Research調査情報

2015年6月8日

鬼釜遺跡 平成27年度整理情報(1)

飯喬道路建設に伴う発掘調査で出土した鬼釜遺跡・風張遺跡・神之峯城跡の遺構・遺物の詳しい内容をまとめる作業が進んでいます。今年度末の報告書刊行を目指し、スタッフが様々な作業を分担して進めています。

 

【遺構のトレース】

遺構の平面図や断面図はパソコンを使ったデジタルトレースで仕上げます。遺構の重なりや土の堆積の状況をていねいに描き込んでいきます。

 

【土器の計量】

遺構のどの地点からどんな遺物がどのくらいの量出土したのかをまとめるため、観察の後、重量を測定しています。鬼釜古墳の周溝では、北側に6世紀前半の土器が、南側に6世紀末~7世紀の土器がまとまって出土しているようです。


 

【縄文土器のトレース】

鬼釜遺跡では縄文時代の住居跡や土器捨て場がみつかり、中期後葉の土器が多数出土しました。整理作業のなかで、下伊那地域特有の唐草文系土器(下伊那タイプ)と、東海地方に分布する中富(なかとみ)式土器の影響を受けたと考えられる土器とが、最も多く出土していたことがわかりました。このことは天竜川西岸にある同時期の遺跡と共通します。

現在、土器の実測図をもとに、文様などの表現を工夫しながらていねいにトレース中です。

鬼釜遺跡・鬼釜古墳

2015年5月21日

出川南遺跡 平成27年度調査情報(1)

地表下約80cmの深さにある第1調査面の調査を終了し、現在、第2調査面の調査を行っています。

 

【第1調査面全景(北東から)】

長さ約22m、幅約7mの調査区。向かって左の東側からは、柱跡と推定される穴が検出され、ほぼ中央にある溝跡から西側では、小さな穴や凹凸がみつかりました。

 

【第1調査面東側の柱穴など】

直径10~15cm程の丸い穴が、東西・南北に並んでいます。掘立柱建物跡の柱穴と考えられます。時期を示す焼き物などがありませんが、遺構の形状やこれまでの調査から、中世頃の遺構と推定されます。

竪穴状遺構、溝跡、耕作痕の可能性がある凹凸などもみつかりました。

 

【古墳時代後期竪穴状遺構】

第1調査面の約20cm下から、古墳時代後期の土器が入った竪穴状遺構がみつかりました。遺構は東西約1.5m、南北2m以上の隅丸長方形で、深さは15cmほどです。土器は壺形の須恵器と考えられます。平成26年度調査地点では、古墳時代後期の遺構・遺物はみつかっていませんが、松本市教育委員会による発掘調査では、隣接地で多くの竪穴住居跡がみつかっています。

出川南遺跡

2015年5月20日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(2)

長野県短期大学校内の幼稚園舎北側。テニスコート跡地の調査に入りました。

 

【表土の掘削】

テニスコートの表土を重機で掘り下げると、黒っぽい土がみえてきました。この土を注意しながら削っていきます。

 

【土器片の出土】

黒色土の中から、土器の破片が出てきました。このことから、黒色土は考古学で遺物包含層と呼ばれる土層と想定されます。慎重に調査を進めます。

 

【土層を記録する】

土層の堆積状態を記録するため、調査区境目の壁をきれいに削っていきます。

 

【遺構の検出】

人力で遺物を含む黒色土層を掘削して住居跡などの遺構を探します。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年5月19日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(2)

【調査区全景】

北長野通りに近い場所の調査にはいりました。

写真中央のマンション手前が北長野通り、写真の下側が調査区です。


 

【古墳時代の土坑の調査】

第2面では、土坑の調査を進めています。穴の中を半分ほど掘って土の埋没状況を確認します。埋没過程を丹念に調べることで、土坑の性格にせまる情報をひき出します。

 

【調査のようす】

古墳時代の土坑群の写真撮影の為に清掃をしています。

土坑を調査した結果、柱穴の可能性が高いと判断できましたが、建物の全体像をつかむことはできませんでした。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年5月19日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(2)

【墓群】

塩崎遺跡群の東側の調査区(1区)からは、お墓の底やまわりにこぶし大の石を敷き詰めた弥生時代の木棺墓(もっかんぼ)、土器に骨を入れて埋葬した土器棺墓(どきかんぼ)、土坑墓(どこうぼ:はかあな)といったお墓がいくつも出土しています。

 

【木棺墓】

骨や緑色のきれいな管玉(2点)がお墓の底から出土した木棺墓もありました。(矢印が管玉)

 

【専門家の視察】

貴重な資料ということで、長野市埋蔵文化財センターのみなさんも視察に来られました。専門家の見学に、センター職員の説明にも熱がはいります。


塩崎遺跡群

2015年5月1日

琵琶島遺跡 平成27年度整理情報(1)

―弥生土器を観察する―

平成27年度は、昨年に発掘調査した壁田城跡と合わせて、琵琶島遺跡の本格整理作業を継続して行います。報告書刊行にむけて、スタッフ一同頑張っています。今回は、主に昨年度の成果の一端をお知らせします。

 

【琵琶島遺跡出土の壺形土器】

弥生時代中期後半の栗林式土器が多く出土しています。そのなかでも文様が口縁部から胴部まで隙間なく施される古い段階が主体です。

 

【弥生甕のつぶつぶ文様の正体】

栗林式の甕胴部にみられる、連続的な刻み状の文様のレプリカを作成し、顕微鏡で観察して、使用された施文具を分析しました。顕微鏡観察の結果、細かな粒状の痕がギッシリと詰まった文様は、当初予想の「廉状(れんじょう)工具の先端の圧痕(あっこん)」ではなく、「ハンノキ属(ぞく)雄花序(ゆうかじょ)の冬芽の圧痕」であった可能性が高くなってきました。当時の植生、自然環境も含めて分析結果を報告書に盛り込んでいく予定です。

写真は、文様のアップと現生ケヤマハンノキ雄花序の冬芽、およびその圧痕レプリカ。


【弥生甕のギザギザ文様の正体】

もう一つの文様は、当初の予想では「柾目の小口痕?」でしたが、分析の結果、「軸に紐を右回転で巻きつけた工具」と報告されました。弥生土器に一般的につけられている「縄文」とは違う工具が用いられていたということでしょうか?

写真は、文様のアップと、圧痕レプリカ、およびその走査型電子顕微鏡写真。

琵琶島遺跡

2015年5月1日

龍源寺跡 平成27年度調査情報(1)

【作業開始式の様子】

4月17日に作業員開始式を行い、いよいよ発掘作業が本格化しました。

遺跡は、神之峯城主の知久(ちく)氏がつくった18箇所の寺院のひとつである龍源寺の推定地とされています。

 

【調査区全景】

調査区は北西方向に開け、尾根に囲まれた小さな谷の中です。現在、試掘調査を進め、土の堆積状況の観察などを行っています。

 

龍源寺跡

2015年5月1日

南大原遺跡 平成27年度整理情報(1)

平成27年度の整理作業を開始しました。

昨年度から本格整理を始め、本年度は報告書刊行を予定しています。発掘調査では弥生時代中期後半と弥生時代後期(約2,000年前~約1,800年前)の集落跡やお墓がみつかっています。昨年度の整理作業で弥生時代の鉄器に関わる以下2つの新たな発見がありました。

①弥生時代中期の鉄の加工を行う鍛冶関連と推定される遺物などが確認されました。長野県内では、弥生時代の鍛冶関連遺物・遺構はこの発見以前は確認されていなかったため、重要な発見になります。

②弥生時代の鉄器としては、発掘調査では鉄斧1点と鉄鏃1点が確認されていましたが、新たに鉄鏃の破片と考えられるものが2点みつかりました。

 

【弥生時代の鉄器1】

発掘調査でみつかった鉄斧と鉄鏃の写真とそれぞれのX線写真です。鉄斧(上)は弥生時代中期後半、鉄鏃(下)は弥生時代後期にあたり、特に鉄斧は長野県で最古級の鉄器の一つです。

 

【弥生時代の鉄器2】

新たに確認された鉄鏃の破片です。

 

【鍛冶遺構の可能性がある焼土】

竪穴住居跡床面で確認された焼土。竪穴住居内には炉跡以外に複数の焼土が確認されました。

 

【台石、敲石、砥石と粘土塊】

台石、敲石、砥石が多数出土しており、鍛冶関連の工具類と推定しています。用途不明の粘土塊も複数出土しており、鍛冶関連の遺物の可能性があります。



 

【五斗長垣内遺跡】

弥生時代後期の鍛冶関連施設と関連遺物が多数発見され、国の史跡に指定された兵庫県淡路市の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡があります。南大原遺跡と類似した敲石や台石が出土しており、今後比較研究をすすめていく必要があります。

 

【H27年度の整理作業開始】

土器を並べて、土器の胎土(土器を作った土)や文様、籾などの種子圧痕を観察、分類して、写真で記録する作業をしています。土器の表面にいろいろな植物の痕跡が見つかってきました。次回は、その報告をします。

南大原遺跡

2015年4月28日

「西近津遺跡群」報告書刊行しました。

書 名:佐久市 西近津遺跡群

副書名:中部横断自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書2 -佐久市内2- 
シリーズ番号:104

刊行:2015年(平成27年)3月



中部横断自動車道建設に伴う西近津遺跡群の発掘調査報告書を刊行しました。遺跡は浅間山麓に形成された田切地形の末端近く、標高705~711mの台地上に立地します。表土は薄く、現旧耕作土下の同一面上で、縄文時代から中世鎌倉時代までの遺構を検出しました。発見された遺構・遺物は多岐にわたり、地域史における新資料を提示できました。


【国内最大級の竪穴住居跡の発見】

弥生時代後期の集落は佐久地域で最大規模と分かりました。全長18mを測る国内最大級の超大型竪穴住居跡の発見は、高度な建築技術を基礎として計画的な集落形成と運営が行われていたことを教えてくれます。


 

【文字の記された土器】

古墳時代後期以降、集落は台地全体に広がり奈良時代、平安時代まで継続していました。集落の構成主体は竪穴住居跡と掘立柱建物跡です。

出土遺物は金属製品が増加し、銭貨、文具、武具、農具、工具など多岐にわたります。
特に平安時代には有力者の象徴である銅印(青銅製の四文字私印)、鉄製の焼印が出土し、文字の記された土器も多数発見されました。「美濃国」刻印須恵器、「郡」ヘラ書須恵器、「大井寺」墨書土師器、「大井」ヘラ書・墨書須恵器・土師器といった国名や郡郷などに関わる文字のほか、出土遺物からは、本跡が郡家や郡寺が設置された古代佐久郡の中心地に近い可能性がより濃厚となってきました。

現在は判読できない特殊文字を記した墨書土器も発見されました

特殊文字を記した土器や焼印は、地方社会における文字を用いた儀礼行為の具体例を示す良い例と考えられます。



【出土した牛馬の骨】

平安時代後期以降、集落は途絶え計画的な溝跡で区画する新たな土地利用がはじまります。溝内には解体廃棄された牛馬の骨が多数発見され、その分析から当地の牛馬利用の実際が見えてきました。


西近津遺跡群

2015年4月22日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(1)

【平成27年度開始式】

本年度も4月から、塩崎遺跡群の発掘を開始しました。開始式の会場は熱気でムンムンしていました。苦もあり、楽しみもある発掘調査ですが、まずは、健康と安全に気をつけてとの話が調査部長からありました。

 

【早速、発掘に邁進!】

昨年度からの続きを早速、発掘調査しています。本年度も貴重な遺構や遺物の出土が期待されていて、調査に携わっている人たちの胸も高鳴っています。(画像は2-2区)

 

【古代の円面硯が出土】

円面硯(えんめんけん:上から見ると円形のすずり)が竪穴住居跡から出土しました。昨年度から合わせると3点目になります。役所や寺院でしか使われなかったと言われる貴重な焼き物です。不思議なことに墨をする部分がデコボコしており、未使用だったのかもしれません。


塩崎遺跡群

2015年4月22日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(1)

長野県短期大学の校庭及び附属の幼稚園跡地に新県立大学の校舎を建設します。これに伴い浅川扇状地遺跡群の発掘調査を4月から開始しました。

 

【試掘調査の開始】

現在の校庭は、かつて短期大学の校舎が建っていた場所です。遺跡に関わる遺構や遺物は存在しないか、存在していたとしても、すでに破壊されていると考えられていました。今回、発掘調査を開始するにあたり、そのことを確認するため、試掘調査をまず実施しました。


【東西方向のトレンチ】

校庭内の南側を東西方向にトレンチ掘りをしました。遺物や遺構は認められませんでした。この場所は過去の工事で破壊を受けているというよりも、遺構がない部分であることがわかりました。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年4月22日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度整理情報(1)

本年度から整理作業を本格的に開始しました。

 

【整理作業のようす】

出土した土器の接合・復元、さらには発掘作業で作成した図面等の修正作業をまずは行っていきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年4月22日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(1)

平成27年度は調査地の最南端を発掘します。小さな土地の区画をひとつひとつ発掘する地道な調査が再開します。本年度は調査研究員3名、発掘作業員30名程度で調査を進めます。ご協力のほど、よろしくお願いします。

 

【調査開始、遺跡をさがせ】

調査開始。みんな一列になって遺構の検出に取り組んでいます。「土の色の違いに気をつけて。なにか出たら知らせてね。」と調査研究員の指示の声が聞こえるようです。

 

【大形の土器破片を発見】

さっそく、土器が出土しました。古墳時代の高坏(たかつき)の大形破片です。ていねいに全体の形を出していきます。

 

【出土位置を記録】

高坏の大形破片は住居跡などの遺構内ではなく、遺物を含む土層から出土しています。念のため出土位置はしっかりと記録しておきます。

 

【溝跡を確認】

遺構の検出作業を進めているうちに、溝跡の一部と考えられる黒色土の落ち込みを確認しました。慎重に調査していきましょう。

 

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年1月6日

洞源遺跡 平成26年度調査情報(3)

-洞源遺跡の調査が終了しました-

昨年度・本年度と2年にわたった調査が、本年11月6日をもって終了しました。佐久地域では初となる製鉄炉が発見され、最終的に検出された遺構は、平安時代後期の製鉄炉3基、焼土跡4基、土坑1基、火床を伴う作業場1軒、中世の土坑1基でした。佐久地域における鉄生産のあり方を考える上で、大変貴重な発見になりました。

 

【洞源遺跡遠景】

西側上空から見た遺跡のようすです。

 

【製鉄炉跡の実測】

長さや幅、深さを測って、図面用紙に記録していきます。調査区は傾斜があり、製鉄炉跡上部と下部とでは約30cmの高低差があります。

 

【製鉄炉跡】

全長170cm、幅80cm、深さ15cmほどの製鉄炉跡です。炭化物の粒子を多く含み、鞴(ふいご)の羽口片や鉄滓(てっさい)が炉内から見つかりました。

洞源遺跡

2014年12月15日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(6)

塩崎遺跡群では、今年2回目の空撮を行いました。発掘調査が終盤を迎えようとする中で、調査区東側(市道32253号線東側)の1-2区では礫床木棺墓が多数発見されました。また、調査区西側(同上市道西側)の2-2区でも竪穴住居跡が幾重にも重なる状態で確認されています。

【第2回目の空撮を終える】
11月11日に、調査区東側1-2区の空撮を行いました。これまでに、弥生時代中期から平安時代、中世までの竪穴住居跡や溝跡、土坑が多数発見されています。

 

 

 

 

 

 

【古代の墓を調査中】
1-2区では、弥生時代中期の礫床木棺墓の調査を行っています。礫床木棺墓からは、人間の歯や骨のほかに、約20点以上出土した管玉とほぼ完全な形の弥生時代中期の土器などが発見され注目されます。

 

 

 

 

 

 

【複雑に重複する遺構】
9月中旬より2-1区からその南側に接する2-2区に調査の中心が移っています。2-2区では、竪穴住居跡が60軒ほど発見されています。これらの竪穴住居跡は、弥生時代中期から平安時代にかけてのものと思われ、いずれの遺構も複雑に重複しています。

塩崎遺跡群

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