Research調査情報

2017年8月4日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報(3)

現在、遺跡南端部(C区)の調査をおこなっています。湧水が著しく、水中ポンプを何台も使い、排水しながらの調査になっています。

【トレンチ状の調査】

調査区は東西幅が狭く、南北に細長いトレンチ状の調査となりました。黒色の包含層から、弥生時代や古代の土器が出土しています。

【調査のようす】

包含層中には、礫(れき)が混入している部分がありました。なかには直径1mを超える巨礫もあり、人為的に配置されたものではなく、土石流によって運ばれたと考えられます。礫の間からも土器がみつかっています。

【弥生土器】

弥生土器の破片が、まとまってみつかりました。土器片は、ほとんど摩耗(まもう)していませんでした。土器が捨てられた時に近い状態であると思われます。

【中近世の漆器】

写真の漆器は厚さ約5mmの板状で隅が丸く加工され、丸い穴が開いています。これ以外にもいくつか木製品がみつかっていますが、いずれもどんな製品であったのか、今のところ不明です。

【遺構検出作業のようす】

土の表面を平らに薄く削って遺構の形を探していきます。溝跡と遺物集中箇所が顔を出し始めました。さらに調査を進めていく予定です。

柳沢遺跡 

2017年8月4日

川原遺跡 平成29年度整理情報(2)

 ―川原遺跡の整理作業、奮闘中!―

川原遺跡の本格的な整理作業を開始して、早4か月が過ぎました。主に遺構図面の整理を行い、デジタルトレースも佳境に入っています。また遺物も、遺構ごとの大まかな様相を把握して、細かい分析に入るところです。
今月の後半からは、川原遺跡の下流に位置する下川原遺跡で、昨年度の続きの発掘作業も始まります!


【遺構のデジタルトレース進行中!】

遺構内の遺物出土状況図は、1点1点、土器や石器を確認しながらトレースしています。


【縄文時代晩期初頭の土器】

竪穴(たてあな)建物跡SB03から出土した土器は、口縁部に貼り付けられた刻みのある1条の隆帯の特徴から、約3,000年前の縄文時代晩期初頭のものとわかりました。


【松本平の縄文土器との比較】

7月14日(金)、川原遺跡と同時期の縄文土器が出土している松本市エリ穴遺跡へ資料調査に行ってきました。幅の広い口縁部の文様が省略されていく変遷がわかる資料で、川原遺跡から出土した晩期初頭の土器もその中に位置づけることができました。


【石器の観察】

川原遺跡からは多くの石器および剝片(はくへん:石器製作時に出た石のかけら)が出土しています。石器を作っていた可能性もあり、遺構ごとに出土した石を観察しました。

川原遺跡

2017年7月11日

石川条里遺跡 平成29年度調査情報 (2)

6月上旬まで調査を行っていた地区では、地表下約1.8mで千曲川の洪水で埋まった弥生時代の水田跡を発見しました。坂城更埴バイパス建設に伴う石川条里遺跡の発掘調査では、初めての発見となります。


【弥生時代水田跡の調査】

写真の右側に県道長野上田線が通っています。
弥生時代の土層を覆う砂層を掘り下げ、畔などを検出している様子です。白線が畔です。洪水砂は、畔の部分にはなく、水田面に堆積していました。



【地形の起伏に沿った水田】

弥生時代の水田跡を上空から撮影した写真です。畔で囲まれた水田跡の左側で微高地がみつかりました。弥生時代の畔はこの微高地の裾に沿ってつくられています。一方、現在の水田は、ほぼ東西南北方向に畔が延びています。


【水田跡の測量】

電子平板を使って畔の測量をしている様子です。

水田一枚が小さいことがわかります。


【上空から見た石川条里遺跡】

調査区とその周辺を撮影した写真です。調査区周辺は現在も水田が広がり、弥生時代から生産域であったことがわかります。

石川条里遺跡

2017年7月5日

出川南遺跡 平成29年度整理情報 (2)

整理作業も3ヵ月が経ち、遺物の様子がしだいに明らかになってきました。

出土した土器は、「台付甕(だいつきがめ)」という古墳時代前期を代表する器形が多いようです。現在は、土器片の接合・復元、住居跡など遺構の図面のトレース、表の作成といった作業を主に進めています。


【「台付甕」とは】

甕の底に台を付けた(煮炊き用の)土器のことです。東海地方西部に起源をもち、北部九州から関東地方まで広い範囲で出土しています。左の写真は、台を下から見た状態です。


【土器の復元】

土器片をセメダインなどで接合し、破片が足りないところには石膏を入れて補強します。薄くてもろい土器なので、慎重に作業を進めています。


【図面のトレース】

発掘現場で作成した図面を、パソコンに取りこんでトレースします。左が現場で作成した手描きの原図、右がトレースした図です。一日中パソコン画面に向かうので、根気が必要な作業です。

出川南遺跡

2017年7月4日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報 (3)

柳原住民自治協議会による遺跡の見学会が6月28日にありました。地域の皆さん23名の参加があり、熱心に調査の様子をご覧になっていました。

【調査区の見学】

一段高い場所から、調査区全体を見学していただきました。
遺構が重なり合っている様子がよくわかります。


【竪穴(たてあな)建物跡の説明】

前日夜に雨が降りましたが、竪穴建物跡の間近で見学していただくことができました。参加者からは、遺跡や遺構に関する質問が多く出されました。


【遺物の説明】

平安時代の土師器(はじき)や須恵器(すえき)、土製のおもり、陶製
の容器のフタ、お茶の道具である風炉(ふろ・ふうろ)の破片など、今年出土した遺物を見ていただきました。

小島・柳原遺跡群

2017年6月29日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報(2)

山鳥場遺跡の発掘作業を開始しました。山鳥場遺跡は昨年度からの継続調査です。今年度の調査では縄文時代の遺物包含層(土器や石器を含む地層)の広がりを確認しました。現在、包含層の上面から徐々に掘り下げる作業を進めています。この地層の下から縄文時代中期の竪穴(たてあな)建物跡も確認されています。


【遺跡の土層断面】

矢印の部分に黒味の強い地層が堆積しています。縄文時代中期(約4500年前)~後期(約4000年前)を中心とした土器や石器が多く含まれています。



【遺物包含層を掘り下げる】

調査区を4m四方の方眼に区切り、土器や石器の出土量や分布状況を記録しながら掘り下げていきます。



【土偶の顔を発見】

縄文時代中期(約4500年前)に作られたと考えられます。土偶は完全な形で出土するものが少なく、完全な形の土偶をバラバラにして捨てる風習があったのかもしれません。


【縄文時代の「刃物」?を発見】

昨年度、遺跡からは石を薄く割った破片がたくさん出土しました。これらを観察したところ、破片の一端が刃先のように鋭く、その一部が摩耗しているものもありました。縄文人が石の破片を刃物代わりに使用した可能性があります。

 

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年6月27日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報 (2)

現在、遺跡北端の市道倭(やまと)2号線に沿った東西約2m、南北約36mの細長い調査区(B区)を調査しています。


【B区調査風景】

写真右側には高社山(こうしゃさん)がそびえ、左側には千曲川が流れています。調査区は高社山の火山山麓扇状地の末端部分に位置します。


【縄文時代の土坑】

西側はH18~20年に築堤事業で調査が行われ、縄文・弥生・平安時代の遺構や遺物がみつかっています。その続きと考えられる縄文時代の土坑を検出しました。


【B区出土遺物】

縄文時代中期末から後期初頭(約4000年前)の土器が出土しました。


【打製石斧】

土掘りの道具と考えられている打製石斧(だせいせきふ)もみつかっています。
先端部が土に当たって摩耗しています。

柳沢遺跡 

2017年6月12日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(2)

今年度、発掘調査予定範囲は、ほぼ表面の土が剥ぎ終わりました。古代から中世の竪穴建物跡16軒、溝跡7本、墓35基、土坑(穴)200基以上が検出され、調査が進められています。6月7日には、県文化財保護審議委員の先生方や県教育委員会の皆さんが現場を視察されました。


【土器が置かれ、焼けていた穴】

 内耳土器が多量に出土した穴が見つかりました。穴の内側は激しく焼けており、カマドの煙道(えんどう)のような筒状の掘り込みが付いています。穴の中には土器が置かれていました。土器を焼いた穴にしては小さく、何のための施設か検討中です。


【木棺墓と土坑墓】

 昨年度から戦国時代から江戸時代初期にかけてのお墓がいくつも見つかっていますが、今年度も、長方形のお棺が納められていたと思われるお墓(木棺墓)が見つかっています(写真中央)。その右側には、人骨がそのまま土葬されたお墓もみつかっています(写真右)。


【風炉】

 お茶などをたてる時には、湯を沸かすために特別な道具、風炉(ふうろ・ふろ)が使われました。中世のものは、縁に文様装飾が施されていますが、特に素焼き(瓦質)のものが、室町時代以降珍重され、お茶を飲む風習(喫茶・茶の湯)とともに全国に広まったようです。

7月8日(土)に現地説明会を開催しますので、是非ご来場ください。

小島・柳原遺跡群

2017年5月11日

浅川扇状地遺跡群(桐原地区) 平成29年度整理情報(2)

本年度、今まで浅川扇状地遺跡群で出土した金属製品を長野県立歴史館で、整理作業のための応急的な保存処理を開始しています。保存処理の前に、エックス線透過観察を行ったところ、なんと「和同開珎」(わどうかいちん・かいほう)の文字が浮かび上がってきました。


【古代竪穴建物跡から出土した銭】

今から5年前、平成24年度に平安時代前期(9世紀頃)の竪穴建物跡の埋土(まいど)から銭貨(せんか)が出土しました。錆に覆われていて字は読めませんでした。


【出土銭は「和同開珎」だった!】

和同開珎(708年発行)は、北は北海道、南は九州まで出土している、初めて全国に広がった古代貨幣です。県内では24例目となりますが、長野市内では初めてです。政府が整備した道路(官道:かんどう)や役所(官衙:かんが)の跡から出土することが知られており、単に珍しいだけでなく、古代長野の歴史を考える上で、重要です。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2017年5月2日

地家遺跡 平成29年度整理情報(1)

地家遺跡からは、さまざまな種類の木製品が出土しています。日常生活用具もありますが、寺院・葬送・祭祀に関わると考えられるものが多いのが特徴です。今回は、そのいくつかを紹介します。


【高欄の斗束】

仏堂に設けられた須弥壇(しゅみだん)の高欄(こうらん)の斗束(とづか)と推測しています。高欄の横材は上から架木(ほこぎ)、平桁(ひらげた)、地覆(じふく)と3本あり、斗束は地覆の上に立てて平桁を通し架木を支える縦材です。通栭(とおしたたら)ともいいます。この資料は、上部に架木の受部、中央やや上に平桁が取り付く窪み、下部に地覆に固定するためのホゾを作り出しています。

【高欄の模式図】

【板状の塔婆】

塔婆(とうば)は、葬送や供養の際に立てられる木製の板で、板状のものと角柱状の塔婆があります。写真は板状で頭部を緩く尖らせ、側面から2か所の切込みを入れています。

【角柱状の塔婆】

ほぼ四角柱の塔婆です。頭部が緩く尖り、2か所の切込みが全周しています。

【包丁形・刀形木製品】

包丁や刀の形の木製品がみられます。背側を厚く、刃側を薄く削って加工しています。何らかの祭祀行為に用いられたものと推測しています。

【火付木】

棒状の材の下端を斜めに切り落として尖らせたものや、丸く加工したものが150点ほど出土しています。そのうちの大部分は片端もしくは両端が顕著に炭化しているため、火付木(ひつけぎ)と考えています。火付木は火種をカマドや灯明などに移す際に用いる点火具といわれています。



【木製品の実測】

出土した木製品は木質の軟化が進み、また乾燥に弱いため、資料を傷めないよう丁寧かつ素早く実測することが必要です。細心の注意を払いながら作業を進めています。
写真は資料をルーペで詳しく観察しながら実測図を作成している様子です。



地家遺跡

2017年5月2日

石川条里遺跡 平成29年度調査情報(1)

坂城更埴バイパス建設に伴う石川条里遺跡の発掘調査が始まりました。現在は、県道長野上田線の東側で調査をしています。


【発掘作業開始式】

4月13日(木)、今年度の発掘調査が始まりました。写真は
発掘作業開始式の様子です。


【周辺の遺跡】

現在発掘調査を実施している調査区を東から撮影した写真です。写真中央にある三角形の尾根には、越将軍塚(こししょうぐんづか)古墳と赤沢城跡(あかざわじょうせき)があります。その尾根の麓では、長谷鶴前(はせつるまえ)遺跡群の発掘調査を行っています。




【水田跡の調査】

平安時代の水田跡を調査しています。平安時代の水田跡は、千曲川の洪水砂で覆われているため、その砂層を掘り下げて畔や水田面に残る足跡と思われるくぼみなどを検出しています。


【水田跡の畔の検出状況】

写真中央の黒色の部分が畔で、その両側の明るい部分が洪水砂です。洪水砂を取り除くと水田面が現れます。


【水田面に足跡?】

畔の両側の水田面には、足跡と思われるくぼみが多数あります。水田を覆う洪水砂がこのくぼみにも埋まっています。


【土層断面の記録】

土層の断面を記録している様子です。


【水田跡の記録】

水田跡の調査で検出した畦は、電子平板という測量機器を用いて記録しています。

石川条里遺跡

2017年4月27日

山鳥場遺跡・三ヶ組遺跡 平成29年調査情報(1)

県道御馬越塩尻(おんまごえしおじり)(停)線の改築に伴う調査です。山鳥場遺跡は昨年度に引き続き調査を行いますが、現在は、昨年の調査で竪穴(たてあな)建物跡から出土した土器の接合作業を進めています。三ヶ組遺跡は今年度からの調査です。遺跡の確認調査をしました。


【三ヶ組遺跡の確認調査1】

 三ヶ組遺跡は今まで発掘された記録がないため、本調査前に確認調査を行いました。


【三ヶ組遺跡の確認調査2】

 調査予定地に東西方向にトレンチを入れたところ、耕作土直下で基盤となる黄色い地層が出てきて、遺構は確認できませんでした。近代の圃場(ほじょう)整備で、遺跡が削られた可能性があります。


【三ヶ組遺跡で発見された縄文時代の石器】

写真左は打製石斧(だせいせきふ)の一部、右は石鏃(せきぞく)です。


【山鳥場遺跡の土器接合作業】

昨年度の調査で、竪穴建物跡から大小さまざまな大きさに割れた土器が出土しました。この中から文様や色合いの同じ破片を集めてつなげていきます。


【接合して形が明らかになった土器】

縄文時代中期(約4500年前)の深鉢(ふかばち)形土器です。高さ約50㎝、胴回りは約40㎝もある大形品です。粘土ヒモを貼付けたり棒状の工具で線を引いて文様を描いてあります。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年4月27日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報(1)

4月10日から9月29日の予定で、県道中野飯山線建設事業に伴う発掘調査を開始しました。今年度は、柳沢遺跡の北端部(B区)と南端部(C区・D区)の3か所で、3,350㎡を発掘調査します。


【発掘作業員開始式】

4月20日から発掘作業員さん13名を加えて発掘作業が始まりました。


【高社山と発掘調査地点】

現在調査中のD区では、弥生時代中期後半(約2,000年前)の土器と平安時代前半(約1,200年前)の土器が出土しています。


【D区調査風景】

平安時代の掘立柱(ほったてばしら)建物跡の柱穴と思われる遺構がみつかっています。

柳沢遺跡 

2017年4月27日

川原遺跡 平成29年度整理情報(1)

―川原遺跡の整理作業を開始しました―

昨年発掘が終了した飯田市川原遺跡の本格的な整理作業を開始しました。発掘現場で測量してきた遺構の図面を編集したり、竪穴(たてあな)建物跡等から取り上げてきた土器や石器を分類、観察して、発掘調査報告書を作る準備をしていきます。


【竪穴建物跡の平面図編集】

遺跡で記録した竪穴建物跡の平面図と断面図を照合して、報告書に載せる図面のもとを作っていきます。


【柱穴の断面図編集】

基準の位置を確認して標高値をそろえて、柱穴の断面図を清書していきます。


【遺物台帳の確認】

遺物の分類、観察をする前に、遺跡で記録したデータと実際の遺物との照合を行います。


【縄文土器の接合作業開始!】

取り上げてきた縄文土器のかけらをパズルをするようにくっつけて、できるだけもとの形に近づけます。さあ開始!!

川原遺跡

2017年4月26日

出川南遺跡 平成29年度整理情報(1)

センターでは、平成26年から昨年まで出川南遺跡の発掘調査を行ってきました。今年度は、これまでの調査成果をまとめる本格整理作業を進めています。松本市教育委員会が実施した平成25年発掘分も含めて整理し、来年3月には報告書を刊行する予定です。


【遺構図面の点検】

遺構図面の点検を行いました。

平成26・28年に調査を行った溝跡は何本も重なり合いながら複数の調査区にまたがっていて、点検するのにとても苦労しました。


【土器の接合】

平成26年調査で出土した土器から、接合作業を開始しました。古墳時代前期から中期の土師器(はじき)が多いようです。出川南ムラに暮らした人々の様子が見えてくるかもしれません。どれだけ形になるか今から楽しみです。

出川南遺跡

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