5月に開始した今年度の調査も、12月18日に無事終了いたしました。発掘期間中の御協力ありがとうございました。冬季期間は出土した遺物や各種図面・写真の整理作業を長野市の埋文センターで行います。
また、令和7年の2月から3月にかけて、松本市キッセイ文化ホールにて今年度の調査成果の展示を予定しています。期間中には同ホールにて遺跡報告会も開催する予定です。詳細は当センターHPでご確認ください。皆様のお越しをお待ちいたしております。
【今年度の調査成果】
今年度は竪穴建物跡107軒、掘立柱建物跡5軒、溝跡4条、土坑135基を調査しました。南栗遺跡における過去の圃場整備や長野道整備に伴う調査成果を合計すると竪穴建物跡の軒数は525軒を数え、松本市内最大級の集落遺跡となります。時期は古墳時代後期~中世におよび、人々が何世代にも渡り、南栗の地に住み続けてきたことが明らかとなりました。

長野道の東側(1区):古墳時代後期中世の遺構
【奈良時代の集落を発見】
栗林神社の南側(3区)では平安時代の集落の真下から奈良時代の集落がみつかりました。竪穴建物跡の軒数は40軒以上あります。地層の観察により、奈良時代の人々が生活していた場所が洪水等で埋没した後に平安時代の人々が新たに集落を作ったことが分かりました。

栗林神社の南側(3区):奈良時代の遺構
【大形の掘立柱建物跡を発見】
長野道の東側(1区)では直径約100㎝、深さ60㎝もある柱穴が、方形に並ぶ範囲を検出しました。穴の中の土層には柱の周囲の土を何回も突き固めて重ねる版築工法が確認でき、奈良時代の所産と推測されます。本遺跡では過去の調査で奈良時代前半に大形の掘立柱建物跡が多くみつかっており、律令制度に関する何らかの公的機関が存在した可能性を示すものと考えられます。

大きな柱穴が方形に並ぶ掘立柱建物跡

掘立柱建物跡の想像図
飯田市教委2015 『「伊那郡衙」のとある一日』より引用

版築工法がみられる土層
【底の丸い須恵器が出土】
栗林神社の南側(3区)では古墳時代末~奈良時代初頭と推測される須恵器の坏が完全な形に近い状態で出土しました。この坏は底の内側が平らで外側が丸くなる特徴があります。
南栗遺跡の集落の開始は古墳時代後期と考えられています。3区で出土した資料は本遺跡の中でも古い時代の特徴を有しており、集落の成立時期や広がりを推測するのに大変重要です。

須恵器坏出土状況

底が丸いのが特徴
※号数は調査開始時からの通算