【令和7年度の南大原遺跡の発掘調査、後半戦がはじまりました】
8月末で北大原地区の調査が終了し、舞台地区に2班が合流し、南大原地区と同時並行で調査を進めています。調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。
今後、南大原地区では、9月27日(土)に現地説明会を開催する予定です。また、10月1日(水)には、高丘小学校6年生の体験発掘を受け入れる予定です。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

南大原遺跡空中写真(北東から)
【南大原地区の調査成果について】
南大原地区は、弥生時代中期後半から古墳時代、奈良・平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。他の2地区の竪穴建物跡は平安時代に限定されているのに対して、南大原地区は長期にわたり居住に好適地であったと考えられます。現在は、古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡の調査を中心に行っています。
下の写真は須恵器の坏が5枚重なって出土したもので、下2枚の坏には墨で字が書かれていました。墨書土器と言いますが、南大原遺跡では初めての出土となります。

南大原SB127須恵器坏出土状況(8世紀代)

南大原SB127 5枚重ねの下2枚に墨書
下の写真は、竪穴建物跡に付随するカマドです。SB136は煙り出しの穴がトンネル状に確認され、SB142では、カマドに掛けた土師器の甕を支える支脚石が確認されました。

南大原SB136カマド(8世紀末~9世紀初)

南大原SB142カマド(9世紀前半)
【北大原地区の調査成果について】
7月16・17日の現地公開で竪穴建物跡の細部についてご覧いただいた方もいらっしゃると思いますが、全体的にみると下の写真のように2間×2間の総柱建物跡を中心に、東側に4軒、西側に4軒の竪穴建物跡が分布します。西側の4軒は現市道側まで延びています。いずれも重複しており、これは1軒ずつ4時期に渡り建て替えられていたことを示しています。一方、東側の4軒は重複することもなく最大で4軒同時存在したことが考えられます。また、SB2・3はカマドを造り替えており、長い期間、使用されていたと想定されます。今後、出土した土器等を分析して、竪穴建物跡の時期を特定できればと考えています。今後の整理作業に乞うご期待です。

北大原地区 空中写真(南から)
【舞台地区の調査成果について】
舞台地区全体で50軒以上の竪穴建物跡が検出されました。いずれも9世紀末から10世紀代に限定されそうです。北大原地区から続く河岸段丘上の高まりを居住地として集住し、その後、短期間に移動してしまい、遺跡としては近世まで空白地帯になってしまう様子が想像されます。竪穴建物跡の調査では、希少品である緑釉陶器や鉄製品が出土し、さらに12m×10m程の巨大な竪穴建物跡も見つかっております。リーダー的な存在を持つ裕福な集団であった可能性があります。また、木棺墓が検出され、どんな副葬品が出土するか楽しみです。この地区につきましては、 11月に現地説明会を開催する予定です。詳細につきましては後日回覧させていただきます。

舞台西SB13カマド(10世紀代)

舞台西SB19から出土した緑釉陶器