Research調査情報

2015年8月25日

龍源寺跡 平成27年度調査情報(2)

―龍源寺跡の調査が終了しました-

今年4月に開始した調査が、7月31日をもって終了しました。調査対象地が神之峯城主の知久氏が建立した18箇所の寺院(知久十八ケ寺)のひとつである「龍源寺」の推定地であったため、「龍源寺跡には寺院跡は存在するか?」という課題のもと調査を行ってきましたが、中世(15世紀以前)に比定されるお堂の可能性が高い礎石建物跡が発見され、かつ、中世の遺構は、谷状地形のなかを大規模に造成して平坦化した後につくられていることがわかり、大きな成果を上げることができました。

 

【中世の礎石建物跡の精査風景】

写真中央に礎石建物跡があります。写真は建物跡の広がりを調べている風景です。


 

【中世の礎石建物跡の全景】

建物跡は桁行3間、梁行3間(約5m四方)です。礎石の配置(3間堂)から、お堂の可能性が高い建物と考えています。礎石には、江戸時代以降に抜き取られたものもありました。写真は、調査でみつかった礎石(すでに礎石が遺存しない場所は、礎石の推定地)に模擬柱を立てて、建物の雰囲気がわかるようにしました。

 

【空撮の写真】

玉川上空からラジコンヘリで撮影した写真です。龍源寺跡は玉川方向に開けている谷状地形に立地していることと、中世の礎石建物跡は、谷状地形のほぼ中央部(写真の)にあることがわかります。

 

【発掘調査終了式】

7月30日、現場のプレハブで発掘調査終了式を行いました。

傾斜地にある龍源寺跡の調査は困難をきわめましたが、飯田市鶯ケ城跡や神之峯城跡など、傾斜地での調査経験をもつ多くの作業員さんの皆さんのご努力によって無事に調査を終了できました。

調査でみつかった礎石建物跡と知久十八ケ寺のひとつ「龍源寺」との関係については、今後、整理作業等で明らかにしたいと考えております。

龍源寺跡

2015年8月25日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(3)

【木棺墓】

人骨が2体葬られた弥生時代中期の木棺墓SM2012では、頭骨の脇から石鏃、扁平片刃石斧などの石器19点が出土しています。

 

【石器の副葬品】

石器は棺の中に置かれていたというよりも、崩れ落ちたような状況に見えます。棺の上に置かれて埋葬されたものだったかもしれません。被葬者は、弥生時代の塩崎ムラの戦士だったのか狩人だったのでしょうか。

塩崎遺跡群

2015年8月19日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(5)

7月はグラウンド西側の発掘調査をおこない、竪穴住居跡2軒を発見しました。

 

【竪穴住居跡の掘り下げ】

遺構を埋めている土を掘り下げて、遺物の出土状況を確認しています。

 

【遺物出土状態】

床面から伏せた状態でみつかったほぼ完形の鉢。弥生時代後期。

 

【完掘状態】

4本の主柱穴(ピンポールのさしてある穴)がみつかりました。

 

【空中写真撮影】

遺構のようすをラジコンヘリを使って空中から撮影しました。

短期大学上空から北方(三登山方面)を望む。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年8月19日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(3)

鐘鋳川(かないがわ)のすぐ北側の地区の発掘調査をおこない、古墳3基と古墳時代の竪穴住居跡2軒、溝跡が4条、土坑6基がみつかりました。

 

【古墳の調査】

古墳墳丘の周りに掘られた溝(周溝)からはたくさんの土器がみつかりました。

 

【古墳の溝からみつかった土器】

周溝の中から完全な形に近い高坏が置かれたような状態でみつかりました。高坏の中には東海地方でみられる鋸歯状の模様があるものもみつかっています。

 

【古墳の全景】

古墳の大きさは外径で約18mあります。大きさがわかるように作業員さんに立ってもらって撮影しました。

 

【古墳時代中期の竪穴住居跡】

竪穴住居跡は方形で一辺は約7mです。北側の壁の中央にはカマドが設けられていました。

床面からは滑石と考えられる石のかけらがたくさんみつかり、土ごと取り上げて洗ってみました。石製模造品の完成品、および未完成品がみつかりました。

 

【カマドの調査風景】

カマドからは完全な形に近い土器が出土しました。

また、カマドの中からは甕を支えるための土製の支脚もみつかっています。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年7月23日

ひんご遺跡 平成27年度調査情報(1)

7月1日に下水内郡栄村豊栄のひんご遺跡の発掘調査が始まりました。長野県埋蔵文化財センターの栄村での発掘調査は今回が初めてです。

 

【発掘調査始まる】

重機で表土を取り除いた後に、縄文時代後期の遺物包含層の掘削を始めました。

 

【ひんごの地層】

一番下の黒い地層から縄文時代後期の土器片等がたくさんみつかります。

その上の白っぽい層は砂や粘土が互層となる水成堆積層です。千曲川が運んできたのでしょうか。

 

【出土した縄文時代後期の土器1】

注口土器の取手部分の破片。渦巻き模様が描かれた立派な装飾が施されていました。

 

【出土した縄文時代後期の土器2】

浅い鉢形土器の口縁部破片。こちらも縁の内側に渦巻き模様が描かれています。

 

【敷き詰められた石の遺構】

縄文人が敷き詰めた石の遺構が出てきました。住居跡になるのか墓跡になるのか、早く全体を見てみたいです。

ひんご遺跡

2015年7月13日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(4)

6月は旧附属幼稚園北側とグランド南西部分の発掘調査をおこないました。竪穴住居跡が3軒と、土坑、溝跡がみつかりました。

 

【竪穴住居跡の検出】

旧附属幼稚園北側の調査では、長方形の黒い土の広がりがみつかりました。

 

【竪穴住居跡の掘り下げ】

埋めている土を掘り下げて形を出し、竪穴住居跡と判断しました。

 

【遺物出土状態】

竪穴住居跡の床面からは、たくさんの弥生時代後期の土器がみつかりました。

これは壺の口縁部分の破片です。赤く塗られていて、印象的です。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年6月16日

尾垂遺跡 平成27年度調査情報(1)

【古代の遺構検出】

調査区の北側斜面で、古代(平安時代後期)の遺構が重複してみつかりました。2軒の竪穴住居跡と1基の土坑墓、1基の焼土跡です。遠方に見えるのが、南側の調査区です。

 

【平安時代後期の土坑墓の出土遺物】

土坑墓から灰釉陶器と土師器の椀が出土しました。灰釉陶器の下からは、鎌や鏃(やじり)と考えられる鉄製品もみつかりました。

 

【調査区南側の遺構検出作業】

調査区の南側では、5~20㎝ほどの礫を多く含む地山層から竪穴住居跡や土坑墓など複数の遺構が検出されています。出土する遺物から平安時代後期と考えられます。

尾垂遺跡

2015年6月9日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(3)

5月は旧附属幼稚園北側の発掘調査を行ないました。

 

【溝跡の調査】

まず溝跡を掘り下げていきます。

 

【溝跡の土器の精査】

溝跡から、まとまって土器がみつかりました。出土した土器を丁寧に掘り出します。

 

【土器出土】

小型丸底土器と呼ばれる壺の形をした小さな土器や、高坏(たかつき)などの破片が数多く出土していることがわかりました。古墳時代中期頃(1650年~1700年前頃)とみられる土器です。

 

【小型丸底土器】

ほぼ完形の小型丸底土器。お祭りなど儀式の時に用いられていたと考えられます。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年6月8日

鬼釜遺跡 平成27年度整理情報(1)

飯喬道路建設に伴う発掘調査で出土した鬼釜遺跡・風張遺跡・神之峯城跡の遺構・遺物の詳しい内容をまとめる作業が進んでいます。今年度末の報告書刊行を目指し、スタッフが様々な作業を分担して進めています。

 

【遺構のトレース】

遺構の平面図や断面図はパソコンを使ったデジタルトレースで仕上げます。遺構の重なりや土の堆積の状況をていねいに描き込んでいきます。

 

【土器の計量】

遺構のどの地点からどんな遺物がどのくらいの量出土したのかをまとめるため、観察の後、重量を測定しています。鬼釜古墳の周溝では、北側に6世紀前半の土器が、南側に6世紀末~7世紀の土器がまとまって出土しているようです。


 

【縄文土器のトレース】

鬼釜遺跡では縄文時代の住居跡や土器捨て場がみつかり、中期後葉の土器が多数出土しました。整理作業のなかで、下伊那地域特有の唐草文系土器(下伊那タイプ)と、東海地方に分布する中富(なかとみ)式土器の影響を受けたと考えられる土器とが、最も多く出土していたことがわかりました。このことは天竜川西岸にある同時期の遺跡と共通します。

現在、土器の実測図をもとに、文様などの表現を工夫しながらていねいにトレース中です。

鬼釜遺跡・鬼釜古墳

2015年5月21日

出川南遺跡 平成27年度調査情報(1)

地表下約80cmの深さにある第1調査面の調査を終了し、現在、第2調査面の調査を行っています。

 

【第1調査面全景(北東から)】

長さ約22m、幅約7mの調査区。向かって左の東側からは、柱跡と推定される穴が検出され、ほぼ中央にある溝跡から西側では、小さな穴や凹凸がみつかりました。

 

【第1調査面東側の柱穴など】

直径10~15cm程の丸い穴が、東西・南北に並んでいます。掘立柱建物跡の柱穴と考えられます。時期を示す焼き物などがありませんが、遺構の形状やこれまでの調査から、中世頃の遺構と推定されます。

竪穴状遺構、溝跡、耕作痕の可能性がある凹凸などもみつかりました。

 

【古墳時代後期竪穴状遺構】

第1調査面の約20cm下から、古墳時代後期の土器が入った竪穴状遺構がみつかりました。遺構は東西約1.5m、南北2m以上の隅丸長方形で、深さは15cmほどです。土器は壺形の須恵器と考えられます。平成26年度調査地点では、古墳時代後期の遺構・遺物はみつかっていませんが、松本市教育委員会による発掘調査では、隣接地で多くの竪穴住居跡がみつかっています。

出川南遺跡

2015年5月20日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(2)

長野県短期大学校内の幼稚園舎北側。テニスコート跡地の調査に入りました。

 

【表土の掘削】

テニスコートの表土を重機で掘り下げると、黒っぽい土がみえてきました。この土を注意しながら削っていきます。

 

【土器片の出土】

黒色土の中から、土器の破片が出てきました。このことから、黒色土は考古学で遺物包含層と呼ばれる土層と想定されます。慎重に調査を進めます。

 

【土層を記録する】

土層の堆積状態を記録するため、調査区境目の壁をきれいに削っていきます。

 

【遺構の検出】

人力で遺物を含む黒色土層を掘削して住居跡などの遺構を探します。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年5月19日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(2)

【調査区全景】

北長野通りに近い場所の調査にはいりました。

写真中央のマンション手前が北長野通り、写真の下側が調査区です。


 

【古墳時代の土坑の調査】

第2面では、土坑の調査を進めています。穴の中を半分ほど掘って土の埋没状況を確認します。埋没過程を丹念に調べることで、土坑の性格にせまる情報をひき出します。

 

【調査のようす】

古墳時代の土坑群の写真撮影の為に清掃をしています。

土坑を調査した結果、柱穴の可能性が高いと判断できましたが、建物の全体像をつかむことはできませんでした。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年5月19日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(2)

【墓群】

塩崎遺跡群の東側の調査区(1区)からは、お墓の底やまわりにこぶし大の石を敷き詰めた弥生時代の木棺墓(もっかんぼ)、土器に骨を入れて埋葬した土器棺墓(どきかんぼ)、土坑墓(どこうぼ:はかあな)といったお墓がいくつも出土しています。

 

【木棺墓】

骨や緑色のきれいな管玉(2点)がお墓の底から出土した木棺墓もありました。(矢印が管玉)

 

【専門家の視察】

貴重な資料ということで、長野市埋蔵文化財センターのみなさんも視察に来られました。専門家の見学に、センター職員の説明にも熱がはいります。


塩崎遺跡群

2015年5月1日

琵琶島遺跡 平成27年度整理情報(1)

―弥生土器を観察する―

平成27年度は、昨年に発掘調査した壁田城跡と合わせて、琵琶島遺跡の本格整理作業を継続して行います。報告書刊行にむけて、スタッフ一同頑張っています。今回は、主に昨年度の成果の一端をお知らせします。

 

【琵琶島遺跡出土の壺形土器】

弥生時代中期後半の栗林式土器が多く出土しています。そのなかでも文様が口縁部から胴部まで隙間なく施される古い段階が主体です。

 

【弥生甕のつぶつぶ文様の正体】

栗林式の甕胴部にみられる、連続的な刻み状の文様のレプリカを作成し、顕微鏡で観察して、使用された施文具を分析しました。顕微鏡観察の結果、細かな粒状の痕がギッシリと詰まった文様は、当初予想の「廉状(れんじょう)工具の先端の圧痕(あっこん)」ではなく、「ハンノキ属(ぞく)雄花序(ゆうかじょ)の冬芽の圧痕」であった可能性が高くなってきました。当時の植生、自然環境も含めて分析結果を報告書に盛り込んでいく予定です。

写真は、文様のアップと現生ケヤマハンノキ雄花序の冬芽、およびその圧痕レプリカ。


【弥生甕のギザギザ文様の正体】

もう一つの文様は、当初の予想では「柾目の小口痕?」でしたが、分析の結果、「軸に紐を右回転で巻きつけた工具」と報告されました。弥生土器に一般的につけられている「縄文」とは違う工具が用いられていたということでしょうか?

写真は、文様のアップと、圧痕レプリカ、およびその走査型電子顕微鏡写真。

琵琶島遺跡

2015年5月1日

龍源寺跡 平成27年度調査情報(1)

【作業開始式の様子】

4月17日に作業員開始式を行い、いよいよ発掘作業が本格化しました。

遺跡は、神之峯城主の知久(ちく)氏がつくった18箇所の寺院のひとつである龍源寺の推定地とされています。

 

【調査区全景】

調査区は北西方向に開け、尾根に囲まれた小さな谷の中です。現在、試掘調査を進め、土の堆積状況の観察などを行っています。

 

龍源寺跡

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