【令和8年度の発掘調査がはじまりました】
4月から、今年度の南栗遺跡の発掘調査を開始しました。この調査は中部縦貫自動車道と中央自動車道長野線を結ぶ松本JCT建設に伴うもので、今年で5年目を迎えます。昨年度に引き続き、島立地区1区・面積:1650㎡と和田地区6区・面積:3350㎡の調査を行います。
南栗遺跡で発見された竪穴建物跡の軒数は中央自動車道建設、中部縦貫道建設、松本市による圃場整備等による発掘調査を含め600軒以上に上り、松本市内で最大級の古代集落と考えられています。また、集落が存在した期間は古墳時代末7世紀後半から中世12世紀前半にわたり、約500年もの間人々がこの場所に住み続けていたことが判明しました。
今年度の調査は4月から12月までを予定しています。調査区内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。見学を希望する方は、事前にご連絡ください。地域の皆様のご理解・ご協力をお願い申し上げます。

南栗遺跡(南西から令和7年度撮影)
【出土した鉄製品のX線画像を撮影しました】
これまでの調査で、遺跡から多くの鉄製品がみつかっています。出土する鉄製品の周りには錆びが付着しており、もともとどのような形だったのかが、そのままではよくわかりません。そのため、長野県立歴史館に依頼して、昨年度の調査で出土した鉄製品のX線透過観察を行いました。
下の写真の左は「刀子」という、古墳時代から平安時代に使われた小形のナイフです。木や竹を削るなど、日常のさまざまな用途に使われました。右は「雁又式」の鉄鏃です。
今年度の調査でもすでに鉄製品が出土しています。遺物の劣化を防ぐために、出土した鉄製品には保存処理を施していく予定です。

出土した鉄製品(左:刀子、右:鉄鏃)とX線透過画像
【古墳時代の終わり頃(7世紀後半)の須恵器が出土しました】
調査区東側の1区で、遺構をみつける作業中に須恵器の坏が出土しました。これまで1区では平安時代以降の竪穴建物跡が多く確認されていましたが、今回みつかった須恵器は、その形から古墳時代の終わり頃につくられたものと考えられます。南栗遺跡の集落は、古墳時代の終わり頃から形成されたと考えられているため、今回出土した須恵器は、集落がどのように形成されていったのかを知る手がかりになると期待されます。

1区から出土した須恵器の坏