Research調査情報

2017年10月24日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報(5)

4月10日に開始した本年度の発掘調査が終了しました。B・C・D区の3か所の調査を行い、縄文時代中期の炉跡(B区)、弥生時代中期の竪穴建物跡(D区)や水田用水路と思われる溝跡(C区)、弥生時代と平安時代の土器がまとまって出土した場所(C区)がみつかりました。


【H29年度調査区遠景】

柳沢遺跡は千曲川と夜間瀬川の東側に広がっています。今年度も築堤地点の隣接地を発掘調査しました。

 調査の詳細は

 現地公開資料PDF(231KB) をご覧ください。


【弥生時代の溝跡(南から撮影)】

平成18年の調査でみつかった弥生時代中期水田の用水路(次の写真参照)の続きと思われる溝跡です。水田の畔跡は確認できませんでしたが、溝を埋めていた土の中からは弥生時代後期の吉田式の土器の破片が数点出土しました。弥生時代中期に掘られた用水路は弥生時代後期には埋没してしまった可能性があります。


【弥生時代水田と用水路(北から撮影)】

平成18年に調査した弥生時代中期の水田跡です。人が立っているところが水田で、その左側に用水路が南北にのびています。長野県内では、柳沢遺跡のほかに、中野市川久保遺跡、長野市川田条里遺跡、千曲市更埴条里遺跡・屋代遺跡群などで弥生時代の水田や水路が確認されています。

柳沢遺跡 

2017年10月11日

浅川扇状地遺跡群 平成29年度整理情報 (3)

今年度の整理作業も折り返し地点を越えましたが、引続き古墳時代の土器実測を中心に作業を進めています。また、実測と並行して土器一覧表の作成や古代以降の土器の観察と選別作業なども行っています。


【土器一覧表作成作業】

報告書に掲載する土器の出土位置や時代、壺や甕といった器種等を一覧表にしていきます。表現に違いがないか等細部まで確認しながら作成していきます。 


【土器の実測作業】

引続き古墳時代の竪穴建物跡や墓跡から出土した土器の実測を行っています。終了後は、古代の土器の実測作業に入っていきます。


【「和同開珎」の保存処理が終了しました!】

県立歴史館による応急的な保存処理が終了し、肉眼ではっきりと「和同開珎」の文字が読み取れるようになりました。センター展示室に展示してありますので、ぜひ足をお運びいただき、実物をご覧いただけたらと思います。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2017年10月5日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報 (3)

発掘で出土した縄文時代中期後半(約4500年前)の土器を観察したところ、表面や裏面、割れ口に凹みが残るものがありました。凹みにシリコンを注入し、固まったシリコンを取り出して走査型電子顕微鏡で観察した結果、その凹みがダイズ、アズキ、エゴマの種の跡であることがわかりました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ダイズの跡(長さ8.84mm、幅5.08mm)と電子顕微鏡の写真(右)】

野生種よりも大きく、栽培された可能性があります。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【アズキの跡(長さ6.72mm、幅3.60mm)と電子顕微鏡の写真(右)】

野生種と栽培種の中間の大きさで、栽培された可能性があります


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【エゴマの跡(直径2~3mm)が多く見つかった土器(左)と電子顕微鏡の写真(右)】

写真の土器をⅩ線撮影したところ土器の中にエゴマの可能性がある881点の凹みがあることがわかりました。この土器はエゴマを多く混じった粘土で作られたと言えます。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年9月15日

長谷鶴前遺跡群 平成29年度調査情報(1)

4月から調査を進めている本遺跡は、千曲川左岸の自然堤防西側の後背湿地(地元で蓮田(はすだ)と呼ばれる湿地)と、それに接するように南北に連なる山麓の緩やかな斜面の部分にあります。
長谷窯(はせがま)〈慶応3(1867)年から明治29(1896)年ごろまで操業〉推定地に近接する場所にあたり、明治時代前半期の窯関係の道具や焼き損じ品等が多数出土しました。 


【調査のようす】

窯関係の道具や焼き損じ品等が多数出土している場所の調査の様子です。


【出土した“ひょうそく”の蓋】

“ひょうそく”は、灯明具(とうみょうぐ)の一種で、油に灯芯(とうしん:ろうそくの中心のひもと同じ役割)を浸して、灯火(ともしび)をともす容器です。写真の上段は素焼きのもの、下段は釉薬(うわぐすり)をかけたものです。釉薬をかけているということから、出荷する製品であったことがうかがえます。


【円錐形の窯道具】

“円錐ピン”と呼ばれる窯道具の一つです。窯で焼く時に製品同士が釉薬でくっつかないようにするために、器と器との間に入れて使用していたものです。


【灯明具・窯道具出土のようす】

左が灯明具、右が焼台(しょうだい)で、焼き物の下に敷いたと思われる窯道具です。

【工房跡】

窯に付属していた工房があったとみられる場所から、四角の穴が開けられた2つの石が出土しました。他地域の事例から、製品を作る時に使用された轆轤(ろくろ)を固定するための石ではないかと考えられます。
“轆轤台石(だいいし)”または“轆轤心石(しんせき)”と呼ばれるもので、全国的にみても、設置された当時の状態で確認された例は少なく、貴重な資料となります。

長谷鶴前遺跡群

2017年9月12日

下川原遺跡 平成29年度調査情報(1)

―下川原遺跡の発掘調査が始まりました。―

昨年に引き続き、天竜川下久堅地区築堤護岸工事に伴い、8月下旬から下川原遺跡の発掘調査を開始しました。
今年は、昨年縄文時代や古代の土器が出土した微高地の面的調査と、近世に埋没したとみられる水田の調査を継続して実施する計画です。
天竜川左岸の低位段丘から天竜川に向かって伸びる微高地上で、人びとがどんな営みをしていたか、どんな土地利用をしていたか、日々の発掘作業で明らかにしていきたいと考えています。 


【微高地の広がりを確認する】

重機を使って深い溝を掘り、昨年遺物が検出された微高地の広がりを確認していきます。 


【発掘作業開始式】

9月1日、11名のベテラン発掘作業員が集まりました。「下川原遺跡2年目の調査が始まります!」調査部長の声にも期待が込められています。


【天竜川べりの水田調査】

天竜川の洪水で埋もれた水田の調査のため、堆積した砂層と水田層を断面で確認し、調査する面を決定していきます。

下川原遺跡

2017年9月11日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報 (4)

4月から開始した平安時代の集落跡や中世以降の墓跡などの調査は、ほぼ終了しました。 これからは、調査区南側の大溝と北側の土坑や溝などの調査を中心に行います。

 

【これまでの調査】

今年のこれまでの調査で、平安時代の竪穴(たてあな)建物跡20軒、中世から近世の墓跡40基、土坑257基などが見つかりました。


【丸鞆】

丸鞆(まるとも)とは、古代の役人が正装した時に着用したベルト:石帯(せきたい)に装着した飾り石です。この丸鞆は、平安時代の竪穴建物跡の埋土から出土し、ベルトに装着するときに使った金属製の鋲(びょう)が2か所(矢印)に残っていました。


【大溝の調査】

現在調査中の中世の大溝は、深くて断面形がV字形、足場が悪く掘るのが大変です。掘り下げるためには、掘る人、土を持ち上げる人、土を捨てる人という役割分担と息の合ったチームプレーが必要です。


【北八幡川の生き物】

調査区の南側を流れる北八幡川では、初夏のころカルガモ親子の仲むつまじい風景をみることができました。忙しい調査のなか、ほのぼのするひと時でした。

小島・柳原遺跡群

2017年9月7日

柳沢遺跡 平成29年度発掘調査情報 (4)

遺跡南端部(C区)の調査を継続しておこなっています。北端部(B区)と同様に平安時代、弥生時代、中世の土器が出土しています。 


【C区南部全景】

現在の柳沢集落よりも低地にあり、平安時代や弥生時代の土器は黒色の粘土層から出土します。出土状態から、低地でみつかった土器は、調査区の東側斜面上方に集落跡があって、そこから流れ込んだ可能性が高いと考えられます。


【排水溝を掘る】

湧水が著しいため、調査区の周囲に排水のための溝を掘りながらの調査になります。この溝は、これから調査を進めていく下層のようすを観察することにも役立ちます。


【調査のようす】

黒色粘土層中には土器が集中してみつかる地点があり、その周りは慎重に少しずつ掘り下げて調査しました。


【弥生土器】

弥生土器の破片がまとまってみつかりました。完形に近い状態に復元できそうです。

柳沢遺跡 

2017年8月4日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報(3)

現在、遺跡南端部(C区)の調査をおこなっています。湧水が著しく、水中ポンプを何台も使い、排水しながらの調査になっています。

【トレンチ状の調査】

調査区は東西幅が狭く、南北に細長いトレンチ状の調査となりました。黒色の包含層から、弥生時代や古代の土器が出土しています。

【調査のようす】

包含層中には、礫(れき)が混入している部分がありました。なかには直径1mを超える巨礫もあり、人為的に配置されたものではなく、土石流によって運ばれたと考えられます。礫の間からも土器がみつかっています。

【弥生土器】

弥生土器の破片が、まとまってみつかりました。土器片は、ほとんど摩耗(まもう)していませんでした。土器が捨てられた時に近い状態であると思われます。

【中近世の漆器】

写真の漆器は厚さ約5mmの板状で隅が丸く加工され、丸い穴が開いています。これ以外にもいくつか木製品がみつかっていますが、いずれもどんな製品であったのか、今のところ不明です。

【遺構検出作業のようす】

土の表面を平らに薄く削って遺構の形を探していきます。溝跡と遺物集中箇所が顔を出し始めました。さらに調査を進めていく予定です。

柳沢遺跡 

2017年8月4日

川原遺跡 平成29年度整理情報(2)

 ―川原遺跡の整理作業、奮闘中!―

川原遺跡の本格的な整理作業を開始して、早4か月が過ぎました。主に遺構図面の整理を行い、デジタルトレースも佳境に入っています。また遺物も、遺構ごとの大まかな様相を把握して、細かい分析に入るところです。
今月の後半からは、川原遺跡の下流に位置する下川原遺跡で、昨年度の続きの発掘作業も始まります!


【遺構のデジタルトレース進行中!】

遺構内の遺物出土状況図は、1点1点、土器や石器を確認しながらトレースしています。


【縄文時代晩期初頭の土器】

竪穴(たてあな)建物跡SB03から出土した土器は、口縁部に貼り付けられた刻みのある1条の隆帯の特徴から、約3,000年前の縄文時代晩期初頭のものとわかりました。


【松本平の縄文土器との比較】

7月14日(金)、川原遺跡と同時期の縄文土器が出土している松本市エリ穴遺跡へ資料調査に行ってきました。幅の広い口縁部の文様が省略されていく変遷がわかる資料で、川原遺跡から出土した晩期初頭の土器もその中に位置づけることができました。


【石器の観察】

川原遺跡からは多くの石器および剝片(はくへん:石器製作時に出た石のかけら)が出土しています。石器を作っていた可能性もあり、遺構ごとに出土した石を観察しました。

川原遺跡

2017年7月11日

石川条里遺跡 平成29年度調査情報 (2)

6月上旬まで調査を行っていた地区では、地表下約1.8mで千曲川の洪水で埋まった弥生時代の水田跡を発見しました。坂城更埴バイパス建設に伴う石川条里遺跡の発掘調査では、初めての発見となります。


【弥生時代水田跡の調査】

写真の右側に県道長野上田線が通っています。
弥生時代の土層を覆う砂層を掘り下げ、畔などを検出している様子です。白線が畔です。洪水砂は、畔の部分にはなく、水田面に堆積していました。



【地形の起伏に沿った水田】

弥生時代の水田跡を上空から撮影した写真です。畔で囲まれた水田跡の左側で微高地がみつかりました。弥生時代の畔はこの微高地の裾に沿ってつくられています。一方、現在の水田は、ほぼ東西南北方向に畔が延びています。


【水田跡の測量】

電子平板を使って畔の測量をしている様子です。

水田一枚が小さいことがわかります。


【上空から見た石川条里遺跡】

調査区とその周辺を撮影した写真です。調査区周辺は現在も水田が広がり、弥生時代から生産域であったことがわかります。

石川条里遺跡

2017年7月5日

出川南遺跡 平成29年度整理情報 (2)

整理作業も3ヵ月が経ち、遺物の様子がしだいに明らかになってきました。

出土した土器は、「台付甕(だいつきがめ)」という古墳時代前期を代表する器形が多いようです。現在は、土器片の接合・復元、住居跡など遺構の図面のトレース、表の作成といった作業を主に進めています。


【「台付甕」とは】

甕の底に台を付けた(煮炊き用の)土器のことです。東海地方西部に起源をもち、北部九州から関東地方まで広い範囲で出土しています。左の写真は、台を下から見た状態です。


【土器の復元】

土器片をセメダインなどで接合し、破片が足りないところには石膏を入れて補強します。薄くてもろい土器なので、慎重に作業を進めています。


【図面のトレース】

発掘現場で作成した図面を、パソコンに取りこんでトレースします。左が現場で作成した手描きの原図、右がトレースした図です。一日中パソコン画面に向かうので、根気が必要な作業です。

出川南遺跡

2017年7月4日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報 (3)

柳原住民自治協議会による遺跡の見学会が6月28日にありました。地域の皆さん23名の参加があり、熱心に調査の様子をご覧になっていました。

【調査区の見学】

一段高い場所から、調査区全体を見学していただきました。
遺構が重なり合っている様子がよくわかります。


【竪穴(たてあな)建物跡の説明】

前日夜に雨が降りましたが、竪穴建物跡の間近で見学していただくことができました。参加者からは、遺跡や遺構に関する質問が多く出されました。


【遺物の説明】

平安時代の土師器(はじき)や須恵器(すえき)、土製のおもり、陶製
の容器のフタ、お茶の道具である風炉(ふろ・ふうろ)の破片など、今年出土した遺物を見ていただきました。

小島・柳原遺跡群

2017年6月29日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報(2)

山鳥場遺跡の発掘作業を開始しました。山鳥場遺跡は昨年度からの継続調査です。今年度の調査では縄文時代の遺物包含層(土器や石器を含む地層)の広がりを確認しました。現在、包含層の上面から徐々に掘り下げる作業を進めています。この地層の下から縄文時代中期の竪穴(たてあな)建物跡も確認されています。


【遺跡の土層断面】

矢印の部分に黒味の強い地層が堆積しています。縄文時代中期(約4500年前)~後期(約4000年前)を中心とした土器や石器が多く含まれています。



【遺物包含層を掘り下げる】

調査区を4m四方の方眼に区切り、土器や石器の出土量や分布状況を記録しながら掘り下げていきます。



【土偶の顔を発見】

縄文時代中期(約4500年前)に作られたと考えられます。土偶は完全な形で出土するものが少なく、完全な形の土偶をバラバラにして捨てる風習があったのかもしれません。


【縄文時代の「刃物」?を発見】

昨年度、遺跡からは石を薄く割った破片がたくさん出土しました。これらを観察したところ、破片の一端が刃先のように鋭く、その一部が摩耗しているものもありました。縄文人が石の破片を刃物代わりに使用した可能性があります。

 

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年6月27日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報 (2)

現在、遺跡北端の市道倭(やまと)2号線に沿った東西約2m、南北約36mの細長い調査区(B区)を調査しています。


【B区調査風景】

写真右側には高社山(こうしゃさん)がそびえ、左側には千曲川が流れています。調査区は高社山の火山山麓扇状地の末端部分に位置します。


【縄文時代の土坑】

西側はH18~20年に築堤事業で調査が行われ、縄文・弥生・平安時代の遺構や遺物がみつかっています。その続きと考えられる縄文時代の土坑を検出しました。


【B区出土遺物】

縄文時代中期末から後期初頭(約4000年前)の土器が出土しました。


【打製石斧】

土掘りの道具と考えられている打製石斧(だせいせきふ)もみつかっています。
先端部が土に当たって摩耗しています。

柳沢遺跡 

2017年6月12日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(2)

今年度、発掘調査予定範囲は、ほぼ表面の土が剥ぎ終わりました。古代から中世の竪穴建物跡16軒、溝跡7本、墓35基、土坑(穴)200基以上が検出され、調査が進められています。6月7日には、県文化財保護審議委員の先生方や県教育委員会の皆さんが現場を視察されました。


【土器が置かれ、焼けていた穴】

 内耳土器が多量に出土した穴が見つかりました。穴の内側は激しく焼けており、カマドの煙道(えんどう)のような筒状の掘り込みが付いています。穴の中には土器が置かれていました。土器を焼いた穴にしては小さく、何のための施設か検討中です。


【木棺墓と土坑墓】

 昨年度から戦国時代から江戸時代初期にかけてのお墓がいくつも見つかっていますが、今年度も、長方形のお棺が納められていたと思われるお墓(木棺墓)が見つかっています(写真中央)。その右側には、人骨がそのまま土葬されたお墓もみつかっています(写真右)。


【風炉】

 お茶などをたてる時には、湯を沸かすために特別な道具、風炉(ふうろ・ふろ)が使われました。中世のものは、縁に文様装飾が施されていますが、特に素焼き(瓦質)のものが、室町時代以降珍重され、お茶を飲む風習(喫茶・茶の湯)とともに全国に広まったようです。

7月8日(土)に現地説明会を開催しますので、是非ご来場ください。

小島・柳原遺跡群

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