これまでの発掘により、佐久地域では初めてとなる平安時代後期(10世紀頃)につくられたと考えられる製鉄炉跡が検出され、10月4日(土)に現地説明会を開催します。
焼土跡の周辺から鞴(ふいご)の羽口の小片と鉄滓(てっさい)が少量出土したのをきっかけに、現在までに3基の製鉄炉の跡と考えられる遺構がみつかっています。また、焼土跡や多量の土器が検出されている遺構が発見されており、製鉄に関わる作業場の可能性を視野に調査を進めています。
【製鉄炉跡の検出】
3基の焼土跡は全長160~200cm、幅50~90cmを測ります。原料から鉄を取り出す製鉄を行った炉跡と考えられます。精錬鍛冶を行っていたかどうかは、出土している鉄滓を観察した上で判断したいと考えています。
【作業場と考えられる遺構】
およそ16m離れた2基の製鉄炉跡の中間の位置に、焼土とともに坏や甕などの多くの土器が検出されました。カマドは検出されませんでしたが、製鉄の作業に関わった人々の作業場や休憩する場所だったのでしょうか。
【炉に空気を吹き込む鞴の羽口(小片)】
羽口とは火力を強めるために使う筒型の土製品です。炉は操業後に壊されるので、羽口も割れてしまうことが多いと考えられます。製鉄炉跡周辺などから、これまでに3点の羽口の小片が出土しています。
【遺跡全体写真(南から)】
3基の製鉄炉跡は東からSF07、SF02、SF06としました。今後当時の人々が何のために鉄をつくっていたのか、洞源遺跡の製鉄遺構はどんな性格のものだったのか追究していきます。