Research調査情報

2014年9月17日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(5)

-市街地に眠る古代の遺跡-

清林寺南側の地区の調査開始より1か月が過ぎました。現在、平安時代の竪穴住居跡6軒、溝跡2条、土坑約20基を調査中です。調査地からは、平安時代の土師器・須恵器・緑釉陶器、近世幕末以降の天保通宝の土製模造貨がみつかりました。

 

【平安時代の竪穴住居跡から出土した土師器(坏)】

床面から完全な形に近い土師器がまとまって出土しました。

 

【緑釉陶器(椀)】

竪穴住居跡などの遺構を検出した面から、緑釉陶器がみつかりました。胎土の様子や器形、釉薬の色などから、京都で作られて遺跡に持ち込まれたものと考えられます。

 

【土製模造貨】

天保通宝は江戸時代から明治時代まで使われていた貨幣で、その土製模造貨が近世以降に掘られた穴からみつかりました。模造貨は、実際の天保通宝の半分以下の大きさで、玩具として使われていた可能性が考えられます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年9月1日

洞源遺跡 平成26年度調査情報(1)

昨年度に引き続き、洞源遺跡の発掘調査が始まりました。本年度の調査範囲は、昨年度調査区の北東に隣接する1区(2,300㎡)と、昨年度遺構・遺物が検出された2区(1,500㎡)の合計3,800㎡です。昨年度の調査では縄文時代と平安時代の遺物と焼土を伴う土坑2基が確認されました。今年度は昨年度遺構が確認された一帯を含めて、北東側の傾斜が緩い地区にあたることから、縄文時代と平安時代の遺構・遺物の検出が期待されます。

 

【調査区遠景(南から)】

比較的緩斜面の1区に対して、2区は急斜面になっています。1区では重機によるトレンチ調査を開始し、今のところ、縄文時代と考えられる土器片が数点出土しましたが、遺構が確認されていません。

一方、2区では昨年度確認された遺構周辺を重機により表土剥ぎを行っています。


 

【昨年度確認された焼土を伴う土坑】

土坑内の土には、焼土や炭化物がみられます。直径は約40cmです。現在、この遺構の周辺を検出していますが、新たに土師器の坏・甕の破片、焼土跡などがみつかっています。また、中世の内耳土器片も出土しました。徐々に遺跡の状況が明らかになってきました。


洞源遺跡

2014年8月26日

新城峰遺跡 平成26年度調査情報(1)

-新城峰遺跡の調査を開始しました-

新城峰遺跡は、北佐久郡立科町山部地籍にあり、中山道の松並木で有名な笠取峠近くの尾根にあります。調査範囲一帯の樹木の伐採作業が終了し、本格的な調査を開始しました。

昨年、町教育委員会による試掘調査で新しく発見され、中世の土器片が出土したことから、遺跡近くにある古刹津金寺との関係が想定されています。

 

【遺跡近景】

写真中央の木のない部分が調査範囲となります。尾根を縦断して調査することとなります。

 

【調査風景】

重機で表土を取り除き、遺構や遺物の存在を確認するため調査面を精査しています。

 

【遺跡見学会】

立科町教育委員会主催で遺跡見学会が開催されました。子供たちも興味深く見学していました。

 

【発掘体験】

遺跡見学会では発掘体験も行い、はじめての土器発掘に子どもたちの歓声が上がっていました。

新城峰遺跡

2014年8月21日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(4)

-市街地に眠る弥生時代の遺跡-

調査開始より4か月が過ぎました。4月から調査を続けてきた桐原地区(4区・3c区)の調査が終了し、昨年弥生時代~中世の遺構が確認された清林寺南側(3a②区)の調査を開始しました。また、昨年度、口縁が二段になる壺が2点出土した弥生時代後期末の方形周溝墓と考えられるの周溝の一部を調査し、口縁が二段になる壺がもう1点みつかりました。

 

【弥生時代後期の竪穴住居跡】

竪穴住居内に建築部材と思われる炭化した木材が残っていました。

 

【竪穴住居跡から出土した土器(高坏)】

弥生時代後期の竪穴住居跡入り口と思われる場所から、完全な形に近い高坏が出土しました。

 

【弥生時代後期末の方形周溝墓から出土した壺】

周溝から、口縁が二段になる壺や大きめの破片が出土しました。口縁が二段になる壺は昨年度発見例を合わせると3点目になります。今年度の調査で、周溝の南東角が確認され、1辺が約12mの方形周溝墓の可能性が高くなってきました。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年8月19日

地家遺跡 平成26年度調査情報(1)

7月初旬から始めた調査は7月末で終了しました。

平成21年度から調査が行われ、今年度は5次調査となります。今回の調査区の隣接地では弥生時代の周溝墓、平安時代の竪穴住居跡や土坑などがみつかっていますが、今回の調査で検出された遺構は古代の土坑1基でした。土坑周辺のかく乱からは土師器・須恵器の破片が出土していることから、何らかの遺構があったことが予想されますが、削平などにより消滅したものと考えられます。

 

【調査風景】

今年度の調査区は市道部分です。道の舗装などによってかく乱を受けていました。

遠方には佐久市の野沢地区や臼田地区が見えます。

 

【古代の土坑】

みつかった土坑を土層観察のために手前を半分掘り下げた状態です。須恵器と土師器の破片が出土しました。

地家遺跡

2014年7月25日

寺久保遺跡 平成26年度調査情報(1)

6月末から調査を始め、7月中旬までにトレンチを11本入れ、重機による表土剥ぎ、人力による検出を行いました。

今年度の調査区は、平成24年度に平安時代の竪穴住居跡1軒が検出された地点の上段で北側に隣接していることから、同時期の遺構・遺物が検出されることが期待されていました。しかし残念ながら遺構・遺物の検出はありませんでした。

 

【調査区遠景】

今年度の調査区は写真左側の南東斜面です(写真赤囲い)。標高は斜面中段で約750m、斜面上段で約780m。標高差は約30mあります。隣接する東側は平成25年度の調査で、大規模に切り盛りされた造成の畑地であることが分かっていました。

 

【トレンチ調査】

斜面の上部では表土下約30cmで岩盤が出てきます。

標高が高く傾斜地でもあることから、昨年度同様、遺構・遺物が集中する場所からは離れた場所であったと考えられます。

 

寺久保遺跡

2014年7月25日

高尾A遺跡 平成26年度調査情報(1)

5月末から始めた調査は6月末で終了しました。

平成21年、23年、25年度の確認調査・本調査では、約2.5万年以前の旧石器時代石器群や縄文時代前期の竪穴住居跡、古墳時代後期の古墳がみつかっています。今年度の調査区は旧石器時代の石器群がみつかった調査区に隣接するため石器群の検出が期待されましたが、少量の古代の土器片と黒曜石の破片のみの発見となりました。

 

【調査風景】

佐久平の野沢地区を見下ろす丘陵の南斜面に遺跡は立地します。

北側の隣接地(写真左手)で出土した旧石器時代の石器や石器を含んでいた土層はみつかりませんでした。


高尾A遺跡・高尾5号墳

2014年7月14日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(3)

現在、市道32253号線をはさんだ西側の1-2区と東側の2-1区の二つの地区で調査を進めています。いずれも弥生時代から平安時代までの竪穴住居跡や墓が重なっており、新しい時代の遺構から順番に調査を進めています。

 

【重なりあう竪穴住居跡の調査】

2‐1区では、弥生時代から平安時代にいたる竪穴住居跡が50軒以上重なっています。古い時代の竪穴住居跡は新しい時代の竪穴住居跡に壊され、残っている部分が少ないです。

 

【溝跡の調査】

1-2区を東西に縦断する平安時代以後の溝跡(長さ約70m)を調査しています。写真手前から約50m付近で溝跡は曲り、なかからほぼ全身が残るウマの骨がみつかりました(下写真)。

 

【溝跡のなかからみつかったウマの全身骨】

足の部分は近代以後の耕作に関わる溝で掘り取られて残っていませんでした。なぜこの場所で発見されたかは興味深いところです。時代は平安時代以後としかわかりません。

 

【弥生時代中期後半頃の竪穴住居跡の調査】

1‐2区の千曲川寄りの場所で、弥生時代中期後半頃の竪穴住居跡がみつかりました。円形の竪穴住居跡で、中央の十字の壁は土の堆積を観察するために残したものです。小さなビニール袋は石器を作る際に出た剥片が出土したものです。竹串を立てながら位置を記録していきます。

 

【小型の勾玉がみつかった】

小さなヒスイ製の勾玉がみつかりました。二つとも糸を通す穴の上側のところで壊れています。この小さな勾玉はどのような人が身につけていたのでしょうか。

塩崎遺跡群

2014年7月7日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(3)

-市街地に眠る古代の遺跡-

調査開始より2ヶ月半が過ぎました。清林寺南側の地区では中世以降の調査面を終了させ、弥生時代の竪穴住居跡や古墳時代の溝跡がみつかっている面の調査を行っています。4区としたその南側の地区では今年度3ヶ所調査が予定されている地区の2ヶ所の調査を終了させ、残り1ヶ所の調査を開始しました。古墳時代の溝跡6条や、土坑がみつかっています。

 

【溝跡の調査風景】

溝跡は幅3~6m、深さ30~70㎝ぐらいあり、溝底付近からは大きめの土器の破片が出土しています。

 

【溝跡の測量作業】

掘りあがった溝跡を測量し記録していきます。

 

【出土した石製模造品】

古墳時代の溝跡がみつかった調査面から鏡形(かがみがた)の石製模造品が出土しました。今から1600年ほど前(古墳時代中期)のものと考えられます。このころは滑石(かっせき)製の鏡形(かがみがた)や剣形(けんがた)の模造品を使用した祭祀が流行していました。浅川扇状地遺跡群でも行われていたと考えられます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年6月25日

大沢屋敷遺跡 平成26年度調査情報(1)

-大沢屋敷遺跡の調査が終了しました-

4月から実施していた春期分の発掘調査が終了しました。次回の調査は秋の予定です。大沢屋敷遺跡は東に流れる大沢川が形成した扇状地上にあります。これまで平成23~25年度に調査が行われ、縄文時代後期の遺物包含層と土坑(穴)群が確認されています。今回は、平成23年度調査地の東側に隣接する部分を調査しました。西側から続く遺物包含層が確認され、19基の土坑がみつかりました。土坑には、下部が外側に広がる形状(袋状)になるものもあり、貯蔵穴としての利用も推測されます。

 

【遺構の検出作業】

地盤の黄褐色土の上に、縄文時代後期の遺物を包含する黒色土が堆積しています。今回の調査では、住居跡はみつかりませんでしたが、包含層中の土器は上流方向から流れてきたと推測されるため、調査地の西方に当時の人々の集落があった可能性が高いと考えられます。

 

【土坑の調査1】

まず半分を掘下げ、土坑の形状や内部に堆積した土の様子を観察・記録して、残りの半分を掘下げていきます。

 

【土坑の調査2】

上写真の土坑をすべて掘り上げた状態です。この土坑は、直径80cm、深さ65cmで、下部が外側に広がる形状(袋状)です。クリやトチ、クルミなどの堅果類を貯蔵した縄文時代の土坑が各地で発見されていて、断面形が袋状となる例がしばしばみられます。この土坑には、堅果類は全く残っていませんでしたが、形状から貯蔵穴と推測しています。

大沢屋敷遺跡

2014年6月16日

黒部遺跡 平成26年度調査情報(2)

-黒部遺跡の調査が終了しました-

4月から実施していました黒部遺跡の調査は5月末で終了しました。調査では住居跡や土坑といった遺構は検出されず、縄文時代の石鏃1点とわずかな土器小片が出土したのみでした。遺跡の中心は今回の調査範囲の外にあると考えられます。

 

【遺跡遠景】

遺跡北西の松川対岸から黒部遺跡を望む。

 

【道路拡幅部分の調査状況】

現道直下が地山の黄褐色土となり、遺構はありませんでした。石鏃(やじり)が1点と土器が数点出土したのみでした。

 

【確認調査の調査状況】

確認調査は、ほ場整備対象地に2mのトレンチ(溝)を22本掘って遺構や遺物の確認を行いました。遺構は検出されず、一部のトレンチでわずかに土器片が出土したのみでした。

 

【出土した石鏃】

黒曜石製の石鏃で先端部が欠損しています。

黒部遺跡・二ツ石前遺跡

2014年6月12日

壁田城跡 平成26年度調査情報(1)

-壁田城跡の発掘調査-

6月9日(月)、いよいよ発掘調査の始まりです。調査研究員2名と法面掘削作業員そして重機とで調査に入ります。急斜面を掘削して城跡にともなう遺構を探していきます。

 

【発掘開始式】

いよいよ発掘の開始です。屈強の作業員7名が集まりました。ケガのないよう、お互いに声をかけあって安全に注意し、発掘しましょう。

 

【調査地のようす】

一面、笹やぶに覆われています。

 

【調査地のようす】

笹を刈りながら、重機とともに少しずつ調査を進めていきます。

壁田城跡

2014年6月2日

琵琶島遺跡 平成26年度整理情報(1)

-弥生時代の甕を観察する-

平成23~25年度にかけて発掘調査を行った琵琶島遺跡の本格整理作業を行っています。来年度の報告書刊行にむけて、掘立柱建物跡などの遺構図面を整理したり、出土した土器、石器を観察、分類し、実測図作成を進めています。今回は、その作業の中で改めて気づいた土器の文様について紹介します。

 

【土器の実測図作成作業】

弥生時代の甕を観察しながら、方眼紙の上に、実寸大の大きさで形や文様を描いていきます。文様の描かれた順番も大切です。

 

【弥生甕のつぶつぶ文様】

弥生時代中期後半、栗林式の甕の胴部に、連続的に棒状のものを押し付けた文様が見られます。その先端の内部をよく観察すると、細かな粒状の痕がギッシリと詰まった文様が観察できます。同じ時期の長野市南曽峯遺跡、松原遺跡でも、同様の文様を見つけることができます。簾状(れんじょう)工具の先端を押し付けた痕跡なのでしょうか?

 

【弥生甕のギザギザ文様】

もう一つの文様は、やはり栗林式の甕の胴部につけられたイモムシのような文様です。連続した刻みの内部は、等間隔に平行した線が走っています。柾目(まさめ)の木材の小口痕でしょうか?今後、つぶつぶ文様と合わせて、施文実験等も含めて追及していきたいと考えています。

琵琶島遺跡

2014年6月2日

出川南遺跡 平成26年度調査情報(2)

調査範囲全体の約半分の発掘が終了しました。調査区内には上下2枚の遺構面が確認され、上の面では中近世の掘立柱建物跡や溝跡が発見されました。下の面では、弥生時代後期から古墳時代前期までの土器片がまとまって見つかりましたが、竪穴住居跡のような遺構は確認されませんでした。当時の地形が西に向かって低くなり、低地に近い部分であったため、竪穴住居などは建てられなかったのかも知れません。

 

【掘立柱建物跡】

東西4間、南北3間の掘立柱建物跡が1棟検出されました。遺物の出土がないため、詳しい時期は分かりませんが、柱配列や埋土の特徴から中世以降の建物と推測されます。

 

【溝跡】

調査区を縦断する大小の溝跡が複数みつかりました。溝跡はどれも東西方向に延びています。埋土や遺物から多くは中世、一部は近代のものと思われます。

 

【土器集中】
中近世の面より約50cm下の面では、古墳時代前期とみられる土器の集中がいくつか確認されました。廃棄されたものか、または意図的に残されたものか今後の検討が必要です。

出川南遺跡

2014年5月30日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(2)

塩崎遺跡群では遺構の検出作業を終え、いよいよ竪穴住居跡の調査に入りました。現在、古墳時代後期から奈良時代にかけての竪穴住居跡を中心に調査しています。

 

【竪穴住居跡の調査を始める】

竪穴住居跡が埋まった土を観察するための試し掘りの溝を掘り、土のようすを観察しながら全体を掘り下げています。

 

【竪穴住居跡隅でみつかったこも編み石?】

古墳時代末頃の竪穴住居跡の隅から、むしろ(こも)を編むおもりと考えられる握りこぶし大の石が集中してみつかりました。

 

【竪穴住居跡の長方形の柱痕跡】

塩崎遺跡群では下の地層が柔らかく、竪穴住居跡の屋根の重みで沈み込んだ柱の痕跡が柱穴底に多く残されています。左の写真は長方形の柱の痕跡で、板状に近い木材を柱に使っていたようです。右下は竪穴住居跡で発見される一般的な丸い柱の痕跡です。

 

【カマドの中に残された土器】

奈良時代の住居跡の壁に造りつけられたカマドの中から、煮炊きに使われたとみられる甕の破片が多くみつかりました。カマドに掛けられたまま、放棄されたのでしょうか。

 

【竪穴住居跡の床下のようす】

竪穴住居では、大雑把な形に掘り下げた後で、土を埋め直して土間のような床をつくります。←はその最後の床面と思われる地層ですが、その下に地山の黄褐色の土の混じった帯状の地層が何枚か確認できました。何度も薄く土を水平に入れて床を造ったようです。

塩崎遺跡群

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