Research調査情報

【中信】安塚古墳群

ふりがな
やすづかこふんぐん
住所
松本市和田
マップURL
マップ
※スマホのGoogleマップアプリでは非対応
立地
梓川の右岸、唐沢川の形成する扇状地扇端部に立地
事業
一般国道158号(松本波田道路)改築
調査期間
令和4~7年
時代
古墳・古代・中世
遺跡の種類
古墳・墓跡
調査状況
発掘終了

2025年9月16日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(3)

【後光のような光景】

 4月からの発掘調査が続いています。一日の調査が終わり、暑さが和らいだ夕方に北アルプス方向を臨むと、雲の隙間から太陽の光が放射状に広がる幻想的な風景がみえます。仏や菩薩が発する光である「後光」が差すような光景です。

 安塚古墳群の発掘調査を見守っている仏や菩薩が、一日の調査を労っているように感じられます。

後光のような光景

【お堂?のまわりには】

 現在は、おもに中世の遺構を調査しています。プレハブ近くの調査区には、中世(16世紀)の礎石建物跡があります。お堂と考えられるこの礎石建物跡のまわりには、遺体を火葬した穴(以下、「火葬遺構」と呼称)が7基発見されました。火葬遺構からは、銭貨や火葬骨、焼土、炭化材が出土しました。また、礎石建物跡からは、撒かれたような状態で火葬骨と炭化物がみつかっているため、納骨に関わるお堂(墳墓堂)と推測しています。

 今後の調査では、礎石建物跡の性格解明と、礎石建物跡と火葬遺構との関係を明らかにする予定です。

お堂と考えられる礎石建物跡と火葬遺構(南から臨む)赤丸:火葬遺構

 

【火葬遺構の姿】

 発見された火葬遺構は、平面が長方形で、規模は長辺約1~1.2m、短辺約0.6~0.8mです。火葬遺構の中央西側には突出した場所があり、火葬の煙を出す施設と考えられます。突出部は西側にあり、中には長さ約1mに達するものがあります。安塚古墳群では乗鞍方面からの強い西風が吹くため、強い西風を受ける側に煙出しを設けることで火葬の効率を上げたものと推測されます。

 火葬遺構からは多くの炭化材が出土しました。炭化材には板材・角材・丸太材があり、それらの材は棺や火葬で燃やした木材や火葬遺構の上に渡した木材であったと思われます。また、火葬遺構の底からは、棺を置くための「棺台」の石が2列に並び発見されました。底近くにある棺台付近からは、やや大きい火葬骨と銭貨が出土したため、火葬した遺体が遺構の底に落ちたものと思われます。

 安塚古墳群の火葬遺構は遺物の残りが良く、出土遺物から穴のなかで遺体を火葬した方法がわかりました。

火葬遺構の精査(SK1053)

火葬遺構の掘り下げ(SK1067)

炭化材の精査(SK1071)

棺台の近くから出土した銭貨と火葬骨、炭化材(SK1052)

 

引用・参考文献

狹川真一2011『中世墓の考古学』高志書院

関口慶久2006「墳墓堂」『季刊考古学』第97号

「特集中世寺院の多様性」雄山閣

中野豈任1988『忘れられた霊場』平凡社

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第3号(PDF: 905KB)

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年6月5日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(2)

【発掘を開始してから約1か月、今は?】

 5月に国土交通省が松本波田道路事業用地内の草刈りをおこなったことで、東京ドーム(グラウンド部分)の約1.5倍相当の21,000㎡に及ぶ安塚古墳群の広さが実感できるようになりました。

 発掘調査は、今年度調査範囲のなかでもっとも西側の地区でおこなっています。発掘を開始してから約1か月間の調査の結果、昨年度調査した古墳がつくられた時代とは違う中世の遺構・遺物が発見される成果があがっています。

広いグランドを彷彿させる事業用地

 

【礎石建物跡の発見、お堂か?】

 令和5年度に松本市教育委員会がおこなった試掘調査では、古墳の石室の一部の可能性が高い石列を発見し「第16号古墳」と仮称しました。今回、試掘で発見された石列のまわりを広げて精査したところ、地面よりやや高く方形に盛り上げた場所(以下、「マウンド状の高まり」と呼びます。)から扁平な河原石が複数みつかりました。この河原石は等間隔にならぶことから、礎石建物跡の「礎石」と考えられます。また、建物跡の内側は硬く叩き締められており、そこから中世の内耳鍋と銭貨、刀子が出土しました。礎石建物跡とマウンド状の高まりの時期や性格は、今後の調査で明らかにする予定です。発見された礎石建物跡は、各面が東・西・南・北方向を向くお堂と考えられ、松本市域での発見は珍しく、今後の調査が期待されます。

左:マウンド状の高まり 調査風景

(白色点線:現時点で想定される礎石建物跡のかたち)

右上:内耳鍋の出土状況

右下:3枚重なって出土した銭貨

 

【礎石建物跡は宗教・信仰的な建物か?】

 お堂と考えられる礎石建物跡では、叩き占めた面から焼けた骨や炭の細かな破片が多く出土しています。このことから、お堂は火葬骨の埋納に関係した建物であった可能性があります。今調査している場所は、考古学や墳墓研究でよばれている「葬地」であったと言えます。

骨と炭の出土状況

 

【火葬に関係した遺構を発見】

 現在の遺構検出作業中に、壁が真っ赤に焼け、内部には炭化物が多く埋まる穴が5基みつかりました。これらの穴からは、焼けた骨や銭貨が出土しています。松本波田道路改築に伴う真光寺遺跡と南栗遺跡の調査事例を参考にすると、これらの穴は他界した人を焼いた中世の「火葬施設」もしくは火葬骨を埋納した中世の「火葬墓」と考えられます。

左:火葬遺構の出土状況

右:銭貨と骨の出土状況(緑色:戦果、白色:骨)

 

 

参考文献

狭川真一編2007『墓と葬送の中世』高志書院

狭川真一著2011『中世墓の考古学』高志書院

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第2号(PDF: 672KB)

 
 

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年4月30日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(1)

【安塚古墳群の発掘調査がはじまりました】

 昨年度に引き続き一般国道158号(松本波田道路)改築に伴う安塚古墳群の発掘調査をこの4月中旬からはじめました。昨年度同様、調査は(株)島田組に発掘支援業務を委託し、用地内にタンポポが広がる季節から11月後半までを予定しています。

 調査の期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

現場に設置したプレハブ

 

【昨年度の調査成果】

 安塚古墳群は、松本市新村・和田地区に分布する7世紀~8世紀の古墳群です。松本波田道路は、遺跡範囲の南端を東西方向に横断し、昨年度末の時点で、用地内に5基の古墳(第12号から16号古墳)が存在することがわかっています。

安塚古墳群の遺跡範囲(黄色塗り)

(松本市文化財課からの提供図に加筆。赤色数字:古墳の番号)

 

 昨年度は、みつかっている5基の古墳の内、1基(第13号古墳)を調査しました。古墳の盛土(墳丘)と墳丘のまわりをめぐる溝(周溝)は確認できませんでしたが、梓川から運んだと考えられる河原石を積む石室が残っていました。石室から時期がわかる土器は出土しませんでしたが、近くにある第15号古墳の検出時に出土した土器から、8世紀中頃の古墳と推測します。今年は、第14号・16号古墳を調査しますので、古墳の姿がさらにわかるものと思われます。

第13号古墳の調査風景

 

用地内での試掘箇所と古墳発見地点(赤星)

(黄色・黒色・緑色・青色箇所:試掘箇所)

 

【今、再び脚光を浴びている安塚古墳群】

 都では、646年(大化2)に葬儀や墓の規模を簡素化することを目的とした「大化の薄葬令」が発布されます。松本市の西部には、7世紀から8世紀に造られた安塚古墳群・秋葉原古墳群(松本市新村)・真光寺古墳群(松本市波田)が分布しています。なぜ古墳時代から古代へ移り変わる過渡期に、この地に数多くの古墳が造られたのでしょうか。

 昨年度、当センターが松本市のキッセイ文化ホールで速報展「掘るしん2025」を開催しました。当センターが安塚古墳群を調査したことを切っ掛けとして、会期中には安塚・秋葉原古墳の先行研究者、古墳研究者、当センター安塚古墳群調査担当者で「奈良時代の信州に古墳はあったのか」と題したパネルディスカッションを行いました。当時の時代背景や、上記3遺跡の古墳群が造られた意義などについて議論し、聴講された一般の方々から注目をあつめました。

 安塚古墳群の調査対象面積は21,000㎡で、東京ドーム(グラウンド部分)の約2倍に及びます。これから数年間に及ぶ発掘調査の成果は、地元在住の方や古墳の研究者など多くの方が関心をもっています。発掘調査により、地域の歴史がより明らかにできることを期待します。

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第1号(PDF: 820KB)

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年10月23日

松本市安塚古墳群 2024発掘調査情報(2)

【第13号古墳(石室)の解体】

 第13号古墳は、石室内の調査が終了したため石室の解体調査に入りました。側壁には2~4段の河原石が積まれ、奥壁には3個の石が立っています。側壁の石を上の段から徐々に取り外したところ、上段と下段の石はほとんど接しておらず、隙間に土を入れて積んでいることがわかりました。加工していない河原石が崩れないように積んだ当時のやり方がわかり興味深かったです。ちなみに、もっとも重い奥壁の石は、75kgありました。

 第13号古墳は、石室の内側に石の平坦な面をそろえて設置しています。石は石材から、梓川の河原から採取したと考えられますので、河原では平坦な面がある石を選んで採取したと考えられます。第13号古墳の調査は、石室の石すべて取り外して記録も終了しました。

石室の解体風景

第13号古墳 最下段まで石を取り外した状況(赤丸はピット)

 

【全容を現した第12号古墳】

 安塚古墳群では、令和3年度に松本市教委が行った試掘調査で発見された第12号古墳(石室)の
規模・形状を捉える調査も行いました。石室が発見された場所を拡張して精査したところ、奥壁から開口部(入口)までの長さが約6m、幅約1.5mの規模を有する石室であることがわかりました。今回調査した第13号古墳の約2倍の大きさです。

 安塚古墳群は、昭和53年(1978)に松本市教委により圃場整備に伴う発掘調査が行われ、大小2種類の古墳(石室)があることがわかりました。松本波田道路の用地内にも大小2種類の古墳が複数あることがわかっていて、来年度以降の調査がさらに期待されます。

第12号古墳 精査風景

 

安塚古墳群発掘だより 第4号(PDF:962KB)

安塚古墳群発掘だより 第5号(PDF:1085KB)

 

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年7月31日

松本市安塚古墳群 2024発掘調査情報(1)

【安塚古墳群の発掘調査が始まりました】

 6月3日(月)から10月中旬までの予定で、松本市和田蘇我地区の北側で安塚古墳群の発掘調査を行っています。

安塚古墳群 発掘たより第3号(PDF:807KB)

 

【安塚古墳・秋葉原古墳とは】

 松本市の新村地区には、7世紀末から8世紀にかけて築造された古墳が数多く分布しています(安塚古墳群・秋葉原古墳群)。江戸時代の開田で土饅頭のかたちに似た古墳特有の盛土は削られてしまいましたが、圃場整備に先立ち松本市教育委員会が行った発掘調査では、安塚古墳群(1978年発掘)で9基、秋葉原古墳群(1982年発掘)で5基の古墳がみつかっています。

 これらの発掘調査に携わった直井雅尚氏は、この新村地区の一大古墳群は、島立地区に分布する古代集落(南栗遺跡・北栗遺跡・三の宮遺跡など)の墓地と考える重要な指摘をしています。※直井雅尚1994「松本市安塚・秋葉原古墳群の再検討」『中部高地の考古学Ⅳ』長野県考古学会

【昨年度までの調査成果】

 令和4年度には、地中に向けて高周波の電磁波を放射し、その反応で古墳の存在を確認する地中レーダー探査を行いました。令和5年度には、地中レーダーで反応を示した箇所に重機で幅2mのトレンチを碁盤の目のように掘削して、古墳などの遺構や遺物の存在を確認する調査を行いました。その結果、2基の古墳が確認され、松本市教育委員会の試掘調査で確認された古墳を含めると、調査対象地内に5基の古墳があることがわかりました。

 

本年度は、今まで確認された5基の古墳のなかで第13号古墳を調査し、さらに用地内にいくつ古墳が眠っているかを確認する調査を行います。今までの調査で、第13号古墳の石室と、古墳の周りに円形の穴(土坑)がみつかっています。

 これからの調査で、石室の規模や形状、石室の中に副葬された遺物が発見されることが期待されます。

 

中信,安塚古墳群,調査情報