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2019年10月28日

一の釜遺跡 2019年度発掘調査情報(2)

*調査開始から2か月がたちました。
【見学者】

一の釜遺跡には地元の方をはじめ、これまでに30人ほどの方が見学に訪れました。下諏訪町教育委員会による調査や隣接する武居林遺跡の調査に携わった方から、過去の調査成果などの貴重なお話を伺うことができました。

【竪穴(たてあな)建物跡1】

東西の幅が4mほどの方形の落ち込みが見つかりました。南北に傾斜した斜面に立地するため、南壁は削平を受け、掃除道具の「ちりとり」のような形をしています。北壁側には柱穴が2つ見つかりました。 

【石皿】

竪穴建物跡の床面近くで見つかりました。欠けているので全体の大きさはわかりません。木の実をすり潰したりする台として使われたと考えています。



【竪穴建物跡2】

5mほど西側にもう1基方形の落ち込みが見つかりました。掘り込みは約10cmと浅いのですが、たくさんの黒曜石の剝片や砕片が竪穴建物跡を埋める土の中から見つかりました。平らな底面の一部に焼土が分布することから、これも竪穴建物跡と考えられます。

【遺構検出】

地面を移植ゴテや両刃鎌を使って平らにしています。周囲の土と色や質が異なる部分が見つかりました。穴かどうか確認するため、試し掘りをします。

【遺構精査】

どうやら人が掘った穴のようです。次に半分だけ穴の底まで掘り下げ、土の埋まり方や遺物の入り方、種類などを観察し記録します。

【縄文土器】

穴の中からは、縄文時代前期末(今から約5,000年前)頃の土器や黒曜石の破片が不規則に見つかりました。

【穴の中から見つかった礫】

この穴の底からは大きな礫がたくさん見つかりました。この穴が使われなくなった後で、礫を捨てたのかもしれません。

*今後はこれまでより南側の斜面下方にある平坦面の調査を始めます。

 お気軽にお立ち寄りください。 

カテゴリ:一の釜遺跡

2019年10月24日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(3)

【発掘作業開始から7か月 】

平成31年4月に始まった発掘作業は、地域の皆様のご協力のもと順調に進み、この10月で7か月が経過しました。この間に、夏から継続してきた桐原地区の調査が終わり、中世の館跡に伴う堀跡や平安時代の竪穴建物跡等を確認しました。また、新たに吉田田町地区でも発掘を開始しました。今後とも地域の皆様のご理解とご協力をよろしくお願いします。

【平安時代の竪穴建物跡】

【かまど跡の周囲からまとまってみつかった土器】

【床に埋められた土器】

桐原地区では、平安時代の竪穴建物跡から、床に埋められた状態の土器が見つかりました。なぜ、床に土器を埋めるのか、はっきりした理由はわかっていません。土器の出土状態を観察すると、ゴミ穴のような場所ではなく、土器の大きさに合わせて掘られた穴に、口を上にして設置されていました。古代人が特別の思いで意図的に土器を埋めたことがわかります。

【中世の堀跡、どこまで続く?】

桐原地区では平安時代の遺構の他に、中世の館跡「桐原要害」に伴う堀跡を確認しています。調査区を南北に縦断するように見つかったこの堀は、館跡の西側を区画するものです。堀は館跡を囲むように設置されるため、どこかで東側に曲がり、南側を区画する堀になるはずですが、この調査区では堀の屈曲部を見つけることができませんでした。今後の課題です。

【ハートマーク?の墨書土器】

墨で文字や絵が描かれた土器を墨書土器といいます。浅川扇状地遺跡群では、これまでも墨書土器が見つかっていますが、今回は、なんと「♡マーク」が描かれています。じつは、これはハートではなく、イノシシの目をモチーフにした「猪目」という模様です。「猪目」は、魔除けの目的で描かれたものだと考えられており、現代でも神社仏閣などで時折見ることができる模様です。

カテゴリ:浅川扇状地遺跡群(桐原地区)

2019年10月17日

浅川扇状地遺跡群 2019年度発掘調査情報(2)

浅川扇状地遺跡群 現地説明会を開催しました!

カテゴリ:浅川扇状地遺跡群(桐原地区)

2019年9月24日

一の釜遺跡 2019年度発掘調査情報(1)

【発掘調査が始まりました!】

昭和63年と平成11年に下諏訪町教育委員会が実施した発掘調査では、縄文時代前期末葉から中期初頭(約5,500年前)を中心とする集落跡が見つかりました。黒曜石の原産地を間近に控え、大量の黒曜石が出土することが特徴です。今回の調査対象地からは外れますが、付近に一の釜古墳があり、古墳時代の遺物も出土しています。

 

【諏訪湖の対岸(南)から調査地を望む】

一の釜遺跡は、霧ケ峰高原を背にした湖北山地の南斜面、鋳物師(いもじ)沢川と福沢川に挟まれた細長い尾根上に位置します。眼下には下諏訪の市街地と諏訪湖が広がり、天気が良いと遠く富士山を望むことができます。


 

【表土掘削】

重機を使い、表土や畑などの耕作土を除去し、遺構や遺物が見つかる黄褐色のローム層の上面まで掘り下げています。 調査員は、遺構や遺物がないかどうか、重機のバケットの先を集中して見つめています。重機の運転手さんは、調査員の指示によって土をわずかずつ平らに掘り下げます。 調査員と運転手さんとのコミュニケーションが欠かせない、緊張感のある作業です。

 

【遺構検出】

重機で表土を除去した地面は、移植ゴテや両刃鎌を使って人力で平らにしていきます。すると、黄褐色の地面に薄茶色をした土の質の異なる部分が見つかりました(写真の矢印部分)。直径50cmから1mほどの円形で、黒曜石や縄文土器の破片が出土しています。ひととおり遺構の検出作業が進んだところで、土の質の異なる部分を掘り下げていきます。

穴の形や土の埋まり方、出土する遺物などから、遺構の時期や用途を探っていくわけです。 現在のところ、竪穴建物の痕跡らしき部分も見つかっています。上屋を支えた柱跡や火を焚いた炉跡が見つかれば、竪穴建物跡と断定できるのですが、果たしてどうなりますか? お楽しみに!  

カテゴリ:一の釜遺跡

2019年9月11日

沢尻東原遺跡 2019年度発掘調査情報(3)

猛暑の中の発掘作業を乗りこえ、竪穴建物跡(たてあなたてものあと)を掘り始めるとそのようすも少しずつわかってきました。これまで取上げた土器以外にも、建物跡の床面(ゆかめん)からは屋根を支えた柱の穴や、煮炊きをおこなった炉(=イロリ)の跡などを発見しました。 今回は、縄文中期(約5,000年前)のいろいろな大きさや形の炉跡について紹介します。

【いろいろな炉跡】

竪穴建物跡で大小さまざまな炉跡を発見しました。中期の前半から後半へとうつるなかで、①から③へと炉の大きさも次第に大きくなってゆくようです。

【炉跡①】

7号竪穴建物跡では大変小さな石組炉(いしぐみろ)を発見しました。長さ約20㎝ほどの平らな石を4つ組合せています。他のものと違って、たった4つしか石を使わないので、小ささがわかると思います。

【炉跡②】

25号などの竪穴建物跡では石組炉の内側に土器を埋設していました。石組埋甕炉(いしぐみまいようろ)といいます。約60~70㎝の石の輪の中に、直径25㎝余りの土器が埋まっています。土器は底部や口縁などを打ち欠いて、胴部の高さ15~20㎝程度の部分を使っています。<

【炉跡③】

2号竪穴建物跡では、石で囲んだ炉の内側にも石を敷き詰めています。石囲石敷炉(いしがこいいしじきろ)といいます。長径約1.3mと、やや大型になっているのもこの炉跡の特徴です。

【来訪者が次々と】

7月22日、天候が悪化する中、辰野町の武居保男町長さん、山田勝己副町長さんが遺跡を見学されました。 縄文時代の集落のようすや出土した石器の使い方などを調査担当者が解説しました。 縄文時代の土器がまとまって出土した13号竪穴建物跡などを見学され、遺構・遺物の出土状況やその重要性について、理解を深めていただきました。

【何が出てくるか?ドキドキ!】

夏休み直前の7月23日、辰野南小学校の6年生につづき5年生が遺跡の見学と発掘体験をおこないました。 天竜川に近い調査地点の東端付近を移植ゴテで掘って、大小さまざまな土器のカケラを発見しました。 今回は特に黒曜石(こくようせき)のカケラを見つけることが多く、発見のたびにひときわ大きな歓声が上がりました。 5年生の皆さんも縄文時代を十分に体感できたようです。

現地説明会を開催します!】
  ホームページで紹介した炉跡や竪穴建物跡の一部、発掘調査のようすなどを見学していただけます。出土したばかりの土器や石器も展示します。
☆お誘い合わせの上、お越しください!

   ☆9月21日(土)

    ①午前10:30~

    ②午後13:30~

 ※詳細は(案内チラシ案内図)をご覧ください。(小雨決行)

 

 

カテゴリ:沢尻東原遺跡

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