―千曲川左岸の自然堤防上の大集落―
調査が始まって3ヶ月ほどが過ぎました。現在、今年度調査予定地の約3分の1にあたる約2,000㎡の地区で調査を行っています。弥生時代中期~平安時代の竪穴住居跡約50軒、掘立柱建物跡1棟、溝跡5条、墓跡6基などが確認され、弥生時代の土器・石器・玉類、古墳時代~古代の土師器や須恵器などコンテナに約100箱分が出土しています。
調査区を西からみたようすです。弥生時代~平安時代にかけての竪穴住居跡などの遺構が重なり合ってみつかっています。写真奥の堤防の先には、千曲川が流れています。
今回は弥生時代と平安時代の住居跡を紹介します。
住居の南側(写真右上)と西側(写真右下)が調査区外になるため、住居全体の1/3ほどしか調査できませんでしたが、大きな掘り込みの2つの柱穴がみつかっています。
柱穴の間にみつかったのが、住居跡の床に壺の下半部を埋めてつくられた炉です。炉のかたわらには、石が1つすえてあります。。
ほぼ方形をした住居跡です。北側壁(写真奥)の中央よりやや東寄りにカマドが設けられています。
カマド上部はすでに壊れていますが、石や粘土で形づくり、甕をすえて火を炊くと、煙が外に出ていくように工夫されています。カマドの周りからは、土師器や須恵器の坏や椀、甕などの土器片がたくさんみつかりました。この家の住人が使った食器や調理具です。
1.5m×0.5mほどの方形の掘り込みから、人骨がみつかりました。骨の残存状態はあまりよくありませんが、頭(写真奥)を北側にして手足を伸ばした姿勢で埋葬されていたことが分かります。この墓の作られた年代は科学分析などを行って、明らかにしていきたいと思います。