-発掘調査終了-
12月19日で今年度の浅川扇状地遺跡群の発掘調査が終了しました。
吉田地区では弥生時代後期(約1900年前)の竪穴住居跡のほかに、幕末の火災で焼けた瓦が捨てられた穴も発見されました。
桐原地区では弥生時代から中世までの集落が発見されました。特にこれまでみつかっていなかった古墳時代中期(約1600年前)の集落も新たにみつかり、弥生時代から中世まで、ずっと人々が住んでいたことがわかってきました。
【竪穴住居跡の向く方向】
桐原地区では方形の住居跡が密集して発見されました。弥生時代~古墳時代の住居跡は谷や川の流れなど自然地形に沿って建てられたと考えられます。
一方、平安時代の住居跡は北方向を向きます。建物を建てる時に明確に北を意識したと考えられます。南北を意識する条里制の区割りと関係するかもしれません。
長野電鉄桐原駅の東方で弥生時代後期末から古墳時代初頭の溝跡がみつかりました。溝の中からは壺、高坏、甕などがまとまって出土しました。
壺は口が二重になった特殊な形のもの、小型のものなどがあります。出土状況から、これらの土器は墓に供えられたり、祭りに使われた可能性を示すものと考えられます。
カマドは壊されて、左右の壁の一部が残った状況でみつかりました。カマドの中からは煮炊きに使う甕が折り重なって5点も出土しました。
これはカマドを使い終わった後に、わざと壊して祭祀など何らかの行事が行われた痕跡と考えられます。