Research調査情報

【調査情報】南信

2021年8月23日

五郎田遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

【発掘調査開始から4か月がたちました】

 7月末の時点で調査を行った竪穴建物跡は23軒にのぼります。弥生時代から平安時代の竪穴建物跡がはげしく重なり合っており、みつけるのに苦労します。また、柱穴と思われる穴も数多くみつかっており、正確な数はまだわかりませんが、相当数の掘立柱建物跡の存在が予想されます。当初の予想よりも遺構が多くみつかったため、順次作業員さんを増員して、現在は20人体制で発掘作業を行っています。

 

【古墳時代の竪穴建物跡】

 写真は5世紀前半ごろ(約1600年前)と推定する竪穴建物跡です。この竪穴建物跡の中央から北側には、埋土の中から炭化物が集中してみつかり、高坏などほぼ完形の土器も出土しています。竪穴建物跡が廃棄され、埋没する過程で、意図的に火を焚いて土器を投棄していたものと推定しています。

 

 

 

【様々な石器】

 打製石斧(写真左)や石包丁(写真中)など、調査区からは様々な石器がみつかっています。弥生時代の遺構からはもちろん、それ以降の時代の遺構や検出面からも多く出土しており、石製の道具が弥生時代以後も利用されるという飯田地方の特徴をみることができます。

 また、勾玉(写真右)や管玉も出土しています。

  

 

五郎田遺跡発掘だより第2号(559KB)

五郎田遺跡(新幹線),南信,調査情報

2021年7月12日

五郎田遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

【発掘調査が始まりました】

 五郎田遺跡は弥生時代からの集落跡と推定されており、飯田市内初のリニア中央新幹線建設に伴う本格的な発掘調査を行っています。

 4月中旬から重機で遺跡を覆う表面の土を除去し、人力で遺構を見つける作業を行った結果、竪穴建物跡と掘立柱建物跡がそれぞれ約20軒、土坑約200基などが重なった状態で見つかりました。

 

【遺跡の立地と周辺の遺跡】

 遺跡は天竜川右岸の東側に向かい緩やかに傾斜する低位段丘面に立地し、遺跡の西南には土曽川(どそがわ)が天竜川に向かって流れています。五郎田遺跡は以前から古代の土器が散布する場所として知られていました。

 五郎田遺跡の土曽川対岸には弥生時代の大集落である丹保(たんぼ)遺跡や方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が発見された橋爪(はしづめ)遺跡、弥生時代から古代にかけて大規模な集落が形成された堂垣外(どうがいと)遺跡・ママ下遺跡などが見られます。

 

 

 

 

【注目される恒川官衙遺跡との関係】

 五郎田遺跡は伊那郡衙(古代伊那郡の郡役所)と推定される国史跡の恒川(ごんが)官衙遺跡や堂垣外遺跡が同一の段丘面にあり、その関係が注目されています。堂垣外遺跡は倉庫と考えられる総柱の掘立柱建物跡や礎石を持つ竪穴状遺構が検出され、三彩陶器や畿内系土師器、円面硯(えんめんけん)、銅製帯金具(おびかなぐ)、馬具などの特殊な遺物が出土しており、地方官衙に関係する集落であったと推定されています。五郎田遺跡からも同様な遺構、遺物が発見されることが期待され、恒川官衙遺跡や堂垣外遺跡とともに、伊那郡衙を支える有力集落であった可能性を想定して調査しています。

 

 

 

 

五郎田遺跡発掘だより第1号(451KB)

五郎田遺跡(新幹線),南信,調査情報

2021年7月5日

ふじ塚遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

【⑨区の調査】

 北東から南西方向(写真右手から左上)に延びる溝跡が見つかりました。堆積の状況から、流路跡と考えられます。埋土からは黒曜石の破片が出土しただけなので、時期は不明です(写真中の赤い矢印は溝跡の底の傾斜)。




【⑯区の調査】

 重機を使って表土を掘削した後、作業員が精査したところ、土の色が変わった場所が数か所見つかりました。土坑と思われます。




【見つかった土坑を調査すると・・・】

 土坑を掘り下げたところ、そのうちの1基から、底面の中央に小さな穴が見つかりました。この小穴は獣を捕るために木を設置した跡と考えられ、この土坑は落し穴と思われます。落し穴の形状から、縄文時代のものと考えられますが、出土した遺物は黒曜石の破片のみなので、詳しい時期はわかりません。




【⑭区の調査】

 昨年調査した礫石経塚の北側と東側を調査しました(★印が礫石経塚発見地点)。礫石経塚をみつけた場所と同じような土が残っていたため、手作業で丁寧に掘り下げましたが、礫石経塚に関連する施設は確認できませんでした。礫石経塚は、単独で存在していたようです。

 

 

 

ふじ塚遺跡発掘たより_No.4




ふじ塚遺跡,南信,調査情報

2021年7月2日

座光寺石原遺跡 2021年度発掘調査情報(3)

【ナギジリ2古墳発見!!】

 発掘調査で地表直下から巨石が見つかりました。その周りを慎重に掘り進めると、巨石を支える石列が約1.7m間隔に東西2列見つかり、巨石が古墳の天井石であることがわかりました。

 今回発見した古墳の天井石は、出土地点から『下伊那史』に記述のあるナギジリ2号古墳のものであるとわかりました。



【土曽川流域古墳群の性格等を解明すべく、がんばります】

ナギジリ2号古墳は、墳丘裾部の確認と並行して、天井石を記録し、その後天井石を撤去し、石室の掘下げに入ります。さらに、土曽川流域にはナギジリ2号古墳の他、1997年に飯田市教育委員会が調査した6世紀後半築造のナギジリ1号古墳があります。また、今年度の調査範囲にはナギジリ3号古墳や石原古墳の存在も想定され、これらの古墳群の性格等を解明すべく、調査を進めていきます。



座光寺石原遺跡発掘だより第5号PDF(657KB)

南信,座光寺石原遺跡,調査情報

2021年6月25日

座光寺石原遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

【11区の調査】

今年度は、11区から調査をはじめました。東西に6本のトレンチを設定して調査を進めましたが、遺構を確認することはできませんでした。



【出土した灰釉陶器の皿】

遺構はありませんでしたが、灰釉陶器の皿のほか、土師器片などの遺物が見つかっています。



【9区の調査】

11区に続き、9区の調査を行いました。東西に2本、南北に1本のトレンチを設定して調査をした結果、土坑が2基見つかりました。左写真の黒い部分が土坑の範囲です。南北約260㎝、東西約100㎝の楕円形になります。



【土坑から古墳時代の高坏が出土】

発見した土坑は深さ15㎝以上あり、中からは古墳時代の高坏が出土しました。



座光寺石原発掘だより第4号 PDFデータ

南信,座光寺石原遺跡,調査情報

2021年5月11日

ふじ塚遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

 昨年度に引き続き、ふじ塚遺跡の発掘調査が始まりました。昨年度は、遺跡内に所在した「ふじ塚古墳」が戦国時代~江戸時代初頭の礫石経塚(れきせききょうづか)であることが判明しました。礫石経塚からは、小石に墨でお経を書いた礫石経が約4万点発見され、大きな成果をあげることができました。

 本年度の発掘調査は、調査区が6か所ありますが、礫石経塚発見地点のまわりも調査します。礫石経塚に関係する遺構や遺物が発見されることが予想されます。

 

本年度の調査区



【遺跡遠景】

 ふじ塚遺跡(写真白色矢印)は、諏訪湖の北側(湖北地域)にある南向きの斜面に立地します。遺跡の東側を流れる砥川の対岸には、下諏訪から佐久方面に通じる中山道(現、和田峠)が通っています。



【発掘開始式】

 下諏訪町役場から、しごと創生支援施設「ホシスメバ」の一画をお借りして、現場事務所としています。

 4月20日、埋文センター所長が来跡して開始式を行いました。



【発掘作業の様子】

手作業で表土をはぎ、遺構・遺物を検出している様子です。写真上に下諏訪町と岡谷市の市街地が見えます。



【トレンチの精査で見つかった土坑】

 土坑は直径約80cmの円形で、深さ約70cmです。埋土には直径約10cmの礫が混入しており、一昨年度、ふじ塚遺跡の西側にある一の釜遺跡で調査した土坑によく似ています。



【トレンチ調査の様子】

 手作業でトレンチを掘り、土層の堆積状況や遺構・遺物の存否を確認している様子です。掘り下げる過程で縄文土器片と黒曜石片が出土しました。トレンチ底面の精査で黒色土の落ち込みが見つかりました。今後、重機を使って表土をはぎ、面的な調査を行うことで落ち込みの規模・形状などを捉える予定です。



ふじ塚遺跡発掘たより_No.3 PDFデータ

ふじ塚遺跡,南信,調査情報

2021年5月6日

座光寺石原遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

2021年度発掘調査のはじまり、はじまり

 

 今年度の担当者は、15年ぶりに飯田市内を調査する若林班長のもと、一年ぶりに飯田での調査で張り切っている伊藤調査研究員、飯田市内の調査は初となる平林調査指導員です。11月までの長丁場となりますが、どうぞよろしくお願いします。


座光寺石原遺跡の調査区

 

【昨年度調査のおさらい】

  昨年度は、1区から土師器の高坏(たかつき)や須恵器甕(かめ)・横瓶(よこべ)などの遺物がまとまって出土した古墳時代の竪穴状遺構や平安時代の土坑、10区から時期不明の竪穴状遺構や集石炉、焼土跡などを発見しました。遺跡の東側には石原田古墳の存在が指摘されていて、隣接する調査地からは写真の勾玉(まがたま)をはじめとする、古墳時代の遺物が出土しています。



【これからの調査予定】

 今年度の上半期は調査区の図の黄色部分の発掘を計画しています。これらの調査区周辺には7世紀から8世紀にかけての終末期古墳が存在していると言われており、現地表面で確認できない古墳がみつかる可能性もあります。そのため、トレンチ(試掘坑)で古墳の有無を確認し、古墳がみつかれば、その場所を広げて本格的な調査をする予定です。その他、11区には集石炉などが広がっているかもしれません。



座光寺石原遺跡発掘だより第3号2021年4月発行(PDF 276KB)

南信,座光寺石原遺跡,調査情報

2021年1月5日

座光寺石原遺跡 2020年度発掘調査情報(2)

8月後半に開始した座光寺石原遺跡の今年度分の発掘作業が、12月16日に全て終了しました。調査は猛暑と格闘したり、雨後の出水に悩まされましたが、いろいろな成果を挙げることができました。



【古墳の痕跡を探して】

今回調査した場所は、かつて古墳があったと伝わる場所です。今回の調査では古墳の痕跡を見つけることはできませんでしたが、古墳に副葬されることが多い金属製品や玉類が出土しました。今回調査した場所の近くにかつて古墳が存在し、壊されてしまったが、遺物が調査した場所に残っていたのではと考えています。



【出土した金属製品】

表土を除去し、その下の黒褐色土を掘り進めたところ、古墳時代の金属製品が出土しました。写真は長さ約3.5㎝、幅約2㎝の辻金具(つじかなぐ)という、馬具(ばぐ)の一部です。上部が欠損しているので、元の大きさや形はわかりませんが、裏側(写真は表側)には、固定するための鋲が3か所に付きます。金属製品は、このほかにも鉄鏃(てつぞく)や刀子(とうす)、耳環(じかん)などが出土しました。



【出土した玉類】

 滑石(かっせき)製の勾玉で長さ約3.5㎝、厚さ約0.5㎝です。勾玉は、これよりもやや小さいものがもう1点あります。そのほか、直径4.4~12㎜の丸玉、直径3.8㎜の臼玉、直径1.6~2.7㎜のガラス製小玉も出土しました。



【古墳時代の竪穴状遺構を発見】

 古墳そのものは発見されませんでしたが、古墳時代の竪穴状遺構1軒が検出されました。竪穴状遺構は現状で長さ4.8m以上、幅約2.6mで、形が極端な長方形となり、底に段をつくるなど、一般的な住居跡とはやや違う特徴をみることができます。現時点で、竪穴状遺構の性格はわかりませんが、来年度以降に調査を予定している場所へと続いているので、今後明らかにしたいと思います。



座光寺石原発掘だより第2号2021年1月発行(PDF 361KB)

南信,座光寺石原遺跡,調査情報

2020年12月15日

南の組塚平遺跡・南の組久保田遺跡 2020年度 調査情報(1)

下久堅バイパスの建設に伴い、飯田市下久堅地区の南の組塚平遺跡、南の組久保田遺跡の発掘調査を実施しました。今回の調査範囲からははずれていますが、南の組塚平遺跡内の北東寄りには塚平古墳があることから、調査区内にも古墳があったと思われます。また、南の組久保田遺跡は塚平遺跡より一段低い段丘面にあり、畑地より打製石斧、須恵器片、土師器片が採集されていることから、集落跡が広がっていたと考えられます。



【天竜川を隔てて望む南の組塚平遺跡・南の組久保田遺跡】

南の組塚平遺跡と南の組久保田遺跡は、飯田市下久堅地区の天竜川の左岸、飯田市街地が一望できる竜東(下久堅)地区の西側斜面に位置し、段丘と傾斜地が小さな沢によって切られた狭い平坦面上にあります。



【飯田市街地を望む平坦地(南の組塚平遺跡】

南の組塚平遺跡では、10本のトレンチにより確認調査を行いました。トレンチから土師器片が1点出土しましたが、遺構は認められませんでした。調査地点は後世の造成により削平を受けたり、盛土されていたようです。土器が出土していることから、調査地点の周辺には古代の遺構があったと思われます。



 【石室の一部が残った塚平古墳】

下久堅下虎岩地区には、8基の古墳が登録されていますが、その一つ塚平古墳が南の組塚平遺跡の北東部にあります。墳丘の大部分は消失していますが、基底部が残り、石室の一部(玄室)が露出していました。調査の結果、古墳周辺から須恵器や金属製品の破片がみつかりました。



【トレンチ調査状況(南の組久保田遺跡)】

南の組久保田遺跡では2本のトレンチにより遺跡の確認調査を行いました。トレンチ内では遺物や遺構は認められませんでしたが、調査地点の表土からは須恵器の蓋の破片が出土しました。本遺跡の東側(山側)では南の組塚平遺跡と同じく、後世の造成を受けたことがわかりました。

南の組塚平遺跡・南の組久保田遺跡,南信,調査情報

2020年12月15日

ふじ塚遺跡 2020年度 調査情報(3)

ふじ塚遺跡内にある「ふじ塚古墳」の調査を9月から本格的に行いました。墳丘部分にトレンチを掘ったところ、礫石経(れきせききょう:経文が書かれた石)がみつかりました。このことから、「ふじ塚古墳」は古墳ではなく「礫石経塚」であることがわかりました。

ふじ塚遺跡の今年度の調査は12月11日で終了しました。ご協力いただき、ありがとうございました。



【礫石経塚の発見】

盛土や礫を取り除くと、礫石経塚のつくられた当初の姿が明らかになりました。規模は約8m×5mで、縁には石列がありました。



【礫石経】

礫の大きさや書かれている文字の字体から、礫石経塚は、戦国時代の終わり頃から江戸時代の初め頃に作られたと考えられます。県内で調査事例は少なく、経塚の作られ方や礫石経の埋納方法が分かる今回の調査は貴重な事例になりました。



【出土した和鏡】

礫石経塚の中央から和鏡(銅製、径約8㎝)とほぼ完全な形のかわらけが出土しました。礫石経塚の建設時に仏教儀礼が行なわれていたと考えられます。

ふじ塚遺跡,南信,調査情報

2020年11月10日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(6)

沢尻東原遺跡の発掘調査成果報告会が開催されました

 

 

11月8日に辰野町教育委員会主催による発掘調査成果報告会に講師として参加しました。

70名もの参加者があり、町内の多くの方に関心をもっていただけました。



【講演風景】

 竪穴建物跡や土器の出土状況などの写真やイラストを使い、縄文人が沢尻東原ムラでどんな生活をしていたのかを説明しました。「黒曜石の原石は遺跡内で出土するのか」、「縄文人はムラの中に墓を作るのか」といった質問が会場から飛び出し、自分たちも縄文時代の理解を深めなければと身が引き締まりました。

【遺物・パネルの展示】

昨年の発掘で出土した遺物や、調査状況の写真パネルを展示しました。土器の文様や土偶の顔などを間近にみることができ、大変喜んでいただけました。

【当センターの遺跡の調査情報も紹介していただきました】

会場の受付では、当センターHPで公開している沢尻東原遺跡の調査情報も紹介していただきました。

現地説明会資料(2019年9月21日開催)

現地説明会資料(PDF1.8MB)



講演会当日の様子も放映されています

LCV「ねっとde動画」 辰野町「沢尻東原遺跡」発掘調査報告会

南信,沢尻東原遺跡(2024年刊行),調査情報

2020年10月20日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(5)

遺構図面のデジタルトレースを開始しました

 

 

今年度の室内作業では土器の接合と復元のほかに、遺構図面の整理も進めています。今回は現場における記録をデジタル化して、どのように報告書の資料にするかを紹介します。

 

【埋甕炉を発見】

竪穴建物跡から土器を囲炉裏に使った埋甕炉(まいようろ)が発見されました。

現場では形や使い方がわかるように、様々な角度から記録写真を撮ります。

 

 

 

 

 

 

【実測図を書く】

写真撮影の後は、正確な記録を残すための図面を作成します。
発見した遺構を、真上や真横からミリ単位で測り、方眼紙に記録します。

 

 

 

 

 

 

 

 

【手書きの実測図】

この埋甕炉は1/10の縮尺で記録しました。図面に記された数字は、基準点(海抜703.514ⅿ)からの高低差を示しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

【図面のデジタルトレース】

ここからが室内整理作業です。現場の図面をスキャンして、画面上で清書(デジタルトレース)します。

 

 

 

 

 

 

 

 

【完成したトレース図】

手書き実測図をデジタルトレースして、ようやく報告書に掲載できる資料となります。

南信,沢尻東原遺跡(2024年刊行),調査情報

2020年10月20日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(4)

篠ノ井東中の生徒が職場体験を行いました

 

 

9月24日に篠ノ井東中の2年生3名が当センターにおいて職場体験を実施しました。沢尻東原遺跡の作業室では土器の接合を行いました。

 

【土器を接合する】

たくさんの土器片が並ぶのをみて最初は戸惑いましたが、真剣に取り組み、破片同士がつながるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【縄文土器の特徴を学ぶ】

担当職員から縄文土器の特徴について説明を受けました。当センターでの職場体験では、このほかに図書の整理も実施しました。

南信,沢尻東原遺跡(2024年刊行),調査情報

2020年9月23日

座光寺石原遺跡 2020年度発掘調査情報(1)

 座光寺石原遺跡は、飯田市座光寺地区の土曽川(どそがわ)左岸にあります。リニア中央新幹線の(仮)長野県駅と中央自動車道座光寺スマートインター(建設中)を結ぶ座光寺上郷(ざこうじかみさと)道路の建設に伴い、発掘調査を実施しています。過去の調査記録では、いくつかの古墳の存在と、石室(せきしつ)から馬具(ばぐ)や鉄鏃(てつぞく)などが出土したことが報告されています。古墳の痕跡を探求することも、今回の調査目的の1つと考えています。


【寒冷紗(かんれいしゃ)の下で】

 猛暑の日には寒冷紗を張り、日影の中で調査しました。熱中症にならないように、注意しながら掘り下げを進めました。



【石器が出土しました】

 縄文時代や弥生時代とみられる打製石斧(だせいせきふ)4点、横刃形(よこばがた)石器4点、砥石(といし)1点が出土しました。これらの石器は、遺跡周辺で採取できる石材を使って製作されています。


【 集石炉(しゅうせきろ)を検出】

 焼けた石や炭がたくさん詰まった集石炉がみつかりました。現在のところ、遺物が出土していないので詳しい時期や性格はわかりませんが、これからの調査で明らかにしていきたいと思います。

 

座光寺石原遺跡発掘だより第1号(pdf456KB)

南信,座光寺石原遺跡,調査情報

2020年8月31日

ふじ塚遺跡 2020年度発掘調査情報(2)

  7月から発掘調査を開始し、今年度の調査範囲のうち、西側部分がほぼ終了しました。9月からは東側部分を中心に、古墳の調査を本格的に開始します。


【村絵図】

 
享保18年(1733)に描かれた、村絵図:

『諏訪藩一村限村地図』(すわはんいっそんかぎりむらちず)(諏訪史談会1956『諏訪史蹟要項10』)には、現在のふじ塚遺跡の位置に「藤塚と申す処」と書かれています。江戸時代にも、古墳の存在は知られていました。




【黒曜石製の石鏃】

 これまでに縄文時代・古代・中近世の土器・石器、陶磁器の破片などがみつかっています。完全な形の黒曜石製の石鏃も発見されています。



ふじ塚遺跡発掘たより№1(pdf1.25MB)

ふじ塚遺跡,南信,調査情報

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