―千曲川に面した大規模集落(縄文時代)―
千田遺跡は、中野市豊津のJR飯山線替佐駅付近から千曲川左岸の緩斜面に広がる、大規模な遺跡です。千曲川堤防建設に伴って約5万㎡の発掘調査が行われ、縄文時代から中・近世までの住居域・廃棄場・墓域・生産域が広がっていました。住居跡53軒などを検出した縄文中期の集落跡は北信地方では最大級、200点を超える土偶は県内2番目の数となりました。縄文時代を中心とする多量の遺物について、23年度は土器の復元、石器の抜き出しと実測などの作業を終了しました。24年度は整理作業を継続し、報告書を刊行する予定です。
【縄文時代中期中頃の土器】
縄文時代中期の集落跡から出土した土器です。突起を付けたり波形に作った口縁部、粘土紐を張り付けたり、半分に割った竹で引いたような浮彫り風の、立体感がある装飾を施しています。
【縄文時代中期後半の土器】
縄文時代中期の竪穴住居跡から出土した土器です。後方右の土器は高さが約70㎝あり、復元できた土器の中ではもっとも大形です。平らな口縁部で装飾の乏しい中形土器(後方左)や、突起を付けて渦巻文で飾った土器(手前左)、片手で持てる小形土器(手前右)など、大きさも形も様々なうつわを、煮炊きや貯蔵の道具としていました。
【縄文時代中期の石器】
縄文時代中期の終わりから後期初めころの、土器や石器が大量に捨てられた廃棄場所から出土した石器です。木の実を割ったりすりつぶす道具(左半分)、土掘り具(後方右)、矢じりやナイフとして使った小形の道具(手前右)、魚とりの網のおもり(手前中央)などがあります。千曲川で得られる豊富な石を材料に、多くの道具を作っていました。
【縄文時代中期後半の竪穴住居跡】
写真2番目の土器が出土した竪穴住居跡です。平面が長さ6.45mの楕円形、深さ約70cmで、中央に石囲み炉があります。壁際は2段に掘り込まれて段差の部分に柱穴があり、高い部分はベッドや道具置き場などと推定されています。廃屋となってからはゴミ穴に利用され、20個ほどの土器が復元できました。