古代から中世にかけての竪穴住居跡や溝、柱穴がみつかっています。遺跡の右側にある斜めの屋根が、佐久西小学校の体育館です。
昭和30年に佐久西小学校へ向けて引いた水道管(鉄管)が検出されました。今は使われていませんが、おいしい水を子供たちに飲ませたいという地域の人たちの苦労がうかがえます。
新たに竪穴住居跡がみつかりました。これからの調査が楽しみです。
遺跡は東に野沢平を見下ろす山裾の傾斜地にあります。遺跡一帯は、寛平五年(893)に開創され天正十年(1582)に兵火で焼失した旧長命寺跡という伝承があります。現在、遺跡北側の尾根から斜面にかけて調査していますが、中世の墓あな群とともに、五輪塔や板碑が出土し、旧長命寺(ちょうめいじ)に関係すると考えられる墓地が姿を現し始めました。
東の低地から遺跡を望む。中央に見える赤い三角屋根は旧長命寺の二王門跡地に建立されたと伝えられる二王堂です。須弥壇(しゅみだん)の下に応永二十二年(1415)銘をもつ石柱が納められています。今回の発掘調査地は二王堂の奥にあたります。
長方形の墓あなに、頭を東に向けています。
このお墓には骨や歯は残っていませんが、中国銭(北宋銭)が副葬されていました。
上アゴの歯並びが残っていたお墓です。頭は西向きです。
調査範囲からは五輪塔の各部分が多数出土しています。写っているのは右上から空風輪、火輪、水輪です。五輪塔は、万物を構成する五大要素の空・風・火・水・地を、それぞれ宝珠・半円・三角・円・方の形で表現し、それらを縦に積み重ねたものです。中世の代表的な墓塔・供養塔です。
沢田鍋土遺跡は、高丘丘陵古窯址群(たかおかきゅうりょうこようしぐん)の一画にあります。現在、古代の竪穴住居跡7棟、縄文時代と古代の粘土採掘跡などがみつかっています。遺跡から、ナイフ形石器などの旧石器時代の遺物も出土しています。
調査前風景。調査区は北東に傾斜した緩やかな斜面です。
調査区全景。約4,000m²の調査区です。表土剥ぎ進行中。
左側の黒い部分が粘土を採掘し、その後の土で埋まった場所です。(縄文時代)
粘土採掘跡の土層断面。粘土層を掘り込んでいる穴の断面です。
粘土採掘跡の底から、完全な形の縄文時代の石鏃(せきぞく)が出土しました。
竪穴住居のカマドの焼けた土の近くに甕(かめ)の破片がまとまって出土しています。
粘土採掘跡に埋まっていた土に混じっていた旧石器時代のナイフ形石器です。