Research調査情報

2014年11月27日

新城峰遺跡 平成26年度調査情報(2)

-新城峰遺跡の調査が終了しました-

新城峰遺跡の発掘調査が11月に終了しました。当初、山城跡と考えられていた新城峰遺跡でしたが、今回の発掘調査では山城に関連するような遺構はみつかりませんでした。しかし竪穴建物跡や掘立柱建物跡、また多くの中世の土器などがみつかり、中世集落の遺跡だということがわかりました。当時の山間部など傾斜地の利用方法を考える上で貴重な成果になりました。

 

【新城峰遺跡遠景】

東側上空からみた遺跡のようすです。

 

【竪穴建物跡の調査】

土の色の違いに気をつけながら調査しています。西日が直接当たると土の色がみえにくくなるので一輪車で影をつくりながら掘り下げています。

 

【中世の土器】

内耳鍋とよばれる煮炊き用の鍋の破片が多くみつかりました。

 

 

 

 

新城峰遺跡

2014年11月12日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(6)

-市街地に眠る古代の遺跡-

4月から始まった平成26年度の発掘調査も、残すところ1か月となりました。10月末で今年度予定していた桐原地区の調査が終了し、11月4日より吉田田町地区、長野電鉄長野線立体交差工事エリア内の調査を開始しました。中世以降の生活面と、弥生時代~古代の2面の調査を予定しています。

 

【平安時代の竪穴住居跡調査風景】

住宅街での発掘調査は大変です。現代の下水道管などと同じ深さで平安時代の竪穴住居跡もみつかります。

 

【吉田田町地区調査風景】

幅約2m長さ約16mの狭い地区ですが、平安時代竪穴住居跡の一部が検出されました。

 

【平安時代の竪穴住居跡から出土した土師器(甕)】

竪穴住居跡の壁際から、完全な形に近い小形の甕がみつかりました。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年10月27日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(5)

塩崎遺跡群では、9月中旬より、これまで調査してきた地区(2-1区)の南側の表土を掘削し、新しく調査区(2-2区)を設定し、発掘調査を開始しました。今までの調査区同様、多くの竪穴住居跡や土坑が検出されています。

 

【新たな調査区の発掘調査開始】

遺構検出をおこなったところ、竪穴住居跡が60軒程度あると予測され、今までの調査区同様に遺構の密度が大変高いことがわかりました。現在、約10軒の調査を進めています。

 

【古代の墓】

2-2区では、長方形(長さ1.4×幅0.8m)の土坑(SK2242)から人骨が出土しました。南東部から歯が出土しています(矢印)。2-2区の東隅では、同様に長方形で、長軸が南東-北西方向の土坑が4基見つかっています。それぞれ、副葬品は今のところありませんが、歯や土器片が出土しており、古代の墓と考えられます。

 

【土錘がまとまって出土】

2-1区の奈良時代の竪穴住居跡(SB2079)から焼き物の漁網のおもりである土錘(どすい)が6点出土しました。塩崎遺跡群発見のムラは、千曲川に近い立地でありながら、土錘の出土は今まであまりありませんでした。今回の出土資料から、古代の漁撈について考えることができるようになりました。

塩崎遺跡群

2014年10月10日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(4)

塩崎遺跡群の第1回空撮を行いました。今後、昨年度調査した地区の北側と2-1区の南側の調査がさらに続きます。密度が高い遺構の調査が続いています。また、現地説明会、大学生のインターンシップ、小学生の見学など、多くの普及啓発活動も8月から9月にかけて行われました。

 

【塩崎遺跡群の空撮無事終了する】

塩崎遺跡群では、8月6日に本年度の調査区の西側(2-1区)の空撮を行いました。これまで、弥生時代中期から中世に至る時期の竪穴住居跡・溝跡・墓などの発掘をすすめてきました。小形勾玉や管玉、各時期の土器などがたくさん出土しました。

 

【千曲川沿いにならぶ古墳の発掘】

昨年度の調査に引き続き、調査地区東側で千曲川よりの場所からは古墳時代中期(今から約1,500年前)の古墳がみつかりました。古墳の周溝からは、たくさんの土器が出土しました。その中には、焼く前に底に穴を空けた土器があり、その用途などが注目されます。

 

【役人の存在を示す奈良時代の硯(すずり)】

奈良時代の竪穴住居跡からは、円面硯(えんめんけん)や中が空洞になっている中空円面硯(ちゅうくうえんめんけん)(左写真)と呼ばれる珍しい硯が出土しました。

 

塩崎遺跡群

2014年10月3日

海岸寺遺跡 平成26年度調査情報(1)

海岸寺遺跡の発掘調査が始まりました。昨年度の調査では、平安時代の竪穴住居跡や、江戸時代の埋葬された人骨などが発見されています。今年度は昨年度調査の西区と道路をへだてた隣接区と、松本市教育委員会が行った試掘調査の際に礎石建物跡が発見された平坦地の隣を調査する予定です。

 

【急傾斜地につくられた石垣】

調査区内には江戸時代頃に造られた水田の石垣が並んでいます。山側から切り崩して谷側に盛り土し、平坦な地形を造り出していたようです。

 

【遺構の検出】

近世以降の盛り土の下からは古代・中世とみられる土坑や溝跡が確認されました。

 

【斜面地での作業】

平坦地の盛り土の下は高低差のある複雑な地形になっていました。棚田が造られる前は、薄川に向かう複数の沢をもつ急斜面地だったようです。

海岸寺遺跡

2014年10月3日

出川南遺跡 平成26年度調査情報(3)

出川南遺跡の発掘調査が終了しました。今回の調査では、中世以降と考えられる掘立柱建物跡や、古墳時代中期の竪穴住居跡などがみつかりました。一方、隣接地区で前年度に調査された弥生時代末から古墳時代初頭の住居跡は発見されず、近接する地区とは様相が異なることが分かりました。今後は、周辺地区との関係をふまえた当時の様子について調べていく予定です。

 

【みつかった小溝群】

調査区の西側では調査区を東西に縦断する大型の溝跡のほか、幅10cm未満の浅い掘り込みを持つ小さな溝跡が複数みつかりました。小さな溝跡は畑などの耕作によるものの可能性があります。

 

【自然流路の可能性のある落ち込み】

調査区を南北に横断する幅約6m、深さ2m以上の落ち込みを確認しました。人工の溝ではなく、自然の流路跡と考えられますが、これより西側からは中世より古い遺構・遺物はほとんど出土しなくなるので、当時の土地利用の境界になっていた可能性が考えられます。

 

【古墳時代の竪穴住居跡】

壁の1辺が約5.7mの竪穴住居跡が1軒発見されました。残されていた土器から古墳時代中期(5世紀)と考えられます。住居の隅からは柱穴の跡が3本(1本は調査範囲外)みつかりましたが、炉跡はみつかりませんでした。

出川南遺跡

2014年10月2日

洞源遺跡 平成26年度調査情報(2)

これまでの発掘により、佐久地域では初めてとなる平安時代後期(10世紀頃)につくられたと考えられる製鉄炉跡が検出され、10月4日(土)に現地説明会を開催します。

焼土跡の周辺から鞴(ふいご)の羽口の小片と鉄滓(てっさい)が少量出土したのをきっかけに、現在までに3基の製鉄炉の跡と考えられる遺構がみつかっています。また、焼土跡や多量の土器が検出されている遺構が発見されており、製鉄に関わる作業場の可能性を視野に調査を進めています。

 

【製鉄炉跡の検出】

3基の焼土跡は全長160~200cm、幅50~90cmを測ります。原料から鉄を取り出す製鉄を行った炉跡と考えられます。精錬鍛冶を行っていたかどうかは、出土している鉄滓を観察した上で判断したいと考えています。

 

【作業場と考えられる遺構】

およそ16m離れた2基の製鉄炉跡の中間の位置に、焼土とともに坏や甕などの多くの土器が検出されました。カマドは検出されませんでしたが、製鉄の作業に関わった人々の作業場や休憩する場所だったのでしょうか。

 

【炉に空気を吹き込む鞴の羽口(小片)】

羽口とは火力を強めるために使う筒型の土製品です。炉は操業後に壊されるので、羽口も割れてしまうことが多いと考えられます。製鉄炉跡周辺などから、これまでに3点の羽口の小片が出土しています。

 

【遺跡全体写真(南から)】

3基の製鉄炉跡は東からSF07、SF02、SF06としました。今後当時の人々が何のために鉄をつくっていたのか、洞源遺跡の製鉄遺構はどんな性格のものだったのか追究していきます。

洞源遺跡

2014年9月17日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(5)

-市街地に眠る古代の遺跡-

清林寺南側の地区の調査開始より1か月が過ぎました。現在、平安時代の竪穴住居跡6軒、溝跡2条、土坑約20基を調査中です。調査地からは、平安時代の土師器・須恵器・緑釉陶器、近世幕末以降の天保通宝の土製模造貨がみつかりました。

 

【平安時代の竪穴住居跡から出土した土師器(坏)】

床面から完全な形に近い土師器がまとまって出土しました。

 

【緑釉陶器(椀)】

竪穴住居跡などの遺構を検出した面から、緑釉陶器がみつかりました。胎土の様子や器形、釉薬の色などから、京都で作られて遺跡に持ち込まれたものと考えられます。

 

【土製模造貨】

天保通宝は江戸時代から明治時代まで使われていた貨幣で、その土製模造貨が近世以降に掘られた穴からみつかりました。模造貨は、実際の天保通宝の半分以下の大きさで、玩具として使われていた可能性が考えられます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年9月1日

洞源遺跡 平成26年度調査情報(1)

昨年度に引き続き、洞源遺跡の発掘調査が始まりました。本年度の調査範囲は、昨年度調査区の北東に隣接する1区(2,300㎡)と、昨年度遺構・遺物が検出された2区(1,500㎡)の合計3,800㎡です。昨年度の調査では縄文時代と平安時代の遺物と焼土を伴う土坑2基が確認されました。今年度は昨年度遺構が確認された一帯を含めて、北東側の傾斜が緩い地区にあたることから、縄文時代と平安時代の遺構・遺物の検出が期待されます。

 

【調査区遠景(南から)】

比較的緩斜面の1区に対して、2区は急斜面になっています。1区では重機によるトレンチ調査を開始し、今のところ、縄文時代と考えられる土器片が数点出土しましたが、遺構が確認されていません。

一方、2区では昨年度確認された遺構周辺を重機により表土剥ぎを行っています。


 

【昨年度確認された焼土を伴う土坑】

土坑内の土には、焼土や炭化物がみられます。直径は約40cmです。現在、この遺構の周辺を検出していますが、新たに土師器の坏・甕の破片、焼土跡などがみつかっています。また、中世の内耳土器片も出土しました。徐々に遺跡の状況が明らかになってきました。


洞源遺跡

2014年8月26日

新城峰遺跡 平成26年度調査情報(1)

-新城峰遺跡の調査を開始しました-

新城峰遺跡は、北佐久郡立科町山部地籍にあり、中山道の松並木で有名な笠取峠近くの尾根にあります。調査範囲一帯の樹木の伐採作業が終了し、本格的な調査を開始しました。

昨年、町教育委員会による試掘調査で新しく発見され、中世の土器片が出土したことから、遺跡近くにある古刹津金寺との関係が想定されています。

 

【遺跡近景】

写真中央の木のない部分が調査範囲となります。尾根を縦断して調査することとなります。

 

【調査風景】

重機で表土を取り除き、遺構や遺物の存在を確認するため調査面を精査しています。

 

【遺跡見学会】

立科町教育委員会主催で遺跡見学会が開催されました。子供たちも興味深く見学していました。

 

【発掘体験】

遺跡見学会では発掘体験も行い、はじめての土器発掘に子どもたちの歓声が上がっていました。

新城峰遺跡

2014年8月21日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(4)

-市街地に眠る弥生時代の遺跡-

調査開始より4か月が過ぎました。4月から調査を続けてきた桐原地区(4区・3c区)の調査が終了し、昨年弥生時代~中世の遺構が確認された清林寺南側(3a②区)の調査を開始しました。また、昨年度、口縁が二段になる壺が2点出土した弥生時代後期末の方形周溝墓と考えられるの周溝の一部を調査し、口縁が二段になる壺がもう1点みつかりました。

 

【弥生時代後期の竪穴住居跡】

竪穴住居内に建築部材と思われる炭化した木材が残っていました。

 

【竪穴住居跡から出土した土器(高坏)】

弥生時代後期の竪穴住居跡入り口と思われる場所から、完全な形に近い高坏が出土しました。

 

【弥生時代後期末の方形周溝墓から出土した壺】

周溝から、口縁が二段になる壺や大きめの破片が出土しました。口縁が二段になる壺は昨年度発見例を合わせると3点目になります。今年度の調査で、周溝の南東角が確認され、1辺が約12mの方形周溝墓の可能性が高くなってきました。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年8月19日

地家遺跡 平成26年度調査情報(1)

7月初旬から始めた調査は7月末で終了しました。

平成21年度から調査が行われ、今年度は5次調査となります。今回の調査区の隣接地では弥生時代の周溝墓、平安時代の竪穴住居跡や土坑などがみつかっていますが、今回の調査で検出された遺構は古代の土坑1基でした。土坑周辺のかく乱からは土師器・須恵器の破片が出土していることから、何らかの遺構があったことが予想されますが、削平などにより消滅したものと考えられます。

 

【調査風景】

今年度の調査区は市道部分です。道の舗装などによってかく乱を受けていました。

遠方には佐久市の野沢地区や臼田地区が見えます。

 

【古代の土坑】

みつかった土坑を土層観察のために手前を半分掘り下げた状態です。須恵器と土師器の破片が出土しました。

地家遺跡

2014年7月25日

寺久保遺跡 平成26年度調査情報(1)

6月末から調査を始め、7月中旬までにトレンチを11本入れ、重機による表土剥ぎ、人力による検出を行いました。

今年度の調査区は、平成24年度に平安時代の竪穴住居跡1軒が検出された地点の上段で北側に隣接していることから、同時期の遺構・遺物が検出されることが期待されていました。しかし残念ながら遺構・遺物の検出はありませんでした。

 

【調査区遠景】

今年度の調査区は写真左側の南東斜面です(写真赤囲い)。標高は斜面中段で約750m、斜面上段で約780m。標高差は約30mあります。隣接する東側は平成25年度の調査で、大規模に切り盛りされた造成の畑地であることが分かっていました。

 

【トレンチ調査】

斜面の上部では表土下約30cmで岩盤が出てきます。

標高が高く傾斜地でもあることから、昨年度同様、遺構・遺物が集中する場所からは離れた場所であったと考えられます。

 

寺久保遺跡

2014年7月25日

高尾A遺跡 平成26年度調査情報(1)

5月末から始めた調査は6月末で終了しました。

平成21年、23年、25年度の確認調査・本調査では、約2.5万年以前の旧石器時代石器群や縄文時代前期の竪穴住居跡、古墳時代後期の古墳がみつかっています。今年度の調査区は旧石器時代の石器群がみつかった調査区に隣接するため石器群の検出が期待されましたが、少量の古代の土器片と黒曜石の破片のみの発見となりました。

 

【調査風景】

佐久平の野沢地区を見下ろす丘陵の南斜面に遺跡は立地します。

北側の隣接地(写真左手)で出土した旧石器時代の石器や石器を含んでいた土層はみつかりませんでした。


高尾A遺跡・高尾5号墳

2014年7月14日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(3)

現在、市道32253号線をはさんだ西側の1-2区と東側の2-1区の二つの地区で調査を進めています。いずれも弥生時代から平安時代までの竪穴住居跡や墓が重なっており、新しい時代の遺構から順番に調査を進めています。

 

【重なりあう竪穴住居跡の調査】

2‐1区では、弥生時代から平安時代にいたる竪穴住居跡が50軒以上重なっています。古い時代の竪穴住居跡は新しい時代の竪穴住居跡に壊され、残っている部分が少ないです。

 

【溝跡の調査】

1-2区を東西に縦断する平安時代以後の溝跡(長さ約70m)を調査しています。写真手前から約50m付近で溝跡は曲り、なかからほぼ全身が残るウマの骨がみつかりました(下写真)。

 

【溝跡のなかからみつかったウマの全身骨】

足の部分は近代以後の耕作に関わる溝で掘り取られて残っていませんでした。なぜこの場所で発見されたかは興味深いところです。時代は平安時代以後としかわかりません。

 

【弥生時代中期後半頃の竪穴住居跡の調査】

1‐2区の千曲川寄りの場所で、弥生時代中期後半頃の竪穴住居跡がみつかりました。円形の竪穴住居跡で、中央の十字の壁は土の堆積を観察するために残したものです。小さなビニール袋は石器を作る際に出た剥片が出土したものです。竹串を立てながら位置を記録していきます。

 

【小型の勾玉がみつかった】

小さなヒスイ製の勾玉がみつかりました。二つとも糸を通す穴の上側のところで壊れています。この小さな勾玉はどのような人が身につけていたのでしょうか。

塩崎遺跡群

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