古墳時代前期の竪穴住居跡2軒と平安時代の竪穴住居跡1軒が確認されました。当初の調査区の外側にも遺構が広がることが予想されたため、範囲を広げて調査しましたが、遺構は確認されず、発掘調査は終了しました。
滝遺跡では、古墳時代と平安時代以外にも、縄文時代早期と前期の土器と、石鏃(せきぞく)、磨製石斧(ませいせきふ)などの石器が出土しました。
【調査区の様子】
この調査区の西側(写真で右側)に遺構が広がる可能性があるため、調査範囲を広げました。
【新たな調査範囲(北から撮影)】
上の写真の調査区に土を埋め戻し、その西側の表土をはぎましたが、遺構は確認されませんでした。
【新たな調査範囲(南から撮影)】
写真の右側に土が山になっているところが、竪穴住居跡などが見つかった調査区です。
古墳時代前期の竪穴住居跡2軒と平安時代の竪穴住居跡1軒が見つかりました。
手前の黄色い部分は宅地造成で削られて、本来の遺跡の様子がわかりません。
奥の黒ずんだところに古墳時代と平安時代の竪穴住居跡が確認されました。
平安時代の竪穴住居跡のかまどから沢山の土器が出土しました。
これらは、かまどで使われた甕などの土器である場合と、竃の構築材として用いられた土器である場合があります。
土器の出土状況、種類、表面の焼け方などを観察し、どのように使われた土器であるのか解明します。
写真左下(東側)には掘り込まれた壁が見つかりませんでした。傾斜地にあるため斜面下方の東側の壁が失われています。本来四方に壁があったと考えられます。また、壁に沿って廻っている溝があり、そこには土の壁にあてる板をはめ込んだと思われる跡が見つかりました。
四隅の小さな穴は柱をたてるための穴です。
古墳時代前期の竪穴住居跡から土師器(はじき)の甕(かめ)がつぶれた状態で出土しました。
5月に発掘調査を開始しました。発掘調査面積は約470㎡と狭い範囲で、和田遺跡の東側に隣接しています。調査区の一部は宅地造成のため削られていましたが、古墳時代と平安時代の竪穴住居跡が1軒づつ確認されました。
【発掘調査前】
自動車を停めてある平坦部が調査範囲です。
【確認調査】
重機で遺構や遺物がないか、トレンチ調査をします。
その結果竪穴住居跡が確認されました。
【調査区水没】
水はけが悪く、調査区が雨で水没しました。
【古墳時代の竪穴住居跡】
一部は調査区外にあり、全体は調査できません。
方形の竪穴住居跡です。床面から古墳時代前期の土器が出土しています。
【古墳時代前期の土器出土状況】
竪穴住居で出土した土器を水で洗って、いつの時代のものか観察します。
わずかな土器も遺構の時期を決定する貴重な資料です。
【平安時代の竪穴住居跡】
方形の竪穴住居跡の真ん中に、パイプなどを埋めた現代の溝が2条あります。
そのため、平安時代の竪穴住居跡が壊されて、部分的にしか残っていません。
写真中央上の土が赤くなっているところは、焼けた土で、竃(かまど)があったところです。
【竃(かまど)の焼けた土の堆積(たいせき)状況】
竃で火をたいた部分を土層断面です。
真っ赤に焼けた土の上面が火をたいていたところです。