Research調査情報

2015年5月1日

南大原遺跡 平成27年度整理情報(1)

平成27年度の整理作業を開始しました。

昨年度から本格整理を始め、本年度は報告書刊行を予定しています。発掘調査では弥生時代中期後半と弥生時代後期(約2,000年前~約1,800年前)の集落跡やお墓がみつかっています。昨年度の整理作業で弥生時代の鉄器に関わる以下2つの新たな発見がありました。

①弥生時代中期の鉄の加工を行う鍛冶関連と推定される遺物などが確認されました。長野県内では、弥生時代の鍛冶関連遺物・遺構はこの発見以前は確認されていなかったため、重要な発見になります。

②弥生時代の鉄器としては、発掘調査では鉄斧1点と鉄鏃1点が確認されていましたが、新たに鉄鏃の破片と考えられるものが2点みつかりました。

 

【弥生時代の鉄器1】

発掘調査でみつかった鉄斧と鉄鏃の写真とそれぞれのX線写真です。鉄斧(上)は弥生時代中期後半、鉄鏃(下)は弥生時代後期にあたり、特に鉄斧は長野県で最古級の鉄器の一つです。

 

【弥生時代の鉄器2】

新たに確認された鉄鏃の破片です。

 

【鍛冶遺構の可能性がある焼土】

竪穴住居跡床面で確認された焼土。竪穴住居内には炉跡以外に複数の焼土が確認されました。

 

【台石、敲石、砥石と粘土塊】

台石、敲石、砥石が多数出土しており、鍛冶関連の工具類と推定しています。用途不明の粘土塊も複数出土しており、鍛冶関連の遺物の可能性があります。



 

【五斗長垣内遺跡】

弥生時代後期の鍛冶関連施設と関連遺物が多数発見され、国の史跡に指定された兵庫県淡路市の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡があります。南大原遺跡と類似した敲石や台石が出土しており、今後比較研究をすすめていく必要があります。

 

【H27年度の整理作業開始】

土器を並べて、土器の胎土(土器を作った土)や文様、籾などの種子圧痕を観察、分類して、写真で記録する作業をしています。土器の表面にいろいろな植物の痕跡が見つかってきました。次回は、その報告をします。

南大原遺跡

2015年4月28日

「西近津遺跡群」報告書刊行しました。

書 名:佐久市 西近津遺跡群

副書名:中部横断自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書2 -佐久市内2- 
シリーズ番号:104

刊行:2015年(平成27年)3月



中部横断自動車道建設に伴う西近津遺跡群の発掘調査報告書を刊行しました。遺跡は浅間山麓に形成された田切地形の末端近く、標高705~711mの台地上に立地します。表土は薄く、現旧耕作土下の同一面上で、縄文時代から中世鎌倉時代までの遺構を検出しました。発見された遺構・遺物は多岐にわたり、地域史における新資料を提示できました。


【国内最大級の竪穴住居跡の発見】

弥生時代後期の集落は佐久地域で最大規模と分かりました。全長18mを測る国内最大級の超大型竪穴住居跡の発見は、高度な建築技術を基礎として計画的な集落形成と運営が行われていたことを教えてくれます。


 

【文字の記された土器】

古墳時代後期以降、集落は台地全体に広がり奈良時代、平安時代まで継続していました。集落の構成主体は竪穴住居跡と掘立柱建物跡です。

出土遺物は金属製品が増加し、銭貨、文具、武具、農具、工具など多岐にわたります。
特に平安時代には有力者の象徴である銅印(青銅製の四文字私印)、鉄製の焼印が出土し、文字の記された土器も多数発見されました。「美濃国」刻印須恵器、「郡」ヘラ書須恵器、「大井寺」墨書土師器、「大井」ヘラ書・墨書須恵器・土師器といった国名や郡郷などに関わる文字のほか、出土遺物からは、本跡が郡家や郡寺が設置された古代佐久郡の中心地に近い可能性がより濃厚となってきました。

現在は判読できない特殊文字を記した墨書土器も発見されました

特殊文字を記した土器や焼印は、地方社会における文字を用いた儀礼行為の具体例を示す良い例と考えられます。



【出土した牛馬の骨】

平安時代後期以降、集落は途絶え計画的な溝跡で区画する新たな土地利用がはじまります。溝内には解体廃棄された牛馬の骨が多数発見され、その分析から当地の牛馬利用の実際が見えてきました。


西近津遺跡群

2015年4月22日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(1)

【平成27年度開始式】

本年度も4月から、塩崎遺跡群の発掘を開始しました。開始式の会場は熱気でムンムンしていました。苦もあり、楽しみもある発掘調査ですが、まずは、健康と安全に気をつけてとの話が調査部長からありました。

 

【早速、発掘に邁進!】

昨年度からの続きを早速、発掘調査しています。本年度も貴重な遺構や遺物の出土が期待されていて、調査に携わっている人たちの胸も高鳴っています。(画像は2-2区)

 

【古代の円面硯が出土】

円面硯(えんめんけん:上から見ると円形のすずり)が竪穴住居跡から出土しました。昨年度から合わせると3点目になります。役所や寺院でしか使われなかったと言われる貴重な焼き物です。不思議なことに墨をする部分がデコボコしており、未使用だったのかもしれません。


塩崎遺跡群

2015年4月22日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(1)

長野県短期大学の校庭及び附属の幼稚園跡地に新県立大学の校舎を建設します。これに伴い浅川扇状地遺跡群の発掘調査を4月から開始しました。

 

【試掘調査の開始】

現在の校庭は、かつて短期大学の校舎が建っていた場所です。遺跡に関わる遺構や遺物は存在しないか、存在していたとしても、すでに破壊されていると考えられていました。今回、発掘調査を開始するにあたり、そのことを確認するため、試掘調査をまず実施しました。


【東西方向のトレンチ】

校庭内の南側を東西方向にトレンチ掘りをしました。遺物や遺構は認められませんでした。この場所は過去の工事で破壊を受けているというよりも、遺構がない部分であることがわかりました。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年4月22日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度整理情報(1)

本年度から整理作業を本格的に開始しました。

 

【整理作業のようす】

出土した土器の接合・復元、さらには発掘作業で作成した図面等の修正作業をまずは行っていきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年4月22日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(1)

平成27年度は調査地の最南端を発掘します。小さな土地の区画をひとつひとつ発掘する地道な調査が再開します。本年度は調査研究員3名、発掘作業員30名程度で調査を進めます。ご協力のほど、よろしくお願いします。

 

【調査開始、遺跡をさがせ】

調査開始。みんな一列になって遺構の検出に取り組んでいます。「土の色の違いに気をつけて。なにか出たら知らせてね。」と調査研究員の指示の声が聞こえるようです。

 

【大形の土器破片を発見】

さっそく、土器が出土しました。古墳時代の高坏(たかつき)の大形破片です。ていねいに全体の形を出していきます。

 

【出土位置を記録】

高坏の大形破片は住居跡などの遺構内ではなく、遺物を含む土層から出土しています。念のため出土位置はしっかりと記録しておきます。

 

【溝跡を確認】

遺構の検出作業を進めているうちに、溝跡の一部と考えられる黒色土の落ち込みを確認しました。慎重に調査していきましょう。

 

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年1月6日

洞源遺跡 平成26年度調査情報(3)

-洞源遺跡の調査が終了しました-

昨年度・本年度と2年にわたった調査が、本年11月6日をもって終了しました。佐久地域では初となる製鉄炉が発見され、最終的に検出された遺構は、平安時代後期の製鉄炉3基、焼土跡4基、土坑1基、火床を伴う作業場1軒、中世の土坑1基でした。佐久地域における鉄生産のあり方を考える上で、大変貴重な発見になりました。

 

【洞源遺跡遠景】

西側上空から見た遺跡のようすです。

 

【製鉄炉跡の実測】

長さや幅、深さを測って、図面用紙に記録していきます。調査区は傾斜があり、製鉄炉跡上部と下部とでは約30cmの高低差があります。

 

【製鉄炉跡】

全長170cm、幅80cm、深さ15cmほどの製鉄炉跡です。炭化物の粒子を多く含み、鞴(ふいご)の羽口片や鉄滓(てっさい)が炉内から見つかりました。

洞源遺跡

2014年12月15日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(6)

塩崎遺跡群では、今年2回目の空撮を行いました。発掘調査が終盤を迎えようとする中で、調査区東側(市道32253号線東側)の1-2区では礫床木棺墓が多数発見されました。また、調査区西側(同上市道西側)の2-2区でも竪穴住居跡が幾重にも重なる状態で確認されています。

【第2回目の空撮を終える】
11月11日に、調査区東側1-2区の空撮を行いました。これまでに、弥生時代中期から平安時代、中世までの竪穴住居跡や溝跡、土坑が多数発見されています。

 

 

 

 

 

 

【古代の墓を調査中】
1-2区では、弥生時代中期の礫床木棺墓の調査を行っています。礫床木棺墓からは、人間の歯や骨のほかに、約20点以上出土した管玉とほぼ完全な形の弥生時代中期の土器などが発見され注目されます。

 

 

 

 

 

 

【複雑に重複する遺構】
9月中旬より2-1区からその南側に接する2-2区に調査の中心が移っています。2-2区では、竪穴住居跡が60軒ほど発見されています。これらの竪穴住居跡は、弥生時代中期から平安時代にかけてのものと思われ、いずれの遺構も複雑に重複しています。

塩崎遺跡群

2014年11月27日

新城峰遺跡 平成26年度調査情報(2)

-新城峰遺跡の調査が終了しました-

新城峰遺跡の発掘調査が11月に終了しました。当初、山城跡と考えられていた新城峰遺跡でしたが、今回の発掘調査では山城に関連するような遺構はみつかりませんでした。しかし竪穴建物跡や掘立柱建物跡、また多くの中世の土器などがみつかり、中世集落の遺跡だということがわかりました。当時の山間部など傾斜地の利用方法を考える上で貴重な成果になりました。

 

【新城峰遺跡遠景】

東側上空からみた遺跡のようすです。

 

【竪穴建物跡の調査】

土の色の違いに気をつけながら調査しています。西日が直接当たると土の色がみえにくくなるので一輪車で影をつくりながら掘り下げています。

 

【中世の土器】

内耳鍋とよばれる煮炊き用の鍋の破片が多くみつかりました。

 

 

 

 

新城峰遺跡

2014年11月12日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(6)

-市街地に眠る古代の遺跡-

4月から始まった平成26年度の発掘調査も、残すところ1か月となりました。10月末で今年度予定していた桐原地区の調査が終了し、11月4日より吉田田町地区、長野電鉄長野線立体交差工事エリア内の調査を開始しました。中世以降の生活面と、弥生時代~古代の2面の調査を予定しています。

 

【平安時代の竪穴住居跡調査風景】

住宅街での発掘調査は大変です。現代の下水道管などと同じ深さで平安時代の竪穴住居跡もみつかります。

 

【吉田田町地区調査風景】

幅約2m長さ約16mの狭い地区ですが、平安時代竪穴住居跡の一部が検出されました。

 

【平安時代の竪穴住居跡から出土した土師器(甕)】

竪穴住居跡の壁際から、完全な形に近い小形の甕がみつかりました。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年10月27日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(5)

塩崎遺跡群では、9月中旬より、これまで調査してきた地区(2-1区)の南側の表土を掘削し、新しく調査区(2-2区)を設定し、発掘調査を開始しました。今までの調査区同様、多くの竪穴住居跡や土坑が検出されています。

 

【新たな調査区の発掘調査開始】

遺構検出をおこなったところ、竪穴住居跡が60軒程度あると予測され、今までの調査区同様に遺構の密度が大変高いことがわかりました。現在、約10軒の調査を進めています。

 

【古代の墓】

2-2区では、長方形(長さ1.4×幅0.8m)の土坑(SK2242)から人骨が出土しました。南東部から歯が出土しています(矢印)。2-2区の東隅では、同様に長方形で、長軸が南東-北西方向の土坑が4基見つかっています。それぞれ、副葬品は今のところありませんが、歯や土器片が出土しており、古代の墓と考えられます。

 

【土錘がまとまって出土】

2-1区の奈良時代の竪穴住居跡(SB2079)から焼き物の漁網のおもりである土錘(どすい)が6点出土しました。塩崎遺跡群発見のムラは、千曲川に近い立地でありながら、土錘の出土は今まであまりありませんでした。今回の出土資料から、古代の漁撈について考えることができるようになりました。

塩崎遺跡群

2014年10月10日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(4)

塩崎遺跡群の第1回空撮を行いました。今後、昨年度調査した地区の北側と2-1区の南側の調査がさらに続きます。密度が高い遺構の調査が続いています。また、現地説明会、大学生のインターンシップ、小学生の見学など、多くの普及啓発活動も8月から9月にかけて行われました。

 

【塩崎遺跡群の空撮無事終了する】

塩崎遺跡群では、8月6日に本年度の調査区の西側(2-1区)の空撮を行いました。これまで、弥生時代中期から中世に至る時期の竪穴住居跡・溝跡・墓などの発掘をすすめてきました。小形勾玉や管玉、各時期の土器などがたくさん出土しました。

 

【千曲川沿いにならぶ古墳の発掘】

昨年度の調査に引き続き、調査地区東側で千曲川よりの場所からは古墳時代中期(今から約1,500年前)の古墳がみつかりました。古墳の周溝からは、たくさんの土器が出土しました。その中には、焼く前に底に穴を空けた土器があり、その用途などが注目されます。

 

【役人の存在を示す奈良時代の硯(すずり)】

奈良時代の竪穴住居跡からは、円面硯(えんめんけん)や中が空洞になっている中空円面硯(ちゅうくうえんめんけん)(左写真)と呼ばれる珍しい硯が出土しました。

 

塩崎遺跡群

2014年10月3日

海岸寺遺跡 平成26年度調査情報(1)

海岸寺遺跡の発掘調査が始まりました。昨年度の調査では、平安時代の竪穴住居跡や、江戸時代の埋葬された人骨などが発見されています。今年度は昨年度調査の西区と道路をへだてた隣接区と、松本市教育委員会が行った試掘調査の際に礎石建物跡が発見された平坦地の隣を調査する予定です。

 

【急傾斜地につくられた石垣】

調査区内には江戸時代頃に造られた水田の石垣が並んでいます。山側から切り崩して谷側に盛り土し、平坦な地形を造り出していたようです。

 

【遺構の検出】

近世以降の盛り土の下からは古代・中世とみられる土坑や溝跡が確認されました。

 

【斜面地での作業】

平坦地の盛り土の下は高低差のある複雑な地形になっていました。棚田が造られる前は、薄川に向かう複数の沢をもつ急斜面地だったようです。

海岸寺遺跡

2014年10月3日

出川南遺跡 平成26年度調査情報(3)

出川南遺跡の発掘調査が終了しました。今回の調査では、中世以降と考えられる掘立柱建物跡や、古墳時代中期の竪穴住居跡などがみつかりました。一方、隣接地区で前年度に調査された弥生時代末から古墳時代初頭の住居跡は発見されず、近接する地区とは様相が異なることが分かりました。今後は、周辺地区との関係をふまえた当時の様子について調べていく予定です。

 

【みつかった小溝群】

調査区の西側では調査区を東西に縦断する大型の溝跡のほか、幅10cm未満の浅い掘り込みを持つ小さな溝跡が複数みつかりました。小さな溝跡は畑などの耕作によるものの可能性があります。

 

【自然流路の可能性のある落ち込み】

調査区を南北に横断する幅約6m、深さ2m以上の落ち込みを確認しました。人工の溝ではなく、自然の流路跡と考えられますが、これより西側からは中世より古い遺構・遺物はほとんど出土しなくなるので、当時の土地利用の境界になっていた可能性が考えられます。

 

【古墳時代の竪穴住居跡】

壁の1辺が約5.7mの竪穴住居跡が1軒発見されました。残されていた土器から古墳時代中期(5世紀)と考えられます。住居の隅からは柱穴の跡が3本(1本は調査範囲外)みつかりましたが、炉跡はみつかりませんでした。

出川南遺跡

2014年10月2日

洞源遺跡 平成26年度調査情報(2)

これまでの発掘により、佐久地域では初めてとなる平安時代後期(10世紀頃)につくられたと考えられる製鉄炉跡が検出され、10月4日(土)に現地説明会を開催します。

焼土跡の周辺から鞴(ふいご)の羽口の小片と鉄滓(てっさい)が少量出土したのをきっかけに、現在までに3基の製鉄炉の跡と考えられる遺構がみつかっています。また、焼土跡や多量の土器が検出されている遺構が発見されており、製鉄に関わる作業場の可能性を視野に調査を進めています。

 

【製鉄炉跡の検出】

3基の焼土跡は全長160~200cm、幅50~90cmを測ります。原料から鉄を取り出す製鉄を行った炉跡と考えられます。精錬鍛冶を行っていたかどうかは、出土している鉄滓を観察した上で判断したいと考えています。

 

【作業場と考えられる遺構】

およそ16m離れた2基の製鉄炉跡の中間の位置に、焼土とともに坏や甕などの多くの土器が検出されました。カマドは検出されませんでしたが、製鉄の作業に関わった人々の作業場や休憩する場所だったのでしょうか。

 

【炉に空気を吹き込む鞴の羽口(小片)】

羽口とは火力を強めるために使う筒型の土製品です。炉は操業後に壊されるので、羽口も割れてしまうことが多いと考えられます。製鉄炉跡周辺などから、これまでに3点の羽口の小片が出土しています。

 

【遺跡全体写真(南から)】

3基の製鉄炉跡は東からSF07、SF02、SF06としました。今後当時の人々が何のために鉄をつくっていたのか、洞源遺跡の製鉄遺構はどんな性格のものだったのか追究していきます。

洞源遺跡

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