甦る古代の輝き―保存処理を終えた銅製品―
専門業者に委託して保存処理を行っていた銅製品が当センターに帰ってきました。千年以上、土の中に埋もれ、錆びと土砂が付着した状態でしたが、ようやく古代の輝きを取り戻しました。
佐久地域を代表する大規模な古代集落が発見された西近津遺跡群にはさまざまな金属製品が出土しています。その大半は鉄製品ですが、当時から貴重な銅製品もいくつかみつかっていました。こうした資料を細かく観察すると、古墳時代や平安時代の「西近津集落」の特徴がみえてきます。そしてまた、新たな疑問点も浮かび上がってきます。
遺構を探す検出作業で出土した小さな金属製品。全体に土砂に覆われ全体像がつかめません。ただ中央のハート型の透かしから、何かの飾り金具ではないかと考えられていました。
慎重にクリーニングをしてみると、地金は青銅で、その表面は金メッキされた金銅製品とわかりました。ハート型の透かしのまわりには細かな彫刻(毛彫り)があります。鋲を留める穴が2か所あることや全体の形状から、馬具の帯先を飾る金具と推測されます。ふつう、古墳の副葬品として出土することが多い馬具飾りが、なぜ集落から出土したのでしょうか。その理由を考えていきたいと思います。
処理後の馬具飾りの大きさ:長さ30.4×幅22.4×厚さ4.8mm 重量3.5g
平安時代の小さな竪穴住居跡から無傷でみつかりました。印面には「□子私印」(1文字目は不明文字)とあります。それは所有者の名前を示しているのでしょう。また赤色の顔料も付着していて、実際に使用されていたこともわかります。化学分析の結果、材質は緻密な青銅製で、赤色顔料は酸化鉄を利用した「ベンガラ」であることがわかりました。
保存処理の結果、裏面(つまみの付く側)はよく磨かれていて、古代そのままの輝きを取り戻しました。鋳物職人が印章を型から抜き取った後、バリ取りをして、ていねいに仕上げたのでしょう。
奈良時代の律令社会が崩れていく平安時代になると、役所や役人などが使用した「公印」だけでなく、地域の有力者たちが所有し、使用した「私印」が登場します。全国各地の大規模な集落遺跡でそうした「私印」が出土しています。
西近津遺跡群でみつかったこの私印の持ち主はいったい誰なのでしょうか。古墳時代後半から奈良時代、平安時代と続く大集落の子孫として、力をつけていた人物なのでしょうか。それとも別の場所から移り住んできた新勢力の中心人物なのでしょうか。想像をふくらませてくれます。
処理後の印章の大きさ:長さ33.2×幅32.6×厚さ31.4mm 重量51.9g