Research調査情報

【調査情報】南信

2026年2月18日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(4)

 正泉寺遺跡の調査は、昨年度から始まり今年で2年目となります。4月14日から始まった調査は、暑い夏を越え、遠くの山に雪が積もり始めた12月18日に終了しました。

 発見された主な遺構は古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡81 軒、土坑175 基、溝状遺構6条、掘立柱建物跡1棟。弥生時代の流路跡1条。縄文時代の土坑2基。そのうち竪穴建物跡は全体の約9割が7区でみつかりました。

 7区からは、飯田地域では珍しい「箸置き」に使われたと考えられている素焼きの耳皿が出土(SB84)しています。また、平安時代の竪穴建物跡では川原石を芯材としたカマドが構築されていました。

素焼きの耳皿(SB84)

竪穴建物跡(SB93)

 

川原石を用いたカマド(SB93)

 

 古墳時代~奈良・平安時代の集落の下層からは弥生時代の流路跡(SD9)がみつかり、たくさんの弥生土器が出土しました。また、縄文時代中期の土器が出土した土坑もみつかりました。

弥生時代の流路跡(SD9) 左上:流路跡から出土した弥生土器

 

 正泉寺遺跡周辺の座光寺・上郷飯沼地区は比較的平坦な段丘地帯で、今年度から調査が始まったママ下遺跡、令和3年から調査を行っている五郎田遺跡、近年調査された堂垣外遺跡や西浦遺跡など数多くの遺跡が密接して存在しています。これらの遺跡の北東約1km(元善光寺駅の南東約100m)には古代伊那郡の郡衙(役所)跡と推定されている恒川遺跡群が存在します。座光寺・上郷飯沼地区に展開するこれら古代の遺跡は、役所を中心として成立し栄えたムラの跡と考えられます。

 近年、リニア中央新幹線建設に伴う発掘調査で数多くの出土品や情報が得られています。今後これら貴重な成果から、座光寺・上郷飯沼地区周辺の古代のムラの様子が更に明らかになっていくことと思います。

作業風景(図面の整理作業)

 令和8年3月17日~5月10日「掘るしん2026in飯田」が飯田市考古博物館で開催されます。耳皿も展示されますので皆さんお越しください。詳しくはHPをご覧ください。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第9号(PDF:972KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2026年2月12日

藪越遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【薮越遺跡の調査成果】

 長野県埋蔵文化財センターは、国道153号の道路改築事業に先立ち、令和4年度から飯田市薮越遺跡(飯田市上郷飯沼3406-1)の記録保存を目的とする発掘調査を実施しました。今年度は6月から作業を開始し、調査は12月中旬まで実施しました。

 薮越遺跡は天竜川右岸の低位段丘面上(下段)、天竜川支流の栗沢川の左岸に位置しています。

 薮越遺跡の周囲には高屋遺跡や芝崎遺跡、北浦遺跡の他国史跡の飯沼天神塚(雲彩寺)古墳があります。

遺跡の位置 (地理院地図に加筆)

 

【「礎石」を持つ大型竪穴建物跡】

 調査区の北側では「礎石」をもつ竪穴建物跡がみつかりました。

礎石をもつ竪穴建物跡

 

 通常の家は床に穴を掘って柱を立てますが、この建物には柱を載せるための石「礎石」が置かれていました。壁沿いにも礎石を並べています。

 

【「こも編み石」の出土】

 礎石をもつ建物跡のすぐ隣の竪穴建物跡(SB24)からは、細長い形の石が固まってみつかりました。これは「こも編み石」と呼ばれる、ムシロなどを編む際の重りです。

こも編み石

 

【カマドに供えられた土器】

 竪穴建物跡(SB13)のカマド周辺からは、割れずに残った土器が重なるように見つかりました。

カマドに供えられた土器

 

 使い古して捨てられたのではなく、この家から引っ越す際に、カマドを仕舞うための儀式で用いられたと考えられます

 

【現場公開開催】

 12月3日(水)・4日(木)の2日間、現場公開を開催しました。15名の方にご来場いただき、実際に出た建物の跡や土器を公開しました。

 調査研究員が直接解説を行い、地域の歴史を学んでいただく貴重な機会となりました。

現場公開の様子

 

 今年度の発掘調査にご協力いただき、ありがとうございました。

 来年度も薮越遺跡の調査は続く予定です。

 引き続き皆様のご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 

藪越遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 784KB)

南信,藪越遺跡,調査情報

2025年9月19日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(3)

【夏の発掘作業進行中】

 9月に入り多少涼しい風が吹くようになりましたが、8月は連日、熱中症警戒アラートが発令され、飯田市も猛暑日が続いていました。屋外での発掘調査だけでなく、暑さ対策として土器の洗浄も行いながら作業を進めました。

 

【7区の調査のようす】

 7区の調査を継続中です。平安時代の竪穴建物跡が40軒以上みつかっています。すでに調査が終了した4区以上に竪穴建物跡の重なりが激しくなっており、調査区のどこを掘っても遺構がみつかる状況が続いています。また、直径50~60cmほどの円形の土坑を数基検出しました。掘立柱建物跡の柱穴の可能性も考えられます。

 

竪穴建物跡につくられたカマド

このカマドには支脚石、袖石が残っていて、土器が多く出土しました。石を芯としてやや粘りのある黄色の土で作られたカマドの構造を観察することができます。カマドの中は橙色に土が焼けていて、火が焚かれた部分がはっきりとわかります。

 

インターンシップ生の発掘調査の参加

大学生、大学院生が発掘調査に参加しています。大学の授業で学んだことと、現場で実際に体験することは様々なギャップや新発見があるようです。

2週間ほどの期間ですが実りのある経験になるといいですね。

 

竪穴建物が重なってみつかったようす

竪穴建物が3軒重複してほぼ同じ場所に建てられていました。

当時の人々は同じ場所に長い時間居住していたのでしょうか。

青→黄→赤(11世紀ごろ)の順に新しくなっています。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第8号(PDF:893KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年7月18日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(2)

【暑い中での発掘調査が進んでいます!】

 4月から始まった発掘調査も3ヶ月がたちました。東海では梅雨も明け、飯田でも急激に気温が上昇しはじめました。熱中症に注意しながら調査を進めています。現在まで4区と8区の調査が終了し、7区の調査を行っています。たくさん昔の生活跡がみつかっていますので、各区の調査状況をお伝えします。

正泉寺遺跡 R7年度調査区

 

【4区の調査のようす】

 4区では平安時代と思われる竪穴建物跡が5軒、土坑が25基みつかりました。6軒の竪穴建物跡は重なり合ってみつかりました。下の写真中央にその様子が確認できます。同じ場所で複数の世代にわたって生活を営んでいたのでしょうか。一方水色で示した範囲では、平安時代以降の氾濫によって地面が削られたり、土砂が堆積した様子や、後世のかく乱の様子がわかりました。

4区全体写真(北西より撮影)

 

【7区の調査のようす】

 6月から開始し、現在平安時代の竪穴建物跡を約10軒を調査中です。カマド跡の残存状況がよい建物跡や完形の土器が出土した建物跡がみつかっています。

 

竪穴建物跡(SB83)のカマド

北西の壁面の中央にカマドの跡が確認されました。カマド周辺からはカマドを構築する40cmほどの石や、ほぼ完全な形の土器が多く出土しました。

 

竪穴建物跡(SB84)出土の土器

竪穴建物跡のコーナー付近の床面から、完全な形の耳皿や小形の皿がまとまって出土しました。遺物から11世紀の遺構と考えられます。正泉寺遺跡では初めての発見です。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第7号(PDF:950KB)

※号数は調査開始時からの通算

 

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年6月18日

高屋遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【高屋遺跡の発掘調査が始まりました】

 長野県埋蔵文化財センターは、国道153号の道路改築事業に先立ち、令和4年度から飯田市高屋遺跡(上郷別府)の記録保存を目的とする発掘調査を実施しています。今年度も4月から作業を開始し。調査は11月末まで実施する予定です。

 高屋遺跡は天竜川右岸の低位段丘上(下段)に立地しています。高屋遺跡の周囲には薮越遺跡や溝口の塚古墳、宮垣外遺跡、国指定史跡の飯沼天神塚(雲彩寺)古墳があります。また、『高屋』の交差点付近には番神塚古墳があったとされています。

遺跡の位置(地理院地図に加筆)

 

 高屋遺跡はこれまで平成8(1996)年から平成11(1999)年にかけて飯田市教育委員会が「高屋」の交差点付近を、令和4(2022)年と令和5(2023)年に当センターが国道153号沿いの調査を行いました。

 令和4・5年の調査では、古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡7軒、土坑186基、奈良・平安時代の掘立柱建物跡3棟、弥生時代~奈良・平安時代の溝跡・流路跡が10条みつかりました。また、弥生時代の方形周溝墓とみられる溝跡もみつかっています。

 今年の調査は令和5年度に調査した地区のさらに南側、「高屋」の交差点の北側を調査します。

今年の調査地区の位置

 

【流路跡(SD06)の調査】

今年度調査区の様子

 

 令和5年の調査でみつかった流路跡(SD06)では、多くの土器が出土しました。その中には墨書のある灰釉陶器や、刻書のある須恵器も出土しました。

 このSD06は南北方向に流れており、今年度の調査区にも続いていました。そして、「高屋」の交差点に向かって続いていくと考えられます。平成8~11年の飯田市教育委員会の調査でも、流路跡がみつかっており、SD06とつながる可能性があります。

 今年度の調査では、流路跡から弥生土器の壺や、土師器の甕、土製の勾玉が出土しています。

弥生土器の出土状況

土製勾玉の出土状況

 

高屋遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF:865KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,調査情報,高屋遺跡

2025年5月20日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の調査が始まりました】

 座光寺上郷道路の建設に伴い、昨年に引き続き、4月から今年度の発掘調査を開始しました。昨年度の調査区隣接地4区から県道市場桜町線までの間((~8区の調査面積4000㎡を行ないます。これまでの確認調査によって弥生時代から奈良・平安時代の竪穴建物跡や土坑が発見されているので、今年度の調査区でも多くの遺構や遺物がみつかると予想しています。

 近年、遺跡周辺では様々な公共事業に先立つ遺跡の発掘調査が進められています。土曽川が形成した微高地上に広がる正泉寺遺跡や五郎田遺跡、対岸のママ下遺跡では同じ時代の集落跡がみつかっていることから、今後これら集落のまとまりや移り変わりなどを明らかにしていきたいと考えています。

正泉寺遺跡 調査区 (R6年度撮影)

正泉寺遺跡周辺の遺跡 飯田市遺跡地図から

 

【4月の調査のようす】

遺構検出作業

重機を使って表土掘削を行った後、人力で土の表面を削り、土の違いから、土坑(穴)や竪穴建物跡などの遺構をみつけます。

 

遺構精査

8区の北東部分では、奈良・平安時代の竪穴建物跡2軒がみつかりました。後世のかく乱で壊されているため、全体の形状は明らかではありませんが、カマド跡が残っていました。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第6号(PDF: 1059KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年1月24日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(5)

【令和6年度の調査を終了しました】

 4月から開始した発掘調査は12月末をもって終了しました。今年度は、国道153号に接する五郎田遺跡5区と正泉寺遺跡1区、その北西側の2区、3区で発掘調査を行い、さらに県道市場桜町線までの間で確認調査を行いました。1~3区(2,500㎡)の発掘調査では、古墳時代、奈良・平安時代の竪穴建物跡70軒、掘立柱建物跡1棟、土坑196基が後世のかく乱で破壊された部分があるものの、ほぼ全面に重なりあってみつかりました。また、それらの下には弥生時代と考えられる溝跡があり、形状から方形周溝墓の一部と考えています。遺物も多数出土し、古墳時代や奈良・平安時代の土師器、須恵器などはもちろん、縄文土器や弥生土器の破片もありました。他に、打製石鏃、磨製石鏃、打製石斧、磨製石斧、砥石、臼玉などの石器や石製品、金属製品として耳環が3点みつかっています。出土した遺物は、コンテナ69箱分になりました。五郎田遺跡5区(200㎡)では、古墳時代の竪穴建物跡1軒、土坑6基がみつかり、遺物は土器や石器がコンテナ2箱分になりました。

正泉寺遺跡・五郎田遺跡 全景

 

【調査のようす】

竪穴建物跡の床面に集中する土器

 カマドの反対側の壁付近から、坏部と脚部の接合部で割られた高坏10個体や坏、小形の甕、甑がまとまって出土しました。熱を受けた痕跡もあり、屋内儀礼のあり様を推測できる貴重な資料になります。

 

重なりあってみつかった遺構

 飯田地域にカマドが導入された古墳時代中期から、平安時代にかけての竪穴建物跡や掘立柱建物跡、多数の土坑が重複してみつかり、調査はとても困難でした。

 

弥生時代の溝跡

 古墳時代の遺構の下から、弥生時代の方形周溝墓の可能性がある溝跡がみつかりました。弥生時代は墓域であった可能性が考えられます。

 

五郎田遺跡と正泉寺遺跡

 国道153号をはさんだ東側の五郎田遺跡では、古墳時代の竪穴建物跡や土坑がみつかっており、正泉寺遺跡と連続する集落域であると思われます。

 

 

【発掘された飯田~2024年度飯田市発掘速報展~】

 場所:飯田市考古博物館エントランス

 期間:3月4日(月)~5月6日(火)

 出土品を展示します。この機会に、是非ご覧ください。

 

 

 発掘期間中は、ご理解、ご協力いただき、ありがとうございました。

 現在、飯田支所で出土した遺物や写真、図面の整理作業を行っています。

 

正泉寺・五郎田遺跡発掘だより2024年度第5号(PDF:1.00MB)

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年11月27日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(4)

【遺跡の様子がわかってきました】

 今年度の発掘作業が始まり6ヶ月が過ぎました。8月からは北側の3区の調査も始まり、今年度の調査区(正泉寺遺跡1・2・3区、五郎田遺跡5区)の様子が明らかになってきました。10月末現在で竪穴建物跡約60軒、掘立柱建物跡2棟、土坑約130基を確認しています。

 竪穴建物跡は、古墳時代中・後期、奈良・平安時代のもので、当初から重複した状態であることを想定していましたが、建て替えなどが行われたことなどを含め、予想を超える軒数の竪穴建物跡が造られていることがわかりました。

正泉寺遺跡 1区~3区 空撮写真

古墳時代の竪穴建物跡

古墳時代竪穴建物跡 土器・石斧出土状況

 

 高坏や小形壺などの土器とともに打製石斧が多く出土しました。この時期に打製石斧が多いのは、飯田地域の特徴でもあります。

 

奈良時代の竪穴建物跡

炭化材が竪穴建物内の広い範囲にありました。床面のほかに壁際に多くみられました。

掘立柱建物跡

柱穴が方形に並んでいます。

複数ある土坑の中で、ほかにも掘立柱建物があることが想定されます。

 

 

【現地説明会を行いました。】

 9月14日(土)に、現地説明会を行いました。調査中の遺跡やこれまでに出土した土器や石器のほか銅製の耳環などを公開し、地元をはじめ多くの皆様に見ていただくことができました。

 

正泉寺・五郎田遺跡発掘だより2024年度第4号(PDF:899KB)

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年10月29日

飯田市五郎田遺跡 2024発掘調査情報(1)

【2024年度の発掘調査が始まっています】

 2024年7月から重機による表土の掘削作業が始まり 、 中央新幹線建設工事に伴う五郎田遺跡の今年度の発掘調査を開始しました 。 今年度の調査面積は約 1600 ㎡あり 、 場所は 、 2021 ・2022 年度に弥生時代から平安時代の竪穴建物跡 34 軒 、 掘立柱建物跡 5 棟などがみつかった発掘調査範囲の北側 、 2022 ・ 2023 年度に古墳時代から奈良 ・ 平安時代の竪穴建物跡 19 軒などがみつかった発掘調査範囲の南東側に位置しています 。

五郎田遺跡の年度別発掘調査範囲

 表土の掘削作業と並行して遺構を探す作業を開始しました。 その結果 、 竪穴建物跡約 20軒など多数の遺構がみつかりました 。 弥生時代から平安時代までの遺構が多くみつかっている場所の隣接地のため 、 調査前から相当数の遺構が存在することを予想していましたが 、想定を上回る数の遺構がみつかっています 。

遺構の検出作業

遺構の検出状況

 白線で囲われた黒っぽい土の範囲が遺構。写真中央奥の黄色っぽい土は、自然に堆積した土で、遺構はこの黄色っぽい土を掘って作られ、黒っぽい土で埋まっています。

 

【竪穴建物跡から続々と遺物が出土】

 五郎田遺跡が立地する段丘面には、 古代伊那郡の郡役所 伊那郡衙 と推定される国史跡の恒川官衙遺跡や 、 三彩陶器 ・ 円面硯 ・ 銅製帯金具等の出土遺物から恒川官衙遺跡と関係する集落と想定される堂垣外遺跡があります 。 五郎田遺跡は 、 堂垣外遺跡とともに伊那郡衙に関係する大規模集落の一つであった可能性を想定していますが 、 昨年までの調査では官衙に関連する遺物は出土していませんでした 。 今年度の発掘調査で、 「 円面硯 」 という古代の硯が出土しました 。 残っている部分の直径は約11 ㎝ で 、 中央に墨を擦る部分の 「 陸 」 を 、 その周りに墨水を入れる部分の 「 海 」 を確認することができます 。 硯は文字を書くために必須の道具で 、 郡衙に勤めていた役人が仕事をするためには欠かせない道具です 。 恒川官衙遺跡でも多く出土しています 。そのほか「 灯明皿 」 という 、 灯りをともすための器も出土しました 。 食器の転用品と思われ 、 口縁部内側にススが付着しています 。 大きさは口縁部直径が約 10 ㎝ 、 底部直径が約5 ㎝ 、 高さが約 3 ㎝ です 。 今回紹介した円面硯と灯明皿は、 産地や製作年代について今後の検討が必要で 、 伊那郡衙との関係を指摘できる段階ではありませんが 、 今後の調査成果をお楽しみに 。

五郎田遺跡出土の円面硯

五郎田遺跡出土の灯明皿

灯明皿使用イメージ図

五郎田遺跡発掘たより2024年度第1号(PDF:797KB)

五郎田遺跡(新幹線),南信,調査情報

2024年8月23日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(3)

 4月から始まった調査も4か月がたちました。暑さ対策をしっかり行いながら調査を進めています。7月31日には、発掘調査区の空撮を行いました。土曽川沿いの微高地に遺跡が広がっている様子がよくわかります。

 国道153号に面している1区の調査では、古墳時代、古代の竪穴建物跡が13軒みつかっています。竪穴建物跡は、重なり合ってみつかっており、長期間にわたりこの場所に人びとが生活していたことが考えられます。

東側から撮影

 

【古墳時代の須恵器が出土しました】

 1区の竪穴建物跡(SB29)の中から須恵器が出土しました。須恵器は古墳時代中期(約1600年前)に中国から朝鮮半島を経由し日本に伝えられた土器で、高温の窯で焼成します。そのため非常に硬く、青灰色をしていることが特徴です。竪穴建物跡から出土した須恵器は、古墳時代中期中頃(約1550年前)のもので、日本に製作技術が伝えられてまもない頃の古い須恵器です。当時の最先端技術で焼かれた土器を手に入れることができる人物が生活していたのかもしれません。

1区 SB29 調査風景

出土した須恵器

有蓋高坏蓋が付く高坏の蓋部分が出土しました。

(田辺昭三1981『須恵器大成』より引用)

 

 調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。調査中であれば、ご説明いたしますので、お気軽にお声掛けください。

 

正泉寺・五郎田遺跡発掘だより2024年度第3号(PDF:1.01MB)

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年7月12日

飯田市正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(2)

【古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を続々と発見】

 4月の発掘調査開始から3か月ほど経ちました。遺跡は、土曽川左岸の微高地上に広がっています。調査の便宜上、国道153号に接する部分を1区、その北西側を2区、3区と呼び、調査は2区から開始しました。現在、1区へも展開し、1・2区あわせて古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を約30軒、土坑を約30基検出し、調査を行っています。
 竪穴建物跡などの遺構は、古い時期のものが埋まった後に、新しい時期のものが掘り込まれ、重なり合ってみつかります。それが繰り返され、自然の地面がないほど密集している様子が分かってきました。

正泉寺・五郎田遺跡 発掘だより第2号(PDF:1002KB)

 

【調査のようす】

 竪穴建物跡の中から、注目される古墳時代の竪穴建物跡(SB4)をご紹介します。この遺構は、飯田下伊那地域にカマドが伝わった5世紀中頃に営まれた建物です。北西壁際では高坏などの土器が集中してみつかっていて、この場所で土器に供え物を盛ってマツリが行われたのではないかと考えられます。このような土器の出土状況は飯田市内の同じ頃の4遺跡ほどでみつかっています。

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年7月2日

飯田市川原遺跡 2024発掘調査情報(1)

 令和4年度から開始した飯田市川原遺跡の発掘作業が今年6月に終了しました。発掘作業の成果を振り返ってみましょう。

<弥生・古墳時代の墓域・集落域の発見と百済土器の出土>

 令和4年度の発掘作業では、古墳時代中期(約1500年前)の竪穴建物跡4軒、掘立柱建物跡1棟、弥生時代後期~古墳時代前期(約1700年前)のお墓である方形周溝墓を5基確認しました。なかでも古墳時代の竪穴建物跡からは、今の韓国西部にあった百済国(くだらこく:4世紀~660年までの間)で作られた「百済土器」の盌(わん)が出土しました。飯田市内で3例目、東日本で5例目の百済土器になります。飯田地域の古墳時代を考えるうえで非常に重要な発見となりました。

百済土器が出土した竪穴建物跡

百済土器 盌

<縄文時代後期の集落・配石遺構を調査>

 令和5年度の発掘作業では縄文時代後期(約4500年前)の集落、配石遺構の調査を行いました。敷石住居跡3軒、配石遺構24基を確認しました。敷石住居跡は当該期の下伊那地域では類例が少なく貴重な資料となりました。また、埋設土器が6基みつかっています。そのなかの一つから青森県を中心に北東北地域に分布する十腰内式土器(とこしないしきどき)に似た土器が出土しました。壺形の土器で出土状況からお墓に使用したと考えています。

敷石住居跡 住居の壁際に石を並べている

弧状に立石を並べた配石遺構

十腰内式土器の影響を受けた土器

 

 川原遺跡は遠隔地との交流を持った遺跡であることがわかってきました。また、遺跡は集落域(縄文時代)→墓域(弥生時代)→集落域(古墳時代)と土地利用が変化したことがわかりました。天竜川の恵みを受けながら人々は生活をしていたことが想像できます。

 今後は発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を行います。

 

川原遺跡発掘たより 第5号(PDF:1249KB)

南信,川原遺跡・下川原遺跡,調査情報

2024年5月30日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

≪令和6年度の発掘調査が始まりました≫

 座光寺上郷道路建設に伴って、正泉寺遺跡(しょうせんじいせき)・五郎田遺跡(ごろたいせき)の発掘作業を4月から開始しています。正泉寺遺跡・五郎田遺跡は飯田市座光寺に位置し、土曽川(どそがわ)左岸の微高地上に隣り合って立地します。これまで、正泉寺遺跡は発掘調査歴はありませんが、昭和38年に弥生時代中期(約2,000年前)の土器や石器が偶然発見され、弥生時代・古墳時代・平安時代・近世の遺物散布地として知られていました。令和2年~4年に長野県埋蔵文化財センターで確認調査を行ったところ、弥生時代や古墳時代の建物跡や土坑(どこう)がみつかり、集落の広がりを予想することができました。五郎田遺跡は令和3年度からリニア中央新幹線建設や国道153号拡幅に伴って、継続して発掘調査が行われています。

 

 詳しい情報はこちら(正泉寺・五郎田遺跡発掘だより№1 PDFデータ:1,133K)

 

令和6年度 正泉寺遺跡・五郎田遺跡の調査位置

 これまでに、今年度調査地の約半分の表土掘削を行い、おもに古墳時代の竪穴建物跡15軒、土坑数基などを検出しています。また、それらの竪穴建物跡からは、土師器(はじき)の甕(かめ)や坏(つき)、高坏(たかつき)、須恵器(すえき)の坏、磨製石鏃(ませいせきぞく)や砥石、銅製の耳環(じかん)などがみつかっています。

 

≪調査のようす≫

遺構の検出作業

両刃鎌で表面を削り、土の色や質の違いから、遺構をみつけていきます。

遺構精査1

一辺約4mの四角形の黒色土の落込みを見つけました。試し掘りをして、どんな土がどのように堆積しているのかを確認します。

遺構精査2

土の堆積を観察するためのベルトを残して掘り下げます。赤く土が焼けている火床がみつかったことから、建物跡だとわかりました。

遺物出土状況

黒色土を除去したところ、床面から多くの土器がみつかりました。土器の特徴から、古墳時代後期(約1,500年前)と考えられます。

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2023年6月20日

川原遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【4月から川原遺跡の調査を行っています】

 2年目の川原遺跡の発掘調査は、昨年度に確認した古墳時代中期の竪穴建物跡と弥生時代後期から古墳時代初頭の方形周溝墓の調査を継続して行っています。

 令和5年7月4日(火)~7日(金)の午前10時30分~午前11時30分、午後1時30分~午後2時30分には現地公開も予定しています。

 詳しい情報はこちら(川原遺跡発掘だより PDFデータ:785KB)

 

【百済土器(くだらどき)の発見】

 令和4年度の調査で、古墳時代中期の竪穴建物跡(SB4)から出土した土器が、朝鮮半島の百済国(くだらこく)で作られて、日本に持ち込まれた「百済土器」であることがわかりました。今年5月10・11日に専門の先生に確認していただいたもので、飯田市では3例目となります。

 

【縄文時代の遺構】

 今年度、北西側(天竜川側)に拡張した調査範囲から、縄文時代後期の配石遺構がみつかりました。このうちSH7は、拳大から人頭大の川原石とともに、縄文土器や石器が出土しています。中でも石棒が2点出土していることが特筆されます。また、石囲炉があることから、敷石住居の可能性もあります。

南信,川原遺跡・下川原遺跡,調査情報

2023年6月1日

五郎田遺跡 2023年度発掘調査情報(1)

【五郎田遺跡の発掘調査がはじまりました】

 国道153号拡幅工事に伴う地点とリニア中央新幹線建設工事に伴う地点の発掘調査が始まりました。前者は9月、後者は12月まで調査を予定しています。

 詳しい情報はこちら(五郎田遺跡発掘だより第5号 PDFデータ:921KB)

            (五郎田遺跡発掘だより第6号 PDFデータ:838KB)

 

 

 

 

【国道153号拡幅地点】

 令和4年度から調査をしています。昨年度の調査では平安時代の竪穴建物跡3軒と弥生時代~平安時代の土坑89基、時期不明の溝跡が見つかりました。

 今年度は中央部分(2・3区)の調査を行います。3区から調査を始めており、竪穴建物跡が10軒ほど、土坑が20基ほど見つかっていて、弥生時代~平安時代の遺物がたくさん出土しています。

 

 

 

【リニア中央新幹線地点】

 昨年度までに弥生時代~平安時代の竪穴建物跡44軒、掘立柱建物跡8棟、土坑約500基などが見つかっています。遺構も遺物も出土量が多いことから、土曽川左岸に大規模な集落があったことがわかりました。特に、建て替えの痕跡がある3間×4間以上の大形掘立柱建物跡が見つかり、長期間にわたって集落が営まれていたと思われます。西側では、土曽川に向かって流れる流路跡が見つかり、国道拡幅地点の1区から続くものと考えています。

五郎田遺跡(国道153号),五郎田遺跡(新幹線),南信,調査情報

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