Research調査情報

2015年10月30日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(5)

10月19日(月)から、今年度調査予定最後の地区となる鐘鋳川(かないがわ)南側の調査を開始しました。すでに調査が終了している北側の地区から続く古墳時代中期の溝跡を検出して、埋土を掘り下げています。溝の底部付近からは、土器の破片が多数みつかっていますが、中には完全な形に近い土器も出土しています。

 

【検出作業風景】

地面を少しずつ平らに削っていき、溝跡など遺構の形を探します。

 

【トレンチ掘り下げ作業】

溝の形を確認したら、溝の中に堆積している土の様子を観察するために、一部分だけ先行して掘り下げます。

 

【古墳時代中期の溝から出土した土器】

溝の底に近い場所から、砂利や拳大の礫に混ざって土器片が多く出土しています。

 

【完全な形に近い状態で出土した土器】

溝の底に近い場所から、完全な形に近い土器がみつかっています。底の丸い小形の壺で、器台などの上に載せて祭祀の場などで使われていたと考えられている土器です。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年10月30日

ねごや遺跡 平成27年度調査情報(2)

-ねごや遺跡の発掘調査終了-

9月から始まった中野市ねごや遺跡の発掘調査が終了しました。

「ねごや」という地名は、中世の山城に関わる地名として知られています。隣接する壁田城に関わるものが発見されることが期待されましたが、壁田城に関係する遺構や遺物は発見されていません。また今回の調査では、平安時代の土器が調査区南端からまとまって出土したことから、この時代の集落跡が付近に存在する可能性が高くなりました。

 

【調査区遠景】

写真右側の山が壁田城跡です。山裾の破線の範囲が調査地点です。

 

【調査のようす】

山から出水するため、調査区の壁際に溝を掘って、調査を進めました。

 

【遺物の出土状況】

黒色粘土層から平安時代の土器片が出土しました。平安時代の水田跡の可能性も考えられますが、詳細は不明です。

 

【出土遺物】

遺物は小破片のものが多い。中でも器形がわかる大形の破片は少なく、土師器甕(左4点)、土師器杯(右上)、須恵器甕(右下)などがあります。

ねごや遺跡

2015年10月14日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(5)

塩崎遺跡群では、いろいろな時代の住居跡がみつかっていますが、時代によって形や特徴が異なりますので、簡単に紹介したいと思います。

 

【弥生時代中期】

住居跡の平面形が小判形(楕円形)をしています。この住居跡からは土器片が一面に広がって見つかりました。住み替える時に捨てていったのでしょうか。

 

【弥生時代後期】

住居跡の形は隅が丸い長方形になります。この住居跡からは炭化した材が見つかっています。火事にあったものと思われます。

 

【奈良時代】

隅丸ですが、ほぼ方形になっています。画面の奥側の壁の中央にカマドがあり、煙を出す煙道が住居跡の外にのびています。

 

【カマド】

上の画像の住居跡のカマドです。焚口(土が焼けて赤くなっているところ)の両側に石を立て、カマドの壁の芯材としたようです(袖石)。焚口には、土器がたくさん出土しています。

塩崎遺跡群,調査情報

2015年10月1日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(6)

8月、9月は旧駐車場下の調査をおこないました。弥生時代の竪穴住居跡2軒、平安時代の竪穴住居跡5軒、弥生時代の墓跡2基などがみつかっています。

 

【弥生時代の土器棺墓】

2つの壺を合わせた形をしていました。今回の調査では2基が発見されましたが、中から骨や歯はみつかっていないので、大人用か子ども用かわかりません。今後、内部の土をふるい、玉類を探したり、土壌の分析をしてリン・カルシウムの濃度や花粉の有無などを詳しく調べる予定です。

 

【弥生時代の竪穴住居跡の炉】

壺の頸部を床に埋め、炉として使っていました。

 

【平安時代の竪穴住居跡】

カマドは壊れた状態で、周辺にはカマドの構築材と思われる礫が散らばっていました。坏や甕、壺の破片がみつかりました。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年9月30日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(4)

【焼失住居跡】

火事で焼けた南北約8m×東西約5mの弥生時代後期の住居跡が出てきました。

 

【焼け焦げた建築材】

黒く焼け焦げた細長い材が散乱していますが、いずれも弥生時代の住居の上物(屋根など)の建築部材と考えられます。

 

【古代の溝】

奈良時代の溝がみつかっています。当初別々の2本の溝跡と考えて調査していましたが、なんと1本につながって、上空からみるとL字形になることがわかりました。

 

【L字形の溝の意味】

長さ東西約31m、南北約14m、幅1~1.5m、深さ0.5m前後、かなりしっかりした溝跡です。埋土の土層の観察からは、水が流れていたような痕跡は見つかっていません。何かを囲むような溝のようにも思えます。

塩崎遺跡群

2015年9月30日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(4)

9月18日(金)、桐原地区清林寺南西の調査区が終了しました。今年度の調査は、遺跡全体として主に古墳時代の遺構調査が続きましたが、この地区では弥生時代後期から中世にいたるまでの竪穴住居跡や溝跡など、幅広い時代の調査を行いました。

 

【調査区全景(北から)】

工事用道路部分を今年度調査しました。細長い調査区内に、弥生時代後期から中世の遺構が重なり合って確認されました。

 

【調査のようす(北から)】

時代が新しい中世の遺構から、順々に調査していきます。弥生時代後期では竪穴住居跡が確認されました。

 

【出土土器の測量作業】

弥生時代後期の竪穴住居跡の壁際から完全な形に近い状態で高坏が出土しました。その位置を電子データで記録していきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年9月18日

ひんご遺跡 平成27年度調査情報(2)

【調査区全景】

調査区東側の様子。第一面は縄文後期の敷石住居跡、配石遺構を調査しました。


 

【敷石住居跡】

調査区のほぼ中央部分で立派な柄鏡形敷石(えかがみがたしきいし)住居跡が発見されました。写真中央の石組が柄鏡形住居跡の柄の部分にあたります。


 

【敷石住居跡と列石】

写真右側、円形状の石組が柄鏡形ではない敷石住居跡です。その奥の壁側には(写真の左)、大きな河原石を並べた配石がありました。


 

【土偶の顔】

土偶の顔の部分が出土しました。遺跡では「ひんごさん」と呼んでいます。

ひんご遺跡

2015年9月18日

ねごや遺跡 平成27年度調査情報(1)

9月1日に中野市壁田に所在する「ねごや遺跡」の発掘調査が始まりました。

 

【開所式の様子】

「古代の人々が触れた遺物を実際に手にとって古代のロマンを十分に楽しんでください。また、交通安全、体調管理に十分注意し、コミュニケーションをよくとり、成果が出せるよう班長を中心に頑張りましょう。」調査部長からの挨拶に胸が高鳴ります。

 

【調査開始】

重機でトレンチを入れて、遺跡内容を慎重に確認していきます。

 

【調査の様子 その1】

バケツやポンプで水を汲み出しながら、ぬかるみの中、トレンチ北側で遺構や遺物を追求します。

 

【調査の様子 その2】

前回の内容確認調査で、土器が集中してみつかった地区に続く場所を確認しています。これから発見される遺構の内容を考える糸口がみつかるかもしれません。

ねごや遺跡

2015年8月25日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(3)

【木棺墓】

人骨が2体葬られた弥生時代中期の木棺墓SM2012では、頭骨の脇から石鏃、扁平片刃石斧などの石器19点が出土しています。

 

【石器の副葬品】

石器は棺の中に置かれていたというよりも、崩れ落ちたような状況に見えます。棺の上に置かれて埋葬されたものだったかもしれません。被葬者は、弥生時代の塩崎ムラの戦士だったのか狩人だったのでしょうか。

塩崎遺跡群

2015年8月19日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(5)

7月はグラウンド西側の発掘調査をおこない、竪穴住居跡2軒を発見しました。

 

【竪穴住居跡の掘り下げ】

遺構を埋めている土を掘り下げて、遺物の出土状況を確認しています。

 

【遺物出土状態】

床面から伏せた状態でみつかったほぼ完形の鉢。弥生時代後期。

 

【完掘状態】

4本の主柱穴(ピンポールのさしてある穴)がみつかりました。

 

【空中写真撮影】

遺構のようすをラジコンヘリを使って空中から撮影しました。

短期大学上空から北方(三登山方面)を望む。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年8月19日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(3)

鐘鋳川(かないがわ)のすぐ北側の地区の発掘調査をおこない、古墳3基と古墳時代の竪穴住居跡2軒、溝跡が4条、土坑6基がみつかりました。

 

【古墳の調査】

古墳墳丘の周りに掘られた溝(周溝)からはたくさんの土器がみつかりました。

 

【古墳の溝からみつかった土器】

周溝の中から完全な形に近い高坏が置かれたような状態でみつかりました。高坏の中には東海地方でみられる鋸歯状の模様があるものもみつかっています。

 

【古墳の全景】

古墳の大きさは外径で約18mあります。大きさがわかるように作業員さんに立ってもらって撮影しました。

 

【古墳時代中期の竪穴住居跡】

竪穴住居跡は方形で一辺は約7mです。北側の壁の中央にはカマドが設けられていました。

床面からは滑石と考えられる石のかけらがたくさんみつかり、土ごと取り上げて洗ってみました。石製模造品の完成品、および未完成品がみつかりました。

 

【カマドの調査風景】

カマドからは完全な形に近い土器が出土しました。

また、カマドの中からは甕を支えるための土製の支脚もみつかっています。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年7月23日

ひんご遺跡 平成27年度調査情報(1)

7月1日に下水内郡栄村豊栄のひんご遺跡の発掘調査が始まりました。長野県埋蔵文化財センターの栄村での発掘調査は今回が初めてです。

 

【発掘調査始まる】

重機で表土を取り除いた後に、縄文時代後期の遺物包含層の掘削を始めました。

 

【ひんごの地層】

一番下の黒い地層から縄文時代後期の土器片等がたくさんみつかります。

その上の白っぽい層は砂や粘土が互層となる水成堆積層です。千曲川が運んできたのでしょうか。

 

【出土した縄文時代後期の土器1】

注口土器の取手部分の破片。渦巻き模様が描かれた立派な装飾が施されていました。

 

【出土した縄文時代後期の土器2】

浅い鉢形土器の口縁部破片。こちらも縁の内側に渦巻き模様が描かれています。

 

【敷き詰められた石の遺構】

縄文人が敷き詰めた石の遺構が出てきました。住居跡になるのか墓跡になるのか、早く全体を見てみたいです。

ひんご遺跡

2015年7月13日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(4)

6月は旧附属幼稚園北側とグランド南西部分の発掘調査をおこないました。竪穴住居跡が3軒と、土坑、溝跡がみつかりました。

 

【竪穴住居跡の検出】

旧附属幼稚園北側の調査では、長方形の黒い土の広がりがみつかりました。

 

【竪穴住居跡の掘り下げ】

埋めている土を掘り下げて形を出し、竪穴住居跡と判断しました。

 

【遺物出土状態】

竪穴住居跡の床面からは、たくさんの弥生時代後期の土器がみつかりました。

これは壺の口縁部分の破片です。赤く塗られていて、印象的です。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年6月9日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(3)

5月は旧附属幼稚園北側の発掘調査を行ないました。

 

【溝跡の調査】

まず溝跡を掘り下げていきます。

 

【溝跡の土器の精査】

溝跡から、まとまって土器がみつかりました。出土した土器を丁寧に掘り出します。

 

【土器出土】

小型丸底土器と呼ばれる壺の形をした小さな土器や、高坏(たかつき)などの破片が数多く出土していることがわかりました。古墳時代中期頃(1650年~1700年前頃)とみられる土器です。

 

【小型丸底土器】

ほぼ完形の小型丸底土器。お祭りなど儀式の時に用いられていたと考えられます。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年5月20日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(2)

長野県短期大学校内の幼稚園舎北側。テニスコート跡地の調査に入りました。

 

【表土の掘削】

テニスコートの表土を重機で掘り下げると、黒っぽい土がみえてきました。この土を注意しながら削っていきます。

 

【土器片の出土】

黒色土の中から、土器の破片が出てきました。このことから、黒色土は考古学で遺物包含層と呼ばれる土層と想定されます。慎重に調査を進めます。

 

【土層を記録する】

土層の堆積状態を記録するため、調査区境目の壁をきれいに削っていきます。

 

【遺構の検出】

人力で遺物を含む黒色土層を掘削して住居跡などの遺構を探します。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

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