Research調査情報

2016年6月10日

「壁田(へきだ)城跡」報告書刊行しました

書名:琵琶島(びわじま)遺跡 壁田城跡 ねごや遺跡

副書名:一般県道豊田中野線建設事業埋蔵文化財発掘調査報告書―中野市―

シリーズ番号:112

刊行:2016年(平成28年)3月


 壁田城跡は千曲川右岸の丘陵上に立地します。トレンチ調査を行いましたが、中世および近世の山城にかかわる遺構・遺物は検出できませんでした。当初、中世山城に関連すると考えた平らな面は、桑や果樹を栽培するために造成した畑地であることが確認されました。



【調査区中央遠景】

今回の調査は、壁田城の本丸から南へ約650mの地点にトレンチを入れました。

【丘陵頂部のトレンチ】

丘陵頂部をほぼ南北に走るトレンチでは、固い地山層の上に表土層が堆積(たいせき)していました。


【斜面部のトレンチ】

丘陵東側斜面部には、何段かの平らな面はありましたが、すべて近・現代の桑畑等の畑地造成にかかわる跡と考えられます。


壁田城跡

2016年6月10日

「琵琶島(びわじま)遺跡」 報告書刊行しました

書名:琵琶島遺跡 壁田(へきだ)城跡 ねごや遺跡

副書名:一般県道豊田中野線建設事業埋蔵文化財発掘調査報告書-中野市-

シリーズ番号:112

刊行:2016年(平成28年)3月


 琵琶島遺跡は千曲川左岸の河岸段丘上に立地します。縄文時代草創期~後期前半、弥生時代中期後半、古墳時代前期~中期、平安時代の遺物が出土し、とくに弥生時代中期後半は栗林1式土器だけでした。栗林式土器のなかから、花序(かじょ:花のついた茎)で文様をつけた土器、破片の割れ口を再利用した土器片を抽出しました。

 

【琵琶島遺跡のかたち】

千曲川が最も大きく曲がる部分に遺跡は所在しています。河岸段丘上の遺構は、千曲川に沿う形で並んで見つかりました。



【周溝跡】

遺構では、竪穴(たてあな)住居跡2軒のほか、円形・馬蹄(ばてい)形の周溝跡3基を調査し、北陸地方との関係をつかむ要素が加わりました。

*解説

周溝跡は、中野市栗林遺跡、長野市松原遺跡等にも報告例がある「平地建物跡」(地表面と同じ高さの床面を持ち、周囲に溝が掘りこまれる特徴をもつ建物跡)に類似します。

【栗林式土器の壺】

琵琶島遺跡出土の遺物は、ほとんど弥生時代中期後半の栗林式土器です。完全な形に復元できる土器は多くありませんが、古い段階の栗林1式のほぼ単純型式の土器群です。

【ハンノキ属雄花序(ゆうかじょ)の冬芽の文様】

栗林1式土器の甕(かめ)・壺(つぼ)には、6種類の「刻み」文様がみられ、そのなかの5片の土器に「ハンノキ属雄花序の冬芽」を施した文様が見つかりました。(平成27年度整理情報(1)参照)


【ロクロガンナ出土!】

古墳時代中期の墓跡からは、県内で初めての「ロクロガンナ」が出土しました。木器の加工に使用したものと考えられます。(平成27年度整理情報(2)参照)

 

琵琶島遺跡

2016年6月1日

石川条里遺跡 平成28年度調査情報(2)

一番東側で、中世の遺構が集中して確認できる場所の調査が進み、大きな掘立柱(ほったてばしら)建物跡や畑の畝(うね)の痕跡、井戸跡、溝跡が見つかりました。


【石川条里東側(1a区)の調査風景】

いよいよ本格的な発掘作業の開始です。見つかったさまざまな遺構を掘り進めています。(東側から撮影)


 

【整然と並んだ畑の畝の痕跡】

長さ約10m、幅約50㎝で整然と並んでいます。

 



【大きな掘立柱建物跡】

掘立柱建物の構造は3間×7間で、大きさは約6m×約13mあります。柱を立てた穴のそばに、調査をしている作業員さんたちに立ってもらいました。これらの柱の穴を掘り進めていくと、中から礎盤石(そばんせき)が見つかりました。

 

【見つかった礎板】

穴の底に直径30cmほどの平らな石が見つかりました。この石の上に柱を据えたものと考えられます。この場所に、どんな目的で、どんな建物が建っていたのでしょうか。


石川条里遺跡

2016年6月1日

塩崎遺跡群 平成28年度調査情報(2)

検出作業が進むと、複数の溝跡が見つかりました。なかには、幅や深さが1m内外の溝跡もあります。水が流れた痕跡があるのかなど、さらに詳しく調べながら掘り進めています。溝跡のほかに、点在する竪穴(たてあな)住居跡、井戸跡、土坑(どこう)も見つかってきています。



【検出作業】

いよいよ本格的な発掘作業の開始です。

まずは、全員で遺構の検出作業をします。検出を進めると溝跡が見えてきました。
(写真左側に見える赤いラインは、検出された溝跡です。)


 

【幅の広い溝跡の掘り下げ】

上の写真とは別の幅の広い溝跡を掘り下げています。写真は、
断面がV字状になる溝跡上部を掘り下げたところです。溝跡の中央部には黒色土がたまっていて、更に深く掘りこまれていることがわかります。溝からは、弥生時代後期の遺物が出土しています。


塩崎遺跡群

2016年5月20日

浅川扇状地遺跡群(桐原地区) 平成28年度整理情報(1)

浅川扇状地遺跡群桐原では、調査を開始して6年目となりましたが、今年度は現地での発掘調査を中断して、本格整理作業を行っています。現在、発掘調査で作成した遺構図面を報告書用にデジタルトレスなどを行っています。

 

【遺構図のデジタルトレス】

発掘調査で記録してきた遺構図を報告書に掲載できるようにパソコンを使ってトレスして、その遺構図をページごとに割り付けていきます。


 

【遺構図版】

手書きの遺構断面図をデジタルトレスして、報告書用に版を組んでいきます。



【遺構写真の選び出し】

発掘調査で撮影した遺構写真のうち、報告書に掲載するものを選び出します。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2016年5月11日

「南大原遺跡」報告書刊行しました。

書名:中野市 南大原遺跡

副書名:一般県道三水中野線建設事業埋蔵文化財発掘調査報告書

シリーズ番号:長野県埋蔵文化財センター発掘報告書111

刊行:2016年3月

 

-長野県内最古 弥生時代中期後半の鍛冶遺構-

弥生時代中期後半の栗林式期の竪穴住居跡を中心とした集落跡で、弥生時代後期前葉の吉田式まで集落が継続したと考えられます。竪穴住居跡の他、掘立柱建物跡と礫床木棺墓、木棺墓、土器棺墓、自然流路などの弥生時代中期後半の遺構が見つかりました。

弥生時代中期後半の竪穴住居跡の床面に炉跡とは別に火床が確認されるものがあり、鍛冶関連の石製工具類と考えられる台石・敲石・砥石、粘土塊などの遺物が出土しました。

長野県では類例が少ない弥生時代中期の鉄斧が出土しており、南大原遺跡で鉄製品を加工する鍛冶が行われていた可能性があります。

 

【遺跡全景】

当地域の弥生時代中期後半の栗林式土器の標識遺跡の栗林遺跡と低地(旧千曲川河道)を挟んで南大原の集落が営まれていました。



【弥生時代の鉄斧】

中期後半の鉄斧1点のほかに鉄鏃1点、後期の鉄鏃2点が出土しました。




【鍛冶遺構と考えられる火床】

この竪穴住居跡では、炉とは異なる火床が3か所見つかりました。火床の近くから鉄斧が出土しています。



【鍛冶関連の石製工具類と粘土塊】

台石、敲石、砥石、粘土塊などのセットは鍛冶遺構が見つかる弥生時代の遺跡から出土している場合が多いです。特に粘土塊は、竹を使ったフイゴの送風口に巻いた粘土などであると考えられます(兵庫県淡路市五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡などの遺跡参照)。




【弥生時代中期後半の土器】

長野県の北信・東信を中心に発見される栗林式土器の中でも、後半の土器群がまとまって出土しました。中には、矢印を描いた土器が1点出土しました。

 



【矢印を描いた土器】
栗林式の壺形土器です。4か所に矢印が描かれています(矢印文)。矢印は鳥を示したものなどの説があります。解明されていない弥生時代の謎の一つです。



南大原遺跡

2016年5月10日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成28年度整理情報(1)

浅川扇状地遺跡群三輪では、今年度末の報告書刊行に向けて4月から本格整理作業を開始しました。現在、発掘調査で見つかった遺構や遺物を図化する作業を行っています。


【遺構図のデジタルトレス】
発掘で記録した遺構の平面図や断面図などを報告書に掲載できるように、パソコンを使ってトレスをしています。


【土器の実測】
古代の竪穴建物跡から見つかった土器を実測しているところです。立体的な土器を方眼紙上に実物大で投影していきます。形だけでなく模様など細かい部分も記録します。


【土器の模様】
弥生時代の竪穴建物跡から見つかった土器の口唇部(口元)に模様が見つかりました。縄ではなく、何かを押し当ててつけられた模様だと思われますが、どのような工具を使ったのかわかりません。ほかにも同様の模様がついた土器があるかどうか、注意深く観察していきたいと思います。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2016年4月28日

石川条里遺跡 平成28年度調査情報(1)

調査も4年目を迎え、今年から「塩崎(しおざき)遺跡群(いせきぐん)」の西側に隣接する「石川(いしかわ)条里(じょうり)遺跡(いせき)」を調査します。石川条里遺跡は、塩崎遺跡群に住んでいた人々の生活を支えた水田跡と予想されています。塩崎遺跡群は、弥生時代から平安時代にいたるまで多くの人々が住み続けた集落跡です。水田跡である石川条里遺跡の調査は、塩崎遺跡群を考えるうえでも重要な成果をもたらすものと期待されます。


【塩崎遺跡群・石川条里遺跡発掘調査開始式】

本年度4月より、塩崎遺跡群とその西側にある石川条里遺跡の発掘を開始しました。開始式のあと、いよいよ本格的に発掘調査が始まりました。発掘調査では作業員さん約60名、調査研究員8名で今年も発掘します。健康と安全に気をつけて、皆さんの手で埋もれている歴史を掘り起こしていきましょう。

【発掘調査に着手した石川条里遺跡の様子】

千曲川の洪水土砂で埋もれた遺跡の姿を徐々に掘り下げながら調べています。現在、おもに中世の時代(平安時代に起きた洪水の後)のものを調査しています。水田跡で知られている遺跡でしたが、掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が発見されています。

石川条里遺跡

2016年4月28日

塩崎遺跡群 平成28年度調査情報(1)

調査も4年目を迎え、今年は「塩崎(しおざき)遺跡群(いせきぐん)」とその西側の「石川(いしかわ)条里(じょうり)遺跡(いせき)」を調査します。
石川条里遺跡は、塩崎遺跡群に住んでいた人々の生活を支えた水田跡と予想されています。塩崎遺跡群は、弥生時代から平安時代にいたるまで多くの人々が住み続けた集落跡です。水田跡である石川条里遺跡の調査は、塩崎遺跡群を考えるうえでも重要な成果をもたらすものと期待されます。


【塩崎遺跡群・石川条里遺跡発掘調査開始式】

本年度4月より、塩崎遺跡群とその西側にある石川条里遺跡の発掘を開始しました。開始式のあと、いよいよ本格的に発掘調査が始まりました。発掘調査では作業員さん約60名、調査研究員8名で今年も発掘します。健康と安全に気をつけて、皆さんの手で埋もれている歴史を掘り起こしていきましょう。




【塩崎遺跡群・石川条里遺跡 遠景(東側より)】

塩崎遺跡群の西端にあたる石川条里遺跡に面する部分では、竪穴住居跡が少なくなっていることがわかりました。その一方でさまざまな時期の井戸跡がみつかり、低地寄りに多くの井戸が掘られていたことがわかりました。井戸はかんがい用・飲水用など集落にとって重要な意味があり、これからいつ使われたものなのかといったことを調査していきます。

 

 

 

 

 

 

 

塩崎遺跡群

2016年1月12日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(6)

4月から行ってきた発掘調査が11月末で終了しました。今年度の調査では、弥生時代後期から平安時代までの竪穴住居跡18軒や、古墳時代前期の墓跡3基、古墳時代から中世までの溝跡や土坑などが確認されました。なかでも3基並んでみつかった古墳時代前期の墓跡や、中期の竪穴住居跡から出土した石製模造品は、古墳時代の桐原地区の人びとの暮らしや他地域との交流を考える上で貴重な発見となりました。

 

【遺跡遠景(北側上空より)】

中央手前が今年度最後の調査地区。画面中央付近を斜めに横切るのが北長野通り。

 

【石製模造品】

古墳時代中期の竪穴住居跡の床面付近から、直径2㎜程の玉や鏡・勾玉などの形をした石製模造品(左上)と製作途中の玉類(左下)、製作中に出た滑石のかけら3,857点がみつかりました。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2016年1月8日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(8)

11月は、9月・10月に引き続き旧付属幼稚園園舎跡地の調査をおこない、4月から開始した長野県短期大学構内の発掘調査は、11月末をもって全て終了しました。今回の調査で、竪穴住居跡17軒、掘立柱建物跡1棟、墓跡3基、溝跡10条、土坑300基などや、同時期の土器や石器などの遺物(コンテナ約50箱)がみつかり、弥生時代後期や平安時代の集落跡であることがわかりました。

 

【弥生時代後期の竪穴住居跡】

住居の大きさは一辺約7m×5mで四隅の丸い長方形をしています。床面までの深さは調査面から約60cmほどあり、床面からは4本の主柱穴、棟持柱の穴、出入口施設に伴う穴、炉跡などが良好な状態で検出されました。

 

【床面でみつかった片口土器】

弥生時代後期の住居跡の床面でみつかった、ほぼ完全な形の片口土器です。現在のお椀に近いような形に注ぎ口をそなえています。

 

【平安時代の大きな溝跡】

5月に調査をおこなった北側から続いていて、ゆるやかに東西に蛇行しています。土器の破片や歯骨片、木製品が出土しました。

 

【調査区全景】

北西上空からみた調査区全景です。今後は、当センターで調査した遺構や出土した遺物の整理作業をおこないます。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年12月25日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(6)

今年4月に始まった調査は、11月30日(月)をもって無事に終了しました。今回は、調査終盤での成果とようすをお伝えします。

 

【弥生時代後期の溝】

調査区の南西端で弧状に巡る、断面V字形の溝が発見されました。ムラを区切る溝のようです。

 

【棒状鉄製品出土】

弥生時代後期~古墳時代初頭の墓穴から、長さ34cmほどの棒状鉄製品が出土しました。詳細については、今後調査します。

 

【弥生時代後期の大型竪穴住居跡】

長軸が11mもあり、大勢の人が集まるような特別な住居と思われます。

 

【今年度最後の空撮】

今年度の発掘では、竪穴住居跡226軒、墳墓33基、井戸61基を調査しました。冬期には、これらの遺構の記録や出土品の整理作業を行います。

塩崎遺跡群

2015年12月24日

ひんご遺跡 平成27年度調査情報(3)

11月13日に今年度の調査が終了となりました。

敷石住居跡3軒、竪穴住居跡18軒、配石遺構5基、粘土採掘坑1基、土坑167基、土器集中11カ所、焼土跡5カ所と多くの遺構が発見され、これまで知られていなかった縄文時代後期の集落跡の存在が明らかとなりました。

発掘調査は来年度もおこなわれる予定で、さらなる発見も期待できます。

 

【竪穴住居跡】

縄文時代後期の竪穴住居跡です。掘り込みが1m以上と深く、中央には石組の炉がみつかりました。

 

【石を込めた柱穴跡】

地面に穴を掘り、石を込めた中央に柱を立てた跡が複数みつかりました。建物があったかはっきりしませんが、かなり大きな石が使われてます。

 

【粘土採掘坑】

粘土を採掘した跡がみつかりました。

 

【調査区遠景(東より)】

縄文時代の地層まで掘り下げると、画像左にある千曲川に下る斜面が姿を現します。この斜面の落ち際から竪穴住居跡や土坑がみつかりました。来年度は画像奥の黄色い重機の下を調査する予定です。

ひんご遺跡

2015年11月30日

琵琶島遺跡 平成27年度整理情報(2)

―報告書作成も終盤戦に突入!―

年度末の報告書刊行にむけて、遺跡のまとめ作業も佳境に入ってきています。ねごや遺跡の発掘調査も10月末で終了し、壁田城跡と併せて3遺跡を1冊の報告書にまとめます。ここでは、整理作業を行うなかでわかってきた2つの遺物の情報をお伝えします。

 

【土器片のリサイクル】

栗林式の壺破片の1か所に磨痕が観察できました。壺の胴部破片の1側面を横方向に磨っています。出土した多くの土器片のなかから、磨痕がある壺の胴部破片3点と片口鉢の口縁部破片1点をみつけました。

 

【土器器面調整具】

破片は、指で摘まむのに適当な大きさであること、横方向の磨痕が残存すること、磨痕面がやや湾曲しているという特徴があります。これらのことから、破片を工具と仮定した場合、身近な対象としては、土器の器面を平滑にするための道具が考えられそうです。

 

【県内初出、古墳時代中期のロクロガンナ】

本例は、先端の形、柄(身)の長さ、幅から「ロクロガンナ」の可能性が高い製品です。木工用「ロクロ」は、弥生時代から使用されていたと考えられています。古墳時代には確実にその仕掛けはあり、木地を削る工具として「ロクロガンナ」が使用されていました。西日本には出土例が確認されていますが、長野県内では初出です。この発見により、古墳時代中期には、ロクロを使用した木工技術が長野県北部に存在した根拠が高まりました。長さは28.5cmあります。

琵琶島遺跡

2015年11月10日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(7)

9月、10月は旧付属幼稚園園舎の跡地を調査しました。弥生時代の竪穴住居跡1軒、墓跡1基、掘立柱建物跡1棟、平安時代の竪穴住居跡5軒などがみつかりました。また5、6月の園舎北側の調査でみつかっていた古墳時代や古代の溝跡の続きもみつかりました。

 

【平安時代の竪穴住居跡】

カマドは北東の壁中央(写真左側)にあります。埋土の中からは甕などたくさんの土器片がみつかり、中には完全な形をした坏が3枚重なった状態のものもありました。

 

【弥生時代の墓跡】

2つめの土器棺墓がみつかりました。以前みつかったものは直径約80cmありましたが、今回は約30cm程度で甕を使用しています。土器の大きさの違いはどんな理由なのでしょうか。

 

【古墳時代の溝跡】

以前は完形に近い小型丸底土器がみつかりましたが、今回は土器片だけでした。

 

【古代の溝跡】

ゆるやかに蛇行しているようすが検出でわかりました。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

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