Research調査情報

2012年9月20日

浅川扇状地遺跡群 平成24年度調査情報(4)

 7月から調査してきた地区では調査が終了し、吉田・桐原地区とも新しい地区の調査を開始しました。吉田地区では古墳時代~平安時代の竪穴住居跡に加え、昨年度の調査では確認されなかった、弥生時代後期の竪穴住居跡もみつかりました。また、桐原地区では、古墳時代の竪穴住居跡から完全な形に近い土器がたくさん出土しました。

 

【弥生時代後期の竪穴住居跡の調査】
 住居の床面近くからは壺や甕がつぶれた状態でみつかりました。


 

【平安時代の墓跡から出土した人骨】
 頭蓋骨と手足の太い部分の骨しか残っていませんでしたが、その位置から頭を北に向け、足を折り曲げた状態で、仰向けにして葬られていたことがわかります。


 

【古墳時代土器の出土状態】
 住居跡から完全な形に近い土器がまとまって出土しました。出土した土器には甑(こしき)や壺のほか、小形丸底土器もあります。

 

【ラジコンヘリによる空中撮影】
 掘りあがった住居跡などをラジコンヘリに搭載されたカメラで、空中から撮影しました。


浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2012年7月20日

浅川扇状地遺跡群 平成24年度調査情報(3)

―市街地に眠る古代の遺跡―

梅雨時は、天候が不順な日もありましたが、4月当初から始めた地区は調査区は終了し、吉田・桐原地区とも新しい地区での調査が始まっています。吉田地区では昨年度の調査で確認されなかった、弥生時代中期の遺構(流路跡)がみつかりました。また桐原地区では、古墳時代~平安時代のものと思われる竪穴住居跡などの遺構がいくつか確認され始めました。

 

【弥生時代中期の流路跡の調査風景(吉田地区)】

弥生時代中期の流路跡からは、壺(つぼ)や甕(かめ)の大きな破片や、小形の磨製石斧(ませいせきふ)などたくさんの遺物が出土しました。

 

 

 

 

 

 

【出土した弥生時代中期の土器〈壺〉(吉田地区)】

壺の首にあたる部分の破片です。棒状の工具により横方向にひかれた模様の間に、縄文が施されているのがわかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【古墳時代の竪穴住居跡の調査風景(吉田地区)】

古墳時代の住居跡の床面には、完形に近い土器が残されていました。

 

 

 

 

 

 

 

【遺構の検出作業風景(桐原地区)】

重機で表土を取り除いたあと、土の色の違いなどをみながら、住居跡などの遺構を探していきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2012年6月5日

浅川扇状地遺跡群 平成24年度調査情報(2)

―市街地に眠る古代の遺跡―

調査が始まって1ヶ月ほどが過ぎましたが、昨年度に引き続き古墳時代~中世にかけての遺構がみつかっています。吉田地区からは中世以降の墓跡1基、平安時代の竪穴住居跡2軒などが確認されました。また、桐原地区からは古墳時代~平安時代の竪穴住居跡8軒などが確認されています。


【中世以降の墓跡の調査(吉田地区)】

人骨の状態はあまりよくなくて、埋葬された姿勢などははっきりとしませんでしたが、長方形の木製の棺(ひつぎ)に納めて埋葬されていることがわかりました。


 

【みつかった円面硯(えんめんけん)の破片(吉田地区)】

古代の土器片などが出土する層の中から、円面硯(円形のすずり)の破片が出土しました。昨年の桐原地区に続き、2点目の硯の出土となりました。


 

【平安時代の竪穴住居跡の調査(桐原地区)】

住居跡の中からは、たくさんの土器片がみつかりました。土器はその場所に残しながら掘り進め、写真を撮ったり、測量をして記録を残します。


 

【柱穴の中から出土した平安時代の土器(桐原地区)】

竪穴住居跡の柱穴の中から、完全な形に近い土器が2点、重なるように埋められているのがみつかりました。


 

【調査区全景の写真撮影(桐原地区)】

掘りあがった調査区全体の様子を高所作業車に乗って撮影しています。


浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2012年4月25日

浅川扇状地遺跡群 平成24年度調査情報(1)

―市街地に眠る古代の遺跡―

昨年度に引き続き、浅川扇状地遺跡群の発掘調査が始まりました。本年度の調査は、昨年度調査した長野電鉄線南側の桐原地区の一部と、長野電鉄線北側にあたる吉田地区の調査を予定しています。昨年度の調査では、古墳時代から古代の大規模な集落跡や、中世の堀跡や墓跡などがみつかり大きな成果が得られました。今年度も、昨年同様古墳時代~中世の遺構や遺物などはもちろん、長野市教育委員会が行った周辺遺跡の調査では、弥生時代の遺構などもみつかっていて、今年度の調査では、新たな成果が期待されます。

 

【表土掘削作業】

4月16日(月)より、重機による表土掘削作業を開始しました。写真は吉田地区の道路建設予定地の状況です。周辺は住宅街であり、防塵・防音等の対策が必須です。

 

【遺構検出の様子】

4月23日(月)からは表土掘削作業が終わった地区で、人力による遺構の検出を始めました。表面の土を薄く削りながら、住居跡などの遺構を探していきます。住居跡と思われる黒色土の落ち込みが3箇所で確認されました。来週にはいよいよ、住居跡か否かを確認する調査に入る予定です。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2011年12月21日

浅川扇状地遺跡群 平成23年度調査情報(5)

平成23年度の発掘調査は11月30日に終了しました。
本年度の調査では古墳時代(約1600年前)の住居跡10軒、奈良・平安時代(約1300年~1100年前)の住居跡53軒、井戸跡1基、鎌倉時代から室町時代(約700~500年前)の堀跡1条、墓3基、井戸跡1基、ほかにも時期不明の溝跡4条、土坑約150基がみつかりました。

【2区(南側の地区)の遠景】
(調査区の北側から撮影)
本年度の調査では古墳~平安時代の住居跡や中世の館を囲む堀跡などが確認されました。
中世の館は「高野氏館跡(桐原要害)」といわれ、写真の左側中央付近が推定地です。

【中世の堀跡(西辺)】
南側の調査地では中世の館を取り囲む堀の西辺と北辺、また館に出入した土橋などがみつかり、史料や伝承の裏付けができたことは大きな成果となりました。

【住居跡からみつかった土器】
古墳~平安時代の住居跡からはたくさんの土器がみつかっていますが、その多くはつぶれた状態でみつかります。
この古墳時代の住居跡からは完全なかたちの土器(甕)がみつかり、慎重に取り上げました。

【桐原牧神社のわら駒】
桐原地区には平安時代に馬を育てていた「牧」であったという伝承があります。
現在も、調査地の西側にある桐原牧神社では毎年3月8日にはわら駒を作って、神前に捧げる春祭りが行われています。
今回の調査では「牧」に関する遺構や遺物はみつかりませんでしたが、来年度以降の調査に期待したいと思います。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2011年10月25日

浅川扇状地遺跡群 平成23年度調査情報(4)

10月6日(木)、13日(木)に吉田小学校の4年生の子供たちが体験学習で現場にやってきました。
また、中世の掘跡の区画の一部が明らかになり、10月15日(土)には2回目の現地説明会を行いました。
当日の朝まで降っていた雨も上がり、93名の方に来ていただきました。

現地説明会資料は こちら (PDF)

【吉田小学校の見学1】
写真パネルや実際に発掘された土器をみながら、地元で発掘されている遺跡の説明を聞いています。

【吉田小学校の見学2】
現場では古墳時代の竪穴式住居跡の調査を見学して、実際に埋まっている土器をみて、感動していました。

【吉田小学校の見学3】
土器洗いの体験。補助員さんに指導を受けながらやさしく土器を洗っていました。

【現地説明会1:中世の堀跡】
南北に直線的に延びる中世の堀跡が東の方向へ曲っていることが新たに分かりました。このことから、掘跡は調査地東側にある中世武士の館「高野氏館跡(桐原要害)」を囲む外堀である可能性が高くなりました。

【現地説明会2:中世の堀跡や井戸跡からの遺物】
堀跡や井戸跡からは13世紀後半(鎌倉時代)のかわらけ(土師質小皿)や青磁碗の破片、北宋銭がみつかってます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2011年8月2日

浅川扇状地遺跡群 平成23年度調査情報(3)

 1区の調査が終わり、その南側の2区の調査をおこなっています。南北に伸びる幅の広い溝や、平安時代を中心とした竪穴住居跡62軒を確認しています。
 
【2区の遺構検出作業】
土を丁寧に削って、土の色の違いを見分けながら竪穴住居跡などの遺構の形を探します。

【深い溝を掘る】
幅2m 深さ1.5mの南北に伸びる溝跡が検出され、埋まった土を掘り下げていきます。
まだ、溝の時代は判明していません

【掘り上がった溝】
溝は手前(北側)にまっすぐ伸びていきます。調査区内では約50mにわたって溝跡が確認されており、南側を調査中です。

【竪穴住居跡遺物出土状態】
平安時代の竪穴住居跡です。写真上の中央の壁際に竃(かまど)の跡が見つかりました。

【土器を掘りだす】
上の写真の住居跡の調査風景です。
内面を黒くした杯(深い皿のような形の土器)などが出土しています。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2011年6月15日

浅川扇状地遺跡群 平成23年度調査情報(2)

道を挟んで2つの地区に分けて発掘調査を行っています。北側の1区では古墳時代の竪穴住居跡1軒と平安時代の竪穴住居跡16軒が確認されています。平安時代の円面硯(えんめんけん:須恵器とよばれる焼き物製の硯)、帯金具(おびかなぐ)などが出土しています。

【1区(北側の地区)の全体写真】
古墳時代~平安時代の竪穴住居跡が17軒みつかりました。

【人骨出土】
2体の人骨が並んで発見されました。2体は頭を北にして並んでいました。
古代の竪穴住居跡よりも新しいことはわかりましたが、まだいつの時代のものか特定できていません。

【人骨の調査】
人骨の模型(写真左下)を見ながら形質人類学の先生にくわしい鑑定をしてもらいました。
その結果、2体は同じお墓に葬られたのではなく、異なる時期に埋葬されたことが明らかになりました。

   【平安時代竪穴住居跡出土の帯金具】
古代のお役人が身に着けていた、銙帯金具(かたいかなぐ)と呼ばれるベルトの飾り金具です。銅製です。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2011年5月10日

浅川扇状地遺跡群 平成23年度調査情報(1)

長野電鉄桐原駅の近くの住宅街で発掘調査を開始しました。長野市埋蔵文化財センターの確認調査により、調査地点は古墳時代後期から平安時代の集落跡であったことが判明しています。
現在のところ平安時代と思われる竪穴住居跡が15軒ほど確認されています。
 
【発掘開始】
調査区の周りにフェンスを張りめぐらし、重機で表土の除去を開始しました。

【調査風景】
1区と呼んでいる調査区の調査の様子です。
これまでのところ、1区で15軒の竪穴住居跡が確認されています。

【道路際の発掘調査】
地表からの土層の堆積状態を観察するために、調査区の壁をきれいに削っています。

【竪穴住居跡のかまど】
平安時代の竪穴住居跡のかまど周辺の土器の出土状況です。
土器の左右に大きな石が並んでいます。これはかまどをつくるときに芯材(しんざい)として用いたものです。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

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