Research調査情報

2012年11月29日

千田遺跡 平成24年度整理情報(2)

今年度末の報告書刊行に向けて、土器の拓本、遺物・遺構図のトレース、図表の作成などをおこなっています。整理作業を進めるなかで、煮炊きや貯蔵に用いた土器の組み合わせや移り変わりのありさまが、新たにわかってきました。現在は遺物の写真撮影を中心に作業をおこなっています。今後編集作業を経て、原稿や写真とともに、報告書が完成します。北信地方の縄文中期集落としては最大級の千田遺跡の全貌が、明らかになると期待できます。

 

【埋文センター写真室】

7月に完成しました。以前よりも広く、使い勝手もよくなりました。撮影の終了した遺物を確認し、次の準備も同時におこないます。撮影する遺物によって、カメラやライトの位置を変えセットします。


【遺物のセッティング】

レイアウトを決めて、遺物を並べていきます。そのままでは傾いてしまう遺物を固定し、よい角度で撮影できるように慎重に並べます。


【撮影の瞬間】

3台のストロボがピカッ!

遺物の形や模様が最も引き立つ影ができるように、光を当てます。


【デジタル写真のチェック】

デジタル写真は、撮影後その場でモニターでチェックします。色調、模様の具合はどうでしょうか?ベストショットだと一安心。次にフィルム撮影に移ります。


【土偶】

200点を超える土偶は、写真でどのような表情をみせてくれるでしょうか。


 


千田遺跡

2012年4月12日

千田遺跡 平成23年度 整理情報

―千曲川に面した大規模集落(縄文時代)―

千田遺跡は、中野市豊津のJR飯山線替佐駅付近から千曲川左岸の緩斜面に広がる、大規模な遺跡です。千曲川堤防建設に伴って約5万㎡の発掘調査が行われ、縄文時代から中・近世までの住居域・廃棄場・墓域・生産域が広がっていました。住居跡53軒などを検出した縄文中期の集落跡は北信地方では最大級、200点を超える土偶は県内2番目の数となりました。縄文時代を中心とする多量の遺物について、23年度は土器の復元、石器の抜き出しと実測などの作業を終了しました。24年度は整理作業を継続し、報告書を刊行する予定です。

 

 

【縄文時代中期中頃の土器】

縄文時代中期の集落跡から出土した土器です。突起を付けたり波形に作った口縁部、粘土紐を張り付けたり、半分に割った竹で引いたような浮彫り風の、立体感がある装飾を施しています。


 

【縄文時代中期後半の土器】

縄文時代中期の竪穴住居跡から出土した土器です。後方右の土器は高さが約70㎝あり、復元できた土器の中ではもっとも大形です。平らな口縁部で装飾の乏しい中形土器(後方左)や、突起を付けて渦巻文で飾った土器(手前左)、片手で持てる小形土器(手前右)など、大きさも形も様々なうつわを、煮炊きや貯蔵の道具としていました。

 

【縄文時代中期の石器】

縄文時代中期の終わりから後期初めころの、土器や石器が大量に捨てられた廃棄場所から出土した石器です。木の実を割ったりすりつぶす道具(左半分)、土掘り具(後方右)、矢じりやナイフとして使った小形の道具(手前右)、魚とりの網のおもり(手前中央)などがあります。千曲川で得られる豊富な石を材料に、多くの道具を作っていました。

 

【縄文時代中期後半の竪穴住居跡】

写真2番目の土器が出土した竪穴住居跡です。平面が長さ6.45mの楕円形、深さ約70cmで、中央に石囲み炉があります。壁際は2段に掘り込まれて段差の部分に柱穴があり、高い部分はベッドや道具置き場などと推定されています。廃屋となってからはゴミ穴に利用され、20個ほどの土器が復元できました。


千田遺跡

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