Research調査情報

【調査情報】北信

2024年12月2日

塩崎遺跡群 2024年度発掘調査情報(1)

【塩崎遺跡群の発掘調査が終了しました】

 10月10日から始まった今年度の発掘調査は、11月29日に終了しました。塩崎遺跡群では、2013(平成25)年から2017(平成29)年にかけて、東側(千曲川側)の1区から西側(石川条里遺跡側)の3区に向かって発掘調査を行ってきました。今年度は最後に残された3区東脇の市道下の調査を行い、これをもって発掘調査は全て終了しました。長年にわたり皆さまのご協力をいただき、ありがとうございました。

塩崎遺跡群全体図

(国土地理院電子地形図1/25000を使用)

 

【今年度の発掘成果】

 市道下という狭い調査区でしたが、掘立柱建物跡3棟・溝跡4条・井戸跡1基・土坑14基を検出しました。掘立柱建物跡は3棟とも3間×1間で、約4.5m×3mの規模でした。時期は弥生時代後期~古墳前期頃と考えられます。隣接する2区と3区からも、同時期・同規模の掘立柱建物跡が検出されています。当時の集落の景観は、居住域となる竪穴建物群が西側に向かうにつれてまばらになり、西端には倉庫(掘立柱建物跡)群が建ち並んでいたと考えられます。また居住域の東側には墓域、西側には水田域(石川条里遺跡)が広がっていました。

調査区の幅にピタリと収まって検出された掘立柱建物跡

現在の市道とちょうど同じ方向を向いています!

調査区の壁際で検出された井戸跡

 

【発掘調査のあゆみ】

 塩崎遺跡群では弥生時代前期~中世までの遺構が検出され、多様な遺物が出土しています。発掘調査を通じて、約1,000年間(弥生中期~平安時代前期)にわたり千曲川の自然堤防上に形成された集落の姿が浮かび上がりました。現在はこれらの調査成果をまとめ、報告書の刊行に向けて整理作業を進めています。

 

【2013】 1区南側と2区東側の調査

 ・弥生時代初め頃の墓を発見、土器棺に東海地方の土器が使用されていた。

 ・弥生時代中期のヒスイ勾玉と原石が出土。

 ・弥生時代後期の墓から鉄剣を発見!

 ・遺跡東端で古墳や周溝墓(周りを溝で囲み、低い墳丘を築いた弥生時代の墓)を発見、古墳の周溝からウマの骨が出土。

 

【2014】 1区北側と2区東側の調査

 ・弥生時代中期の墓から小形壺と鉢が出土。

 ・弥生時代中期の玉作工房跡を発見。

 ・飛鳥~奈良時代の竪穴建物跡を多数調査、硯が出土。

 ・中世の溝跡からウマの骨約1頭分が出土‼

 

【2015】 1区北側・南東隅と2区の調査

 ・弥生時代初め頃の墓を複数発見、土器棺に東海地方の影響を受けた土器が使用されていた。

 ・弥生時代初め頃の貯蔵用の穴から石器が出土。

 ・弥生時代中期の墓を多数発見、玉類、石器、小形壺が出土。

 ・弥生時代の竪穴建物跡を多数調査、11mを超える後期の大形竪穴建物跡を発見!

 ・井戸跡を多数調査、底から完形土器が出土。

 

【2016】 3区の調査

 ・平安時代の竪穴建物跡から石製分銅を発見!

 ・水田域(石川条里遺跡)との境界にあたる遺跡西端で各時代の溝跡を検出。

 

【2017】 3区北東隅の調査

 ヒスイ勾玉とヒスイ原石

古墳、周溝墓を望む(西上方から)

合計415軒の竪穴建物跡を調査

溝跡(中世)から出土したウマ骨

礫を敷き詰めた墓(弥生時代)

井戸跡(古墳時代)

石製分銅(平安時代)

土器棺(骨壺に使われた土器(弥生時代)

 

担当職員延べ52名、作業員延べ312名に上る大規模な発掘調査でした。

ご協力、ありがとうございました。

 

塩崎遺跡群発掘だより2024年度第24号(PDF:1.43MB)

※号数は調査開始時からの通算

北信,塩崎遺跡群,調査情報

2024年11月5日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(5)

【南大原遺跡の発掘調査は最終局面!】

 6月3日(月)から始まった発掘調査も現在最終局面をむかえ、多くの新事実がわかってきています。そのなかで今回は、弥生時代の南大原遺跡を特徴づける成果を紹介します。

 発掘調査現場周辺は、大型重機をはじめ大型の車両が出入りします。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

 皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

【ものづくりのムラ玉づくり工房】

 本遺跡は、2011~2013年と2019・2020年に当センターが、県道三水中野線改良工事に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期後半に鉄製品を加工したと考えられる工房跡がみつかり、注目を集めました。

 今回の調査では、同じ時期の竪穴建物跡5軒、大型の土坑5基がみつかり、それぞれに玉管玉・勾玉づくり、石器づくり等のものづくりに関わる遺物が出土しました。

 なかでも、管玉については、北陸地方で製作工程の研究が進んでおり、今回の出土品は、その製作工程それぞれに対応することがわかりました。

管玉の製作工程の一例 (①~⑧は下表と対応)

原石(緑色凝灰岩)

石鋸

研磨未成品⑥(多角柱体)

管玉(碧玉)

南大原遺跡の管玉製作関連遺物(赤字遺物は、実際に出土)

 

【これまでの確認調査の成果】

 これまでの確認調査の結果、下図の①から⑤までの範囲が本格的な発掘調査(面調査)を必要とすることがわかりました。

 ①では、県道三水中野線改良工事に伴う発掘調査で弥生時代中期後半~後期及び古墳時代前期に属する遺構群が調査され、令和5年度の確認調査でも弥生時代中期後半及び平安時代に属する遺構群が検出されました。このため、従前より面調査が必要な範囲と認識されていましたが、今回の確認調査でそれがさらに北へ延びることが確認されました。

 ②からは、縄文・弥生・奈良時代の遺構群が検出されています。

 ③・④では、地表下1~1.5mで古代の遺構群が、④ではさらにその下0.6mから弥生時代後期の遺構がみつかりました。

 ⑤では、古代の竪穴建物跡が8軒みつかりました。遺構が見つかる層位は、西側に行くにつれ深くなり、最大で地表下1.5mを測ります。

遺跡全体図(作業進捗状況図)

 

【千曲川の流路の変遷】

 各地区の堆積土層と検出された遺構の時期や出土遺物を観察した結果、右図のように青赤緑という順で千曲川の流路が変遷していたことが想定されます。弥生中期以前の千曲川の流路(青)は、北大原地籍の崖から大俣側の崖までの間を流れていたことが想定されるとともに、比高差約3mを測る北大原地籍の崖を形成するような流量を誇っていたことが想像されます。その後、弥生後期には流路が定まり(赤)、自然堤防が形成され、安定した土地に人々は生活を営み始めたと考えられます。

想定される千曲川本流の流路の動き

北大原地籍と鍋久保地籍を分かつ崖

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第6号(PDF:0.99MB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年10月23日

長野市長沼城跡 2024発掘調査情報(1)

【長沼城跡の発掘調査が終盤となっています】

 長沼城跡は16~17世紀に、千曲川左岸の平地に築かれた南北約 650m 、東西約 500mという大規模な平城です。 2021 年から発掘調査がおこなわれ、今年の 10 月に調査が終了する予定です。 

 昨年までの調査では、戦国時代から近世初期の礎石建物跡や堀跡、土塁などの遺構が確認されています。そして同時期の土器や陶磁器、鉄砲玉などの遺物も出土しています。

長沼城縄張り想定図

 

【今年度の調査】

 中堀に伴うと思われる石列が出土しており、 約 40 cm の大きな石を支えるように裏込めとして小石が敷きつめられている箇所が見つかっています 。 中堀の杭列は土塁が崩れないように施された土留めと考えています 。昨年までの調査においても石列 、 杭列が見つかっています 。 これらの成果をもとに城郭の構造をあきらかにしていきたいと思います 。

土留めのための杭列

 

【注目!金足物とは】

 遺物としては、戦国時代から近世初めのカワラケ、灯明皿、内耳鍋などの土器や陶磁器類が多数出土しています。また、太刀の鞘の一部である足金物も出土しました。

 金足物は、太刀を腰から吊るす際の固定金具として使われていました。太刀1振に2つあります!

 県内の遺跡からの出土例は少なく、中世、戦国時代の遺跡から出土した類例は、御代田町の前藤部遺跡で1点、佐久市の北山寺遺跡で3点の出土などが確認されています。

長沼城跡出土の金足物

 

長沼城跡発掘たより 第6号(PDF:761KB)

北信,調査情報,長沼城跡

2024年10月4日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(4)

【南大原遺跡の発掘調査、終盤戦に突入】

 6月から行われてきた南大原遺跡の調査がいよいよ終盤をむかえています。現在は、弥生時代中期(約2000年前)の遺構が中心となっています。その中で新たな発見がいくつかありましたので、そのいくつかについて紹介させていただきます。

【発見1】 土製紡錘車

 SB110から土製の紡錘車が出土しました。「発掘だより第3号」でお知らせしたように、すでに平安時代の建物内からは鉄製の紡錘車が出土しています。今回は土製の紡錘車です。鉄製と土製、新旧の差を感じます。2点とも穴が貫通せず未製品です。

土製紡錘車出土状況

(裏側に孔をあけかけた痕跡あり)

 

【発見2】 玉づくり用の原石

 同じ建物内からは緑色凝灰岩製の管玉とその原石、そして製作途中の未製品が出土しており、この建物内で玉づくりが行われていた様子を伺うことできます。さらに佐渡産とみられる赤い色の鉄石英の原石も出土しており、同じく玉製品の原石となったものと思われます。

緑色凝灰岩原石の集石

 

【発見3】 木棺墓

 弥生時代の墓が3基見つかりました。この中の1基は、長方形の穴の中で板を組み合わせて棺をつくり、死者を埋葬した木棺墓であることがわかりました。棺の長さは160㎝あり、大人用の棺と考えられます。残念ながら、副葬品は見つかりませんでした。また人骨も残っていませんでした。

木棺墓の調査風景

 

【確認調査の範囲拡大へ】

 発掘調査を実施する範囲を確定すべく、確認調査のピッチもあがってきました。以前から行っていた北大原地籍・鍋久保地籍・舞台地籍・舞台地籍に加えて、10月からは南大原地籍においても調査が始まる予定です。

 南大原地籍の調査は、現在面調査で発掘調査を行っている弥生~平安時代の集落跡の範囲が北側へどのくらい拡がるかを確認するための調査です。

南大原遺跡発掘調査地と南大原地籍確認調査箇所

 

南大原遺跡発掘調査地(手前)と南大原地籍確認調査箇所(白線内)

 

【ふしぎな話】

 先に弥生時代のお墓が3基みつかったと紹介させていただきました。そのなかの1基は、平安時代の竪穴建物の床下でみつかっています。平安時代の人々は弥生時代のお墓のことを知らずに、先祖のお墓の上で生活していたことになります。

平安時代の竪穴建物床下で見つかった木棺墓(左上)

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第5号(PDF:779KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年9月5日

南大原遺跡2024年度発掘調査情報(3)

【浮かび上がる古代の暮らし】

 旧千曲川左岸の緩い斜面地に広がる南大原地区では、今から約2,000年前の弥生時代中期の集落と、今から約1,100~1,200年前の平安時代の集落を調査しています。平安時代の集落は、溝を巡らせて土地を区画し、方向を揃えた竪穴建物跡がみつかりました。区画溝は、集落の境を示している可能性があります。

 
【今日に繋がる日常の軌跡】

 SB102(平安時代の竪穴建物跡)は、一辺約5mの規模を持ち南側隅にカマドを備えています。この竪穴建物跡からは、灰釉陶器の皿を転用した硯や、鉄製紡錘車(繊維を紡ぐ道具)、耳皿がみつかりました。耳皿ざらとは、皿の側縁を対称的に折り曲げるつくりをした土器で、箸置きに使われたと考えられています。大河ドラマ「光る君へ」では、夫の藤原宣孝と主人公まひろ(紫式部)が、食事の際に箸置きとして耳皿を使用していました。

 みつかったお宝は、文房具、食器、箸置きなど現代を生きる私たちにも馴染み深いものばかりです。今から約1,100~1,200年前の人々の日常に思いを馳せていただければ幸いです。

密集する竪穴建物跡

SB102出土の耳皿

 

【広大な大地に眠る遺跡、次々と目覚める】

 南大原地区から微高地(現リンゴ畑)を挟んだ北西側の地域ではトレンチ掘削による確認調査が進んでいます。逆川・北大原・舞台・鍋久保の4地区のうち、現在は、逆川・北大原・舞台地区の調査をしています。

〇逆川地区

 掘削したトレンチの断面を見ると、現在の地形と同じように南東(リンゴ畑を営む微高地)側から北(現千曲川)側へ傾斜する地形が確認できました。洪水層が厚く堆積し、安定した土地ではなかったようです。

 これまで、近世水田の範囲を逆川地区境の市道までと考えていましたが、湧水点が市道の南側で確認され、近世水田が湧水点まで伸びていることが確認できました。

 

〇北大原地区

 逆川地区の北隣となる北大原地区の調査が始まりました。北大原地区は、7月まで北端を調査しており、そこでは平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。

北大原地区確認調査風景

 

〇舞台地区

 7月後半から調査を行っています。8月は、北大原地区の西側を調査しています。北西のトレンチからは、竪穴建物跡とみられる凹みを検出しました。凹みのなかからは奈良~平安時代に使われていた土器(土師器)の埦が見つかり、この時期の建物跡と考えられます。

舞台地区土器出土状況

 

【現地説明会を開催しました】

 8月10日(土曜日)、本調査区(南大原地区)の発掘現場において一般公開を行いました。

 現場を一望できる高台から遺跡の全体説明を行った後、弥生時代中期(およそ2,000年前)、平安時代(およそ1,100年前)の竪穴建物跡近くでそれぞれ説明をしました。プレハブでは、出土品の展示・説明も行いました。展示した遺物は、今年と平成の三水中野線関連調査地点での出土品で、弥生土器、土師器、石器、鉄製品など様々なものがあります。見学者は139名にのぼり、関東や関西など遠方からも多く訪れ、南大原遺跡の注目度の高さを感じる説明会となりました。

 今年の調査は、長野県埋蔵文化財センターと日本文化財保護協会とが一緒になって行っており、説明会でも職員がお互いに協力して設営、説明を行いました。

現地説明会の風景

 

南大原遺跡発掘たより 第3号(PDF:1057KB)

南大原遺跡発掘たより 第4号(PDF:966KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年7月5日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(2)

【発掘調査開始から1か月】

 6月3日(月)から始まった発掘調査も、ほぼ1ヶ月が過ぎました。現在は、南大原地区で遺構検出(遺構をみつける作業)がほぼ終了し、逆川・北大原地区では確認調査(トレンチ※による試し掘り)が進んでいます。

(※ トレンチ:細長い溝状の掘り込み)

 この発掘調査は、11月末までを予定しています。期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

 8月10日(土)には、調査の成果を一般公開する現地説明会を予定していますので、ふるってご参加ください!

 皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

R6年度 調査区全体図

 

【弥生時代の集落はどこまで広がっているか?】

 南大原地区では、今から約2,000年前の弥生時代中期後半の栗林式土器が出土しました!

機械掘削で出土した栗林式土器

 

 遺構検出を進めた結果、竪穴建物跡13軒(古代10軒、弥生時代3軒)、掘立柱建物跡2棟、溝跡3条、遺物集中2ヶ所、土坑160基がみつかりました。土坑のなかには、長方形のお墓と思われるものも4基含まれています。古代が中心と思われていたこの場所でも、弥生時代の人びとはしっかりと暮らしていました。上今井橋のたもとに集住していた弥生人の居住域が、旧千曲川に沿って北東方向に約700mにわたり広がっていたことが予想されます。

南大原地区遺構検出状況

(大きな丸い形のものが弥生時代の竪穴建物跡、南西から)

 

【確認調査も進んでいます!】

 南大原地区から微高地(リンゴ畑)をはさんで北西側の地域では、トレンチ掘削による試掘調査が行われています。逆川・北大原・舞台・鍋久保の4地区のうち、現在は、逆川と北大原地区の調査しています。

 

【逆川地区】

 13本のトレンチを掘削しました。掘削したトレンチの断面を見ると、現在の地形と同じように南東側(写真の上方)から大きく落ち込んでいる地形であることがわかりました。人が活動した痕跡を示す遺構や遺物はみつかりませんでしたが、今後、土層を観察し、写真・図面記録をとり、調査を終了します。

逆川地区トレンチ配置図(北から)

 

【北大原地区】

 15本のトレンチを掘削しました。トレンチ内の土層は、微高地の反対側の南大原地区とよく似ており、人が生活した痕跡の発見が期待されました。

 その期待を裏切らず、調査区北側のトレンチを中心として、遺構・遺物が発見されました。北側の1トレンチからは、今から約4,000年前の縄文時代後期の堀之内式土器が出土し、隣のトレンチからは、古代と思われる竪穴建物跡の一部がみつかりました。

北大原地区トレンチ配置図(北西から)

1トレンチ出土の堀之内式土器の深鉢片

14トレンチでみつかった古代の竪穴建物跡(北から)

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第2号(PDF:823KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年5月30日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

≪南大原遺跡の本格的な発掘調査がはじまりました≫

 6月3日(月)から、中野市大字上今井字南大原ほかで南大原遺跡の発掘調査を行います。現在は、発掘調査に伴う現地プレハブの設置工事等を行ってい ます。 この発掘調査は、上今井遊水地整備事業に先立って実施するもので、11月末までを予定しています。 期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 詳しい情報はこちら(南大原遺跡発掘だより№1 PDFデータ:939K)

 

南大原遺跡空中写真(R5年11月撮影)

≪南大原遺跡ってどんな遺跡?≫

 『長野県中野市遺跡詳細分布図』( 2006 中野市教育委員会市)には、縄文・弥生・平安時代の遺跡として登載されています。1950年と1957年に神田五六さんと地元の高校生が中心となって発掘調査が 行われ、1950年の調査では縄文時代前期後半の竪穴建物跡が見つかり、そこから出土した土器は「南大原式土器」と命名されました。その後、1979年に旧豊田村教育委員会が、2011~2013年と2019・ 2020年に当センターが、いずれも県道三水中野線改良工事に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期後半から後期を主とした集落遺跡であることが明らかとなりました。中でも、鉄製品を加工したと考えら れる工房跡や、祭祀場と想定される環状土坑列の存在は、注目を集めています。

弥生時代中期後半の竪穴建物跡
環状土坑列(かんじょうどこうれつ)

立っている人の前に土坑がある

鉄製品・小鉄片・焼成粘土塊(しょうせいねんどこん)
弥生時代中期後半の土器群

≪令和5年度の調査成果≫

 「上今井遊水地だより」令和6年2月号でお知らせしましたとおり、右図のA・C区でトレンチ(試し掘り)調査を、緑線の部分で地層抜取り調査を実施しました。

 その結果、A区の調査では弥生時代中期後半の土器や平安時代の灰釉陶器等とともに、重複する平安時代の竪穴建物跡や、時代は特定できておりませんが、掘立柱建物跡・溝跡が確認されました。
 C区及び地層抜取り調査や古地理復元分析調査の結果、江戸時代以降の水田跡の分布範囲が、地域に遺る「上今井耕地絵図(かみいまいこうちえず)」(東江部村山田庄左衛門家文書(ひがしえべむらやまだしょうざえもんけもんじょ))と一致することが明らかとなりました。
 また、この江戸時代以降の水田層の下からは、奈良時代の掘立柱建物跡の他、焼土跡や溝跡等の遺構群が検出され、南大原遺跡でも奈良時代の人々の生活の痕跡があったことが確認されました。

R5年度調査区全体図
C区で検出された奈良時代の掘立柱建物跡
R6年度調査区全体図
想定される各時代の領域

北信,南大原遺跡,調査情報

2023年6月20日

川田条里遺跡 2023年度発掘調査情報(2)

【これまでの調査とこれからの予定】

6か所の調査区(右図のT1~T6)を設定し、調査を進めています。T4・5の2地区で発見した川田氏館跡に関連する遺構群について、その詳細が明らかになってきました。その他の調査区では平安時代と古墳時代の水田跡の調査のため、重機で深堀りをし調査しています。

 調査期間も残すところ1か月となりました。今後は、水田跡の調査が主となるため、泥や水との戦いとなります。

 詳しい情報はこちら(川田条里遺跡発掘だより第2号 PDFデータ:747KB)

 

【川田氏館跡に関連する遺構群】

 1999年(平成11年)に長野市教育委員会が実施した発掘調査で、15世紀後半の溝により規制された10棟の建物跡や焼土を伴う土坑、工房跡を想起させる張床状遺構などが発見されました。

 今回の調査で発見した遺構群は、右図に示すようにT5区で直角に近い角度で曲がる溝跡(区画溝)の北西側に掘立柱建物跡などが展開しており、溝で区画された屋敷地であったと考えられます。

 

【小さな出土遺物が遺構群の時期を語る!】

 溝跡を発掘すると、土器や陶磁器が出土しました。中国から輸入された青磁や白磁、石川県産の珠洲焼(すずやき)、岐阜県産の中津川焼や山茶碗、地元産のカワラケなど、種類が豊富です。この遺跡が、当時の全国的な焼物の流通ルートに組み込まれていたことを物語ります。

 焼物それぞれの特徴から、時代や時期がわかりました。その結果、今回発見した溝で区画された屋敷地は、鎌倉時代のものであることがわかりました。川田氏館跡は室町時代のものと考えられており、今回発見した屋敷地はそれよりも古い時代のものです。これが基盤となり、川田氏館跡へ発展していったのでしょうか。

北信,川田条里遺跡,調査情報

2023年5月31日

長沼城跡 2023年度発掘調査情報(1)

【今年度の発掘調査について】

 令和3年度から行っている長沼城跡の発掘調査が、今年度も4月中旬から始まりました。現在は、昨年度に続き二の丸や中堀推定地などの調査を行っています。

 詳しい情報はこちら(長沼城跡発掘だより№3 PDFデータ:679KB)

【天王宮の調査について】

 昨年度冬から今年4月にかけて、長沼城跡で唯一現存する土塁と考えられる天王宮の調査を行いました。調査の結果、土を何層にも重ねて突き固めることで地盤を強化する「版築(はんちく)」と呼ばれる構造や、土塁をつくり替えた痕跡が見つかりました。

【二の丸推定地の調査について】

 二の丸推定地を調査し、建物跡の有無や堀との境目を確認する作業を行っています。現在は礎石建物跡や炭の集中部、石を投げ込んだ穴の跡などが見つかっています。遺物は五輪塔の一部や石臼、陶磁器、碁石、骨、そして鉄砲玉や匙(スプーン)などの金属製品が出土しています。

北信,調査情報,長沼城跡

2023年5月11日

川田条里遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【川田条里遺跡の発掘調査がはじまりました】

 4月10日(月)から、長野市若穂川田地区で川田条里遺跡の発掘調査を行っています。期間は6月末までの予定です。

 

詳しい情報はこちら(川田条里遺跡発掘だより№1 PDF:742KB)。

 

 

 

 

 

 

 

 

【川田条里遺跡ってどんな遺跡?】

 1989年から1990年に当センターが高速道路(上信越自動車道)建設に伴い、弥生時代中期から近世の水田跡の発掘調査を実施し、時代ごとの水田の様子が明らかになりました。特に古墳時代と奈良時代の小区画水田や奈良・平安時代の条里型水田の発見は全国的にも注目されました。

 また、1999年に長野市教育委員会が、今回の発掘調査範囲西側で15世紀後半の「川田氏館跡(かわだしやかたあと)」の発掘調査をしています。

 

 

【令和4年度の調査】

 鋼矢板を杭打機で打設する地層抜き取り調査(ジオスライサー掘削法)を行いました。採取した土層断面の観察と土壌サンプルの年代測定分析を行った結果、今回の調査範囲には古墳時代から奈良時代の水田面が2面あることがわかりました。

 そこで、令和5年度は、開発に伴う地形改変等の影響が及ぶ地表下2mまでを記録保存調査の対象としています。

    

 

 

【川田氏館跡に関連する遺構群を発見!!】

 昨年度の調査成果から、深さ約1mで検出される水田面を目指し、重機で掘削したところ、深さ約80㎝のところで、穴や溝跡が見つかりました。

 穴は規則的に配列されており、建物を構成していた柱穴であることがわかりました。また、溝跡は南北方向に延びるものと、東西方向から南北方向に向きを変えて延びるものがあり、土地の区画に基づくものではないかと想像します。遺構内外から、青磁碗のカケラや土師器皿等が出土しており、「川田氏館跡」に関連する遺構群であると考えています。

 今後、溝跡を中心に掘削を進めていきます。どんなお宝が埋まっているか、乞うご期待です。

    

北信,川田条里遺跡,調査情報

2023年2月8日

上五明条里水田址 2022年度発掘調査情報(2)

【2022年度の発掘調査終了】

 2022年12月20日(火)に、今年度の上五明条里水田址の発掘調査が終了しました。近隣の皆様をはじめ調査にご理解とご協力をいただいた方々に感謝申し上げます。1月からは、長野市篠ノ井の埋文センターで整理作業を行っています。

 今年度の調査では、平安時代後期の集落跡に加え、この集落よりも古い水田跡と、古墳時代の土器などが見つかりました。

 詳しい情報はこちら(上五明条里水田址 発掘たより№4 PDFデータ)

 

【洪水砂層に覆われた水田跡】

 古墳時代~平安時代後期以前の、洪水による砂層に覆われた二時期の水田跡が見つかりました。二時期ともに1枚100㎡未満の小区画で、少ない労力で田面を平らにし、水を均等にいきわたらせるよう工夫していたようです。

 新しい時期の水田跡は、畔と人の足跡が残っていましたが、畔の残りは悪く、畑の畝のようなものが検出されたため、水田や畑作により複数回耕作されたようです。

 古い時期の水田跡は、畔の残りが良く、水を取り入れるための水口も検出されました。

 

【古墳時代の土器埋設遺構】

 調査区西側の流路跡から古墳時代の土師器、須恵器、板状の木材などが出土しました。

 さらに流路跡の東側から、上部が粘土と石でふさがれ人為的に埋められたと考えられる甕が見つかりました。甕の中身は整理作業で確認する予定です。

上五明条里水田址,北信,調査情報

2022年6月9日

長沼城跡 2022年度発掘調査(1)

【2年目の発掘調査がはじまりました】

 戦国時代(16~17世紀)に千曲川沿いに築城された武田信玄ゆかりの城とされる、長沼城の2年目の発掘調査が、4月上旬から約30名の体制ではじまりました。二の丸推定地や北三日月掘推定地等の調査を行い、城内の遺構の規模や時期を解明したいと考えています。

 

【二の丸推定地の調査】

 二の丸推定地からは、カワラケや16世紀中~後半頃の瀬戸焼の丸皿、火を受けて赤くなった壁材などが多く出土しており、屋敷地や建物跡だった可能性が考えられます。

詳しくはPDF版の発掘たよりをご覧ください。

 

長沼城跡発掘だより№1(PDFデータ:910KB)

 

北信,調査情報,長沼城跡

2022年6月2日

上五明条里水田址 2022年度発掘調査(1)

【令和4年度の調査が始まりました】

 4月15日から開始した発掘調査は、6月~8月の休止期間をはさみ、11月末まで行う予定です。昨年度は竪穴建物跡18軒を主体とした、平安時代後期の集落跡及び千曲川の氾濫により埋没した水田跡がみつかりました。今年度も集落や水田に関係する遺構の発見が予想されます。

 

 

 

 

【平安時代の竪穴建物跡を発見】

 今年度調査で、竪穴建物跡が1軒みつかりました。形は隅丸方形で、大きさ6m×5m、深さ30㎝程度です。床からは坏や埦などの食器が出土しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調査を再開する9月以降どんな発見があるのか楽しみです。

 

上五明発掘たより№2(PDFデータ:685KB)

上五明発掘たより№3(PDFデータ:735KB)

上五明条里水田址,調査情報

2021年12月22日

長沼城跡 2021年度発掘調査(1)

 長野市長沼城跡で、令和3年12月6日(月)・7日(火)に、地元のみなさんを対象とした現地公開を実施しました。2日目はあいにくの雨模様でしたが両日合わせて138名にご来場いただきました。

 今年度は3月まで調査を継続します。堀跡の深さや形を調べたり、二の丸の建物跡などのこん跡を確認したりする予定です。

 来年度は調査範囲をさらに拡大し、長沼城跡の築城から廃城、そして今に至るまでの歴史を、詳しく解明したいと思います。

長沼城跡現地公開資料

 

【発掘作業の公開】

 発掘調査を理解していただくために、通常の作業を行っている平日に開催しました。

 二の丸推定地では焼土や炭化物が広い範囲に分布する様子を紹介しました。

 

 

 

 

 

【長沼小学校の見学】

 地下に眠るお城のあとに興味津々です。気になる場所は持参したタブレット端末でパシャリと画像に収めていました。

 

 

 

 

 

 

【城跡でみつかった品々】

 「土の中からきれいなお皿やすり鉢といった生活道具がたくさんみつかったんだよ。」

 「この白っぽい玉は鉛でつくられた鉄砲の玉だよ。」

 「へー、じゃあ火縄銃もみつかるかなぁ」

 

 

 

 

【主な出土品 その1】

 内堀推定地からみつかった唐津焼の皿です。遠く九州の佐賀県や長崎県の生産地から、日本海を北前船によって運ばれてきたものと考えられます。

 

 

 

 

 

 

【主な出土品 その2】

 二の丸推定地からみつかった鉛玉です。火縄銃に用いる鉄砲の玉と思われます。直径は1㎝程と小さく、周囲は劣化して白っぽく変色しています。

北信,調査情報,長沼城跡

2021年12月16日

上五明条里水田址 2021年度発掘調査(1)

【上五明条里水田址の調査履歴】

 この遺跡からは、過去の調査で、千曲川の洪水砂層に覆われた水田跡や、9~11世紀の集落跡が発見されました。集落からは、鉄鐸(てったく)や鈴、八稜鏡(はちりょうきょう)、猿面硯(えんめんけん)等の珍しい遺物がみつかっています。

 

【平安時代の集落跡】

 今回の調査では、現在までに竪穴建物跡17軒を主体とした平安時代の集落跡を確認しています。竪穴建物跡からは、内面に花びらのような暗文が描かれた土器が出土しました。

  

 

 

上五明条里水田址 発掘たより№1

上五明条里水田址,北信,調査情報

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