6か所の調査区(右図のT1~T6)を設定し、調査を進めています。T4・5の2地区で発見した川田氏館跡に関連する遺構群について、その詳細が明らかになってきました。その他の調査区では平安時代と古墳時代の水田跡の調査のため、重機で深堀りをし調査しています。
調査期間も残すところ1か月となりました。今後は、水田跡の調査が主となるため、泥や水との戦いとなります。
詳しい情報はこちら(川田条里遺跡発掘だより第2号 PDFデータ:747KB)
1999年(平成11年)に長野市教育委員会が実施した発掘調査で、15世紀後半の溝により規制された10棟の建物跡や焼土を伴う土坑、工房跡を想起させる張床状遺構などが発見されました。
今回の調査で発見した遺構群は、右図に示すようにT5区で直角に近い角度で曲がる溝跡(区画溝)の北西側に掘立柱建物跡などが展開しており、溝で区画された屋敷地であったと考えられます。
【小さな出土遺物が遺構群の時期を語る!】
溝跡を発掘すると、土器や陶磁器が出土しました。中国から輸入された青磁や白磁、石川県産の珠洲焼(すずやき)、岐阜県産の中津川焼や山茶碗、地元産のカワラケなど、種類が豊富です。この遺跡が、当時の全国的な焼物の流通ルートに組み込まれていたことを物語ります。
焼物それぞれの特徴から、時代や時期がわかりました。その結果、今回発見した溝で区画された屋敷地は、鎌倉時代のものであることがわかりました。川田氏館跡は室町時代のものと考えられており、今回発見した屋敷地はそれよりも古い時代のものです。これが基盤となり、川田氏館跡へ発展していったのでしょうか。











古墳時代~平安時代後期以前の、洪水による砂層に覆われた二時期の水田跡が見つかりました。二時期ともに1枚100㎡未満の小区画で、少ない労力で田面を平らにし、水を均等にいきわたらせるよう工夫していたようです。
調査区西側の流路跡から古墳時代の土師器、須恵器、板状の木材などが出土しました。





【発掘作業の公開】
【長沼小学校の見学】
【城跡でみつかった品々】
【主な出土品 その1】
【主な出土品 その2】


























遺跡名や出土位置の出土データが印字されます。


