Research調査情報

【調査情報】中信

2026年1月8日

南栗遺跡2025年度発掘調査情報(3)

 4月に開始した今年度の調査も、12月12日に無事終了いたしました。発掘期間中のご協力ありがとうございました。冬期間は出土した遺物や図面・写真の整理作業を長野市にある当センターで行います。

 また、令和8年2月7日(土)から3月8日(日)まで、松本市のキッセイ文化ホールにて今年度の調査成果の展示を行います。詳細は当センターHPでご確認ください。皆様のお越しをお待ちしております。

 

【今年度の調査成果】

 今年度は竪穴建物跡119軒、土坑367基などを調査しました。

 本遺跡での過去の圃場整備や長野自動車道建設工事に伴う調査と、令和4年度から実施している松本JCT建設事業に伴う発掘調査を合計すると、確認された建物跡は644軒にのぼります。そして、これらの調査により、古墳時代後期から平安時代後期に至る約500年間にわたり人々が生活したことが確認され、島立・和田地区にはたくさんの人が居住していたことが明らかになりました。また、本年度は遺跡範囲の西側にあたる和田地区6区で、竪穴建物跡を28軒確認し、集落がさらに西側に広がることが明らかになりました。来年度以降の調査では、どのような遺構がみつかるのか、大いに期待されます。来年度以降の調査につきましても、引き続きご理解とご協力をお願いいたします。

 

【円面硯を発見】

 奈良時代の竪穴建物跡(SB6023)からは、須恵器の丸い硯が大小2点出土しました。これらは、「円面硯」と呼ばれる硯です。円面硯には大きさや形状にさまざまなものがあり、透かし穴をあけた脚や獣をかたどった脚が付いているものもあります。硯が出土したことは、文字を書くことを必要とした役人などがこの地に居住していた可能性が考えられます。

出土した円面硯

円面硯の一例

奈良国立文化財研究所1991『藤原宮と京』より

 

【長胴甕が口を合わせた状態で出土!】

 平安時代の竪穴建物跡(SB6020)では、完形の長胴甕2個体が口を合わせた状態で出土しました。これは「横位埋設土器」あるいは「土師器合口甕」と呼ばれ、土師器甕や羽釜を組み合わせて横位に埋設するものです。これらの遺物の内部から歯牙や骨片が出土する事例があり、甕の大きさから乳幼児のための土器棺と考えられています。松本市周辺では、過去に城山遺跡(1927年出土)と富士電機松本工場遺跡(1944年出土)で南栗遺跡と同じ状態の長胴甕が出土し、城山遺跡では甕の内部から歯牙5点と骨片が、富士電機松本工場遺跡では骨片が出土しています。

 南栗遺跡の長胴甕の内部からは歯牙や骨片は出土していませんが、松本市域の複数の遺跡で口を合わせた状態の長胴甕が出土することは興味深く、その背景を今後探りたいと思います。

口を合わせた状態で出土した長胴甕

 

参考文献

両角守一・堀内千萬藏1927 「一種の合口甕を出したる松本市宮淵遺跡に就きて」『考古学雑誌』第17巻第11号

沼山源喜治1981 「土師器合口甕棺葬について–東日本における諸例を中心に-」『考古学雑誌』第66巻第4号

柳澤和明2025 「横位埋設土器棺を用いた古代東国の乳幼児・死産児墓制」『日本考古学』第61号吉川弘文館

 

南栗遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF: 832KB)

中信,南栗遺跡,調査情報

2025年9月22日

南栗遺跡2025年度発掘調査情報(2)

 4月に始まった発掘調査も後半に入りました。今年度の発掘調査で発見した竪穴建物跡は90軒を超え、松本盆地最大級の古代集落がさらに広がることが判明しました。

 今年度の発掘調査は12月上旬までを予定しております。発掘の見学を希望される方は事前にご連絡ください。皆様のご理解とご協力をお願いします。

 

【現地説明会を開催しました】

 9月13日(土)に現地説明会を開催しました。地元の皆様を中心に、93名のご来場がありました。誠にありがとうございました。

 本号では、現地説明会当日に多くの方から注目された部分を抜粋してご紹介します。

 

【発掘調査の成果について】

 これまでの調査で竪穴建物数は調査範囲の南側で減少する傾向があり、調査範囲付近が集落の南端であることが判明しました。調査区の南側には鎖川が流れており水害の影響を受けやすい場所であたため、洪水を避けた場所にムラを形成したのではないかと考えられます。また今年度は、今までより西側の和田地区側に調査範囲を広げた所、竪穴建物跡が数多く確認されており、集落がさらに西方へ広がることがわかりました。

1区空撮状況(北東から)

3区空撮状況(東から)

 

【家の中の灯り】

 竪穴建物跡からは建物内の照明に用いた器が出土しました。日常使用する食器(碗や皿)に油を注ぎ、麻やい草から作った芯を浸して明かりを灯しました。食器の縁には黒い煤がついています。

灰釉陶器の椀を用いた燈明皿

 

【壊されたカマド】

 竪穴建物跡の壁には調理場であるカマドが作られます。粘土でカマドの壁と天井を形作り、壁の芯材には大きな石を使い、天井には穴を開けて煮炊きをする甕を差し込みます。調査中、多くのカマドは破壊された状態でみつかります。カマドは火の神が宿る特別な場所と考えられており、建物を廃棄する際にカマドを破壊する習慣が存在したようです。この建物では、カマドの一部を破壊し、その後、火床の上に支脚石を叩き折って置き、さらにその上に底を抜いた甕を立て、周りを芯材の石(花崗岩)で囲う様子が確認できました。

カマド(使用時)

カマドの構造

長野県埋蔵文化財センター2005『三角原遺跡』

壁の芯材を一部残す壊されたカマド

奥壁に底を抜いた甕を立てて、周囲を芯材の石で囲むカマド

 

南栗遺跡発掘だより2025年度第2号(PDF: 1261KB)

中信,南栗遺跡,調査情報

2025年9月16日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(3)

【後光のような光景】

 4月からの発掘調査が続いています。一日の調査が終わり、暑さが和らいだ夕方に北アルプス方向を臨むと、雲の隙間から太陽の光が放射状に広がる幻想的な風景がみえます。仏や菩薩が発する光である「後光」が差すような光景です。

 安塚古墳群の発掘調査を見守っている仏や菩薩が、一日の調査を労っているように感じられます。

後光のような光景

【お堂?のまわりには】

 現在は、おもに中世の遺構を調査しています。プレハブ近くの調査区には、中世(16世紀)の礎石建物跡があります。お堂と考えられるこの礎石建物跡のまわりには、遺体を火葬した穴(以下、「火葬遺構」と呼称)が7基発見されました。火葬遺構からは、銭貨や火葬骨、焼土、炭化材が出土しました。また、礎石建物跡からは、撒かれたような状態で火葬骨と炭化物がみつかっているため、納骨に関わるお堂(墳墓堂)と推測しています。

 今後の調査では、礎石建物跡の性格解明と、礎石建物跡と火葬遺構との関係を明らかにする予定です。

お堂と考えられる礎石建物跡と火葬遺構(南から臨む)赤丸:火葬遺構

 

【火葬遺構の姿】

 発見された火葬遺構は、平面が長方形で、規模は長辺約1~1.2m、短辺約0.6~0.8mです。火葬遺構の中央西側には突出した場所があり、火葬の煙を出す施設と考えられます。突出部は西側にあり、中には長さ約1mに達するものがあります。安塚古墳群では乗鞍方面からの強い西風が吹くため、強い西風を受ける側に煙出しを設けることで火葬の効率を上げたものと推測されます。

 火葬遺構からは多くの炭化材が出土しました。炭化材には板材・角材・丸太材があり、それらの材は棺や火葬で燃やした木材や火葬遺構の上に渡した木材であったと思われます。また、火葬遺構の底からは、棺を置くための「棺台」の石が2列に並び発見されました。底近くにある棺台付近からは、やや大きい火葬骨と銭貨が出土したため、火葬した遺体が遺構の底に落ちたものと思われます。

 安塚古墳群の火葬遺構は遺物の残りが良く、出土遺物から穴のなかで遺体を火葬した方法がわかりました。

火葬遺構の精査(SK1053)

火葬遺構の掘り下げ(SK1067)

炭化材の精査(SK1071)

棺台の近くから出土した銭貨と火葬骨、炭化材(SK1052)

 

引用・参考文献

狹川真一2011『中世墓の考古学』高志書院

関口慶久2006「墳墓堂」『季刊考古学』第97号

「特集中世寺院の多様性」雄山閣

中野豈任1988『忘れられた霊場』平凡社

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第3号(PDF: 905KB)

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年6月5日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(2)

【発掘を開始してから約1か月、今は?】

 5月に国土交通省が松本波田道路事業用地内の草刈りをおこなったことで、東京ドーム(グラウンド部分)の約1.5倍相当の21,000㎡に及ぶ安塚古墳群の広さが実感できるようになりました。

 発掘調査は、今年度調査範囲のなかでもっとも西側の地区でおこなっています。発掘を開始してから約1か月間の調査の結果、昨年度調査した古墳がつくられた時代とは違う中世の遺構・遺物が発見される成果があがっています。

広いグランドを彷彿させる事業用地

 

【礎石建物跡の発見、お堂か?】

 令和5年度に松本市教育委員会がおこなった試掘調査では、古墳の石室の一部の可能性が高い石列を発見し「第16号古墳」と仮称しました。今回、試掘で発見された石列のまわりを広げて精査したところ、地面よりやや高く方形に盛り上げた場所(以下、「マウンド状の高まり」と呼びます。)から扁平な河原石が複数みつかりました。この河原石は等間隔にならぶことから、礎石建物跡の「礎石」と考えられます。また、建物跡の内側は硬く叩き締められており、そこから中世の内耳鍋と銭貨、刀子が出土しました。礎石建物跡とマウンド状の高まりの時期や性格は、今後の調査で明らかにする予定です。発見された礎石建物跡は、各面が東・西・南・北方向を向くお堂と考えられ、松本市域での発見は珍しく、今後の調査が期待されます。

左:マウンド状の高まり 調査風景

(白色点線:現時点で想定される礎石建物跡のかたち)

右上:内耳鍋の出土状況

右下:3枚重なって出土した銭貨

 

【礎石建物跡は宗教・信仰的な建物か?】

 お堂と考えられる礎石建物跡では、叩き占めた面から焼けた骨や炭の細かな破片が多く出土しています。このことから、お堂は火葬骨の埋納に関係した建物であった可能性があります。今調査している場所は、考古学や墳墓研究でよばれている「葬地」であったと言えます。

骨と炭の出土状況

 

【火葬に関係した遺構を発見】

 現在の遺構検出作業中に、壁が真っ赤に焼け、内部には炭化物が多く埋まる穴が5基みつかりました。これらの穴からは、焼けた骨や銭貨が出土しています。松本波田道路改築に伴う真光寺遺跡と南栗遺跡の調査事例を参考にすると、これらの穴は他界した人を焼いた中世の「火葬施設」もしくは火葬骨を埋納した中世の「火葬墓」と考えられます。

左:火葬遺構の出土状況

右:銭貨と骨の出土状況(緑色:戦果、白色:骨)

 

 

参考文献

狭川真一編2007『墓と葬送の中世』高志書院

狭川真一著2011『中世墓の考古学』高志書院

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第2号(PDF: 672KB)

 
 

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年5月19日

南栗遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の発掘調査がはじまりました】

 令和4年度にはじまった発掘調査は4年目を迎えます。今年度は、島立地区に加え、和田地区の調査が新たに始まりました。調査は11月末日までを予定しています。

 調査区内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡を下さい。

 地域の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

令和7年度の発掘調査範囲

 

【判明した集落の規模と時期】

 昨年度の調査では竪穴建物跡が107軒、掘立柱建物跡が5棟みつかりました。

 約40年前の長野自動車道の調査分を含めると竪穴建物跡軒数は520軒以上を数え、松本盆地最大級の古代遺跡であることが判明しました。

 そしてこの集落は、古墳時代の終末期(約1300年前)から平安時代後期(約900年前)のおよそ400年にわたり営まれていたことが判明しました。

3区竪穴建物跡分布状況(四角い形の影が竪穴建物跡)

 

【古代の竪穴建物跡の姿】

 古代の竪穴建物跡は地面を方形に掘り込んで壁と床を作り、床に柱を立て、茅のような植物の束を重ねて屋根を葺いたと考えられます。建物の大きさは1辺が5m前後のものが多いです。

 竪穴建物跡からは土器の破片が出土します。1軒の建物跡から多い時には数百片も出土することがあります。破片は洗浄後に接合作業を行い、器の形を復元します。

発掘調査を終えた竪穴建物跡

竪穴建物跡から出土した土器の破片

復元された竪穴建物跡(立科町大庭遺跡)

八ヶ岳旧石器研究グループ『佐久の古代遺産図録』より

 

【カマドとは?】

 竪穴建物跡の壁からはカマドが発見されました。カマドは、石などを芯材に粘土を貼り付け、壁と天井を作ります。天井に穴を開けて煮炊き用の甕を差し込み、手前の焚口から火を燃やし、煙は壁に掘られた穴を通り外に出る構造になっています。

カマドの発掘調査状況

カマドの復元図

長野県埋蔵文化財センター2005『三角原遺跡』より

 

南栗遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 1145KB)

中信,南栗遺跡,調査情報

2025年4月30日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(1)

【安塚古墳群の発掘調査がはじまりました】

 昨年度に引き続き一般国道158号(松本波田道路)改築に伴う安塚古墳群の発掘調査をこの4月中旬からはじめました。昨年度同様、調査は(株)島田組に発掘支援業務を委託し、用地内にタンポポが広がる季節から11月後半までを予定しています。

 調査の期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

現場に設置したプレハブ

 

【昨年度の調査成果】

 安塚古墳群は、松本市新村・和田地区に分布する7世紀~8世紀の古墳群です。松本波田道路は、遺跡範囲の南端を東西方向に横断し、昨年度末の時点で、用地内に5基の古墳(第12号から16号古墳)が存在することがわかっています。

安塚古墳群の遺跡範囲(黄色塗り)

(松本市文化財課からの提供図に加筆。赤色数字:古墳の番号)

 

 昨年度は、みつかっている5基の古墳の内、1基(第13号古墳)を調査しました。古墳の盛土(墳丘)と墳丘のまわりをめぐる溝(周溝)は確認できませんでしたが、梓川から運んだと考えられる河原石を積む石室が残っていました。石室から時期がわかる土器は出土しませんでしたが、近くにある第15号古墳の検出時に出土した土器から、8世紀中頃の古墳と推測します。今年は、第14号・16号古墳を調査しますので、古墳の姿がさらにわかるものと思われます。

第13号古墳の調査風景

 

用地内での試掘箇所と古墳発見地点(赤星)

(黄色・黒色・緑色・青色箇所:試掘箇所)

 

【今、再び脚光を浴びている安塚古墳群】

 都では、646年(大化2)に葬儀や墓の規模を簡素化することを目的とした「大化の薄葬令」が発布されます。松本市の西部には、7世紀から8世紀に造られた安塚古墳群・秋葉原古墳群(松本市新村)・真光寺古墳群(松本市波田)が分布しています。なぜ古墳時代から古代へ移り変わる過渡期に、この地に数多くの古墳が造られたのでしょうか。

 昨年度、当センターが松本市のキッセイ文化ホールで速報展「掘るしん2025」を開催しました。当センターが安塚古墳群を調査したことを切っ掛けとして、会期中には安塚・秋葉原古墳の先行研究者、古墳研究者、当センター安塚古墳群調査担当者で「奈良時代の信州に古墳はあったのか」と題したパネルディスカッションを行いました。当時の時代背景や、上記3遺跡の古墳群が造られた意義などについて議論し、聴講された一般の方々から注目をあつめました。

 安塚古墳群の調査対象面積は21,000㎡で、東京ドーム(グラウンド部分)の約2倍に及びます。これから数年間に及ぶ発掘調査の成果は、地元在住の方や古墳の研究者など多くの方が関心をもっています。発掘調査により、地域の歴史がより明らかにできることを期待します。

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第1号(PDF: 820KB)

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年12月20日

南栗遺跡 2024年度発掘調査情報(3)

 5月に開始した今年度の調査も、12月18日に無事終了いたしました。発掘期間中の御協力ありがとうございました。冬季期間は出土した遺物や各種図面・写真の整理作業を長野市の埋文センターで行います。

 また、令和7年の2月から3月にかけて、松本市キッセイ文化ホールにて今年度の調査成果の展示を予定しています。期間中には同ホールにて遺跡報告会も開催する予定です。詳細は当センターHPでご確認ください。皆様のお越しをお待ちいたしております。

 

 

【今年度の調査成果】

 今年度は竪穴建物跡107軒、掘立柱建物跡5軒、溝跡4条、土坑135基を調査しました。南栗遺跡における過去の圃場整備や長野道整備に伴う調査成果を合計すると竪穴建物跡の軒数は525軒を数え、松本市内最大級の集落遺跡となります。時期は古墳時代後期~中世におよび、人々が何世代にも渡り、南栗の地に住み続けてきたことが明らかとなりました。

   

長野道の東側(1区):古墳時代後期中世の遺構

 

【奈良時代の集落を発見】

 栗林神社の南側(3区)では平安時代の集落の真下から奈良時代の集落がみつかりました。竪穴建物跡の軒数は40軒以上あります。地層の観察により、奈良時代の人々が生活していた場所が洪水等で埋没した後に平安時代の人々が新たに集落を作ったことが分かりました。

栗林神社の南側(3区):奈良時代の遺構

 

【大形の掘立柱建物跡を発見】

 長野道の東側(1区)では直径約100㎝、深さ60㎝もある柱穴が、方形に並ぶ範囲を検出しました。穴の中の土層には柱の周囲の土を何回も突き固めて重ねる版築工法が確認でき、奈良時代の所産と推測されます。本遺跡では過去の調査で奈良時代前半に大形の掘立柱建物跡が多くみつかっており、律令制度に関する何らかの公的機関が存在した可能性を示すものと考えられます。

大きな柱穴が方形に並ぶ掘立柱建物跡

掘立柱建物跡の想像図

飯田市教委2015 『「伊那郡衙」のとある一日』より引用

版築工法がみられる土層

 

【底の丸い須恵器が出土】

 栗林神社の南側(3区)では古墳時代末~奈良時代初頭と推測される須恵器の坏が完全な形に近い状態で出土しました。この坏は底の内側が平らで外側が丸くなる特徴があります。

 南栗遺跡の集落の開始は古墳時代後期と考えられています。3区で出土した資料は本遺跡の中でも古い時代の特徴を有しており、集落の成立時期や広がりを推測するのに大変重要です。

須恵器坏出土状況

底が丸いのが特徴

 

南栗遺跡発掘だより2024年度第9号(PDF:722KB)

※号数は調査開始時からの通算

中信,南栗遺跡,調査情報

2024年10月25日

南栗遺跡 2024年度発掘調査情報(2)

 5月に開始した今年度の調査も、猛暑の夏を乗り越え、いよいよ終盤に入りました。今年発見した竪穴建物跡は既に80軒を超え、まだまだ増え続けています。

 今年度の調査は12月中旬までを予定しております。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆様のご理解とご協力をお願いします。

 

 

【現地説明会を開催しました】

 10月5日(土)に現地説明会を開催しました。地元島立地区の皆様を中心に97名もの皆様にお越し頂き大変ありがとうございました。当日は、発掘中の調査区を回り、竪穴建物跡や遺物の出土状況、現場プレハブでは今年度出土した土器や、鉄生産関連遺物、馬の骨などを見学いただきました。見学者の皆様には大変熱心に見ていただきました。

現地説明会風景

 

【重なり合う竪穴建物跡】

 栗林神社の南側(3区)では竪穴建物跡が60軒以上みつかりました。

 下写真の中の四角い輪郭が1軒1軒の竪穴建物跡です。1辺が3~4m程あります。平安時代にかけて人々が何世代もわたってこの場所に住み続けていたことを示しています。このことから南栗遺跡周辺が居住に適した場所だったことが分かります。

重なり合う竪穴建物跡

 

【緑釉陶器を発見】

 高速道路北東側(1区)の竪穴建物跡から緑釉陶器が出土しました。緑釉陶器は鉱物系の釉薬を用いた緑色の土器です。集落内において一般の人々の居住域で発見されることは少なく、有力者の持ち物とされている希少品です。

 緑釉陶器は竪穴建物跡の床下で出土しましたが、床下からは灰釉陶器や土師器の皿と倒れた須恵器の壺も出土していて、出土状況からみてこれらの容器は何らかの意図を持って埋められた可能性が考えられます。

緑釉陶器

 

灰釉陶器皿(左)、須恵器壺(中央)、土師器皿(右)

 

 

【村の鍛冶屋】

 高速道路の南西側(4区)で調査した竪穴建物跡からは、直径20㎝深さ5㎝程の穴がみつかりました。この穴は壁から底まで赤く焼けており、穴の周囲からは焼土や炭と共に熱した鉄を叩いて鍛える際に飛び散る微細な板状の鍛造剥片や、鉄を溶かす炉に空気を送り込む筒状の羽口、また刃物を研ぐ砥石も出土しました。遺構の状況や出土品からみて、この建物跡では鉄くずなどを溶かして新らしい道具を作る鍛冶作業が行われていたと考えられます。

鍛造剥片

 

砥石

 

南栗遺跡発掘だより2024年度第8号(PDF:698KB)

※号数は調査開始時からの通算

中信,南栗遺跡,調査情報

2024年10月23日

松本市安塚古墳群 2024発掘調査情報(2)

【第13号古墳(石室)の解体】

 第13号古墳は、石室内の調査が終了したため石室の解体調査に入りました。側壁には2~4段の河原石が積まれ、奥壁には3個の石が立っています。側壁の石を上の段から徐々に取り外したところ、上段と下段の石はほとんど接しておらず、隙間に土を入れて積んでいることがわかりました。加工していない河原石が崩れないように積んだ当時のやり方がわかり興味深かったです。ちなみに、もっとも重い奥壁の石は、75kgありました。

 第13号古墳は、石室の内側に石の平坦な面をそろえて設置しています。石は石材から、梓川の河原から採取したと考えられますので、河原では平坦な面がある石を選んで採取したと考えられます。第13号古墳の調査は、石室の石すべて取り外して記録も終了しました。

石室の解体風景

第13号古墳 最下段まで石を取り外した状況(赤丸はピット)

 

【全容を現した第12号古墳】

 安塚古墳群では、令和3年度に松本市教委が行った試掘調査で発見された第12号古墳(石室)の
規模・形状を捉える調査も行いました。石室が発見された場所を拡張して精査したところ、奥壁から開口部(入口)までの長さが約6m、幅約1.5mの規模を有する石室であることがわかりました。今回調査した第13号古墳の約2倍の大きさです。

 安塚古墳群は、昭和53年(1978)に松本市教委により圃場整備に伴う発掘調査が行われ、大小2種類の古墳(石室)があることがわかりました。松本波田道路の用地内にも大小2種類の古墳が複数あることがわかっていて、来年度以降の調査がさらに期待されます。

第12号古墳 精査風景

 

安塚古墳群発掘だより 第4号(PDF:962KB)

安塚古墳群発掘だより 第5号(PDF:1085KB)

 

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年10月23日

松本市真光寺遺跡 2024発掘調査情報(2)

【4年間の発掘作業が終了】

 9月末をもって、今年度予定していた発掘作業が終了しました。今年度は遺跡の北西側を調査し、中世の方形にめぐる溝跡や、中世以降の建物跡と思われる竪穴状の遺構約10基、掘立柱建物跡の柱穴を含む土坑約260基などがみつかりました。遺物としては、中世以降の内耳鍋(土鍋)や陶磁器片、石臼、凹石といった当時の生活道具が多くみつかったほか、近世以降の鞴の羽口や鉄滓が出土するなど、鍛治の存在を思わせるものもみつかりました。

 令和3年度から開始した真光寺遺跡の発掘作業は、今年度ですべて終了となります。今後は、長野市にある長野県埋蔵文化財センターにて、発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を進めていきます。

真光寺遺跡の全景

 

【これまでの調査成果】

〇波田地区ではじめての古墳発見

 7世紀後半から8世紀初頭(飛鳥~奈良時代)頃に造られた古墳が2基みつかりました。石室の時期や造り方は、近くの安塚古墳群や秋葉原古墳群と似ており、梓川右岸地域の古墳築造を考えるにあたり貴重な事例となりました。

真光寺遺跡の古墳石室

 

〇中世の土葬墓、火葬施設跡

 現真光寺お堂の北東では、直径約70cmの円形の土坑が集中し、穴の底面近くでヒトの頭骨の一部や歯がみつかる例が複数確認されました(=中世の土葬墓)。歯の一部を鑑定したところ、埋葬されたのは6歳以下の子どもの可能性が高いことが分かってきました。また、遺体を燃やした「火葬施設跡」も多数みつかりました。

中世の土葬墓

 

〇中世の方形にめぐる溝跡

 遺跡の西側で、幅約2m・深さ0.3~0.6mの溝跡がみつかりました。溝跡はほぼ直角に屈曲する部分が2カ所あり、短辺が50m程の長方形にめぐることが予想できます。溝で区画された内側には竪穴状遺構や柱穴の可能性がある土坑などが多数あります。区画内がどのような場所であったのか、今後明らかにしていきたいと思います。

方形にめぐる溝跡

 

真光寺遺跡発掘だより 第2号(PDF:699KB)

真光寺遺跡発掘だより 第3号(PDF:734KB)

中信,真光寺遺跡,調査情報

2024年7月31日

松本市安塚古墳群 2024発掘調査情報(1)

【安塚古墳群の発掘調査が始まりました】

 6月3日(月)から10月中旬までの予定で、松本市和田蘇我地区の北側で安塚古墳群の発掘調査を行っています。

安塚古墳群 発掘たより第3号(PDF:807KB)

 

【安塚古墳・秋葉原古墳とは】

 松本市の新村地区には、7世紀末から8世紀にかけて築造された古墳が数多く分布しています(安塚古墳群・秋葉原古墳群)。江戸時代の開田で土饅頭のかたちに似た古墳特有の盛土は削られてしまいましたが、圃場整備に先立ち松本市教育委員会が行った発掘調査では、安塚古墳群(1978年発掘)で9基、秋葉原古墳群(1982年発掘)で5基の古墳がみつかっています。

 これらの発掘調査に携わった直井雅尚氏は、この新村地区の一大古墳群は、島立地区に分布する古代集落(南栗遺跡・北栗遺跡・三の宮遺跡など)の墓地と考える重要な指摘をしています。※直井雅尚1994「松本市安塚・秋葉原古墳群の再検討」『中部高地の考古学Ⅳ』長野県考古学会

【昨年度までの調査成果】

 令和4年度には、地中に向けて高周波の電磁波を放射し、その反応で古墳の存在を確認する地中レーダー探査を行いました。令和5年度には、地中レーダーで反応を示した箇所に重機で幅2mのトレンチを碁盤の目のように掘削して、古墳などの遺構や遺物の存在を確認する調査を行いました。その結果、2基の古墳が確認され、松本市教育委員会の試掘調査で確認された古墳を含めると、調査対象地内に5基の古墳があることがわかりました。

 

本年度は、今まで確認された5基の古墳のなかで第13号古墳を調査し、さらに用地内にいくつ古墳が眠っているかを確認する調査を行います。今までの調査で、第13号古墳の石室と、古墳の周りに円形の穴(土坑)がみつかっています。

 これからの調査で、石室の規模や形状、石室の中に副葬された遺物が発見されることが期待されます。

 

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年6月28日

南栗遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

<令和6年度の発掘作業が始まりました>

 令和4年度に始まった発掘調査も今年度で3年目になります。

 今年度の調査では、これまでにみつかっている古代集落の広がりと、継続時期を把握すること、昨年度あらたにみつかった中世面の広がりが確認されることを期待しています。

南栗遺跡発掘たより 第7号(PDFデータ:670KB)

<昨年度の調査成果>

 昨年度の調査では古代の竪穴建物跡16軒、掘立柱建物跡1軒などがみつかり、令和4年度に集落の南限と想定した範囲よりもさらに南へ集落が広がることがわかりました。

 調査区の南西でみつかった竪穴建物跡(SB39)からは、炭化した木材や焼けた土が一面に広がって出土しました。また、建物の壁も焼けて赤くなっていることから、この建物は焼失した住居と考えられます。

 また、調査区南端では火葬施設が3基みつかりました。いずれも内部から焼けた土や炭化した木材、焼けた人骨のほか、銭貨が10枚出土しました。そのうちの1枚は「洪武通宝」(初鋳1368年)と判別することができました。このことから、これらの火葬施設は室町時代以降のものと推定しています。

 

中信,南栗遺跡,調査情報

2024年6月3日

真光寺遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

★令和6年度の発掘作業がはじまります

 4月中旬から、松本市波田(はた)三溝(さみぞ)の真光寺遺跡(しんこうじいせき)の発掘作業がはじまります。発掘調査は、中部縦貫自動車道松本波田道路建設に先立ち令和3年度に開始し、本年度で4年目となります。これまでの調査では、飛鳥時代から奈良時代に築造された古墳や、中世以降の火葬かそう施設しせつ跡あと・土葬(どそう)墓ぼ・溝跡(みぞあと)・石列(せきれつ)などがみつかっています。

真光寺遺跡の位置

 詳しい情報はこちら(真光寺遺跡発掘だより№1 PDFデータ:834K)

 

調査区遠景(東から撮影)

 

★令和5年度の調査成果 ~三溝地区の中世の様子~

 昨年度の調査では、中世の火葬施設跡(かそうしせつあと)や土葬墓(どそうぼ)、中世以降の溝跡(みぞあと)や石列(せきれつ)、土坑(どこう)などがみつかりました。火葬施設跡からは焼けた骨片や炭化物のほか、銭貨(せんか)(中国の宋の時代につくられていた銭)や15世紀ごろの陶器(仏花瓶)(ぶっかびん)が出土しました。また、土葬墓からは人の歯や銭貨が出土しました。このほか、土坑などから16世紀ごろの内耳鍋(ないじなべ)(日常の煮炊き道具)もみつかり、三溝地区の中世の様子の一端がうかがえました。

 

 

火葬施設跡でみつかった陶器片
土坑の底でみつかった人の歯(土葬墓)
現・真光寺北側でみつかった石列
土坑から出土した内耳鍋

中信,真光寺遺跡,調査情報

2023年6月20日

真光寺遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【令和5年度の調査が始まりました】

 本年度で3年目となる真光寺遺跡の発掘調査が、4月25日(火)から調査員5名と作業員13名で始まりました。

 詳しい情報はこちら(真光寺遺跡発掘たより通巻5号 PDFデータ:956KB)

 

【令和3・4年度の調査成果】

 昨年度までの調査で、古墳が2基、中世の土坑墓や火葬施設、柵列跡などがみつかりました。

 

【今年度の発見!】

 今年度の調査では、土坑が30基ほどみつかり、周辺から骨片や焼土などが出土しています。調査を進め、土坑の性格などを確認していきます。調査は11月末までの予定です。今後どんな発見があるのか楽しみです。

中信,真光寺遺跡,調査情報

2023年2月7日

南栗遺跡 2022年度発掘調査情報(2)

【南栗遺跡の発掘調査が無事終了しました】

 5月23日(月)に開始した南栗遺跡の発掘調査は、12月23日(金)に無事終了しました。近隣住民の皆様をはじめ、調査にご理解とご協力いただいた方々に感謝申し上げます。

 詳しい情報はこちら(南栗遺跡 発掘たより第2号 PDFデータ)

          (南栗遺跡 発掘たより第3号 PDFデータ)

          (南栗遺跡 発掘たより第4号 PDFデータ)

2022年度南栗遺跡調査範囲 空中写真

 

【今年度の調査成果】

 調査区の南端付近で鎖川の氾濫によるものと推定する流路跡を確認し、これが奈良・平安時代の集落の南限を示すと考えています。また、34軒の竪穴建物跡が見つかり、集落がさらに西側に広がる可能性が高いことがわかりました。

 左下の写真は6本柱となる、一辺7mの奈良時代の竪穴建物跡です。

 その他に、深さ約2mの溝跡が見つかっていて(右下の写真)、屋敷地などを区画する溝であったと推測しています。

    

      奈良時代の竪穴建物跡         深さ約2mの溝跡

中信,南栗遺跡,調査情報

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