Research調査情報

2021年1月5日

座光寺石原遺跡 2020年度発掘調査情報(2)

8月後半に開始した座光寺石原遺跡の今年度分の発掘作業が、12月16日に全て終了しました。調査は猛暑と格闘したり、雨後の出水に悩まされましたが、いろいろな成果を挙げることができました。



【古墳の痕跡を探して】

今回調査した場所は、かつて古墳があったと伝わる場所です。今回の調査では古墳の痕跡を見つけることはできませんでしたが、古墳に副葬されることが多い金属製品や玉類が出土しました。今回調査した場所の近くにかつて古墳が存在し、壊されてしまったが、遺物が調査した場所に残っていたのではと考えています。



【出土した金属製品】

表土を除去し、その下の黒褐色土を掘り進めたところ、古墳時代の金属製品が出土しました。写真は長さ約3.5㎝、幅約2㎝の辻金具(つじかなぐ)という、馬具(ばぐ)の一部です。上部が欠損しているので、元の大きさや形はわかりませんが、裏側(写真は表側)には、固定するための鋲が3か所に付きます。金属製品は、このほかにも鉄鏃(てつぞく)や刀子(とうす)、耳環(じかん)などが出土しました。



【出土した玉類】

 滑石(かっせき)製の勾玉で長さ約3.5㎝、厚さ約0.5㎝です。勾玉は、これよりもやや小さいものがもう1点あります。そのほか、直径4.4~12㎜の丸玉、直径3.8㎜の臼玉、直径1.6~2.7㎜のガラス製小玉も出土しました。



【古墳時代の竪穴状遺構を発見】

 古墳そのものは発見されませんでしたが、古墳時代の竪穴状遺構1軒が検出されました。竪穴状遺構は現状で長さ4.8m以上、幅約2.6mで、形が極端な長方形となり、底に段をつくるなど、一般的な住居跡とはやや違う特徴をみることができます。現時点で、竪穴状遺構の性格はわかりませんが、来年度以降に調査を予定している場所へと続いているので、今後明らかにしたいと思います。



座光寺石原発掘だより第2号2021年1月発行(PDF 361KB)

座光寺石原遺跡

2020年12月15日

南の組塚平遺跡・南の組久保田遺跡 2020年度 調査情報(1)

下久堅バイパスの建設に伴い、飯田市下久堅地区の南の組塚平遺跡、南の組久保田遺跡の発掘調査を実施しました。今回の調査範囲からははずれていますが、南の組塚平遺跡内の北東寄りには塚平古墳があることから、調査区内にも古墳があったと思われます。また、南の組久保田遺跡は塚平遺跡より一段低い段丘面にあり、畑地より打製石斧、須恵器片、土師器片が採集されていることから、集落跡が広がっていたと考えられます。



【天竜川を隔てて望む南の組塚平遺跡・南の組久保田遺跡】

南の組塚平遺跡と南の組久保田遺跡は、飯田市下久堅地区の天竜川の左岸、飯田市街地が一望できる竜東(下久堅)地区の西側斜面に位置し、段丘と傾斜地が小さな沢によって切られた狭い平坦面上にあります。



【飯田市街地を望む平坦地(南の組塚平遺跡】

南の組塚平遺跡では、10本のトレンチにより確認調査を行いました。トレンチから土師器片が1点出土しましたが、遺構は認められませんでした。調査地点は後世の造成により削平を受けたり、盛土されていたようです。土器が出土していることから、調査地点の周辺には古代の遺構があったと思われます。



 【石室の一部が残った塚平古墳】

下久堅下虎岩地区には、8基の古墳が登録されていますが、その一つ塚平古墳が南の組塚平遺跡の北東部にあります。墳丘の大部分は消失していますが、基底部が残り、石室の一部(玄室)が露出していました。調査の結果、古墳周辺から須恵器や金属製品の破片がみつかりました。



【トレンチ調査状況(南の組久保田遺跡)】

南の組久保田遺跡では2本のトレンチにより遺跡の確認調査を行いました。トレンチ内では遺物や遺構は認められませんでしたが、調査地点の表土からは須恵器の蓋の破片が出土しました。本遺跡の東側(山側)では南の組塚平遺跡と同じく、後世の造成を受けたことがわかりました。

南の組塚平遺跡・南の組久保田遺跡

2020年12月15日

ふじ塚遺跡 2020年度 調査情報(3)

ふじ塚遺跡内にある「ふじ塚古墳」の調査を9月から本格的に行いました。墳丘部分にトレンチを掘ったところ、礫石経(れきせききょう:経文が書かれた石)がみつかりました。このことから、「ふじ塚古墳」は古墳ではなく「礫石経塚」であることがわかりました。

ふじ塚遺跡の今年度の調査は12月11日で終了しました。ご協力いただき、ありがとうございました。



【礫石経塚の発見】

盛土や礫を取り除くと、礫石経塚のつくられた当初の姿が明らかになりました。規模は約8m×5mで、縁には石列がありました。



【礫石経】

礫の大きさや書かれている文字の字体から、礫石経塚は、戦国時代の終わり頃から江戸時代の初め頃に作られたと考えられます。県内で調査事例は少なく、経塚の作られ方や礫石経の埋納方法が分かる今回の調査は貴重な事例になりました。



【出土した和鏡】

礫石経塚の中央から和鏡(銅製、径約8㎝)とほぼ完全な形のかわらけが出土しました。礫石経塚の建設時に仏教儀礼が行なわれていたと考えられます。

ふじ塚遺跡

2020年11月10日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(6)

沢尻東原遺跡の発掘調査成果報告会が開催されました

 

 

11月8日に辰野町教育委員会主催による発掘調査成果報告会に講師として参加しました。

70名もの参加者があり、町内の多くの方に関心をもっていただけました。



【講演風景】

 竪穴建物跡や土器の出土状況などの写真やイラストを使い、縄文人が沢尻東原ムラでどんな生活をしていたのかを説明しました。「黒曜石の原石は遺跡内で出土するのか」、「縄文人はムラの中に墓を作るのか」といった質問が会場から飛び出し、自分たちも縄文時代の理解を深めなければと身が引き締まりました。

【遺物・パネルの展示】

昨年の発掘で出土した遺物や、調査状況の写真パネルを展示しました。土器の文様や土偶の顔などを間近にみることができ、大変喜んでいただけました。

【当センターの遺跡の調査情報も紹介していただきました】

会場の受付では、当センターHPで公開している沢尻東原遺跡の調査情報も紹介していただきました。

現地説明会資料(2019年9月21日開催)

現地説明会資料(PDF1.8MB)



講演会当日の様子も放映されています

LCV「ねっとde動画」 辰野町「沢尻東原遺跡」発掘調査報告会

沢尻東原遺跡,調査情報

2020年10月20日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(5)

遺構図面のデジタルトレースを開始しました

 

 

今年度の室内作業では土器の接合と復元のほかに、遺構図面の整理も進めています。今回は現場における記録をデジタル化して、どのように報告書の資料にするかを紹介します。

 

【埋甕炉を発見】

竪穴建物跡から土器を囲炉裏に使った埋甕炉(まいようろ)が発見されました。

現場では形や使い方がわかるように、様々な角度から記録写真を撮ります。

 

 

 

 

 

 

【実測図を書く】

写真撮影の後は、正確な記録を残すための図面を作成します。
発見した遺構を、真上や真横からミリ単位で測り、方眼紙に記録します。

 

 

 

 

 

 

 

 

【手書きの実測図】

この埋甕炉は1/10の縮尺で記録しました。図面に記された数字は、基準点(海抜703.514ⅿ)からの高低差を示しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

【図面のデジタルトレース】

ここからが室内整理作業です。現場の図面をスキャンして、画面上で清書(デジタルトレース)します。

 

 

 

 

 

 

 

 

【完成したトレース図】

手書き実測図をデジタルトレースして、ようやく報告書に掲載できる資料となります。

沢尻東原遺跡,調査情報

2020年10月20日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(4)

篠ノ井東中の生徒が職場体験を行いました

 

 

9月24日に篠ノ井東中の2年生3名が当センターにおいて職場体験を実施しました。沢尻東原遺跡の作業室では土器の接合を行いました。

 

【土器を接合する】

たくさんの土器片が並ぶのをみて最初は戸惑いましたが、真剣に取り組み、破片同士がつながるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【縄文土器の特徴を学ぶ】

担当職員から縄文土器の特徴について説明を受けました。当センターでの職場体験では、このほかに図書の整理も実施しました。

沢尻東原遺跡,調査情報

2020年9月23日

座光寺石原遺跡 2020年度発掘調査情報(1)

 座光寺石原遺跡は、飯田市座光寺地区の土曽川(どそがわ)左岸にあります。リニア中央新幹線の(仮)長野県駅と中央自動車道座光寺スマートインター(建設中)を結ぶ座光寺上郷(ざこうじかみさと)道路の建設に伴い、発掘調査を実施しています。過去の調査記録では、いくつかの古墳の存在と、石室(せきしつ)から馬具(ばぐ)や鉄鏃(てつぞく)などが出土したことが報告されています。古墳の痕跡を探求することも、今回の調査目的の1つと考えています。


【寒冷紗(かんれいしゃ)の下で】

 猛暑の日には寒冷紗を張り、日影の中で調査しました。熱中症にならないように、注意しながら掘り下げを進めました。



【石器が出土しました】

 縄文時代や弥生時代とみられる打製石斧(だせいせきふ)4点、横刃形(よこばがた)石器4点、砥石(といし)1点が出土しました。これらの石器は、遺跡周辺で採取できる石材を使って製作されています。


【 集石炉(しゅうせきろ)を検出】

 焼けた石や炭がたくさん詰まった集石炉がみつかりました。現在のところ、遺物が出土していないので詳しい時期や性格はわかりませんが、これからの調査で明らかにしていきたいと思います。

 

座光寺石原遺跡発掘だより第1号(pdf456KB)

座光寺石原遺跡

2020年8月31日

ふじ塚遺跡 2020年度発掘調査情報(2)

  7月から発掘調査を開始し、今年度の調査範囲のうち、西側部分がほぼ終了しました。9月からは東側部分を中心に、古墳の調査を本格的に開始します。


【村絵図】

 
享保18年(1733)に描かれた、村絵図:

『諏訪藩一村限村地図』(すわはんいっそんかぎりむらちず)(諏訪史談会1956『諏訪史蹟要項10』)には、現在のふじ塚遺跡の位置に「藤塚と申す処」と書かれています。江戸時代にも、古墳の存在は知られていました。




【黒曜石製の石鏃】

 これまでに縄文時代・古代・中近世の土器・石器、陶磁器の破片などがみつかっています。完全な形の黒曜石製の石鏃も発見されています。



ふじ塚遺跡発掘たより№1(pdf1.25MB)

ふじ塚遺跡

2020年8月31日

沢尻東原遺跡 2020年度整理情報(3) 

7月28、29日に沢尻東原遺跡の整理作業について、県文化財保護審議委員の早稲田大学高橋龍三郎教授より指導を受けました。


【土器を細かく観察する】

 土器には変色したり、器面がすり減ったり、焼けた部分や煮炊きの焦げ痕など、たくさんの情報が残っています。こうした観察から土器が何に使われたのかを探ります。


【沢尻東原遺跡の評価について】

 沢尻東原遺跡は縄文中期の集落を丸ごと調査し、集落の構造がわかるだけでなく器形や文様の残りが良い土器がたくさん出土しており、長野県の縄文時代を考えるうえで大変貴重な遺跡であるとの評価を頂きました。 


(参考)沢尻東原遺跡概要(pdf1.07MB)

    長野県宝「信州の特色ある縄文土器」長野県教育委員会HPへ



沢尻東原遺跡

2020年8月21日

沢尻東原遺跡 2020年度整理情報(2) 

【土器の接合・復元作業】

 進行中
沢尻東原遺跡では、土器の接合と復元作業を進めています。



【復元した土器】

 沢尻東原遺跡では、今から5,000年前(縄文時代中期)の土器が多く出土しています。上伊那地域のオリジナルな土器のほか県内外の様々な地域のものが出土しています。現在20個体以上の土器が復元できました。


【勝坂式(かつさかしき)土器(井戸尻式(いどじりしき)土器)】

 粘土紐で立体的な装飾をするのが特徴です。神奈川県相模原市の勝坂遺跡や長野県富士見町の井戸尻遺跡を標識とし、中期中葉に西関東~長野県中部まで幅広く分布しています。


【梨久保(なしくぼ)B式土器】

 細い粘土紐を貼り付けたり、胴体に縦横の直線を描くのが特徴です。長野県岡谷市の梨久保遺跡を標識とし、中期後葉に諏訪・松本を中心に分布しています。


【台形土器】

 土器を作る時の工作台という説があります。山梨県で多く発見されています。


【夏休み考古学教室での展示】

 8月7・8日に実施した、夏休み考古学教室で接合作業の公開と復元した土器の展示を行いました。複雑な土器の文様をみて見学者の方も大変感動していました。




沢尻東原遺跡

2020年8月3日

ふじ塚遺跡 2020年度発掘調査情報(1)

 7月から発掘調査を開始しました。ふじ塚遺跡では過去、町道拡幅に伴う発掘調査を町教育委員会が行っていますが、ごく狭い範囲の調査であったため、遺構・遺物は確認されませんでした。本格的な発掘調査となる今回の成果が期待されます。

 遺跡のなかには、ふじ塚古墳があります。ここから富士山がみえることから、「富士塚」と呼ばれるようになったとも考えられています。古墳であるか、中世の塚であるか、発掘で明らかにしたいと思います。


【 遠景】

 ふじ塚遺跡は標高835mほどで、眼下に諏訪湖や下諏訪町の市街地が見渡せます。

 遺跡の周辺には西側に昨年度調査を行った一の釜遺跡、北西側に武居林遺跡(下諏訪社中学校)、南側に地獄久保遺跡(下諏訪北小学校)が分布しています。


【開始式】

 下諏訪町のしごと創生支援施設「ホシスメバ」の一画を現場事務所としてお借りしています。
7月6日に開始式を行いました。



【表土掘削】

 重機を使った表土掘削を始めに行います。地表面から30~50cmほど掘り下げたところで、黄褐色の土に変わりました。

次にジョレンや両刃鎌、移植ごてを使って、人力で地面を平らに削り、遺構をみつけます。黒曜石や土器の破片が出土しています。



【遺構検出】

 地面を平らに削っていくと、黒褐色をした楕円形の部分がみつかりました。まず半分だけ掘り下げて、穴の断面形や土の埋まり方を確認しながら、遺構の調査を進めていきます。


ふじ塚遺跡

2020年5月28日

おくまんのん遺跡 2020年度調査情報(1)

リニア中央新幹線の建設工事に伴い、下伊那郡喬木村おくまんのん遺跡の発掘調査を実施しました。
縄文時代の遺物散布地として知られていましたが、これまで調査履歴がなく、詳しいことは分かっていませんでした。
今回は、遺跡の西端にあたる部分450㎡の調査を行いました。


【調査開始】

遺跡は、天竜川左岸の低位段丘面上に位置し、標高494~520mの城原(じょうばら)台地の直下にあります。
トレンチを重機で掘削して調査を行いましたが、大量の水が湧いてきて大変でした。排水作業をするたびに、たくさんのイモリや沢ガニに出会いました。



【土砂の堆積】

トレンチ壁面の観察から、調査地は谷にあたり、山からの土砂が運ばれて堆積した場所と考えられます。
昭和36年6月に伊那谷を襲った大水害「三六災害」の時にも、この谷を土石流が下っていったそうです。



【土器や石器を発見!】

堆積していた土砂の中から、弥生時代や古代の土器・石器がみつかりました。城原台地上では、弥生時代後期の住居跡がみつかっているので、そのような周辺の遺跡から運ばれてきたものかもしれません。



【記録、そして埋め戻しへ】

掘削後は図面や写真などで記録を取り、埋め戻しを行いました
約1ヶ月の発掘作業は終了しましたが、これから調査成果をまとめる整理作業が始まります。


おくまんのん遺跡はっくつだより 2020年5月発行(PDF823KB)

 

おくまんのん遺跡

2020年4月30日

一の釜遺跡 2020年度整理情報(1)

本年度は報告書刊行のため、本格整理作業を行います。


【土器の接合】

出土した土器は、縄文時代早期~中期、晩期の土器の破片がほとんどで、わずかに平安時代の土器がありました。この中から実測図や拓本をとる土器を選びます。


【土器の復元】

同じ個体であることは、土器の模様や土の質から分かります。破片どうしが接合しないこともあります。しかし、石こうを入れて補充すると、全体の形が復元できます。



【石器の選び出し】

図化する石器を選別しています。微細な剝離を確認するのに、ルーペは欠かせません。


【大きな石核】

大きな石核が土坑(どこう)の中から見つかっています。国史跡の星ヶ塔(ほしがとう)黒曜石原産地遺跡(一の釜遺跡から約7.5km)のお膝元にある遺跡なので、黒曜石製の石器がとても多いです。

一の釜遺跡

2020年4月22日

沢尻東原遺跡 2020年度整理情報(1)

【本格整理作業を開始しました】

沢尻東原遺跡の発掘作業は昨年度で終了し、今年度は報告書の刊行に向けた本格的な整理作業を開始しました。現在は土器の接合と復元を実施しています。



【たくさんの遺物が出土しました】

沢尻東原遺跡の発掘調査ではたくさんの遺物が出土しました。コンテナ数は土器270箱、石器50箱を数えます。


【土器の接合作業】

遺跡でみつかる土器は大部分が割れた状態で出土します。すべての破片の文様、色、厚さ、割れ口などの特徴を観察して、土器の形を想像しながら接合します。


【接合が終了した土器】

まるでパズルのようですが、全部のピースがあるわけではありません。このように大部分が復元できる土器は少ないです。


【土器の復元】

接合が終了した土器は立体的に復元します。破片どうしを接着し、テープで固定しながら底から上に向けて組み上げていきます。


【復元が終了した土器】

今から約5000年前、縄文時代中期のものです。

石膏(せっこう)で欠落している部分を補強します。


沢尻東原遺跡

2019年12月4日

沢尻東原遺跡 2019年度発掘調査情報(4)

平成31年4月に開始した発掘作業は令和元年11月をもちまして終了しました。辰野町の皆様には、多大なるご協力をいただき、大変ありがとうございました。
沢尻東原遺跡では約1.8haという広大な範囲を調査し、縄文時代中期(約5000年前)の竪穴建物跡49軒を調査することができました。
今後は報告書作成に向けて本格的な整理作業が始まります。
今後とも地域の皆様のご理解、ご支援をよろしくお願いします。


【沢尻東原遺跡の全景】

小さな丸い影が竪穴建物跡です。
1時期のムラは5~10軒程と考えられます。縄文時代中期ごろ、数百年の間に何世代もの人々が住んでいたことがわかりました。
点線の範囲では埋甕群がみつかりました。


【土器片を敷いた埋甕炉】

竪穴建物跡の中央には囲炉裏(いろり)がつくられています。
この建物跡の炉は深鉢の底を抜いて炉にし、底には土器片が敷かれていました。


【土偶を発見】

沢尻東原遺跡では土偶が7点みつかりました。
完全な形ではなく、いずれも顔、胴、手などの
破片です。縄文時代の遺跡では土偶が割れた状態で
発見されることが多く、縄文人が何らかの意図をもち、
土偶を割り、捨てたと考えられます。


【埋甕群を発見】

竪穴建物跡が分布する範囲の内側で約15基みつかりました(写真1の点線範囲)。
深鉢の中から骨片が出土する例があり、墓の可能性が高いと考えられます。
深鉢の大きさからみて乳幼児の墓が特定の場所にまとめてつくられた可能性があります。


【埋甕の出土状況】

大きな深鉢を用い、地面にほぼ垂直か、やや斜めに
埋められています。


【埋甕の出土状況】

埋甕は接近して埋められたり、離れた場所に単独で埋められる例がありました。また埋甕の中からは拳大の石や凹石などが出土する例もありました。
今後、埋甕の分布状況や、出土資料を検討し、その性格を検討していく予定です。

沢尻東原遺跡

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