Research調査情報

2014年7月7日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(3)

-市街地に眠る古代の遺跡-

調査開始より2ヶ月半が過ぎました。清林寺南側の地区では中世以降の調査面を終了させ、弥生時代の竪穴住居跡や古墳時代の溝跡がみつかっている面の調査を行っています。4区としたその南側の地区では今年度3ヶ所調査が予定されている地区の2ヶ所の調査を終了させ、残り1ヶ所の調査を開始しました。古墳時代の溝跡6条や、土坑がみつかっています。

 

【溝跡の調査風景】

溝跡は幅3~6m、深さ30~70㎝ぐらいあり、溝底付近からは大きめの土器の破片が出土しています。

 

【溝跡の測量作業】

掘りあがった溝跡を測量し記録していきます。

 

【出土した石製模造品】

古墳時代の溝跡がみつかった調査面から鏡形(かがみがた)の石製模造品が出土しました。今から1600年ほど前(古墳時代中期)のものと考えられます。このころは滑石(かっせき)製の鏡形(かがみがた)や剣形(けんがた)の模造品を使用した祭祀が流行していました。浅川扇状地遺跡群でも行われていたと考えられます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年6月25日

大沢屋敷遺跡 平成26年度調査情報(1)

-大沢屋敷遺跡の調査が終了しました-

4月から実施していた春期分の発掘調査が終了しました。次回の調査は秋の予定です。大沢屋敷遺跡は東に流れる大沢川が形成した扇状地上にあります。これまで平成23~25年度に調査が行われ、縄文時代後期の遺物包含層と土坑(穴)群が確認されています。今回は、平成23年度調査地の東側に隣接する部分を調査しました。西側から続く遺物包含層が確認され、19基の土坑がみつかりました。土坑には、下部が外側に広がる形状(袋状)になるものもあり、貯蔵穴としての利用も推測されます。

 

【遺構の検出作業】

地盤の黄褐色土の上に、縄文時代後期の遺物を包含する黒色土が堆積しています。今回の調査では、住居跡はみつかりませんでしたが、包含層中の土器は上流方向から流れてきたと推測されるため、調査地の西方に当時の人々の集落があった可能性が高いと考えられます。

 

【土坑の調査1】

まず半分を掘下げ、土坑の形状や内部に堆積した土の様子を観察・記録して、残りの半分を掘下げていきます。

 

【土坑の調査2】

上写真の土坑をすべて掘り上げた状態です。この土坑は、直径80cm、深さ65cmで、下部が外側に広がる形状(袋状)です。クリやトチ、クルミなどの堅果類を貯蔵した縄文時代の土坑が各地で発見されていて、断面形が袋状となる例がしばしばみられます。この土坑には、堅果類は全く残っていませんでしたが、形状から貯蔵穴と推測しています。

大沢屋敷遺跡

2014年6月16日

黒部遺跡 平成26年度調査情報(2)

-黒部遺跡の調査が終了しました-

4月から実施していました黒部遺跡の調査は5月末で終了しました。調査では住居跡や土坑といった遺構は検出されず、縄文時代の石鏃1点とわずかな土器小片が出土したのみでした。遺跡の中心は今回の調査範囲の外にあると考えられます。

 

【遺跡遠景】

遺跡北西の松川対岸から黒部遺跡を望む。

 

【道路拡幅部分の調査状況】

現道直下が地山の黄褐色土となり、遺構はありませんでした。石鏃(やじり)が1点と土器が数点出土したのみでした。

 

【確認調査の調査状況】

確認調査は、ほ場整備対象地に2mのトレンチ(溝)を22本掘って遺構や遺物の確認を行いました。遺構は検出されず、一部のトレンチでわずかに土器片が出土したのみでした。

 

【出土した石鏃】

黒曜石製の石鏃で先端部が欠損しています。

黒部遺跡・二ツ石前遺跡

2014年6月12日

壁田城跡 平成26年度調査情報(1)

-壁田城跡の発掘調査-

6月9日(月)、いよいよ発掘調査の始まりです。調査研究員2名と法面掘削作業員そして重機とで調査に入ります。急斜面を掘削して城跡にともなう遺構を探していきます。

 

【発掘開始式】

いよいよ発掘の開始です。屈強の作業員7名が集まりました。ケガのないよう、お互いに声をかけあって安全に注意し、発掘しましょう。

 

【調査地のようす】

一面、笹やぶに覆われています。

 

【調査地のようす】

笹を刈りながら、重機とともに少しずつ調査を進めていきます。

壁田城跡

2014年6月2日

琵琶島遺跡 平成26年度整理情報(1)

-弥生時代の甕を観察する-

平成23~25年度にかけて発掘調査を行った琵琶島遺跡の本格整理作業を行っています。来年度の報告書刊行にむけて、掘立柱建物跡などの遺構図面を整理したり、出土した土器、石器を観察、分類し、実測図作成を進めています。今回は、その作業の中で改めて気づいた土器の文様について紹介します。

 

【土器の実測図作成作業】

弥生時代の甕を観察しながら、方眼紙の上に、実寸大の大きさで形や文様を描いていきます。文様の描かれた順番も大切です。

 

【弥生甕のつぶつぶ文様】

弥生時代中期後半、栗林式の甕の胴部に、連続的に棒状のものを押し付けた文様が見られます。その先端の内部をよく観察すると、細かな粒状の痕がギッシリと詰まった文様が観察できます。同じ時期の長野市南曽峯遺跡、松原遺跡でも、同様の文様を見つけることができます。簾状(れんじょう)工具の先端を押し付けた痕跡なのでしょうか?

 

【弥生甕のギザギザ文様】

もう一つの文様は、やはり栗林式の甕の胴部につけられたイモムシのような文様です。連続した刻みの内部は、等間隔に平行した線が走っています。柾目(まさめ)の木材の小口痕でしょうか?今後、つぶつぶ文様と合わせて、施文実験等も含めて追及していきたいと考えています。

琵琶島遺跡

2014年6月2日

出川南遺跡 平成26年度調査情報(2)

調査範囲全体の約半分の発掘が終了しました。調査区内には上下2枚の遺構面が確認され、上の面では中近世の掘立柱建物跡や溝跡が発見されました。下の面では、弥生時代後期から古墳時代前期までの土器片がまとまって見つかりましたが、竪穴住居跡のような遺構は確認されませんでした。当時の地形が西に向かって低くなり、低地に近い部分であったため、竪穴住居などは建てられなかったのかも知れません。

 

【掘立柱建物跡】

東西4間、南北3間の掘立柱建物跡が1棟検出されました。遺物の出土がないため、詳しい時期は分かりませんが、柱配列や埋土の特徴から中世以降の建物と推測されます。

 

【溝跡】

調査区を縦断する大小の溝跡が複数みつかりました。溝跡はどれも東西方向に延びています。埋土や遺物から多くは中世、一部は近代のものと思われます。

 

【土器集中】
中近世の面より約50cm下の面では、古墳時代前期とみられる土器の集中がいくつか確認されました。廃棄されたものか、または意図的に残されたものか今後の検討が必要です。

出川南遺跡

2014年5月30日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(2)

塩崎遺跡群では遺構の検出作業を終え、いよいよ竪穴住居跡の調査に入りました。現在、古墳時代後期から奈良時代にかけての竪穴住居跡を中心に調査しています。

 

【竪穴住居跡の調査を始める】

竪穴住居跡が埋まった土を観察するための試し掘りの溝を掘り、土のようすを観察しながら全体を掘り下げています。

 

【竪穴住居跡隅でみつかったこも編み石?】

古墳時代末頃の竪穴住居跡の隅から、むしろ(こも)を編むおもりと考えられる握りこぶし大の石が集中してみつかりました。

 

【竪穴住居跡の長方形の柱痕跡】

塩崎遺跡群では下の地層が柔らかく、竪穴住居跡の屋根の重みで沈み込んだ柱の痕跡が柱穴底に多く残されています。左の写真は長方形の柱の痕跡で、板状に近い木材を柱に使っていたようです。右下は竪穴住居跡で発見される一般的な丸い柱の痕跡です。

 

【カマドの中に残された土器】

奈良時代の住居跡の壁に造りつけられたカマドの中から、煮炊きに使われたとみられる甕の破片が多くみつかりました。カマドに掛けられたまま、放棄されたのでしょうか。

 

【竪穴住居跡の床下のようす】

竪穴住居では、大雑把な形に掘り下げた後で、土を埋め直して土間のような床をつくります。←はその最後の床面と思われる地層ですが、その下に地山の黄褐色の土の混じった帯状の地層が何枚か確認できました。何度も薄く土を水平に入れて床を造ったようです。

塩崎遺跡群

2014年5月29日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(2)

-市街地に眠る古代の遺跡-

調査開始より1ヶ月半が過ぎ、現在桐原地区の2ヶ所で調査を行っています。3区とした北側の地区では中世以降の溝跡3条や土坑が、南側の地区では古墳時代の竪穴住居跡3軒と溝跡6条や土坑などがみつかっています。

 

【古墳時代の竪穴住居跡の調査】

竪穴住居跡の中に残されていた土器や石器の状況を写真に記録するために清掃作業を行っています。

 

【竪穴住居跡から出土した土器】
住居跡からは、壺の大きな破片や完全な形に近い鉢などが出土しています。

 

【竪穴住居跡から出土した石器】

古墳時代の住居跡の床面付近から、弥生時代の磨製石器が出土しました。古墳時代の人も、まだまだ石器を使用したのでしょうか?それとも住居跡が埋まった土に混在していたのでしょうか。

 

【古墳時代の溝跡から出土した土器】

溝跡の中に堆積していた土砂の中から多数の土器片が出土しました。

 

【溝跡から出土した土器】

出土した土器の中には、破損した坏(つき)と呼ばれる器が多く含まれていました。

 

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年5月26日

南大原遺跡 平成26年度整理情報(1)

-弥生時代の石器を観察する-

報告書刊行に向けて、4月から弥生時代の土器と石器の整理を開始しました。今回は、輝石安山岩の石器を取上げます。割れたものが多く、接合作業で、割れた面が接合するものが4例見つかりました。折れた面で接合するもの、打ち欠いた剝離面で接合するものなどがありました。その多くは、鋭い縁辺があり、刃器と呼ばれる切る道具です。また、刃器とは異なり、縁辺部が著しく摩耗した擦り切り具と思われる石器も確認されました。石包丁や玉類などを作る時に用いる、石を擦り切る道具であったかもしれません。

 

【剥離面で接合した石器】

打ち欠いた面で接合しました。焼けて黒い部分があります。大きな石を打ち欠いて薄い板状の石器にしているようです。

 

【折れた面で接合した石器】

石器は複数に割れています。まだ見つかっていない部分もあり、全体の形状は不明です。使用の結果割れたのか、意図的に割ったのか、謎が残ります。


 

【擦り切り具】

刃先が磨滅してつるつるになっています。板状の石を折り割るために溝を付ける擦り切り具と考えられます。管玉などの製作に用いられますが、磨製石鏃、磨製石包丁などの製作に用いられたのかもしれません。

 

【南大原遺跡出土の土器と石器(弥生時代中期)】

「長野県の遺跡発掘2014」で展示しています。(長野県立歴史館で6月1日まで開催中)

南大原遺跡

2014年5月20日

「森平遺跡・寄塚遺跡・今井西原遺跡・今井宮の前遺跡」報告書刊行

 

書名:佐久市森平遺跡・寄塚遺跡群・今井西原遺跡・今井宮の前遺跡

副書名:中部横断自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書5-佐久市内5-

シリーズ番号:107

刊行:2014年(平成26年)3月

 

中部横断自動車道建設に伴う佐久市森平遺跡と寄塚遺跡群・今井西原遺跡・今井宮の前遺跡の発掘調査報告書を3月に刊行しました。森平遺跡は千曲川の支流である湯川右岸、他の3遺跡は湯川と千曲川に挟まれた台地上にあり、弥生時代から中近世までの遺構や遺物が出土しています。

今回の報告書では、川辺の人々の生活の様子を広く伝えるために、住居跡の形態とともに、土器・石器や骨などの出土位置をなるべく多く示しました。また、掲載した土器については、装飾、調整から胎土に至るまで細かな観察結果を記載しました。さらに、周辺の植生や栽培された植物の種類を調べたり石器や土器の産地を推定するための科学分析や、最新の方法による年代測定も行っています。ここで得られた成果を今後の調査や研究に生かしていきたいと考えています。

 

【蛇行する湯川と森平遺跡・寄塚遺跡群(南から)】

4遺跡の中で最も遺構数の多い森平遺跡は、湯川から数十mという至近距離に立地する弥生時代中期の集落です。また対岸の寄塚遺跡群にも、やや先行する時期の住居跡がありました。湯川は浅間山の南麓から佐久平を横断するように流れ下り、千曲川に近づくにつれてくねくねと大きく蛇行します。佐久平の弥生時代中期の集落の多くは台地上に密集していますが、森平遺跡の集落は、湯川が蛇行してできた島状の低位段丘上にあります。弥生人がこのような特異な場所を利用した背景が注目されます。

 

 

【森平遺跡に住んだ人々】

森平遺跡の竪穴住居跡は、弥生時代中期後半の栗林2式から3式期にあたるものが20軒、後期前葉のものが2軒検出され、各時期それぞれに数棟の掘立柱建物跡や複数の土坑が伴います。このうち約半数は引っ越しの際などに家の焼却が行われたとみられ、住居跡の床面近くからは多くの土器やコナラ節の炭化材が出土しました。土器を並べ、動物を供えるなどの儀礼が行われていた可能性もあります。

そのうち1軒の竪穴住居跡の床面に伏せられた有孔鉢(甑(こしき))の中から、渡来系弥生人の歯が出土しました。弥生時代中期に渡来系弥生人が既に佐久平にもおり、稲作技術などを伝えたと考えられます。また集落の北側の溝跡からイネ属の植物珪酸体が一定量出ていること、住居跡の炉からイネの胚乳や頴(えい)が検出されたことから付近で稲作が行われていた可能性も指摘されました。

高冷な佐久地方に稲作を根付かせるため、森平遺跡の人々は川のそばの低地に進出し、集落をつくっていったと考えられます。

(写真上:森平遺跡遠景(西から))

(写真下:SB01遺物出土状況)


 

【森平遺跡の外来系土器と交流】

森平遺跡が湯川の近くに位置しているもう一つの理由に、湯川から千曲川へつながる河川交通が考えられます。遺跡からは、駿河湾地方から山梨県に分布する有東(うとう)式の壺や、類似した模様をもつ甕などが出土しており、人々の交流があったことが推定されます。また、住居跡床面近くからは緑色岩類製の太型蛤刃石斧や緑色凝灰岩製の扁平片刃石斧が出土しており、樹木の伐採等に使われたと考えられます。これらには製作途中の資料が無いため、石材が豊富に産出する千曲川中流域から搬入されたものと思われます。

(写真上:有東式土器)

(写真下左:太型蛤刃石斧 右:扁平片刃石斧・柱状片刃石斧)


 

【今井宮の前遺跡の大形土坑】

本報告書に掲載した遺跡の中で最も南に位置する今井宮の前遺跡は、千曲川の北側の河岸段丘上に立地します。15~16世紀代の杭列跡がみられ、東側に隣接する中世の今井城との関係が予想される建物の存在も想定されています。また、17世紀代には石積みを伴い直径2mを越す大形の土坑が4基みられます。これは、水に乏しい台地上で稲作を行うために地下水を溜め、季節的に利用した井戸の一種と考えられます。佐久地方では17世紀前半に市川五郎兵衛が苦心の末に用水を引いて荒れ地を開発したことがとても有名ですが、今井宮の前遺跡の土坑も、先人達の水田開発のための努力の証しです。


 

森平遺跡ほか

2014年5月20日

満り久保遺跡 平成26年度調査情報(1)

満り久保遺跡はこれまで平成21年・25年度に調査を行い、旧石器時代の遺物が多数みつかっています。今年度は前回の調査地の西側を調査しています。

 

【調査風景】

2m四方のグリッドを設定し、市松状に掘り下げていきます。今のところ、耕作土から黒曜石製の石器が3点、剥片が数十点出土しています。耕作土からは自然石の黒曜石も50点以上みつかっています。出土地点には白い棒を立てて記録をします。

 

【尖頭器】

槍先の形をした石器(槍先形尖頭器)です。写真左側の一部は破損しています。

満り久保遺跡

2014年5月13日

黒部遺跡 平成26年度調査情報(1)

-長野盆地をみおろす山麓の遺跡-

黒部遺跡は高山村黒部地籍にあり、長野盆地北部をみおろす山麓にあります。県営中山間総合整備事業(ほ場整備)に伴い4月から調査を始めました。調査範囲は約1万平方メートルで、村道改修部分は面調査を行い、そのほかはでは幅2m程のトレンチ(溝)を掘って遺構や遺物があるかを確認しています。今のところ時期不明の土坑(穴)状の落ち込みが2基確認されたのみです。遺物は石鏃(黒曜石製)、土器片などがわずかに出土しています。

 

【遺跡踏査】

確認調査のトレンチ掘削をする前に、地表面で遺物が採集されるか探しています。

 

【遺構検出】

村道部分で遺構があるか調査面を精査しています。

 

【黒部のえどひがん桜】

遺跡範囲内には高山村指定の天然記念物の桜があります。樹齢500年と推定され、江戸時代の古絵地図にも記載されています。満開時には県内外から多くの観光客が見学に訪れていました。

黒部遺跡・二ツ石前遺跡

2014年5月13日

塩崎遺跡群 平成26年度調査情報(1)

-弥生時代から平安時代の長期にわたる集落遺跡-

前年度に引き続き、塩崎遺跡群の発掘調査を開始しました。塩崎遺跡群は千曲川左岸の自然堤防上に立地する弥生時代中期から平安時代にいたる遺跡で、長野県内で発見例が少ない弥生時代中期前半頃の集落や墓が確認されたことで注目されています。さらに弥生~古墳時代の玉や鏡など威信財と考えられる遺物、他地域との交流を示す土器の出土もあり、弥生~古墳時代前期にかけて社会的中心地のひとつであったと考えられています。今回の発掘調査でも弥生~古墳時代前期頃の集落のようすを知る成果が得られることが期待されます。

 

【重機による表土掘削】

いよいよ調査がはじまりました。まずは竪穴住居跡や墓がみつかる地層まで重機で掘り下げます。竪穴住居跡や溝跡が密集しているため、深く掘り過ぎないように、慎重に少しずつ掘り下げています。どんな遺構がみつかるのか、期待が高まります。

 

【遺構を探す】

重機で表土を掘削した後に、地層の表面をきれいに削って、土の色や質の違いから竪穴住居跡や溝跡を探し、その形や重なり具合を確認する作業(検出作業)をします。塩崎遺跡群では多くの遺構が重なっているため、微妙な土の違いを見きわめなくてはならず、粘り強く観察する作業が続きます。

 

【勾玉の出土】

地層を確認する試し掘りで、半円形の小さな勾玉がみつかりました。勾玉の形から弥生時代のものとみられ、後の時代の地層に紛れ込んだものと考えられます。この勾玉をはじめ塩崎遺跡群では多くの玉類がみつかっています。

 

【地震による噴砂】

塩崎遺跡群では地震の際に下の砂層の砂が噴出した砂脈(噴砂)がいくつか確認されました(写真中央の矢印)。塩崎周辺の遺跡では平安時代前期の噴砂と江戸時代末の善光寺地震による噴砂が確認されています。塩崎遺跡群でみつかった噴砂は、平安時代前期の遺構も貫いており、善光寺地震に伴う可能性が高いと推測しています。

 

【並んで見つかったカマド煙道】

検出作業でカマドの煙出し跡(煙道)と考えられる焼け土が混じった溝が並んでみつかりました。竪穴住居跡1軒に1基のカマドが多いのですが、写真のように煙道が2条ある場合はカマドを造り替えている可能性があります。

塩崎遺跡群

2014年4月30日

浅川扇状地遺跡群 平成26年度調査情報(1)

―市街地に眠る古代の遺跡―

4月16日より、平成26年度の調査を開始しました。県道高田若槻線関連の発掘調査も4年目になりましたが、今年度は、事業予定地南側の桐原地区を中心に行う予定です。昨年同様、弥生時代~中世にかけての遺構がみつかることが予想されます。現在、古墳時代の竪穴住居跡1軒、溝跡5条などが確認されています。

 

【遺構検出作業風景】

重機により表土を剥がしたあと、両刃鎌で地表面を薄く平らに剥がしながら、竪穴住居跡などの遺構を探していきます。

 

【古墳時代の竪穴住居跡の調査1】

竪穴住居跡の形を確認したあと、十文字に溝を掘り竪穴住居跡に堆積した土層の状況と、床面までの深さなどを確認します。

 

【古墳時代の竪穴住居跡の調査2】

竪穴住居跡に堆積した土を掘り下げていくと、土器片がみつかりました。みつかった土器はその場所に残しながら掘り進め、写真を撮ったり、測量をしたりして記録を残します。(竹串がさしてあるところに土器が残されています。)

 

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2014年4月23日

出川南遺跡 平成26年度調査情報(1)

出川南遺跡の発掘調査が始まりました。出川南遺跡はJR篠ノ井線南松本駅の一帯に広がる大きな遺跡です。これまでの調査で弥生時代後期から中世までの集落や方形周溝墓、古墳などがみつかっています。前年度に松本市が発掘を行った際、古墳時代前期と平安時代の竪穴住居跡が複数みつかっており、隣接する今回の調査区でも集落の広がりが確認できるものと期待されます。

【調査開始】
調査区境の壁面を観察し、地層の堆積のようすを確認しています。

【遺構の検出】
現地表面下、約1mの深さから、中世~近世と考えられる柱穴跡や、溝跡がみつかっています。

【溝跡の調査】
東西に伸びる溝跡を掘り下げています。溝は深いところで60cm以上もあります。

出川南遺跡

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