Research調査情報

2024年10月29日

飯田市五郎田遺跡 2024発掘調査情報(1)

【2024年度の発掘調査が始まっています】

 2024年7月から重機による表土の掘削作業が始まり 、 中央新幹線建設工事に伴う五郎田遺跡の今年度の発掘調査を開始しました 。 今年度の調査面積は約 1600 ㎡あり 、 場所は 、 2021 ・2022 年度に弥生時代から平安時代の竪穴建物跡 34 軒 、 掘立柱建物跡 5 棟などがみつかった発掘調査範囲の北側 、 2022 ・ 2023 年度に古墳時代から奈良 ・ 平安時代の竪穴建物跡 19 軒などがみつかった発掘調査範囲の南東側に位置しています 。

五郎田遺跡の年度別発掘調査範囲

 表土の掘削作業と並行して遺構を探す作業を開始しました。 その結果 、 竪穴建物跡約 20軒など多数の遺構がみつかりました 。 弥生時代から平安時代までの遺構が多くみつかっている場所の隣接地のため 、 調査前から相当数の遺構が存在することを予想していましたが 、想定を上回る数の遺構がみつかっています 。

遺構の検出作業

遺構の検出状況

 白線で囲われた黒っぽい土の範囲が遺構。写真中央奥の黄色っぽい土は、自然に堆積した土で、遺構はこの黄色っぽい土を掘って作られ、黒っぽい土で埋まっています。

 

【竪穴建物跡から続々と遺物が出土】

 五郎田遺跡が立地する段丘面には、 古代伊那郡の郡役所 伊那郡衙 と推定される国史跡の恒川官衙遺跡や 、 三彩陶器 ・ 円面硯 ・ 銅製帯金具等の出土遺物から恒川官衙遺跡と関係する集落と想定される堂垣外遺跡があります 。 五郎田遺跡は 、 堂垣外遺跡とともに伊那郡衙に関係する大規模集落の一つであった可能性を想定していますが 、 昨年までの調査では官衙に関連する遺物は出土していませんでした 。
 今年度の発掘調査で、 「 円面硯 」 という古代の硯が出土しました 。 残っている部分の直径は約11 ㎝ で 、 中央に墨を擦る部分の 「 陸 」 を 、 その周りに墨水を入れる部分の 「 海 」 を確認することができます 。 硯は文字を書くために必須の道具で 、 郡衙に勤めていた役人が仕事をするためには欠かせない道具です 。 恒川官衙遺跡でも多く出土しています 。そのほか「 灯明皿 」 という 、 灯りをともすための器も出土しました 。 食器の転用品と思われ 、 口縁部内側にススが付着しています 。 大きさは口縁部直径が約 10 ㎝ 、 底部直径が約5 ㎝ 、 高さが約 3 ㎝ です 。
 今回紹介した円面硯と灯明皿は、 産地や製作年代について今後の検討が必要で 、 伊那郡衙との関係を指摘できる段階ではありませんが 、 今後の調査成果をお楽しみに 。

五郎田遺跡出土の円面硯

五郎田遺跡出土の灯明皿

灯明皿使用イメージ図

 

五郎田遺跡発掘たより2024年度第1号(PDF:797KB)

五郎田遺跡,南信,調査情報

2024年7月12日

飯田市正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

【古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を続々と発見】

 4月の発掘調査開始から3か月ほど経ちました。遺跡は、土曽川左岸の微高地上に広がっています。調査の便宜上、国道153号に接する部分を1区、その北西側を2区、3区と呼び、調査は2区から開始しました。現在、1区へも展開し、1・2区あわせて古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を約30軒、土坑を約30基検出し、調査を行っています。
 竪穴建物跡などの遺構は、古い時期のものが埋まった後に、新しい時期のものが掘り込まれ、重なり合ってみつかります。それが繰り返され、自然の地面がないほど密集している様子が分かってきました。

正泉寺・五郎田遺跡 発掘だより第2号(PDF:1002KB)

 

【調査のようす】

 竪穴建物跡の中から、注目される古墳時代の竪穴建物跡(SB4)をご紹介します。この遺構は、飯田下伊那地域にカマドが伝わった5世紀中頃に営まれた建物です。北西壁際では高坏などの土器が集中してみつかっていて、この場所で土器に供え物を盛ってマツリが行われたのではないかと考えられます。このような土器の出土状況は飯田市内の同じ頃の4遺跡ほどでみつかっています。

南信,正泉遺跡・五郎田遺跡,調査情報

2024年7月2日

飯田市川原遺跡 2024発掘調査情報(1)

 令和4年度から開始した飯田市川原遺跡の発掘作業が今年6月に終了しました。発掘作業の成果を振り返ってみましょう。

<弥生・古墳時代の墓域・集落域の発見と百済土器の出土>

 令和4年度の発掘作業では、古墳時代中期(約1500年前)の竪穴建物跡4軒、掘立柱建物跡1棟、弥生時代後期~古墳時代前期(約1700年前)のお墓である方形周溝墓を5基確認しました。なかでも古墳時代の竪穴建物跡からは、今の韓国西部にあった百済国(くだらこく:4世紀~660年までの間)で作られた「百済土器」の盌(わん)が出土しました。飯田市内で3例目、東日本で5例目の百済土器になります。飯田地域の古墳時代を考えるうえで非常に重要な発見となりました。

百済土器が出土した竪穴建物跡

百済土器 盌

<縄文時代後期の集落・配石遺構を調査>

 令和5年度の発掘作業では縄文時代後期(約4500年前)の集落、配石遺構の調査を行いました。敷石住居跡3軒、配石遺構24基を確認しました。敷石住居跡は当該期の下伊那地域では類例が少なく貴重な資料となりました。また、埋設土器が6基みつかっています。そのなかの一つから青森県を中心に北東北地域に分布する十腰内式土器(とこしないしきどき)に似た土器が出土しました。壺形の土器で出土状況からお墓に使用したと考えています。

敷石住居跡 住居の壁際に石を並べている

弧状に立石を並べた配石遺構

十腰内式土器の影響を受けた土器

 

 川原遺跡は遠隔地との交流を持った遺跡であることがわかってきました。また、遺跡は集落域(縄文時代)→墓域(弥生時代)→集落域(古墳時代)と土地利用が変化したことがわかりました。天竜川の恵みを受けながら人々は生活をしていたことが想像できます。

 今後は発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を行います。

 

川原遺跡発掘たより 第5号(PDF:1249KB)

南信,川原遺跡,川原遺跡・下川原遺跡,調査情報

2024年5月30日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

≪令和6年度の発掘調査が始まりました≫

 座光寺上郷道路建設に伴って、正泉寺遺跡(しょうせんじいせき)・五郎田遺跡(ごろたいせき)の発掘作業を4月から開始しています。正泉寺遺跡・五郎田遺跡は飯田市座光寺に位置し、土曽川(どそがわ)左岸の微高地上に隣り合って立地します。これまで、正泉寺遺跡は発掘調査歴はありませんが、昭和38年に弥生時代中期(約2,000年前)の土器や石器が偶然発見され、弥生時代・古墳時代・平安時代・近世の遺物散布地として知られていました。令和2年~4年に長野県埋蔵文化財センターで確認調査を行ったところ、弥生時代や古墳時代の建物跡や土坑(どこう)がみつかり、集落の広がりを予想することができました。五郎田遺跡は令和3年度からリニア中央新幹線建設や国道153号拡幅に伴って、継続して発掘調査が行われています。

 

 詳しい情報はこちら(正泉寺・五郎田遺跡発掘だより№1 PDFデータ:1,133K)

 

令和6年度 正泉寺遺跡・五郎田遺跡の調査位置

 これまでに、今年度調査地の約半分の表土掘削を行い、おもに古墳時代の竪穴建物跡15軒、土坑数基などを検出しています。また、それらの竪穴建物跡からは、土師器(はじき)の甕(かめ)や坏(つき)、高坏(たかつき)、須恵器(すえき)の坏、磨製石鏃(ませいせきぞく)や砥石、銅製の耳環(じかん)などがみつかっています。

 

≪調査のようす≫

遺構の検出作業

両刃鎌で表面を削り、土の色や質の違いから、遺構をみつけていきます。

遺構精査1

一辺約4mの四角形の黒色土の落込みを見つけました。試し掘りをして、どんな土がどのように堆積しているのかを確認します。

遺構精査2

土の堆積を観察するためのベルトを残して掘り下げます。赤く土が焼けている火床がみつかったことから、建物跡だとわかりました。

遺物出土状況

黒色土を除去したところ、床面から多くの土器がみつかりました。土器の特徴から、古墳時代後期(約1,500年前)と考えられます。

正泉遺跡・五郎田遺跡,調査情報

2023年6月20日

川原遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【4月から川原遺跡の調査を行っています】

 2年目の川原遺跡の発掘調査は、昨年度に確認した古墳時代中期の竪穴建物跡と弥生時代後期から古墳時代初頭の方形周溝墓の調査を継続して行っています。

 令和5年7月4日(火)~7日(金)の午前10時30分~午前11時30分、午後1時30分~午後2時30分には現地公開も予定しています。

 詳しい情報はこちら(川原遺跡発掘だより PDFデータ:785KB)

 

【百済土器(くだらどき)の発見】

 令和4年度の調査で、古墳時代中期の竪穴建物跡(SB4)から出土した土器が、朝鮮半島の百済国(くだらこく)で作られて、日本に持ち込まれた「百済土器」であることがわかりました。今年5月10・11日に専門の先生に確認していただいたもので、飯田市では3例目となります。

 

【縄文時代の遺構】

 今年度、北西側(天竜川側)に拡張した調査範囲から、縄文時代後期の配石遺構がみつかりました。このうちSH7は、拳大から人頭大の川原石とともに、縄文土器や石器が出土しています。中でも石棒が2点出土していることが特筆されます。また、石囲炉があることから、敷石住居の可能性もあります。

南信,川原遺跡・下川原遺跡

2023年6月1日

五郎田遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【五郎田遺跡の発掘調査がはじまりました】

 国道153号拡幅工事に伴う地点とリニア中央新幹線建設工事に伴う地点の発掘調査が始まりました。前者は9月、後者は12月まで調査を予定しています。

 詳しい情報はこちら(五郎田遺跡発掘だより第5号 PDFデータ:921KB)

            (五郎田遺跡発掘だより第6号 PDFデータ:838KB)

 

 

 

 

【国道153号拡幅地点】

 令和4年度から調査をしています。昨年度の調査では平安時代の竪穴建物跡3軒と弥生時代~平安時代の土坑89基、時期不明の溝跡が見つかりました。

 今年度は中央部分(2・3区)の調査を行います。3区から調査を始めており、竪穴建物跡が10軒ほど、土坑が20基ほど見つかっていて、弥生時代~平安時代の遺物がたくさん出土しています。

 

 

 

【リニア中央新幹線地点】

 昨年度までに弥生時代~平安時代の竪穴建物跡44軒、掘立柱建物跡8棟、土坑約500基などが見つかっています。遺構も遺物も出土量が多いことから、土曽川左岸に大規模な集落があったことがわかりました。特に、建て替えの痕跡がある3間×4間以上の大形掘立柱建物跡が見つかり、長期間にわたって集落が営まれていたと思われます。西側では、土曽川に向かって流れる流路跡が見つかり、国道拡幅地点の1区から続くものと考えています。

五郎田遺跡,南信,調査情報

2023年2月8日

西浦遺跡 2022年度発掘調査情報(3)

【2022年度の発掘作業終了】

 12月23日(金)に今年度の発掘作業が無事終了しました。近隣の方々をはじめ、発掘調査にご理解、ご協力をいただいた皆様に感謝申し上げます。

 詳しい情報はこちら(西浦遺跡 発掘だより第3号 PDFデータ)

 

【溝に区画された古墳時代前期初頭の集落跡】

 平行する溝跡や直交する溝跡を組み合わせて土地を区画し、区画内に溝跡と同じ軸方向の竪穴建物跡や掘立柱建物跡が造られていました。建物が区画内に整然と配置された古墳時代前期初頭(約1700年前)の集落景観が想像されます。

 

 竪穴建物跡は、4本の柱を基本とし、土器埋設炉や間仕切り溝、鍛冶炉を想起させる強い熱を受けて硬化した炉跡を伴っています。

 

 

 

 

 

 

【古墳の周溝を発見】

 調査地の東端から、古墳の周溝を発見しました。残存する周溝は、全体の1/4程度とみられ、直径約14mと推定する6~7世紀代の円墳であったと考えられます。周溝からはガラス製のまが玉や小玉、石製の管玉が出土しました。

 

 

 

【平安時代末期の竪穴建物跡から和鏡が出土】

 平安時代末期(約1000年前)の竪穴建物跡から、青銅製の和鏡が出土しました。直径約8.4㎝でX線撮影を行ったところ、文様は不鮮明なものの、中央の丸い突起に紐を通す穴があることがわかりました。

南信,西浦遺跡

2023年2月8日

川原・下川原遺跡 2022年度発掘調査情報(2)

【今年度の調査が終了しました】

 今年度の川原・下川原遺跡の調査が12月に終了しました。川原遺跡で古墳時代中期頃の集落跡と弥生時代後期から古墳時代前期と考えられる方形周溝墓5基、下川原遺跡で土器・陶磁器と土坑1基を確認しました。方形周溝墓と下層の縄文時代の調査は来年度行う予定です。

 近隣の方々をはじめ、発掘調査にご理解、ご協力をいただいた皆様に感謝申し上げます。

 詳しい情報はこちら(川原遺跡・下川原遺跡 発掘だより№2 PDFデータ)

川原遺跡 遺構配置

 

【古墳時代中期頃の集落跡】

 川原遺跡北東の天竜川に近い微高地上で、竪穴建物跡4軒、掘立柱建物跡1棟を発見しました。出土した遺物やカマドがあったことから古墳時代中期頃(約1600年前)の集落跡と考えています。

 

【建物内から土器が大量に出土】

 SB3とした竪穴建物跡から、土師器と呼ばれる土器が大量に出土しました。器種は坏・埦・高坏などの食器や供膳具、煮沸具の甕、貯蔵具の壺などがあります。また、少量ですが須恵器も出土しました。

 

 

【SB3のカマド】

 SB3では、カマドが2基確認され、作り直しがされたようです。新しく作られたカマドは、天井石をはずしてカマド前方に置き、その上に半分に割った甕を片方は内側を下に向け、もう片方は内側を上に向けた状態で出土しました。カマド廃棄時の祭祀の痕跡かもしれません。

 また、高坏の坏部が伏せた状態でカマド中央部に置かれていました。カマド使用時に煮沸具の土器を支える支脚として使っていた可能性があります。

南信,川原遺跡・下川原遺跡

2022年11月7日

五郎田遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

五郎田遺跡の発掘調査を実施しています

 8月から来年1月までの予定で、土曽川左岸に位置する縄文時代から近世の散布地である飯田市五郎田遺跡の発掘調査を実施しています。

 調査期間中は、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分にご注意ください。また、調査区内は危険なため、許可なく立ち入らないようにお願いします。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

リニア中央新幹線地点

 この地点は、昨年度も調査を実施しており竪穴建物跡31軒(弥生時代後期3、古墳時代17、古代11)などを確認しています。今年度は、その東西両隣を調査しています。

 西側のA区は、土曽川に流れていた流路跡が見つかりました。

 東側のB区は、遺構の遺存状態が悪いものの、多くの遺構と多量の弥生土器、土師器、須恵器、灰釉陶器片が出土しています。

 

国道153号拡幅地点

 これまでに竪穴建物跡1軒と土坑約50基、溝跡1条が見つかっています。出土した遺物から、竪穴建物跡は平安時代の遺構と考えています。古墳時代の遺物がまとまって出土した土坑もあります。同じような形状の土坑が並ぶ場所もあり、掘立柱建物跡の可能性もあります。

     

 国道153号拡幅地点の調査風景       土坑の中から見つかった土器の様子

 

五郎田遺跡発掘だより(PDFデータ:1013KB)

五郎田遺跡,南信

2022年11月1日

藪越遺跡 2022年度発掘調査情報(2)

弥生時代の集落跡を発見

 6月末から発掘調査を開始した、飯田市上郷にある藪越遺跡は、今年度の調査を終了しました。

 古代の集落跡がみつかった第1面に引き続き、第2面の調査では新たに弥生時代後期の集落跡(竪穴建物跡2軒、土坑4基、溝跡3条)がみつかりました。

 

弥生時代の家を掘る!

 弥生時代後期(約1800年前)と推定する竪穴建物跡(SB5)の中央部東側からは甕や壺、高坏などの土器片や、石包丁、砥石、台石などの食料生産活動に係る道具が出土しました。炉跡は中央よりやや南側にあり、土器が埋設されていました。

 

藪越遺跡発掘だより№2(PDFデータ:1696KB)

南信,藪越遺跡

2022年10月28日

西浦遺跡 2022年度発掘調査情報(2)

古墳時代前期(約1600年前)の集落跡が明らかに

 下図に示した遺構のうち、SB107・SM101を除いた遺構は、すべて古墳時代前期と考えています。この集落は「塀」などと考えられる溝跡(SD103~105)が同じ方向に構築され、竪穴建物跡(SB)や掘立柱建物跡(ST)も溝跡と方向が揃っています。集落の中で建物を建てる際に、何らかの規制や計画性があったことが考えられ、一般の集落とは異なることを印象付けます。

 

古墳の周溝からガラス製の勾玉と小玉が出土

 ガラス製の勾玉・小玉は、首飾りを構成していた装飾品です。何らかの祭祀に伴い、古墳の周溝に埋納されたと考えられます。

 

和鏡が竪穴建物跡から出土しました

 平安時代末期(11世紀後半)の竪穴建物跡から青銅製の和鏡が出土しました。古代の和鏡が発掘調査で出土するのは、飯田市内では初のことです。

 和鏡は、直径約8.4㎝で、中央の丸い突起(紐)にひもを通す穴が確認できました。また、周縁に6か所等間隔に、内側に折り曲げたような細工が観察でき、六弁の輪花形(六花形)を指向していたのかもしれません。

 

西浦遺跡発掘だより№2(PDFデータ:756KB)

 

南信,西浦遺跡

2022年10月28日

座光寺原遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

発掘調査がはじまりました

 「座光寺原式土器」という弥生時代後期前半の下伊那地方を代表する土器の標式遺跡である、座光寺原遺跡の発掘調査を8月25日から開始しました。

 

方形周溝墓がみつかりました

 弥生時代後期~古墳時代前期に造られた、「方形周溝墓」が3基みつかりました。大きさは1号周溝墓と2号周溝墓が8×8mほど、3号周溝墓は11.5×11.5mほどです。人が埋葬された主体部は、いずれも削平等の影響で残っていませんでした。この遺跡一帯は、方形周溝墓が複数造られた墓域であったようです。

     

     方形周溝墓の検出状況          方形周溝墓の調査風景

 

座光寺原遺跡発掘だより№1(PDFデータ:724KB)

座光寺原遺跡

2022年9月12日

座光寺石原遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

発掘調査3年目

 座光寺石原遺跡は、土曽川中流域の谷部に東西700mにわたって展開する遺跡です。

 令和2(2020)年に発掘調査を開始し、3年目となる今年は時期不明の土坑数基と、縄文時代から近世の土器・石器が少量見つかりました。

座光寺石原遺跡遠景(令和3年撮影)

 

ナギジリ2号古墳の石室内の土から、玉を発見

 令和3年度調査で発見したナギジリ2号古墳から、首飾りなどの装身具であったと考えられるガラス小玉が32個、土製丸玉が119個見つかりました。

 

      ガラス小玉             土製丸玉

 

座光寺石原遺跡発掘だより第8号(PDFデータ:999KB)

座光寺石原遺跡

2022年9月9日

藪越遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

藪越遺跡の発掘調査がはじまりました

 6月末から国道153号線の道路改築事業に先立ち、藪越遺跡の発掘調査を実施しています。

 遺跡は、天竜川右岸の低位段丘上に立地し、南側には栗沢川が流れ、北側へ緩やかに傾斜するやや小高い場所に広がっています。

※地図をクリックすると拡大表示されます。

 

 

流路跡から続々と遺物が出土

 地表下60㎝ほどで、住居跡や流路跡、直径30㎝ほどの土坑が見つかりました。特に流路跡からは奈良時代から平安時代の土師器の甕や壺、高坏、須恵器の坏などが数多く出土しました。

※写真をクリックすると拡大表示されます。

 

 

藪越遺跡発掘だより№1(PDFデータ:1214KB)

藪越遺跡

2022年7月12日

川原遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

【発掘調査が始まりました】

 県道飯田富山佐久間線の建設に伴う発掘調査を、4月から開始しました。発掘現場のすぐそばには天竜川が流れ、対岸には風越山がそびえています。

 当センターでは、2016年度にも、川原遺跡を調査しており、その時には、縄文時代中期後葉から後期前葉の集落が見つかりました。

 

【土器や石器、土偶が出土】

 今年度の調査で、溝跡と土坑が見つかり、それらの遺構から縄文土器、弥生土器の他、土師器や須恵器といった古代の土器など、さまざまな時代の土器が出土しています。

 さらに、縄文時代の土偶が3点出土しています。一般的に土偶は、女性を表現した土製の人形で、呪術的な意味を持っていたといわれています。この土偶を作った人々はどのような祈りをこめたのでしょうか。

  

 

川原遺跡発掘だより№1(PDF:606KB)

 

川原遺跡・下川原遺跡

1 2 3 4 5 7

著作権について : 「長野県埋蔵文化財センター」ホームページに掲載している個々の情報(文章、写真、イラストなど)は、著作権の対象となっています。また、「長野県埋蔵文化財センター」ホームページ全体も編集著作物として著作権の対象となっており、ともに著作権法により保護されています。
「私的使用のための複製」や「引用」など著作権法上認められた場合を除き、無断で複製・転用することはできません。