滝川流域の遺跡群は、これまで調査事例がなく、その内容がつかめていませんでした。今回、上滝ほかの遺跡を発掘することになり、決して小さくはない集落跡が存在していることが分かってきました。確認した遺構数は、竪穴式住居跡が20軒、掘立柱建物跡が1棟、溝跡が1本他になります。縄文・古墳そして平安時代の集落跡が複合していますが、その中心は平安時代にあります。これまでに発見された住居跡を2つほど紹介します。
【2軒が重なりあって発見された竪穴式住居跡】
・写真手前の長方形をしたくぼみが平安時代の竪穴式住居跡です。これに破壊されているのが縄文時代の住居跡(写真中央の円形形のもの)です。
【平安時代の竪穴式住居跡】
・住居の東側にカマドがあります(写真の奥)。壊れていますが、カマド構築の材料と思われる礫がいくつも出土しました。
上滝・中滝・下滝遺跡は、滝川左岸の段丘上に細長く延びている遺跡です。一昨年度の遺跡南側の確認調査では遺構は見つかりませんでしたが、本年度の調査ではこれまでのところ、縄文時代の住居跡1軒、土坑1基、古墳時代と古代の竪穴住居跡8軒、古代の溝1条などが見つかっています。
古墳時代前期(約1,700年前)の竪穴住居跡です。住居内からは焼けて炭化した材が多数みられ、焼失した可能性があります。
平安時代の初め(約1,200年前)の竪穴住居跡です。北壁中央にカマド(写真上)がありますが、手前を最近掘られたごみ穴に壊されていました。
平安時代の竪穴住居跡の中には、大きな石で築かれた立派なカマドもあります。
東海地方で作られた灰釉陶器(かいゆうとうき)という壷(つぼ)(瓶(へい))の底の部分です。直径40cmほどのだ円形の穴の上面で見つかっています。