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2017年4月27日

川原遺跡 平成29年度整理情報(1)

―川原遺跡の整理作業を開始しました―
昨年発掘が終了した飯田市川原遺跡の本格的な整理作業を開始しました。発掘現場で測量してきた遺構の図面を編集したり、竪穴(たてあな)建物跡等から取り上げてきた土器や石器を分類、観察して、発掘調査報告書を作る準備をしていきます。

【竪穴建物跡の平面図編集】

遺跡で記録した竪穴建物跡の平面図と断面図を照合して、報告書に載せる図面のもとを作っていきます。

【柱穴の断面図編集】

基準の位置を確認して標高値をそろえて、柱穴の断面図を清書していきます。

【遺物台帳の確認】

遺物の分類、観察をする前に、遺跡で記録したデータと実際の遺物との照合を行います。

【縄文土器の接合作業開始!】

取り上げてきた縄文土器のかけらをパズルをするようにくっつけて、できるだけもとの形に近づけます。さあ開始!!

カテゴリ:川原遺跡

2017年4月26日

出川南遺跡 平成29年度整理情報(1)

センターでは、平成26年から昨年まで出川南遺跡の発掘調査を行ってきました。今年度は、これまでの調査成果をまとめる本格整理作業を進めています。松本市教育委員会が実施した平成25年発掘分も含めて整理し、来年3月には報告書を刊行する予定です。

【遺構図面の点検】

遺構図面の点検を行いました。

平成26・28年に調査を行った溝跡は何本も重なり合いながら複数の調査区にまたがっていて、点検するのにとても苦労しました。

【土器の接合】

平成26年調査で出土した土器から、接合作業を開始しました。古墳時代前期から中期の土師器(はじき)が多いようです。出川南ムラに暮らした人々の様子が見えてくるかもしれません。どれだけ形になるか今から楽しみです。

カテゴリ:出川南遺跡

2017年4月25日

ー浅川扇状地遺跡群「本村南沖遺跡」報告書刊行しましたー

書名:浅川扇状地遺跡群 本村南沖遺跡
副書名:新県立大学施設整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号:113
刊行:2017年3月

本村南沖(ほんむらみなみおき)遺跡は、飯縄山(いいづなやま)南東麓を源流とする浅川が形成した浅川扇状地扇央部分の西端で、南東方向に傾斜する地形の標高387~390mに立地します。主に、弥生時代後期と平安時代9世紀後半の集落跡がみつかりました。特に、弥生時代後期初頭吉田式期の複数の住居を構えた集落跡の発見例は少なく、本遺跡は集落域の分布の広がりを考えるうえで貴重な事例になります。

【遺跡全景(南から)】

縄文時代は土器片のみの出土で遺構はみつかっていません。ほかに弥生時代前期併行の墓跡、古墳時代中期の流路跡、奈良~平安時代の流路跡や弥生~平安時代の土坑(どこう)などを確認しました。

【弥生時代の土器】

吉田式期の竪穴(たてあな)建物跡7軒、掘立柱建物跡1棟、土坑を確認しました。遺物の様相から短期間に存在した集落で、吉田式土器の基準となる遺跡である長野吉田高校グランド遺跡の集落跡とほぼ同時期と考えられます。

【弥生時代の墓跡(SM02)出土遺物】

弥生時代後期前半 箱清水式期の成立段階に相当する土器棺(どきかん)墓が2基みつかりました。そのうちSM02は3個体の壺(つぼ)と1個体の甕(かめ)を組み合わせたもので、中心となる壺1個体は胴部に焼成後の穿孔がありました。この時期の住居跡が隣接する本村東沖遺跡内でみつかっており、居住域と墓域の関係がうかがわれます。

【平安時代の竪穴建物跡(SB13)出土土器】

平安時代は9世紀後半の竪穴建物跡が10軒のほか、掘立柱建物跡1棟、土坑を確認しました。竪穴建物跡は重複があるものの、出土土器に差がないため、ほぼ同一時期の集落であると考えられます。

カテゴリ:浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2017年4月25日

浅川扇状地遺跡群(桐原地区) 平成29年度整理情報(1)

浅川扇状地遺跡群は、調査を開始して7年目となりました。今年度も引き続き本格整理作業を行い、古墳時代以降の土器実測を中心に作業を進めています。また、未調査の地区の発掘作業も準備が整いしだい、再開していく予定です。

【土器の実測作業】

古墳時代の甕(かめ)を実測しています。土器の形を整える時についた細かい工具の調整痕(ちょうせいこん)なども、正確に方眼紙に写し取っていきます。

【土器の観察一覧表作成作業】

実測した土器の大きさや色調などの情報を、報告書用に表として作成していきます。

カテゴリ:浅川扇状地遺跡群(桐原地区)

2017年4月24日

ー「龍源寺跡」報告書刊行しましたー

書名:龍源寺跡
副書名:社会資本整備総合交付金(道路)事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
    (国)256号飯田市上久堅拡幅(1)
シリーズ番号:114
刊行:2017年3月

  龍源寺跡は伊那谷の天竜川左岸(竜東)の山間地にあります。遺跡が立地する段丘の先端にある谷状地形内を調査した結果、谷状地形を改変して造り出した平場から「方三間(ほうさんげん)の仏堂(ぶつどう)」の可能性が高い礎石建物跡や井戸跡、溝跡などの中世遺構がみつかりました。遺跡の南側には、この地を治めた国人(こくじん)領主である知久(ちく)氏の本城(神之峯(かんのみね)城城跡)があり、飯喬(いいたか)道路建設に伴う神之峯中腹遺跡の発掘では堂宇(どうう)と推測される礎石建物跡が発見されています。神之峯城城跡の周囲には宗教施設が点在していたと推測され、飯田市上久堅(かみひさかた)地区の地域史を明らかにする上で、重要な資料となりました。

【龍源寺跡 遠景(北西から)】

谷状地形内には、平場が造成されていました。写真左下に玉川が流れています。

【谷状地形での調査風景】

谷奥側から玉川側を臨んでいます。三方を尾根に囲まれた中で調査しています。写真中央に礎石建物跡があります。

【3間×3間の礎石建物跡】

写真は建物跡に伴う礎石と礎石推定箇所に模擬柱を立てたものです。建物跡の平面形状は方形で、写真の撮影方向に入り口が存在したと推測されます。

【礎石建物跡造成の様子】

礎石建物跡を構築する際に、黒褐色土と褐色土を交互に埋め立てて造成されています。

【礫石経(れきせききょう)の代用品】

礎石建物跡の検出時に、礎石に囲まれたなかから扁平な礫が45個出土しました。写真はその一部です。礫にはお経が書かれていませんが、礫石経(一字一石経)の代用品と考えています。これらは、地鎮具(じちんぐ)として使われたと推測しています。

カテゴリ:龍源寺跡

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