Research調査情報

【南信】正泉寺遺跡

ふりがな
しょうせんじいせき
住所
飯田市座光寺
マップURL
マップ
※スマホのGoogleマップアプリでは非対応
立地
土曽川沿いの谷地形左岸の緩斜面に立地
事業
座光寺上郷道路建設
調査期間
令和2~4・6・7年
時代
弥生
遺跡の種類
集落跡
調査状況
発掘終了

2026年2月18日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(4)

 正泉寺遺跡の調査は、昨年度から始まり今年で2年目となります。4月14日から始まった調査は、暑い夏を越え、遠くの山に雪が積もり始めた12月18日に終了しました。

 発見された主な遺構は古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡81 軒、土坑175 基、溝状遺構6条、掘立柱建物跡1棟。弥生時代の流路跡1条。縄文時代の土坑2基。そのうち竪穴建物跡は全体の約9割が7区でみつかりました。

 7区からは、飯田地域では珍しい「箸置き」に使われたと考えられている素焼きの耳皿が出土(SB84)しています。また、平安時代の竪穴建物跡では川原石を芯材としたカマドが構築されていました。

素焼きの耳皿(SB84)

竪穴建物跡(SB93)

 

川原石を用いたカマド(SB93)

 

 古墳時代~奈良・平安時代の集落の下層からは弥生時代の流路跡(SD9)がみつかり、たくさんの弥生土器が出土しました。また、縄文時代中期の土器が出土した土坑もみつかりました。

弥生時代の流路跡(SD9) 左上:流路跡から出土した弥生土器

 

 正泉寺遺跡周辺の座光寺・上郷飯沼地区は比較的平坦な段丘地帯で、今年度から調査が始まったママ下遺跡、令和3年から調査を行っている五郎田遺跡、近年調査された堂垣外遺跡や西浦遺跡など数多くの遺跡が密接して存在しています。これらの遺跡の北東約1km(元善光寺駅の南東約100m)には古代伊那郡の郡衙(役所)跡と推定されている恒川遺跡群が存在します。座光寺・上郷飯沼地区に展開するこれら古代の遺跡は、役所を中心として成立し栄えたムラの跡と考えられます。

 近年、リニア中央新幹線建設に伴う発掘調査で数多くの出土品や情報が得られています。今後これら貴重な成果から、座光寺・上郷飯沼地区周辺の古代のムラの様子が更に明らかになっていくことと思います。

作業風景(図面の整理作業)

 令和8年3月17日~5月10日「掘るしん2026in飯田」が飯田市考古博物館で開催されます。耳皿も展示されますので皆さんお越しください。詳しくはHPをご覧ください。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第9号(PDF:972KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年9月19日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(3)

【夏の発掘作業進行中】

 9月に入り多少涼しい風が吹くようになりましたが、8月は連日、熱中症警戒アラートが発令され、飯田市も猛暑日が続いていました。屋外での発掘調査だけでなく、暑さ対策として土器の洗浄も行いながら作業を進めました。

 

【7区の調査のようす】

 7区の調査を継続中です。平安時代の竪穴建物跡が40軒以上みつかっています。すでに調査が終了した4区以上に竪穴建物跡の重なりが激しくなっており、調査区のどこを掘っても遺構がみつかる状況が続いています。また、直径50~60cmほどの円形の土坑を数基検出しました。掘立柱建物跡の柱穴の可能性も考えられます。

 

竪穴建物跡につくられたカマド

このカマドには支脚石、袖石が残っていて、土器が多く出土しました。石を芯としてやや粘りのある黄色の土で作られたカマドの構造を観察することができます。カマドの中は橙色に土が焼けていて、火が焚かれた部分がはっきりとわかります。

 

インターンシップ生の発掘調査の参加

大学生、大学院生が発掘調査に参加しています。大学の授業で学んだことと、現場で実際に体験することは様々なギャップや新発見があるようです。

2週間ほどの期間ですが実りのある経験になるといいですね。

 

竪穴建物が重なってみつかったようす

竪穴建物が3軒重複してほぼ同じ場所に建てられていました。

当時の人々は同じ場所に長い時間居住していたのでしょうか。

青→黄→赤(11世紀ごろ)の順に新しくなっています。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第8号(PDF:893KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年7月18日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(2)

【暑い中での発掘調査が進んでいます!】

 4月から始まった発掘調査も3ヶ月がたちました。東海では梅雨も明け、飯田でも急激に気温が上昇しはじめました。熱中症に注意しながら調査を進めています。現在まで4区と8区の調査が終了し、7区の調査を行っています。たくさん昔の生活跡がみつかっていますので、各区の調査状況をお伝えします。

正泉寺遺跡 R7年度調査区

 

【4区の調査のようす】

 4区では平安時代と思われる竪穴建物跡が5軒、土坑が25基みつかりました。6軒の竪穴建物跡は重なり合ってみつかりました。下の写真中央にその様子が確認できます。同じ場所で複数の世代にわたって生活を営んでいたのでしょうか。一方水色で示した範囲では、平安時代以降の氾濫によって地面が削られたり、土砂が堆積した様子や、後世のかく乱の様子がわかりました。

4区全体写真(北西より撮影)

 

【7区の調査のようす】

 6月から開始し、現在平安時代の竪穴建物跡を約10軒を調査中です。カマド跡の残存状況がよい建物跡や完形の土器が出土した建物跡がみつかっています。

 

竪穴建物跡(SB83)のカマド

北西の壁面の中央にカマドの跡が確認されました。カマド周辺からはカマドを構築する40cmほどの石や、ほぼ完全な形の土器が多く出土しました。

 

竪穴建物跡(SB84)出土の土器

竪穴建物跡のコーナー付近の床面から、完全な形の耳皿や小形の皿がまとまって出土しました。遺物から11世紀の遺構と考えられます。正泉寺遺跡では初めての発見です。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第7号(PDF:950KB)

※号数は調査開始時からの通算

 

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年5月20日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の調査が始まりました】

 座光寺上郷道路の建設に伴い、昨年に引き続き、4月から今年度の発掘調査を開始しました。昨年度の調査区隣接地4区から県道市場桜町線までの間((~8区の調査面積4000㎡を行ないます。これまでの確認調査によって弥生時代から奈良・平安時代の竪穴建物跡や土坑が発見されているので、今年度の調査区でも多くの遺構や遺物がみつかると予想しています。

 近年、遺跡周辺では様々な公共事業に先立つ遺跡の発掘調査が進められています。土曽川が形成した微高地上に広がる正泉寺遺跡や五郎田遺跡、対岸のママ下遺跡では同じ時代の集落跡がみつかっていることから、今後これら集落のまとまりや移り変わりなどを明らかにしていきたいと考えています。

正泉寺遺跡 調査区 (R6年度撮影)

正泉寺遺跡周辺の遺跡 飯田市遺跡地図から

 

【4月の調査のようす】

遺構検出作業

重機を使って表土掘削を行った後、人力で土の表面を削り、土の違いから、土坑(穴)や竪穴建物跡などの遺構をみつけます。

 

遺構精査

8区の北東部分では、奈良・平安時代の竪穴建物跡2軒がみつかりました。後世のかく乱で壊されているため、全体の形状は明らかではありませんが、カマド跡が残っていました。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第6号(PDF: 1059KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年7月12日

飯田市正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(2)

【古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を続々と発見】

 4月の発掘調査開始から3か月ほど経ちました。遺跡は、土曽川左岸の微高地上に広がっています。調査の便宜上、国道153号に接する部分を1区、その北西側を2区、3区と呼び、調査は2区から開始しました。現在、1区へも展開し、1・2区あわせて古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を約30軒、土坑を約30基検出し、調査を行っています。
 竪穴建物跡などの遺構は、古い時期のものが埋まった後に、新しい時期のものが掘り込まれ、重なり合ってみつかります。それが繰り返され、自然の地面がないほど密集している様子が分かってきました。

正泉寺・五郎田遺跡 発掘だより第2号(PDF:1002KB)

 

【調査のようす】

 竪穴建物跡の中から、注目される古墳時代の竪穴建物跡(SB4)をご紹介します。この遺構は、飯田下伊那地域にカマドが伝わった5世紀中頃に営まれた建物です。北西壁際では高坏などの土器が集中してみつかっていて、この場所で土器に供え物を盛ってマツリが行われたのではないかと考えられます。このような土器の出土状況は飯田市内の同じ頃の4遺跡ほどでみつかっています。

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年5月30日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

≪令和6年度の発掘調査が始まりました≫

 座光寺上郷道路建設に伴って、正泉寺遺跡(しょうせんじいせき)・五郎田遺跡(ごろたいせき)の発掘作業を4月から開始しています。正泉寺遺跡・五郎田遺跡は飯田市座光寺に位置し、土曽川(どそがわ)左岸の微高地上に隣り合って立地します。これまで、正泉寺遺跡は発掘調査歴はありませんが、昭和38年に弥生時代中期(約2,000年前)の土器や石器が偶然発見され、弥生時代・古墳時代・平安時代・近世の遺物散布地として知られていました。令和2年~4年に長野県埋蔵文化財センターで確認調査を行ったところ、弥生時代や古墳時代の建物跡や土坑(どこう)がみつかり、集落の広がりを予想することができました。五郎田遺跡は令和3年度からリニア中央新幹線建設や国道153号拡幅に伴って、継続して発掘調査が行われています。

 

 詳しい情報はこちら(正泉寺・五郎田遺跡発掘だより№1 PDFデータ:1,133K)

 

令和6年度 正泉寺遺跡・五郎田遺跡の調査位置

 これまでに、今年度調査地の約半分の表土掘削を行い、おもに古墳時代の竪穴建物跡15軒、土坑数基などを検出しています。また、それらの竪穴建物跡からは、土師器(はじき)の甕(かめ)や坏(つき)、高坏(たかつき)、須恵器(すえき)の坏、磨製石鏃(ませいせきぞく)や砥石、銅製の耳環(じかん)などがみつかっています。

 

≪調査のようす≫

遺構の検出作業

両刃鎌で表面を削り、土の色や質の違いから、遺構をみつけていきます。

遺構精査1

一辺約4mの四角形の黒色土の落込みを見つけました。試し掘りをして、どんな土がどのように堆積しているのかを確認します。

遺構精査2

土の堆積を観察するためのベルトを残して掘り下げます。赤く土が焼けている火床がみつかったことから、建物跡だとわかりました。

遺物出土状況

黒色土を除去したところ、床面から多くの土器がみつかりました。土器の特徴から、古墳時代後期(約1,500年前)と考えられます。

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報