Research調査情報

2014年10月3日

海岸寺遺跡 平成26年度調査情報(1)

海岸寺遺跡の発掘調査が始まりました。昨年度の調査では、平安時代の竪穴住居跡や、江戸時代の埋葬された人骨などが発見されています。今年度は昨年度調査の西区と道路をへだてた隣接区と、松本市教育委員会が行った試掘調査の際に礎石建物跡が発見された平坦地の隣を調査する予定です。

 

【急傾斜地につくられた石垣】

調査区内には江戸時代頃に造られた水田の石垣が並んでいます。山側から切り崩して谷側に盛り土し、平坦な地形を造り出していたようです。

 

【遺構の検出】

近世以降の盛り土の下からは古代・中世とみられる土坑や溝跡が確認されました。

 

【斜面地での作業】

平坦地の盛り土の下は高低差のある複雑な地形になっていました。棚田が造られる前は、薄川に向かう複数の沢をもつ急斜面地だったようです。

海岸寺遺跡

2014年10月3日

出川南遺跡 平成26年度調査情報(3)

出川南遺跡の発掘調査が終了しました。今回の調査では、中世以降と考えられる掘立柱建物跡や、古墳時代中期の竪穴住居跡などがみつかりました。一方、隣接地区で前年度に調査された弥生時代末から古墳時代初頭の住居跡は発見されず、近接する地区とは様相が異なることが分かりました。今後は、周辺地区との関係をふまえた当時の様子について調べていく予定です。

 

【みつかった小溝群】

調査区の西側では調査区を東西に縦断する大型の溝跡のほか、幅10cm未満の浅い掘り込みを持つ小さな溝跡が複数みつかりました。小さな溝跡は畑などの耕作によるものの可能性があります。

 

【自然流路の可能性のある落ち込み】

調査区を南北に横断する幅約6m、深さ2m以上の落ち込みを確認しました。人工の溝ではなく、自然の流路跡と考えられますが、これより西側からは中世より古い遺構・遺物はほとんど出土しなくなるので、当時の土地利用の境界になっていた可能性が考えられます。

 

【古墳時代の竪穴住居跡】

壁の1辺が約5.7mの竪穴住居跡が1軒発見されました。残されていた土器から古墳時代中期(5世紀)と考えられます。住居の隅からは柱穴の跡が3本(1本は調査範囲外)みつかりましたが、炉跡はみつかりませんでした。

出川南遺跡

2014年6月2日

出川南遺跡 平成26年度調査情報(2)

調査範囲全体の約半分の発掘が終了しました。調査区内には上下2枚の遺構面が確認され、上の面では中近世の掘立柱建物跡や溝跡が発見されました。下の面では、弥生時代後期から古墳時代前期までの土器片がまとまって見つかりましたが、竪穴住居跡のような遺構は確認されませんでした。当時の地形が西に向かって低くなり、低地に近い部分であったため、竪穴住居などは建てられなかったのかも知れません。

 

【掘立柱建物跡】

東西4間、南北3間の掘立柱建物跡が1棟検出されました。遺物の出土がないため、詳しい時期は分かりませんが、柱配列や埋土の特徴から中世以降の建物と推測されます。

 

【溝跡】

調査区を縦断する大小の溝跡が複数みつかりました。溝跡はどれも東西方向に延びています。埋土や遺物から多くは中世、一部は近代のものと思われます。

 

【土器集中】
中近世の面より約50cm下の面では、古墳時代前期とみられる土器の集中がいくつか確認されました。廃棄されたものか、または意図的に残されたものか今後の検討が必要です。

出川南遺跡

2014年4月23日

出川南遺跡 平成26年度調査情報(1)

出川南遺跡の発掘調査が始まりました。出川南遺跡はJR篠ノ井線南松本駅の一帯に広がる大きな遺跡です。これまでの調査で弥生時代後期から中世までの集落や方形周溝墓、古墳などがみつかっています。前年度に松本市が発掘を行った際、古墳時代前期と平安時代の竪穴住居跡が複数みつかっており、隣接する今回の調査区でも集落の広がりが確認できるものと期待されます。

【調査開始】
調査区境の壁面を観察し、地層の堆積のようすを確認しています。

【遺構の検出】
現地表面下、約1mの深さから、中世~近世と考えられる柱穴跡や、溝跡がみつかっています。

【溝跡の調査】
東西に伸びる溝跡を掘り下げています。溝は深いところで60cm以上もあります。

出川南遺跡

2014年1月27日

海岸寺遺跡 平成25年度調査情報(1)

-発掘調査終了-

8月に始まった今年度の発掘調査は12月17日で終了しました。

周辺遺跡から寺院跡の可能性を想定していましたが、調査の結果、遺跡に残る平坦地は近世の耕作地として造成されたものであることがわかりました。造成地の下からは平安時代の竪穴住居跡や平安時代~中世と思われる掘立柱建物跡の柱穴がみつかりました。

遺物は縄文土器、平安時代の土器片が少量みつかりました。また戦国時代頃の内耳鍋片もみつかりました。

 

【海岸寺遺跡の全景】

遺跡内には県宝千手観音立像(平安時代中頃)を祀るお堂があり、周囲には海岸寺経塚、観音堂の旧地と伝える弘法平があって、この周辺に「かいがん寺」と呼ばれる山寺がかつて存在したと想定されていました。しかし、今回の発掘調査範囲では寺の関連施設は確認できませんでした。


 

【平安時代の竪穴住居跡】

平安時代の竪穴住居跡です。寺との関係は不明ですが、平安時代にはここに人が暮らしていたことがわかりました。

 

海岸寺遺跡

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