Research調査情報

【北信】川田条里遺跡

ふりがな
かわだじょうりいせき
住所
長野市若穂川田字塚本北
マップURL
マップ
※スマホのGoogleマップアプリでは非対応
立地
千曲川右岸の後背湿地に立地
事業
(仮称)若穂スマートIC整備
調査期間
令和4・5・7年
時代
弥生~近代
遺跡の種類
水田跡・館跡
調査状況
発掘終了

2025年9月22日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(5)

【新しい調査区の発掘調査が始まりました!】

 7月下旬から市道町川田大門線北側でT12調査区の発掘調査が始まりました。現在は中世と想定される面の調査を行っています。

 T12調査区の西側に隣接する旧川田保育園(現:認定こども園川田)建設時の調査では、川田氏館跡との関連が想定される建物の跡や、たくさんの穴がみつかっています。

T12調査区調査の様子(北東から)

 

【穴だらけ!これって建物の跡?】

 T12調査区からも建物の柱穴を含むたくさんの穴がみつかりました。

 一見まとまりなく見えるこれらの穴も、穴の大きさや、穴と穴との間隔などを分析することによって、当時の建物の柱の位置や、上部の構造を推定することができます。

 建物の規模を表すときには、柱と柱の間を「間」と表現します。

 T12調査区では、東西3間×南北2間の建物や、東西2間×南北2間の建物と想定される痕跡がみつかっています。

東西3間×南北2間の建物跡

東西2間×南北2間の建物跡

 

【東海地方から搬入された中世の陶器】

 T12調査区からは、中世と想定される尾張(愛知県西部)周辺の窯で焼かれた山茶碗や、美濃中津川(岐阜県中津川市)周辺の窯で焼かれた陶器の甕がみつかりました。

 山茶碗は、釉薬を使わずに焼き上げられた陶器です。生産地である東海地方を中心に中部地方にも広く分布する遺物です。長野市内の遺跡でもみつかっており、日常雑器として消費されたと考えられています。

 中津川の窯で作られた陶器は、生産地周辺から信濃にかけて多くみつかっている遺物です。北信地域では、栗田城跡・尾張城跡(ともに長野市)、東條遺跡(千曲市)など有力者の居館などに関連する遺跡でみつかっています。本遺跡も川田氏館跡に隣接しており、地域の有力者との関連を考えさせる遺物です。

 

尾張周辺で焼かれた山茶碗

 

中津川の窯で焼かれた陶器(甕)

 

 

【現場公開】

 現在、T12調査区は1次面(中世面)の調査を終え、さらに下の面の調査を行っています。遺構数も増加し調査は佳境を迎えています。

 また、地元の皆さんにはすでに回覧いたしましたが、10月1日(水)と2日(木)の両日、午後1時30分から3時まで発掘調査現場の公開を行います。平日ではありますが、ぜひお越しください!

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第5号(PDF: 711KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年8月15日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(4)

【古墳時代から奈良時代と推測される水田跡がみつかりました!!】

 市道町川田大門線南側のT14・T15調査区の発掘調査が完了しました。

 地表面から約130cmほど下で古墳時代から奈良時代と思われる水田の畦畔がみつかっています。また、T14調査区では畦畔に沿って長さ100cm程度の杭が打ち込まれていました。T15調査区内の一角では畦畔が不明瞭となります。過去の上信越自動車道部分の調査では、T15調査区付近で水田が確認されなくなることが分かっており、今回の調査成果と一致しています。周辺環境の復元については、今後科学分析による検討を行います。

壁面で確認された畦畔の盛り上がり(T15調査区)

古墳時代から奈良時代の水田の畦畔(T14調査区)

古墳時代から奈良時代の水田の畦畔(T15調査区)

畦畔に伴う木杭(T14調査区)

畦畔に伴う木材(T15調査区)

 

【水田で出土した遺物】

 水田面での遺物の量は少ないですが、古墳時代の土器(土師器)などが出土しています。

 土師器は甕(煮炊きに用いる土器)の割合が多いです

古墳時代の土器(T15調査区)

 

【これからの調査の予定】

 7月下旬から市道町川田大門線北側のT12調査区の調査を実施しています。隣接するこども園の調査では、中世の居館跡である川田氏館跡に関連する遺構が確認されており、T12調査区でも多くの発見があるものと期待されます。新たな調査成果は今後の発掘だよりでお知らせします。

T12調査区の調査

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第4号(PDF: 1059KB)

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年7月16日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(3)

【中世の溝跡とそれに沿う2本の杭列がみつかりました】

 市道町川田大門線南側の15T調査区で、幅約3m、深さ約40cmの中世(鎌倉時代~室町時代)の溝跡がみつかりました。

 この溝跡はほぼ東西に走っており、東から西へ向かって傾斜しています。

 また、溝跡の南側には、2本の杭列もみつかりました。中には打ち込みやすいように先端を加工したものも含まれ(写真下)、深さ1m以上まで刺さっているものもあります。今から500年以上前の人が削った痕だと考えるとワクワクします。

 この溝跡は、川田小学校を中心に広がる川田氏館跡に関連する可能性があります。

15Tでみつかった中世の溝跡(真上から)

15T 溝に沿って並ぶ杭列

(杭を取り上げるために手前を掘り下げてあります)

打ち込みやすいように加工された杭の先端

 

【今年の調査で出土した遺物より】

 羽口は、鉄などを溶かす鍛冶作業に使われる道具の一つで、鞴(風を送る装置)から炉の中に風を送る土製の管で、真ん中に空気が通る穴があります。炉に近い部分は、高熱で変色したり、鉄などが付着することがあります。

(参考) 千曲市清水製鉄遺跡出土 羽口

(長野県埋蔵文化財センター1997『清水製鉄遺跡』)

(参考)鍛冶作業の模式図

(作図:長野県埋蔵文化財センター 佐久市洞源遺跡現地説明会資料より)

 

 川田条里遺跡では、過去に川田保育園(現認定こども園川田)の改築工事に伴う発掘調査で、羽口など鍛冶作業に関わる遺物が出土し、川田氏館跡周辺で、鍛冶作業などの生産活動が活発に行われていたと推定されました。

 出土した羽口は、生産活動がより広い範囲で行われていたことを示す注目の遺物です。

 

【これからの調査の予定】

 市道南側の調査区では、中世の調査が終了し、その下の水田調査を行っています。現在は、奈良時代頃と推定される水田の姿が見え始めてきました。

 地元の皆様方に、今年の調査成果を見ていただく機会も、今後計画していきたいと考えています。

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF: 853KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年6月15日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(2)

【川田条里遺跡の発掘調査を行っています】

 川田条里遺跡の発掘調査の開始から約1か月が経過しました。現在、市道町川田大門線南側の14T・15T調査区の発掘を行っています。これまでの調査では、地表面から約80cmほど下で中世(鎌倉時代~室町時代)の遺構が確認されています。調査区に隣接する川田小学校の周辺は、中世の居館跡である川田氏館跡として周知の埋蔵文化財包蔵地に登録されており、今回の調査でみつかった遺構は、館跡に関連する遺構である可能性があります。

上空から見た発掘調査現場(南から)

 

【中世の建物跡を発見!鍛冶工房か?】

 14T調査区では、中世の掘立柱建物跡、溝跡などがみつかっています。そのうち1棟の掘立柱建物跡では、鉄片や、鉄を溶かすために使う坩堝片などが出土しており、鍛冶等を行う工房あったと考えられます。

14T 中世の遺構面

 

 また、調査区内ではかわらけ(小皿)や内耳鍋などといった地元産の土器や、白磁、青磁などといった輸入陶磁器が出土しています。

 さらに、中世の掘立柱建物跡付近を少し掘り下げたところ、鍛冶に関わる遺構がみつかりました。遺構は石を組んで築かれ、内部には炭混じりの土が堆積しています。

 周辺では鉄滓(鍛冶を行う際に出る鉄くず)が出土しており、14T調査区の付近には、中世の鍛冶関連の作業を行う空間が広がっていた可能性が高いと考えられます。

鍛冶関連遺構

 

【東西に走る中世の溝跡を発見】

 15T調査区では、中世の溝跡がみつかっています。溝の規模は幅約3m、深さ約40cm程度で、溝の南側に沿う木杭の列を確認しました。この溝より南側では遺構が検出されておらず、この溝は中世の遺構範囲の南限を示すものと考えられます。

中世の溝跡(西から)

溝跡に沿う木杭の列

 

【これからの調査の予定】

 現在の中世面の調査終了後、さらに下の古代面(古墳・奈良時代)の調査を行う予定です。過去の上信越自動車道部分の調査成果を踏まえると、14T・15T付近は古代の水田が一面に広がっていたと思われ、14Tでは、古代水田の畦畔を構築する木材が一部確認されています。新たな調査成果は改めてお知らせします。古代面では一体どのような発見があるのか、乞うご期待です。

14Tで確認された古代の木材

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第2号(PDF: 1259KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年5月23日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(1)

【川田条里遺跡の発掘調査がはじまりました】

 4月30日(水)から、長野市若穂川田地区で川田条里遺跡の発掘調査をおこなっています。この調査は、(仮称)若穂スマートインターチェンジ整備事業に先立っておこなうもので、今年度の調査は11月中旬まで、調査は来年度まで続く予定です。調査は㈱島田組に発掘作業支援業務を委託して実施しています。

令和7年度の発掘調査予定地

 

 期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。

 また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

【川田条里遺跡ってどんな遺跡?】

 川田条里遺跡は、以前から何度か発掘調査がおこなわれています。過去の調査成果を振り返りながら、川田条里遺跡とはどんな遺跡なのか、ご紹介します。

 

【上信越自動車道建設時 2000年前から続く水田跡】

 1989~1990(平成元~2)年に長野県埋蔵文化財センターが上信越自動車建設事業に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期から近世まで各時期の水田跡が重なっていることを確認しました。

 特に古墳時代と奈良時代の小区画水田と、奈良・平安時代の条里型水田の発見は、全国的にも注目されました。

みつかった奈良時代の水田跡

 

 

【川田保育園改築時 室町時代館跡に関係する工作遺構を発見】

 1999(平成11)年、長野市教育委員会は、川田条里遺跡の範囲内に位置する川田氏館跡について、川田保育園(現、認定こども園川田)の改築工事に伴う発掘調査を実施し、15世紀後半の室町時代館跡に関係する工作遺構を発見しました。

 

【令和4年度調査 地層を抜き取って地下の水田を探る】

 地下の状態を知るために、重機を使って地表下4mまで鉄製の枠を打ち込む地層抜き取り調査(ジオスライサー掘削法)を、合計41地点で実施しました。

 その結果、今年度の調査区付近では、地表下4mまでの間に、古墳時代から奈良時代と考えられる水田面が少なくとも2面存在することがわかりました。

ジオスライサーの打ち込み作業

 

【令和5年度調査 鎌倉時代の建物跡や溝跡を発見】

 調査区周辺の現在の地形は平坦ですが、過去は西(川田小学校側)から東(高速道側)に向かって傾斜し、その傾斜地から鎌倉時代の建物跡や溝跡がみつかりました。

 みつかった建物跡は2棟で、その柱穴からは13世紀前半の鎌倉時代のカワラケ(小皿)が出土しています。また、これらの建物跡を取り囲むように溝跡がみつかったため、溝で区画された屋敷地であったと考えられます。

鎌倉時代の掘立柱建物跡

 

【さらにその下からは、古い畦畔の芯として使われた建築部材を発見】

 鎌倉時代の屋敷地のさらに約20cm下から水田跡がみつかり、その畦畔(あぜ)には建物の部材が芯材として再利用されていました。

 中には長さ4mにも及ぶ「造出柱」とよばれる高床建物に使う柱も使われていました。放射性炭素年代測定では今から約1500年前の古墳時代中期頃という結果が出ています。

 川田周辺に高床建物が立ち並ぶムラが存在していたことは間違いありません。

長さ4mの「造出柱」

 

 今年度の調査地点は、鎌倉時代の遺構と室町時代の遺構がみつかった、中間の部分にあたります。

どんな昔の川田の姿を見せてくれるのか。乞うご期待です。

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 809KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2023年6月20日

川田条里遺跡 2023年度発掘調査情報(2)

【これまでの調査とこれからの予定】

6か所の調査区(右図のT1~T6)を設定し、調査を進めています。T4・5の2地区で発見した川田氏館跡に関連する遺構群について、その詳細が明らかになってきました。その他の調査区では平安時代と古墳時代の水田跡の調査のため、重機で深堀りをし調査しています。

 調査期間も残すところ1か月となりました。今後は、水田跡の調査が主となるため、泥や水との戦いとなります。

 詳しい情報はこちら(川田条里遺跡発掘だより第2号 PDFデータ:747KB)

 

【川田氏館跡に関連する遺構群】

 1999年(平成11年)に長野市教育委員会が実施した発掘調査で、15世紀後半の溝により規制された10棟の建物跡や焼土を伴う土坑、工房跡を想起させる張床状遺構などが発見されました。

 今回の調査で発見した遺構群は、右図に示すようにT5区で直角に近い角度で曲がる溝跡(区画溝)の北西側に掘立柱建物跡などが展開しており、溝で区画された屋敷地であったと考えられます。

 

【小さな出土遺物が遺構群の時期を語る!】

 溝跡を発掘すると、土器や陶磁器が出土しました。中国から輸入された青磁や白磁、石川県産の珠洲焼(すずやき)、岐阜県産の中津川焼や山茶碗、地元産のカワラケなど、種類が豊富です。この遺跡が、当時の全国的な焼物の流通ルートに組み込まれていたことを物語ります。

 焼物それぞれの特徴から、時代や時期がわかりました。その結果、今回発見した溝で区画された屋敷地は、鎌倉時代のものであることがわかりました。川田氏館跡は室町時代のものと考えられており、今回発見した屋敷地はそれよりも古い時代のものです。これが基盤となり、川田氏館跡へ発展していったのでしょうか。

北信,川田条里遺跡,調査情報

2023年5月11日

川田条里遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【川田条里遺跡の発掘調査がはじまりました】

 4月10日(月)から、長野市若穂川田地区で川田条里遺跡の発掘調査を行っています。期間は6月末までの予定です。

 

詳しい情報はこちら(川田条里遺跡発掘だより№1 PDF:742KB)。

 

 

 

 

 

 

 

 

【川田条里遺跡ってどんな遺跡?】

 1989年から1990年に当センターが高速道路(上信越自動車道)建設に伴い、弥生時代中期から近世の水田跡の発掘調査を実施し、時代ごとの水田の様子が明らかになりました。特に古墳時代と奈良時代の小区画水田や奈良・平安時代の条里型水田の発見は全国的にも注目されました。

 また、1999年に長野市教育委員会が、今回の発掘調査範囲西側で15世紀後半の「川田氏館跡(かわだしやかたあと)」の発掘調査をしています。

 

 

【令和4年度の調査】

 鋼矢板を杭打機で打設する地層抜き取り調査(ジオスライサー掘削法)を行いました。採取した土層断面の観察と土壌サンプルの年代測定分析を行った結果、今回の調査範囲には古墳時代から奈良時代の水田面が2面あることがわかりました。

 そこで、令和5年度は、開発に伴う地形改変等の影響が及ぶ地表下2mまでを記録保存調査の対象としています。

    

 

 

【川田氏館跡に関連する遺構群を発見!!】

 昨年度の調査成果から、深さ約1mで検出される水田面を目指し、重機で掘削したところ、深さ約80㎝のところで、穴や溝跡が見つかりました。

 穴は規則的に配列されており、建物を構成していた柱穴であることがわかりました。また、溝跡は南北方向に延びるものと、東西方向から南北方向に向きを変えて延びるものがあり、土地の区画に基づくものではないかと想像します。遺構内外から、青磁碗のカケラや土師器皿等が出土しており、「川田氏館跡」に関連する遺構群であると考えています。

 今後、溝跡を中心に掘削を進めていきます。どんなお宝が埋まっているか、乞うご期待です。

    

北信,川田条里遺跡,調査情報