の竪穴建物跡を調査中です。
【炉を発見】
縄文時代中期の竪穴建物は床の中央に石囲炉が作られています。写真の石囲炉は大きな石を円形に並べてあり、直径は1.3m、深さは20㎝程あります。炉の内には焼土や灰はなく、底面に石が敷かれていました。これらの石には火を受けた様子がありません。炉を使い終えた後に敷き詰められた可能性があります。
【出土した遺物】
遺跡からは縄文人が使用した道具が出土します。
土器片は竪穴建物跡内から多くみつかります。土器の表面に棒を押し当てたり、粘土ヒモを貼り付けた文様が多くみられます。
【石鏃】
石鏃(せきぞく)は矢の先に装着したと考えています。和田峠周辺で採取された黒曜石を用いたと推測しています。
【石斧】
打製石斧(だせいせきふ)は土を掘るための道具と考えています。
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