Research調査情報

2020年9月23日

南大原遺跡 2020年度 発掘調査情報(2)

2年間大変お世話になりました。


昨年4月から実施した南大原遺跡の発掘作業も、この9月をもちまして無事終了いたしました。昨年10月には台風19号の影響で調査の一時中断もありましたが、地域の皆様には日頃からご理解ご協力をいただき、改めてお礼申し上げます。
 


【千曲川と共に生きた弥生人】

 調査区を善光寺平方面から見ると、左に現在の千曲川の流れ、右に明治時代以前の旧千曲川の痕跡がはっきりとわかります。弥生時代の人々が暮らした二千年前、この一帯はどのような環境だったのでしょうか。


【堆積学による遺跡環境の復元】

 遺跡環境を復元するため、土壌堆積学を専門とする信州大学理学部の研究室に調査をお願いしました。住居跡内に堆積した土や遺跡が立地する基盤層が土壌サンプルとして採取されました。その分析によって千曲川べりに暮らした弥生人の生活環境を解明することが期待されます。




【発掘ゲンバってなんだ?】

 中野市立豊井小学校6年生が元気に訪ねてくれました。「本物の土器に触れるのはきっと一生に一度の機会。校長先生もきっと今日初めて触るはずだよ」と話しかけると、皆「えー!」。順番に恐る恐る土器を触ってみて、「弥生土器は薄くてザラザラしてる」、「持ってみると思ったより軽いよ」と色んな声が聞こえきました。発掘現場でしか味わえないワクワク、ドキドキする“生の歴史”を感じてくれたようでした。



南大原遺跡

2020年8月19日

南大原遺跡 2020年度発掘調査情報(1)

【発掘調査 最終段階です】

 
6月下旬から発掘調査を再開しました。昨年10月の台風19号による千曲川氾らんなどの影響で調査ができなかった部分を対象に、9月半ばまで実施します。今回の調査をもって県道改築工事に伴う発掘調査は全て終了します。


【弥生時代の竪穴(たてあな)建物跡を発見】

 略円形の竪穴建物跡1軒がみつかりました。過去の調査も含め本遺跡25軒目です。竪穴建物跡は当時人々が暮らした住居と考えられます。調査の積み重ねによって2100年前の弥生ムラの全容が明らかになりつつあります。


【雨ニモ 夏ノ暑サニモマケズ】

 例年になく雨の日が多かった梅雨が明けた途端、記録的な酷暑が続いています。農家の皆様と同じく、私たちの仕事も天気に大きく左右されます。近隣の野菜畑や果樹園を参考に、発掘現場を遮光シートで覆ってみました。 日差しを遮り、風通しが良く体感気温は外気より数度低く感じられ、熱中症予防や地面の乾燥予防に効果は抜群です。


【弥生土器の復元】

 
発掘調査と並行して、センター復元室では昨年度出土したバラバラになった土器のかけらを組み合わせて、足りない部分を石こうで埋めていく復元作業をすすめています。

 南大原遺跡の弥生土器は薄くもろいため、慎重な作業が続いています。


【復元された弥生土器】

 二千年の眠りから覚めた弥生土器。壺や甕などのバラエティーに富んでいます。

 

【南大原遺跡の出土品が長野県立歴史館で展示されます】

 前回の県道改築工事に伴う発掘調査で2013年に発見された弥生時代の鉄製品が、この秋、県立歴史館企画展に出展されます。信州の弥生時代を語る上で外せない重要な出土品です。柳沢遺跡出土の弥生時代の銅製品(中野市博所蔵)など県内資料も多数集まる、見ごたえのある展示会です。

〇県立歴史館秋季企画展『稲作とクニの誕生-信州と北部九州-』 

 1.会期 9/15(火)~11/29(日)

 2.場所 長野県立歴史館 企画展示室(千曲市大字屋代科野の里歴史公園内)

 3.問い合わせ 長野県立歴史館 電話026-274-2000 


南大原遺跡調査速報(1)(pdf 1.48MB)


南大原遺跡

2020年5月20日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(2)

【石器から鉄器へ】

南大原遺跡は、弥生時代中期後半から後期前半の集落跡です。
弥生時代は、鉄器や青銅器の金属器が日本列島に広まりました。長野県では、中期まで主体的だった石器が後期になると次第に金属器に移り変わっていきます。
整理作業では約150点の石器を確認しましたが、そのうち今回は、石器から金属器へ技術革新が起こった頃の石器を紹介します。


【砥石】

中期の竪穴建物跡から出土しました。中央部が研ぎ面に利用され滑らかになっています。鉄器用なのか磨製石器用なのか、今後、砥ぎ面の細かな観察で明らかになるかもしれません。


【打製石鏃】

中期と後期の竪穴建物跡(たてあなたてものあと)から出土しました。まだ縄文時代と同じように打ち欠いて作られた石鏃が使われています。
この時期には、基部中央が突き出ている有茎石鏃(ゆうけいせきぞく)が多く見られます。


【磨製石鏃】

出土した磨製石鏃4点の内、3点は後期前半の竪穴建物跡から出土したもの(写真左)です。全体を磨き上げ、基部中央に矢の柄に装着するための小さな穴があけられています。


【磨製石鏃未製品】

弥生時代後期前半の竪穴建物跡からは、磨製石鏃の未製品や素材の石片が出土しているので、建物内で石鏃を製作していたことも想定されます。


【磨製石斧(ませいせきふ)と石鎚(いしづち)】

中期の溝跡などから出土。
いずれも石材は深緑色をした非常に硬い輝緑岩(きりょくがん)です。石槌(写真左端)は磨製石斧の刃が折れたものを再利用した石器で、表面に何かを敲いた痕跡があります。


【刃器(じんき)】

弥生時代中期の竪穴建物跡から出土。
大きく割った石片の鋭利な縁をそのまま刃として使った石器です。刃の部分に光沢が見られることがあり、稲を刈るなどの道具であったためと考えられています。


南大原遺跡

2020年5月20日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(1)

長野県立歴史館で開催中の「春季展2020年長野県の考古学」と、当センター展示室の南大原遺跡出土品を紹介します。県立歴史館では弥生時代中期のムラ、センター展示室では弥生時代後期のムラの様子を紹介しています。来場をお待ちしています。


【石から鉄へ―先進技術に挑んだ弥生時代のムラ】

弥生時代中期後半(約2,100年前)、南大原の弥生人は竪穴建物(たてあなたてもの)に暮らし、木棺墓(もっかんぼ)に葬られる人もいました。ムラの中心には柱を立てたと考えられる穴が環状に並んでいます。共同の儀礼の場なのかもしれません。縄文時代以来の石器を使う一方で、石鎚(いしづち)や砥石(といし)、台石(だいいし)を用いて、鉄器を加工していました。


【弥生時代中期の土器(歴史館春季展展示)】

現代と同じように用途に合わせて様々な形があります。煮炊用の甕と甕の蓋、貯蔵用の壺、盛付用の鉢などです。土器の形によって、表面の文様はおおむね決まっています。



【弥生時代中期の石器(歴史館春季展展示)】

小鉄片が出土し、鉄器加工を行ったと考えられる竪穴建物跡で出土した石器です。鉄器加工にかかわる道具と考えています。


【礫床木棺墓から出土した管玉(歴史館春季展展示)】

管玉(くだたま)は、写真右側の小さな礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)から出土しました。ストロー状に紐を通す穴があけらた管玉は、硬い緑色の石で、北陸地方の玉作りを行った集落からもたらされた交易品の可能性があります。


【弥生時代中期の鉄製品(県立歴史館春季展に展示)】

弥生時代中期後半の竪穴建物跡から出土しました。
矢じりなどの武器なのか、木工具などの刃先なのか、用途は解明されていません。


【弥生時代後期の竪穴建物跡(埋文センター展示室)】

長さ5.9m、幅4.2mの隅丸(すみまる)長方形をした四本柱の建物跡です。
床の中央奥寄りに小さな炉跡があります。


【弥生時代後期の甕(埋文センター展示室)】

細い棒を束ねた施文具で、波状文や横引き文(簾状文)が付けられ、ボタンのような貼付文も見られます。この時期の北信地方で一般的な文様の甕です。


【弥生時代後期の磨製石鏃(埋文センター展示室)】

弥生時代後期の竪穴建物跡から出土しました。

南大原遺跡

2020年4月27日

浅川扇状地遺跡群 2020年度整理情報(1)

2011年に始まった発掘調査も10年目となりました。今年度は、2018・2019年に調査を行った部分の整理作業を行い、来年度の報告書刊行に向けた作業を進めていきます。


【土器の復元】

割れ口が丸くなって、つきにくいものもありましたが、ばらばらに割れていた破片を接着して、元の形に復元します。


【土器の実測】

接着し、一部を石膏で補強した土器の実測をします。土器が作られた時の細かな調整の様子などの詳しい観察は、何年やっても難しいですが、図に記録していかねばなりません。


【応急的保存処理】

今年度も遺跡から出土した金属製品のクリーニング作業が始まりました。それぞれの製品について、大きさや現在の状態を記入したカードを作成してから、保存処理を行っていきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2020年3月2日

塔鋺形合子(とうまりがたごうす)模造品の製作

 

塔鋺形合子(とうまりがたごうす)模造品の製作

 

 ☆動画:塔鋺形合子模造品製作 (MP4,7.0MB)

 

小島・柳原遺跡群

2020年2月6日

南大原遺跡 2019年度調査情報(3)

 この度の台風19号の影響で被害に遭われた皆様方には心よりお見舞い申し上げます。

 

【今年度の発掘調査は終了しました】

 平成31年4月にスタートした発掘作業は令和2年1月末に終了しました。昨年10月の台風19号による千曲川の氾らんでは、調査現場がそっくり水没し、プレハブが流出してしまいましたが、多くの皆様のご支援とご協力によって復旧することができました。

 
地元の皆様には、復旧作業中に温かいお言葉を掛けていただいたり、採れたてのブドウを差し入れていただいたりと、お心遣いいただきました。改めてお礼申し上げます。


【千曲川べりに営まれた2,000年前の集落】

 今回の調査では、弥生時代中期(約2,000年前)の集落跡を良好な状態で確認することができました。過去の調査成果を合わせると、集落の様子がよくわかります。
集落は大きく蛇行する千曲川沿いの自然堤防上に立地していました。同じころ、旧千曲川の対岸には栗林遺跡(県史跡)の集落がありました。

集落で一番高い場所に「環状土坑列(かんじょうどこうれつ)」があり、土坑列を取り囲むように竪穴建物跡(たてあなたてものあと)や墓域(ぼいき)、掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が分布しています。集落の中心にある土坑列は共同の儀礼の場なのかもしれません。 


【「環状土坑列」とは?】

 調査区南東部から全国的に類例のない「環状土坑列」が2基みつかりました。直径が0.6~0.9mほどの大きな土坑(穴)が円弧状に並んでいて、配列は南北にずれて二つあります。土坑は長径18mもある、大きな環状に配列していたといえそうです。(人の立つ位置に土坑があります。) 


【柱を立てていた跡のある土坑(穴)】

 土坑の深さは0.1~0.6mと深浅あり、深いものには柱の痕跡がある例もあります。単なるトーテムポールのようなものなのか、建物なのか、その性格は今後の研究課題です。(赤い色の部分が柱を立てていたところです。)


【2,000年前の鉄器つくり】

 竪穴建物跡内から鉄製品・小鉄片や、砥石・台石といった加工具が出土しています。南大原遺跡の弥生集落では小規模な鉄器加工が行われていたと考えられます。2,000年前という、日本国内でも非常に早いころ、北信濃にはすでに鉄器加工技術が伝わっていたことを示す重要な発見です。

【竪穴建物跡から出土した1㎝ほどの小さな鉄片】


【一か所にまとまるお墓】

 お墓は集落の一か所にまとまっています。お墓の種類は二つあって、木製の板を組み合わせた木棺墓(もっかんぼ)が7基、木製板を組み合わせてから床一面に丸い石を敷き詰めた礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)が5基みつかっています。


【並んで見つかった礫床木棺墓】

 右の墓から管玉(くだたま)20点がまとまって出土しました。


【墓などから出土した管玉】

 小さな礫床木棺墓からは石製首飾りの管玉が20点まとまって出土しました。

【次年度に向けて】

 今年度台風による千曲川の氾らんの影響等で調査を延期した部分で発掘作業を

 予定しています。引き続きご協力よろしくお願いします。

 

南大原遺跡

2020年1月14日

石川条里遺跡 2019年度発掘調査情報(2)

平成31年4月に開始した今年度の発掘作業は、冠着山が雪化粧した12月をもちまして終了しました。

【雪を被った冠着山】

平成25年度から開始した坂城更埴バイパス改築に伴う塩崎遺跡群、石川条里遺跡、長谷鶴前遺跡群の発掘作業は、市道の一部を残して終了することになります。
長野市篠ノ井塩崎地区の皆様には、大変お世話になり、ありがとうございました。

今年度は、おもに平安時代とこれまでの発掘では明確ではなかった古墳時代の遺構・遺物がみつかりました。


【古墳時代の杭列と遺物集中】

県道長野上田線に近い調査区で、4条の杭列と遺物集中がみつかりました。杭列は、ほかの調査区で確認した古墳時代の大畦とほぼ同じ方向に延びており、土地を区画するためにつくられたものと思われます。杭列の一角に遺物が集中していました。


【杭列と横木】

4条ある杭列のなかで、もっとも東側の杭列には、杭列に沿って自然木が埋設されていました。杭列を保護する目的で設置されたと思われます。


【遺物集中での作業風景】

長辺約5m、短辺約3m、深さ約30cmを測る不整形な落ち込みがみつかりました(検出面からの計測値)。底面にこまかな凹凸があります。この落ち込み(SX002)からは多量の木材と土器が廃棄された状態で出土しました。木材は自然木が大半を占めていましたが、農具や建築部材と思われるものもみられました。


【遺物集中】

SX002からは供献(きょうけん)用の小型丸底(こがたまるぞこ)土器や高坏(たかつき)が出土しましたが、特に小型丸底土器の出土割合が多いことが特徴的でした。SX002の周辺で行われた非日常的な行為で用いられた土器が廃棄されたものと思われます。


【小型丸底土器出土状況】


【ミニチュア土器】

小形丸底土器を模した非常に小さいミニチュア土器も1点出土しました。土器の口径は約3cmで、土器の縁から底までは約5cmを測るものです。

石川条里遺跡

2020年1月8日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(4)

【発掘作業が終了しました。】

4月に開始した今年度の発掘作業も11月末で終了しました。今年度は桐原地区と吉田田町地区で調査を行い、弥生時代から平安時代の竪穴建物跡15軒や中世の居館(桐原要害)の堀跡、弥生時代から近世の土坑125基などがみつかりました。


【弥生時代(約1,800年前)】


【竪穴(たてあな)建物跡 写真撮影準備作業】

弥生時代の遺構は吉田田町・桐原の両地区から竪穴建物跡2軒や土坑などがみつかりました。


【土器出土状況】

そのうちのひとつの住居跡からは甕や壺・高坏などたくさんの土器が出土し、高さ4.3㎝の珍しいミニチュア土器もみつかりました。(点線内)


【ミニチュア土器】


【古墳時代(約1,700年前)】

【古墳時代の竪穴建物跡】

古墳時代の遺構は、桐原地区の竪穴建物跡が1軒ですが、埋土の中からは甕や壺・器台など様々な土器がみつかりました。

 

【平安時代(約1,100年前)】

平安時代の遺構としては、桐原地区で竪穴建物跡が12軒みつかりました。後世のかく乱を受けて壊されている部分が多く、出土した土器も少なめでしたが、墨書がある土器や土製の紡錘車など珍しい遺物もみつかっています。

【土製紡錘車】

(径7.5㎝、厚さ2.5㎝、重さ168.8g)

 

【中世(約600年前)】
【中世の堀跡】

 
中世の居館(桐原要害)の堀跡は、西側の辺が南北約118mに達することが確認できました。

 

【近世(約150年前)】

【吉田田町地区 近世面の調査風景】

近世の遺構は、吉田田町地区で土坑27基がみつかりました。


【炭化物で埋まっていた近世の土坑】

多くの土坑には、炭や焼けた土の塊などが混入していて、1864(元治元)年の「田町の大火」との関連が想定されます。


【おわりに】

平成23年度から始まった発掘作業も今年度で終了となります。長い間多大なご協力をいただきありがとうございました。これからは、篠ノ井の県埋蔵文化財センターで今までの調査成果の整理作業を行っていきます。埋文センターの展示室には浅川扇状地遺跡群から出土した遺物も展示しておりますので、お近くにお出かけの際は是非お立ち寄りください。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2019年10月24日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(3)

【発掘作業開始から7か月

平成31年4月に始まった発掘作業は、地域の皆様のご協力のもと順調に進み、この10月で7か月が経過しました。この間に、夏から継続してきた桐原地区の調査が終わり、中世の館跡に伴う堀跡や平安時代の竪穴建物跡等を確認しました。また、新たに吉田田町地区でも発掘を開始しました。今後とも地域の皆様のご理解とご協力をよろしくお願いします。


【平安時代の竪穴建物跡】


【かまど跡の周囲からまとまってみつかった土器】


【床に埋められた土器】

桐原地区では、平安時代の竪穴建物跡から、床に埋められた状態の土器が見つかりました。なぜ、床に土器を埋めるのか、はっきりした理由はわかっていません。土器の出土状態を観察すると、ゴミ穴のような場所ではなく、土器の大きさに合わせて掘られた穴に、口を上にして設置されていました。古代人が特別の思いで意図的に土器を埋めたことがわかります。


【中世の堀跡、どこまで続く?】

桐原地区では平安時代の遺構の他に、中世の館跡「桐原要害」に伴う堀跡を確認しています。調査区を南北に縦断するように見つかったこの堀は、館跡の西側を区画するものです。堀は館跡を囲むように設置されるため、どこかで東側に曲がり、南側を区画する堀になるはずですが、この調査区では堀の屈曲部を見つけることができませんでした。今後の課題です。

【ハートマーク?の墨書土器】

墨で文字や絵が描かれた土器を墨書土器といいます。浅川扇状地遺跡群では、これまでも墨書土器が見つかっていますが、今回は、なんと「♡マーク」が描かれています。じつは、これはハートではなく、イノシシの目をモチーフにした「猪目」という模様です。「猪目」は、魔除けの目的で描かれたものだと考えられており、現代でも神社仏閣などで時折見ることができる模様です。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2019年10月17日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(2)

浅川扇状地遺跡群 現地説明会を開催しました!

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2019年7月16日

南大原遺跡 2019年度 発掘調査情報(2)

【調査開始から4か月】

調査開始から、この7月ではや4か月が経過しました。お陰さまで調査は順調に進んでいます。遺跡からは今から約2,000年前の弥生時代の集落跡が発見され、当時のさまざまな生活道具が出土しています。


【南西上空からみた調査遺跡】

梅雨の合間を縫って、6月25日にドローンで空中撮影を行いました。写真で見る通り、今の千曲川は遺跡の左(西)側を流れていますが、明治維新さなかの明治3~5(1870~1872)年、洪水に苦しめられていた地元農民による「瀬替え工事」によって直流化されたことによるものです。工事以前の千曲川は、大きく蛇行して遺跡の右側を流れていました。旧千曲川の痕跡は水田地帯となって今も残っています。弥生集落が営まれた頃も遺跡の右側を流れていたようです。

【深さ2.2mの谷地形】

谷の堆積土内から弥生土器が出土しています。千曲川のはんらんによってできた谷に土器が捨てられたのではないかと考えています。 


【真上からみた調査遺跡】

遺跡上空から撮影した垂直写真です。黄色い部分が竪穴建物跡です。自然堤防上の水はけのよい好立地を選んで集落がつくられています。過去の調査成果によって、8月から調査を進める東側部分にも集落跡が続くことがわかっています。


【土器等が大量に出土した竪穴建物跡】

土器は完全な形をとどめていないものが大半で、まとめて廃棄した状況と推測されます。


【弥生の鉄製品出土!】

弥生時代中期の竪穴建物跡から出土しました。長さ4.8cm。ずっしりとした重量感があります。2,000年前の鉄製品は貴重な出土例です。


【弥生の逸品 赤い鉢】

表面を赤彩し丁寧に磨き上げた鉢形の素焼き土器です。ほぼ無傷の状態で竪穴建物内から出土しました。食べ物を盛り付けていたのでしょうか。

★★★出土品を展示公開します★★★

今回紹介した出土品や写真パネルを、8月から長野市篠ノ井の県埋蔵文化財センター展示室にて公開しています。近くにお立ち寄りの際、お気軽にご覧ください。展示解説も行います。8月からこれまでプレハブ・駐車場のあった場所の調査を開始します。
より大きな成果が期待されます。今後ともご理解、ご協力をお願いします。(発掘現場を見学する場合は、担当者にお声掛けください。)


センター展示室のご案内

住    所 長野市篠ノ井布施高田963-4

公開日・時間 月~金曜日 午前9時~午後5時

      (年末年始、祝休日、8/13-15、展示替期間中を除く)

 

南大原遺跡

2019年6月21日

長谷鶴前遺跡群 2019年度 整理情報(1)

長谷鶴前遺跡群の発掘作業は昨年度で終了し、今年度は報告書の刊行に向けた本格的な整理作業を進めています。平安時代から明治時代という幅広い時代の遺構や遺物を確認していて、まずは明治時代の遺物の整理を行っています。


【出土遺物の接着・補強作業】

出土した遺物を一つ一つ確認し、元の形を復元します。さながら立体的なパズルです。すべての破片が残っているとは限らないので、足りない部分は石膏(せっこう)を入れて補強します。


【出土遺物の実測作業】

接着・補強作業が終了した遺物の実測作業を行います。形や大きさを測り、特徴を細かく記載します。長谷鶴前遺跡群の発掘作業で出土した遺物の多くは、明治時代に焼かれた「長谷焼」の素焼きの製品と、その窯(かま)で使われたと考えられる道具になります。


【できあがった図面】

実測作業が終了した図面です。図面のチェックを行い、チェックが済んだ図面からパソコンでトレース作業に入ります。写真の図面は窯詰めの際に使われる「焼台(やきだい)」とよばれる道具です。

長谷鶴前遺跡群

2019年6月7日

南大原遺跡 2019年度発掘調査情報(1)

4月から発掘調査を開始しました。調査地点は中野市上今井、千曲川に架かる上今井橋の中野市街地側たもとです。調査前はサクランボ畑でした。交通量が多い県道三水中野線を千曲川の水害に強い道路に改築する工事に先立って、遺跡の発掘調査を実施しています。期間は4月から11月を予定しています。

【これまでの調査】(2016年刊行報告書より)

 南大原遺跡は、1950(昭和25)年から2013年(平成25)年まで4次の発掘調査がありました。1次調査で出土した縄文土器は南大原式と命名され、2次から4次調査では弥生から古墳時代の礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)や方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)も見つかっています。なかでも4次調査では、今からおよそ2千年前の弥生時代中期後半から後期前半の集落跡が見つかり、多くの土器が出土しました。

【弥生時代の鉄器製作遺跡か

 2011~2013年の調査では、県内で類例の少ない弥生時代中期の鉄斧(てっぷ)が出土しています。


【弥生時代中期後半期の石器出土】

弥生時代中期後半期の竪穴(たてあな)住居跡から煮炊きに使用する炉跡とは別の火床を確認し、台石・敲石(たたきいし)・砥石、粘土塊(かい)などが出土しています。こうした状況から、住居内で石製の道具類を使った鍛冶(かじ)(鉄製品の加工)が行われていた可能性を指摘しています。弥生時代中期の集落での鍛冶は、全国的に見ても古い段階に位置づけられます。

 今回の調査では、北信濃の弥生における鉄加工技術の実態をとらえることが大きな目的の一つです。

【写真で見る様々な作業

ここでは、発掘調査の様々な作業を、写真の一コマ一コマで紹介します。

 

【重機による表土掘削】

畑の耕作土等はあらかじめ重機で掘削します。地形の起伏に合わせて除去するため、豊富な経験と高い技術をもったオペレーターの腕の見せ所です。

【測量用杭の設置】

調査区内に杭を打ち込みます。この杭は、遺構や遺物の客観的な位置を共有できる測量をするための基準になり、国家座標値をもつ精度の高いものです。

【遺構の検出作業】

作業員が横一列に並び、地面を両刃(りょうば)鎌で丁寧に削っていきます。薄茶色の地面に対し、直径5mほどの黒い円形の土が浮かび上がってきました。どうやら、ここには竪穴住居跡があるようです。調査研究員がクギで薄茶色の土と黒色土との境に線を引いています。

【住居跡埋土(まいど)の掘り下げ】

検出作業で見つけた円形の黒色土(竪穴住居跡の中に埋まった土)を掘り下げていきます。この時、埋土から見つかる遺物は出土状態を記録するまで、残しながら掘り進めます。

【図面の作成】

住居跡の埋まり方や遺物の出土状態、住居跡の形状等を図面用紙に記録していきます。直射日光の下、ミリ単位の作業が求められます。

【掘り出されたばかりの文化財】

竪穴住居跡の床近くで複数の土器が出土しました。およそ2千年前の弥生時代人が生活に使った甕(かめ)や壺(つぼ)です。博物館では見られない「掘り出されたばかりの文化財」です。

発掘作業が終わると、まもなく道路工事が始まり、遺跡は失われてしまいます。およそ2千年前の弥生人が残した生々しい暮らしの跡をご覧いただけるのは、今しかありません。遺跡見学はいつでも可能ですので、農作業などの合間に、ぜひ発掘現場にお立ち寄りいただき、声をかけてください。

 発掘作業は11月までの長丁場です。これからも、弥生人が残した土器や石器などの遺物を丁寧に取り上げていく作業を続けていきます。地元の皆様には、引き続きご協力をお願いします。

南大原遺跡

2019年6月3日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(1)

【発掘作業が始まりました】

4月11日より発掘作業を開始しました。現在は、平安時代や古墳時代の竪穴(たてあな)建物跡や中世館跡を囲む堀跡などの調査を行っています。

今年度は9月末ごろまでは桐原地区で、10月以降は吉田田町地区での発掘作業を予定していますので、引続きご協力お願いいたします。


【中世の堀跡を確認】

平成23年度に調査を行った堀跡の続きがみつかりました。幅1~2.5m・深さ0.5~1.5mで南北方向に延びています。

埋土(まいど)からは「かわらけ」と呼ばれる小形の土師質(はじしつ)土器や、銭貨(せんか)などがみつかっています。この堀跡は、中世館跡「桐原(きりはら)要害(ようがい)」の西側を区画するものです。


【平安時代の墨書土器が出土】

平安時代の竪穴建物跡から墨書(ぼくしょ)土器がみつかりました。文字の一部が薄くてはっきりしませんが、平成23年度に出土した墨書土器に書かれている文字に似ていることから、この土器に書かれている文字も「貝」であると考えられます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

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