【川田条里遺跡の発掘調査がはじまりました】
4月30日(水)から、長野市若穂川田地区で川田条里遺跡の発掘調査をおこなっています。この調査は、(仮称)若穂スマートインターチェンジ整備事業に先立っておこなうもので、今年度の調査は11月中旬まで、調査は来年度まで続く予定です。調査は㈱島田組に発掘作業支援業務を委託して実施しています。

令和7年度の発掘調査予定地
期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。
また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。
【川田条里遺跡ってどんな遺跡?】
川田条里遺跡は、以前から何度か発掘調査がおこなわれています。過去の調査成果を振り返りながら、川田条里遺跡とはどんな遺跡なのか、ご紹介します。
【上信越自動車道建設時 2000年前から続く水田跡】
1989~1990(平成元~2)年に長野県埋蔵文化財センターが上信越自動車建設事業に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期から近世まで各時期の水田跡が重なっていることを確認しました。
特に古墳時代と奈良時代の小区画水田と、奈良・平安時代の条里型水田の発見は、全国的にも注目されました。

みつかった奈良時代の水田跡
【川田保育園改築時 室町時代館跡に関係する工作遺構を発見】
1999(平成11)年、長野市教育委員会は、川田条里遺跡の範囲内に位置する川田氏館跡について、川田保育園(現、認定こども園川田)の改築工事に伴う発掘調査を実施し、15世紀後半の室町時代館跡に関係する工作遺構を発見しました。
【令和4年度調査 地層を抜き取って地下の水田を探る】
地下の状態を知るために、重機を使って地表下4mまで鉄製の枠を打ち込む地層抜き取り調査(ジオスライサー掘削法)を、合計41地点で実施しました。
その結果、今年度の調査区付近では、地表下4mまでの間に、古墳時代から奈良時代と考えられる水田面が少なくとも2面存在することがわかりました。

ジオスライサーの打ち込み作業
【令和5年度調査 鎌倉時代の建物跡や溝跡を発見】
調査区周辺の現在の地形は平坦ですが、過去は西(川田小学校側)から東(高速道側)に向かって傾斜し、その傾斜地から鎌倉時代の建物跡や溝跡がみつかりました。
みつかった建物跡は2棟で、その柱穴からは13世紀前半の鎌倉時代のカワラケ(小皿)が出土しています。また、これらの建物跡を取り囲むように溝跡がみつかったため、溝で区画された屋敷地であったと考えられます。

鎌倉時代の掘立柱建物跡
【さらにその下からは、古い畦畔の芯として使われた建築部材を発見】
鎌倉時代の屋敷地のさらに約20cm下から水田跡がみつかり、その畦畔(あぜ)には建物の部材が芯材として再利用されていました。
中には長さ4mにも及ぶ「造出柱」とよばれる高床建物に使う柱も使われていました。放射性炭素年代測定では今から約1500年前の古墳時代中期頃という結果が出ています。
川田周辺に高床建物が立ち並ぶムラが存在していたことは間違いありません。

長さ4mの「造出柱」
今年度の調査地点は、鎌倉時代の遺構と室町時代の遺構がみつかった、中間の部分にあたります。
どんな昔の川田の姿を見せてくれるのか。乞うご期待です。