Research調査情報

2024年10月23日

中野市南大原遺跡 2024発掘調査情報(2)

【浮かび上がる古代の暮らし】

 旧千曲川左岸の緩い斜面地に広がる南大原地区では、今から約2,000年前の弥生時代中期の集落と、今から約1,100~1,200年前の平安時代の集落を調査しています。平安時代の集落は、溝を巡らせて土地を区画し、方向を揃えた竪穴建物跡がみつかりました。区画溝は、集落の境を示している可能性があります。

 
【今日に繋がる日常の軌跡】

 SB102(平安時代の竪穴建物跡)は、一辺約5mの規模を持ち南側隅にカマドを備えています。この竪穴建物跡からは、灰釉陶器の皿を転用した硯や、鉄製紡錘車(繊維を紡ぐ道具)、耳皿がみつかりました。耳皿ざらとは、皿の側縁を対称的に折り曲げるつくりをした土器で、箸置きに使われたと考えられています。大河ドラマ「光る君へ」では、夫の藤原宣孝と主人公まひろ(紫式部)が、食事の際に箸置きとして耳皿を使用していました。

 みつかったお宝は、文房具、食器、箸置きなど現代を生きる私たちにも馴染み深いものばかりです。今から約1,100~1,200年前の人々の日常に思いを馳せていただければ幸いです。

密集する竪穴建物跡

SB102出土の耳皿

 

【広大な大地に眠る遺跡、次々と目覚める】

 南大原地区から微高地(現リンゴ畑)を挟んだ北西側の地域ではトレンチ掘削による確認調査が進んでいます。逆川・北大原・舞台・鍋久保の4地区のうち、現在は、逆川・北大原・舞台地区の調査をしています。

〇逆川地区

 掘削したトレンチの断面を見ると、現在の地形と同じように南東(リンゴ畑を営む微高地)側から北(現千曲川)側へ傾斜する地形が確認できました。洪水層が厚く堆積し、安定した土地ではなかったようです。

 これまで、近世水田の範囲を逆川地区境の市道までと考えていましたが、湧水点が市道の南側で確認され、近世水田が湧水点まで伸びていることが確認できました。

 

〇北大原地区

 逆川地区の北隣となる北大原地区の調査が始まりました。北大原地区は、7月まで北端を調査しており、そこでは平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。

北大原地区確認調査風景

 

〇舞台地区

 7月後半から調査を行っています。8月は、北大原地区の西側を調査しています。北西のトレンチからは、竪穴建物跡とみられる凹みを検出しました。凹みのなかからは奈良~平安時代に使われていた土器(土師器)の埦が見つかり、この時期の建物跡と考えられます。

舞台地区土器出土状況

 

【現地説明会を開催しました】

 8月10日(土曜日)、本調査区(南大原地区)の発掘現場において一般公開を行いました。

 現場を一望できる高台から遺跡の全体説明を行った後、弥生時代中期(およそ2,000年前)、平安時代(およそ1,100年前)の竪穴建物跡近くでそれぞれ説明をしました。プレハブでは、出土品の展示・説明も行いました。展示した遺物は、今年と平成の三水中野線関連調査地点での出土品で、弥生土器、土師器、石器、鉄製品など様々なものがあります。見学者は139名にのぼり、関東や関西など遠方からも多く訪れ、南大原遺跡の注目度の高さを感じる説明会となりました。

 今年の調査は、長野県埋蔵文化財センターと日本文化財保護協会とが一緒になって行っており、説明会でも職員がお互いに協力して設営、説明を行いました。

現地説明会の風景

 

南大原遺跡発掘たより 第3号(PDF:1057KB)

南大原遺跡発掘たより 第4号(PDF:966KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年5月30日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

≪南大原遺跡の本格的な発掘調査がはじまりました≫

 6月3日(月)から、中野市大字上今井字南大原ほかで南大原遺跡の発掘調査を行います。現在は、発掘調査に伴う現地プレハブの設置工事等を行ってい ます。 この発掘調査は、上今井遊水地整備事業に先立って実施するもので、11月末までを予定しています。 期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 詳しい情報はこちら(南大原遺跡発掘だより№1 PDFデータ:939K)

 

南大原遺跡空中写真(R5年11月撮影)

≪南大原遺跡ってどんな遺跡?≫

 『長野県中野市遺跡詳細分布図』( 2006 中野市教育委員会市)には、縄文・弥生・平安時代の遺跡として登載されています。1950年と1957年に神田五六さんと地元の高校生が中心となって発掘調査が 行われ、1950年の調査では縄文時代前期後半の竪穴建物跡が見つかり、そこから出土した土器は「南大原式土器」と命名されました。その後、1979年に旧豊田村教育委員会が、2011~2013年と2019・ 2020年に当センターが、いずれも県道三水中野線改良工事に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期後半から後期を主とした集落遺跡であることが明らかとなりました。中でも、鉄製品を加工したと考えら れる工房跡や、祭祀場と想定される環状土坑列の存在は、注目を集めています。

弥生時代中期後半の竪穴建物跡
環状土坑列(かんじょうどこうれつ)

立っている人の前に土坑がある

鉄製品・小鉄片・焼成粘土塊(しょうせいねんどこん)
弥生時代中期後半の土器群

≪令和5年度の調査成果≫

 「上今井遊水地だより」令和6年2月号でお知らせしましたとおり、右図のA・C区でトレンチ(試し掘り)調査を、緑線の部分で地層抜取り調査を実施しました。

 その結果、A区の調査では弥生時代中期後半の土器や平安時代の灰釉陶器等とともに、重複する平安時代の竪穴建物跡や、時代は特定できておりませんが、掘立柱建物跡・溝跡が確認されました。
 C区及び地層抜取り調査や古地理復元分析調査の結果、江戸時代以降の水田跡の分布範囲が、地域に遺る「上今井耕地絵図(かみいまいこうちえず)」(東江部村山田庄左衛門家文書(ひがしえべむらやまだしょうざえもんけもんじょ))と一致することが明らかとなりました。
 また、この江戸時代以降の水田層の下からは、奈良時代の掘立柱建物跡の他、焼土跡や溝跡等の遺構群が検出され、南大原遺跡でも奈良時代の人々の生活の痕跡があったことが確認されました。

R5年度調査区全体図
C区で検出された奈良時代の掘立柱建物跡
R6年度調査区全体図
想定される各時代の領域

南大原遺跡,調査情報

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