Research調査情報

2021年5月20日

真光寺遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

 真光寺遺跡は、昨年度の松本市教育委員会が行った試掘調査の成果をもとに発掘調査を行っています。試掘調査では、「和田堰跡」とみられる溝跡や、「弘治3(1557)年建立の真光寺跡」の遺構が検出され、中世を主体とした遺跡と考えられています。また縄文時代の黒曜石製石鏃が表面採集されており、近接地に縄文時代の遺跡(葦原遺跡ほか)があることから、試掘調査で確認できなかった縄文時代の遺構が見つかる可能性があります。



【遺跡遠景(松本電鉄側から臨む)】

 今回の調査面積は6,000㎡と広いです。表土はぎで掘削した土量はかなり多くなるため、調査区を4分割(第1~4調査区)して調査を進めています。ブルーシートがかかっている部分は第1調査区で、現在調査中です。写真の矢印は現在の真光寺です。



【発掘調査の開始】

 重機で表土をはいだ後、作業員が壁を精査している風景です。現在の耕作土の下層には、どのような土層が堆積しているか、また遺構や遺物が見つかるかなどを観察しながら作業を行っています。



【作業員により精査した状況】

 調査区は縄文時代以降、幾多の洪水等による氾濫により、大小多くの礫(れき)を含む砂礫層が堆積した土地となっていることがわかりました。写真は平安時代と推測される第1調査面を精査した状況です。砂礫層上面での検出作業は大変な作業です。古代あるいはそれ以前には水田として開発されたようですが、水田層にも大小多くの礫が含まれています。



【第1検出面で検出した石積遺構】

 この石積遺構は、長さ約9m、幅約2mで、南側(写真手前)がラッパ状に開いています。検出時には4段の石が積み上げられていました。今後、石積の周囲を掘り下げ、積み上げられた石の数や積み上げ方法を捉えていきます。



【灰釉陶器の出土状況】

 石積の近くから、灰釉陶器の壺が出土しました(写真の黄色い円の中)。石積の時期を検討する重要な遺物ですが、今後、石積の精査でどのような遺物が出土するか興味深いです。

真光寺遺跡,調査情報

2021年5月15日

石川条里遺跡 2021年度発掘調査情報(3)

江戸時代の石川条里遺跡の姿が明らかになりました


発掘調査が始まり1ヶ月が経過しました。

今回は、発掘調査で明らかになった過去の遺跡の姿について説明します。



【江戸時代のいろいろな遺構】

これまでの発掘調査の結果、「水田跡」・「道の跡」・「溝跡」の3種類の遺構を確認しました。「溝跡」は、前回の「調査情報(2)」で説明した、江戸時代の「塩崎用水」と考えられる溝跡です。



【江戸時代の水田跡】

江戸時代の水田跡では、水田一筆を囲む(田と田の境にあたる)畦(あぜ、「畦畔」(けいはん)とも呼びます)が確認されました。水田一筆の南北幅は2m程度と、今の水田に比べ狭いものでした。



【江戸時代の道の跡】

 水田跡と溝跡の間に、山砂が堆積した非常に硬く締まる高まりがありました。現在の市道の真下にあることから、道の跡と考えられます。道は、幅2m程度で、荷車が一台通れる程度です。



【発掘調査区付近の道を調べる】

今回の発掘調査で発見された道の跡は、江戸時代、塩崎村の長谷・越組から北の石川村に向かう幅の狭い脇街道の一つのようです。なお、長谷観音山門の前へ向かう山手側の脇街道には、万延元(1860)年の庚申塔のほか石仏があり、当時の面影を残します。脇街道は、本街道となる北国街道(善光寺道)と並び、村人の生活に欠かせない道であった考えられます。

石川条里遺跡,調査情報

2021年5月11日

ふじ塚遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

 昨年度に引き続き、ふじ塚遺跡の発掘調査が始まりました。昨年度は、遺跡内に所在した「ふじ塚古墳」が戦国時代~江戸時代初頭の礫石経塚(れきせききょうづか)であることが判明しました。礫石経塚からは、小石に墨でお経を書いた礫石経が約4万点発見され、大きな成果をあげることができました。

 本年度の発掘調査は、調査区が6か所ありますが、礫石経塚発見地点のまわりも調査します。礫石経塚に関係する遺構や遺物が発見されることが予想されます。

 

本年度の調査区



【遺跡遠景】

 ふじ塚遺跡(写真白色矢印)は、諏訪湖の北側(湖北地域)にある南向きの斜面に立地します。遺跡の東側を流れる砥川の対岸には、下諏訪から佐久方面に通じる中山道(現、和田峠)が通っています。



【発掘開始式】

 下諏訪町役場から、しごと創生支援施設「ホシスメバ」の一画をお借りして、現場事務所としています。

 4月20日、埋文センター所長が来跡して開始式を行いました。



【発掘作業の様子】

手作業で表土をはぎ、遺構・遺物を検出している様子です。写真上に下諏訪町と岡谷市の市街地が見えます。



【トレンチの精査で見つかった土坑】

 土坑は直径約80cmの円形で、深さ約70cmです。埋土には直径約10cmの礫が混入しており、一昨年度、ふじ塚遺跡の西側にある一の釜遺跡で調査した土坑によく似ています。



【トレンチ調査の様子】

 手作業でトレンチを掘り、土層の堆積状況や遺構・遺物の存否を確認している様子です。掘り下げる過程で縄文土器片と黒曜石片が出土しました。トレンチ底面の精査で黒色土の落ち込みが見つかりました。今後、重機を使って表土をはぎ、面的な調査を行うことで落ち込みの規模・形状などを捉える予定です。



ふじ塚遺跡発掘たより_No.3 PDFデータ

ふじ塚遺跡,調査情報

2021年5月7日

石川条里遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

江戸時代の「塩崎用水」を発見しました!



発掘調査が始まり2週間が経過しました。

今回は、発掘調査で初めて存在を確認した江戸時代の「塩崎用水」ついて説明します。



【昔の溝の跡を確認する】

発掘調査では地面をうすく削りながら土の色の変化を確認する作業を度々行います。その作業で昔の溝の跡やその範囲を特定します。これを「遺構検出」(いこうけんしゅつ)と呼びます。



【溝の跡を発掘する】

次に、検出作業で発見された溝を手掘りで慎重に掘り下げ、溝のかたちを明らかにします。その際、出土した遺物はどの層位から出土したものかを記録し、溝跡の時期を決める材料とします。



【江戸時代の「塩崎用水」の姿が明らかに】

慎重に遺構検出を行うと、溝跡が発見されました。溝跡の東側には杭がほぼ等間隔に列になって発見されました。杭と杭との間には枝(横木)が渡してあり、枝を杭にからめ編み込みこんでいます。溝跡の西側の壁には手のひらの大きさ程度の礫が連なります。杭や礫は、溝の壁を護る役割をもっていたと考えられます。



【江戸時代の終わり頃の皿が出土】

溝跡の中からは江戸時代の染付皿が見つかり、この溝跡が江戸時代に使われていたことがわかりました。現在の塩崎用水の真下から発見されたことから、「江戸時代の塩崎用水」と考えられます。地元の古文書には、千曲川から水田へ水を引くため、文政7(1824)年から3年もかけて大土木工事が行われた記録が残っています。

石川条里遺跡,調査情報

2021年5月6日

座光寺石原遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

2021年度発掘調査のはじまり、はじまり

 

 今年度の担当者は、15年ぶりに飯田市内を調査する若林班長のもと、一年ぶりに飯田での調査で張り切っている伊藤調査研究員、飯田市内の調査は初となる平林調査指導員です。11月までの長丁場となりますが、どうぞよろしくお願いします。


座光寺石原遺跡の調査区

 

【昨年度調査のおさらい】

  昨年度は、1区から土師器の高坏(たかつき)や須恵器甕(かめ)・横瓶(よこべ)などの遺物がまとまって出土した古墳時代の竪穴状遺構や平安時代の土坑、10区から時期不明の竪穴状遺構や集石炉、焼土跡などを発見しました。遺跡の東側には石原田古墳の存在が指摘されていて、隣接する調査地からは写真の勾玉(まがたま)をはじめとする、古墳時代の遺物が出土しています。



【これからの調査予定】

 今年度の上半期は調査区の図の黄色部分の発掘を計画しています。これらの調査区周辺には7世紀から8世紀にかけての終末期古墳が存在していると言われており、現地表面で確認できない古墳がみつかる可能性もあります。そのため、トレンチ(試掘坑)で古墳の有無を確認し、古墳がみつかれば、その場所を広げて本格的な調査をする予定です。その他、11区には集石炉などが広がっているかもしれません。



座光寺石原遺跡発掘だより第3号2021年4月発行(PDF 276KB)

座光寺石原遺跡,調査情報

2021年4月13日

石川条里遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

2013(平成25)年度から始まった一般国道18号(坂城更埴バイパス)改築工事に伴う発掘調査が9年目を迎えました。

今回の発掘調査地点は、2019(令和元)年度に調査した石川条里遺跡の南西端にあたり、長谷鶴前遺跡群と接します。

これまでの調査成果から、今回の調査では平安時代の水田跡や畦畔(田んぼのあぜ)の発見が予想されます。



【調査地点の現在の様子】

調査地点は、長野市篠ノ井塩崎の越(こし)と呼ばれる地域です。江戸時代に用水路の原形が作られ、今も塩崎一帯の水田を潤す「塩崎用水」が流れています。



【重機で表土を剥ぐ】

発掘調査は、ショベルカーを使って表土を剥ぐことから始まります。表土を剥いだ後、人の手で丁寧に土の表面を削り、水田跡などの遺構(いこう)を探していきます。どのような遺構が発見されるのか、楽しみです。



【土の堆積を確認する】

発掘調査の大切な作業に、土の堆積を観察する作業があります。土の色や粒子の大きさ、固さなどの違いから堆積した土を層に分けていきます。観察の結果、この地点には地表から1mほど下に砂の層や粘土の層があることがわかりました。それぞれの層の時代や由来を今後の調査で明らかにしていきます。

石川条里遺跡,調査情報

2021年1月5日

座光寺石原遺跡 2020年度発掘調査情報(2)

8月後半に開始した座光寺石原遺跡の今年度分の発掘作業が、12月16日に全て終了しました。調査は猛暑と格闘したり、雨後の出水に悩まされましたが、いろいろな成果を挙げることができました。



【古墳の痕跡を探して】

今回調査した場所は、かつて古墳があったと伝わる場所です。今回の調査では古墳の痕跡を見つけることはできませんでしたが、古墳に副葬されることが多い金属製品や玉類が出土しました。今回調査した場所の近くにかつて古墳が存在し、壊されてしまったが、遺物が調査した場所に残っていたのではと考えています。



【出土した金属製品】

表土を除去し、その下の黒褐色土を掘り進めたところ、古墳時代の金属製品が出土しました。写真は長さ約3.5㎝、幅約2㎝の辻金具(つじかなぐ)という、馬具(ばぐ)の一部です。上部が欠損しているので、元の大きさや形はわかりませんが、裏側(写真は表側)には、固定するための鋲が3か所に付きます。金属製品は、このほかにも鉄鏃(てつぞく)や刀子(とうす)、耳環(じかん)などが出土しました。



【出土した玉類】

 滑石(かっせき)製の勾玉で長さ約3.5㎝、厚さ約0.5㎝です。勾玉は、これよりもやや小さいものがもう1点あります。そのほか、直径4.4~12㎜の丸玉、直径3.8㎜の臼玉、直径1.6~2.7㎜のガラス製小玉も出土しました。



【古墳時代の竪穴状遺構を発見】

 古墳そのものは発見されませんでしたが、古墳時代の竪穴状遺構1軒が検出されました。竪穴状遺構は現状で長さ4.8m以上、幅約2.6mで、形が極端な長方形となり、底に段をつくるなど、一般的な住居跡とはやや違う特徴をみることができます。現時点で、竪穴状遺構の性格はわかりませんが、来年度以降に調査を予定している場所へと続いているので、今後明らかにしたいと思います。



座光寺石原発掘だより第2号2021年1月発行(PDF 361KB)

座光寺石原遺跡

2020年12月15日

南の組塚平遺跡・南の組久保田遺跡 2020年度 調査情報(1)

下久堅バイパスの建設に伴い、飯田市下久堅地区の南の組塚平遺跡、南の組久保田遺跡の発掘調査を実施しました。今回の調査範囲からははずれていますが、南の組塚平遺跡内の北東寄りには塚平古墳があることから、調査区内にも古墳があったと思われます。また、南の組久保田遺跡は塚平遺跡より一段低い段丘面にあり、畑地より打製石斧、須恵器片、土師器片が採集されていることから、集落跡が広がっていたと考えられます。



【天竜川を隔てて望む南の組塚平遺跡・南の組久保田遺跡】

南の組塚平遺跡と南の組久保田遺跡は、飯田市下久堅地区の天竜川の左岸、飯田市街地が一望できる竜東(下久堅)地区の西側斜面に位置し、段丘と傾斜地が小さな沢によって切られた狭い平坦面上にあります。



【飯田市街地を望む平坦地(南の組塚平遺跡】

南の組塚平遺跡では、10本のトレンチにより確認調査を行いました。トレンチから土師器片が1点出土しましたが、遺構は認められませんでした。調査地点は後世の造成により削平を受けたり、盛土されていたようです。土器が出土していることから、調査地点の周辺には古代の遺構があったと思われます。



 【石室の一部が残った塚平古墳】

下久堅下虎岩地区には、8基の古墳が登録されていますが、その一つ塚平古墳が南の組塚平遺跡の北東部にあります。墳丘の大部分は消失していますが、基底部が残り、石室の一部(玄室)が露出していました。調査の結果、古墳周辺から須恵器や金属製品の破片がみつかりました。



【トレンチ調査状況(南の組久保田遺跡)】

南の組久保田遺跡では2本のトレンチにより遺跡の確認調査を行いました。トレンチ内では遺物や遺構は認められませんでしたが、調査地点の表土からは須恵器の蓋の破片が出土しました。本遺跡の東側(山側)では南の組塚平遺跡と同じく、後世の造成を受けたことがわかりました。

南の組塚平遺跡・南の組久保田遺跡

2020年12月15日

ふじ塚遺跡 2020年度 調査情報(3)

ふじ塚遺跡内にある「ふじ塚古墳」の調査を9月から本格的に行いました。墳丘部分にトレンチを掘ったところ、礫石経(れきせききょう:経文が書かれた石)がみつかりました。このことから、「ふじ塚古墳」は古墳ではなく「礫石経塚」であることがわかりました。

ふじ塚遺跡の今年度の調査は12月11日で終了しました。ご協力いただき、ありがとうございました。



【礫石経塚の発見】

盛土や礫を取り除くと、礫石経塚のつくられた当初の姿が明らかになりました。規模は約8m×5mで、縁には石列がありました。



【礫石経】

礫の大きさや書かれている文字の字体から、礫石経塚は、戦国時代の終わり頃から江戸時代の初め頃に作られたと考えられます。県内で調査事例は少なく、経塚の作られ方や礫石経の埋納方法が分かる今回の調査は貴重な事例になりました。



【出土した和鏡】

礫石経塚の中央から和鏡(銅製、径約8㎝)とほぼ完全な形のかわらけが出土しました。礫石経塚の建設時に仏教儀礼が行なわれていたと考えられます。

ふじ塚遺跡

2020年11月13日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(4)

弥生時代の鉄製品の新知見!

 

 

 2か年の調査(2019・2020年)で出土した鉄製品2点のX線撮影を行ったところ、錆で覆われて見えない部分の観察から、新たな発見がありました。

 一つは木器加工に使用するような小さな鉄製工具、もう一つは小さな鉄製品の未成品の可能性が高まったことです。



【鉄製工具か(弥生時代中期)】

 X線写真では逆L字状の段が観察できる(赤丸部分)。この部分は刃部と茎(※)を分ける関(まち)に当たると想定されます。写真上が刃部、下が茎と考えられます。※茎(なかご:柄に装着する部分)

 

 長さ49×幅9×厚さ8mm、重さ6.7g。

 弥生時代中期後半の竪穴建物跡出土。



【鉄製品の未成品か(弥生時代後期)】

 薄い木の葉状に加工されている。

 写真赤丸部分を拡大して(下画像参照)観察すると、端部に面があることから、鉄素材から切り離したままの可能性があります。

 

 長さ33×幅19×厚さ8mm、重さ4.3g。

 弥生時代後期前半の竪穴建物跡出土。



【上の鉄製品端部の拡大写真】

 今後、X線CT検査等のより詳細な分析を進めた後、錆取りや樹脂含侵等の保存処理を行います。



 南大原ムラでは、従来の石器では難しい、木器加工に用いる鉄製工具を製作していたようです。近年、日本海沿岸で、木器加工を専門に行っていたと思われる集落遺跡が、発見されています。最新の文物が入るシナノの玄関口として、いち早く先端技術を手に入れていたのかもしれません。

南大原遺跡

2020年11月10日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(6)

沢尻東原遺跡の発掘調査成果報告会が開催されました

 

 

11月8日に辰野町教育委員会主催による発掘調査成果報告会に講師として参加しました。

70名もの参加者があり、町内の多くの方に関心をもっていただけました。



【講演風景】

 竪穴建物跡や土器の出土状況などの写真やイラストを使い、縄文人が沢尻東原ムラでどんな生活をしていたのかを説明しました。「黒曜石の原石は遺跡内で出土するのか」、「縄文人はムラの中に墓を作るのか」といった質問が会場から飛び出し、自分たちも縄文時代の理解を深めなければと身が引き締まりました。

【遺物・パネルの展示】

昨年の発掘で出土した遺物や、調査状況の写真パネルを展示しました。土器の文様や土偶の顔などを間近にみることができ、大変喜んでいただけました。

【当センターの遺跡の調査情報も紹介していただきました】

会場の受付では、当センターHPで公開している沢尻東原遺跡の調査情報も紹介していただきました。

現地説明会資料(2019年9月21日開催)

現地説明会資料(PDF1.8MB)



講演会当日の様子も放映されています

LCV「ねっとde動画」 辰野町「沢尻東原遺跡」発掘調査報告会

沢尻東原遺跡,調査情報

2020年10月20日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(5)

遺構図面のデジタルトレースを開始しました

 

 

今年度の室内作業では土器の接合と復元のほかに、遺構図面の整理も進めています。今回は現場における記録をデジタル化して、どのように報告書の資料にするかを紹介します。

 

【埋甕炉を発見】

竪穴建物跡から土器を囲炉裏に使った埋甕炉(まいようろ)が発見されました。

現場では形や使い方がわかるように、様々な角度から記録写真を撮ります。

 

 

 

 

 

 

【実測図を書く】

写真撮影の後は、正確な記録を残すための図面を作成します。
発見した遺構を、真上や真横からミリ単位で測り、方眼紙に記録します。

 

 

 

 

 

 

 

 

【手書きの実測図】

この埋甕炉は1/10の縮尺で記録しました。図面に記された数字は、基準点(海抜703.514ⅿ)からの高低差を示しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

【図面のデジタルトレース】

ここからが室内整理作業です。現場の図面をスキャンして、画面上で清書(デジタルトレース)します。

 

 

 

 

 

 

 

 

【完成したトレース図】

手書き実測図をデジタルトレースして、ようやく報告書に掲載できる資料となります。

沢尻東原遺跡,調査情報

2020年10月20日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(4)

篠ノ井東中の生徒が職場体験を行いました

 

 

9月24日に篠ノ井東中の2年生3名が当センターにおいて職場体験を実施しました。沢尻東原遺跡の作業室では土器の接合を行いました。

 

【土器を接合する】

たくさんの土器片が並ぶのをみて最初は戸惑いましたが、真剣に取り組み、破片同士がつながるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【縄文土器の特徴を学ぶ】

担当職員から縄文土器の特徴について説明を受けました。当センターでの職場体験では、このほかに図書の整理も実施しました。

沢尻東原遺跡,調査情報

2020年9月28日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(3)

歴史遺産を未来に残すために ~整理室より~

遺跡から出土した貴重な資料は、埋蔵文化財センター内の整理室に運び、整理と分析を行って、南大原遺跡という歴史遺産を未来に継承するための調査報告書を作成しています。
これからの仕事を紹介します。

 

【一つひとつ、記録化する】

 ペットボトルなどにある賞味期限の印字を見たことがありますか?それと同じ方法で土器1点1点に出土データを記録します。

遺跡名や出土位置の出土データが印字されます。

【土器に残された情報を読み取る】

 土器の表面に描かれた文様を寸分違わない精度で図面に写しとります。こうして作成された実測図は全国各地で出土した土器と比較検討する大切なデータとなります。


【遺跡の痕跡を図として保存する】

 二千年前の弥生人たちが大地に刻んだ生活の痕跡である建物やお墓の記録を、パソコンを使って合成していきます。


【調査記録や成果を1冊に】

 発掘現場と整理室で蓄積された遺跡の記録と成果を、皆さまにご覧いただけるように調査報告書を刊行します。現地には残せない遺跡の記録となる報告書もまた、大切な歴史遺産の一つです。


【先人の生き方を共有する】

 
出土品は博物館等で大切に展示保管されます。現在もセンター展示室で代表的な出土品や写真パネルを展示しています。土器や石器は先人たちが我われ現代人と同じ大地に生きた証しです。




南大原遺跡発掘調査情報(2)(pdf 1.0MB)





 

南大原遺跡

2020年9月23日

座光寺石原遺跡 2020年度発掘調査情報(1)

 座光寺石原遺跡は、飯田市座光寺地区の土曽川(どそがわ)左岸にあります。リニア中央新幹線の(仮)長野県駅と中央自動車道座光寺スマートインター(建設中)を結ぶ座光寺上郷(ざこうじかみさと)道路の建設に伴い、発掘調査を実施しています。過去の調査記録では、いくつかの古墳の存在と、石室(せきしつ)から馬具(ばぐ)や鉄鏃(てつぞく)などが出土したことが報告されています。古墳の痕跡を探求することも、今回の調査目的の1つと考えています。


【寒冷紗(かんれいしゃ)の下で】

 猛暑の日には寒冷紗を張り、日影の中で調査しました。熱中症にならないように、注意しながら掘り下げを進めました。



【石器が出土しました】

 縄文時代や弥生時代とみられる打製石斧(だせいせきふ)4点、横刃形(よこばがた)石器4点、砥石(といし)1点が出土しました。これらの石器は、遺跡周辺で採取できる石材を使って製作されています。


【 集石炉(しゅうせきろ)を検出】

 焼けた石や炭がたくさん詰まった集石炉がみつかりました。現在のところ、遺物が出土していないので詳しい時期や性格はわかりませんが、これからの調査で明らかにしていきたいと思います。

 

座光寺石原遺跡発掘だより第1号(pdf456KB)

座光寺石原遺跡

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