Research調査情報

2010年7月15日

奥日影遺跡(3)~最新遺跡情報

掘立柱建物跡を南側から見たようすです。人が立っている位置に建物の柱があります。中世の建物だと思われます。

(2)-1区からは幅約1.5m、長さ約6mの須恵器(すえき)を焼いたと思われる窯跡が、見つかりました。

調査区の東側から見た須恵器窯跡です。試し掘りの細長い溝を掘っています。

同じく、須恵器窯跡を西側から見たところです。窯跡の埋まり方を観察するための土壁をベルト状に一部残して掘っています。

北側から見たところです。手前に灰原(はいばら)があります。灰原には窯からかき出された失敗作品などがたまっています。

灰原から見つかった須恵器です。左はつまみのない蓋、右は高台付きの皿です。うつわの特徴から、奈良時代の須恵器と分かりました。

奥日影遺跡,東信,調査情報

2010年6月25日

馬越下遺跡(2)~最新遺跡情報

平安時代の竪穴住居跡です。平面で形が分かりづらいので、まず細長く試し掘りをして床跡や壁跡を確かめているところです。

平安時代の竪穴住居跡の発見状態です。黒褐色の土を掘り込んで作られた住居には黒い土が埋まっており、発見には手こずりました。

さっそく黒い色の土を掘り始めます。

なんと西側の壁近くから鉄製の鎌(かま)が見つかりました。

さらに同じ住居跡から鉄製の刀子(とうす)(現代の小刀)も見つかりました。

東信,調査情報,馬越下遺跡

2010年6月18日

上滝・中滝・下滝遺跡(1)~遺跡紹介

上滝・中滝・下滝遺跡は、滝川左岸の段丘上に細長く延びている遺跡です。一昨年度の遺跡南側の確認調査では遺構は見つかりませんでしたが、本年度の調査ではこれまでのところ、縄文時代の住居跡1軒、土坑1基、古墳時代と古代の竪穴住居跡8軒、古代の溝1条などが見つかっています。
 
古墳時代前期(約1,700年前)の竪穴住居跡です。住居内からは焼けて炭化した材が多数みられ、焼失した可能性があります。

平安時代の初め(約1,200年前)の竪穴住居跡です。北壁中央にカマド(写真上)がありますが、手前を最近掘られたごみ穴に壊されていました。

平安時代の竪穴住居跡の中には、大きな石で築かれた立派なカマドもあります。

東海地方で作られた灰釉陶器(かいゆうとうき)という壷(つぼ)(瓶(へい))の底の部分です。直径40cmほどのだ円形の穴の上面で見つかっています。

上滝・中滝・下滝遺跡,東信,調査情報

2010年6月9日

奥日影遺跡(2)~最新遺跡情報

溝跡SD08の発掘調査風景です。溝の埋まり方を観察するためにベルト(土の壁)を残して発掘します。

溝の底から水が湧いてきました。潜水ポンプで水をくみ上げながらの発掘です。

溝SD08を掘り上げた状態を東側から見ています。溝は西から東へ向かって流れていたことが分かりました。

掘立柱建物跡の柱穴などの調査をしているところです。

柱穴などを掘り上げた後で、平面図を作るために測量をします。

奥日影遺跡,東信,調査情報

2010年6月9日

地家遺跡(2)~最新遺跡情報

遺跡は東に開けた谷状地形を中心に広がっています。現在、遺跡中央を東に下る川跡と、南側の斜面部の調査を行っています。
 
川跡の調査風景です。木製品や自然木が見つかり始めました。乾燥を防ぐために木製品にポリ袋をかぶせています。

端部を尖らせた棒状の木製品が見つかりました。どのように使われたかはまだ分かりません。

ホゾを作りだした棒状の木製品です。

地家遺跡,東信,調査情報

2010年5月28日

馬越下遺跡(1)~遺跡紹介

 馬越下遺跡は平成20年度の長野県教育委員会の試掘調査によって新しく発見された遺跡です。現在、平安時代の住居跡が数軒見つかっています。佐久平に見られる大規模な集落などとは対象的に、山間地の小規模な集落である点で、古代の集落を考える上で興味深い遺跡となりそうです。
 
千曲川東岸から遺跡を見たところです。遠くに八ヶ岳を望みます。

西側から見たところです。段丘上の小さな谷地形にあります。

ジョレンを使って地面を平らに削りながら遺構を見つけているところです。遺構の埋土が地山の土に似ているため、見落としがないようにいつにも増して慎重に作業をしています。

東信,調査情報,馬越下遺跡

2010年5月14日

地家遺跡(1)~遺跡紹介

 地家B遺跡は昨年度の調査で遺跡範囲が拡大することが明らかになったので、地家遺跡として統一されました。
 昨年度からの継続調査です。遺跡一帯は、平安時代から中世にかけて存在したとされる旧長命寺跡に比定されています。昨年度は、旧長命寺背後の斜面地に営まれたと考えられる中世の墓域を主に調査しました。本年度は、伽藍配置など寺院の核心部を示す遺構や遺物が明らかになることが期待されます。
 
北側から調査区を見たところです。遠くに見えるのは佐久市臼田の町並みです。

地家遺跡,東信,調査情報

2010年5月14日

北裏遺跡群(1)~遺跡紹介

 北裏遺跡群は、虚空蔵山(こくぞうさん)の北側台地上から片貝川が流れる低地にかけて広がっています。今年度は昨年度調査した低地の上にあたる台地上の調査を行っています。
 今年度の調査予定面積は10,180㎡で、台地の落ち際の北から、丘陵裾の南に向かって調査を進めています。およそ2,500㎡の表土剥ぎが終わり、弥生時代中期と古代の竪穴住居跡が20軒以上見つかっています。遺構の密度が高いことから、かなり大きな規模の集落があったことが分かってきました。
 
虚空蔵山物見台から北に向かって手前から北裏遺跡群、佐久平、浅間山を望みました。

調査区南西側から見た調査風景です。写真手前左側の土が黒い部分には竪穴住居跡がありそうです。

河原石を敷詰めた上に木製の棺を設置する弥生時代の墓跡、礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)と思われます。

古代の竪穴住居跡内にあるカマド付近の掘り下げをしています。たくさんの土器が見つかっています。

竪穴住居跡の調査風景

弥生時代の竪穴住居跡の調査風景

弥生時代の磨製石斧(ませいせきふ)です。

弥生時代中期初頭の土器です。信州の弥生文化が始まったころの土器です。

古代(平安時代)の土器片です。

弥生土器と石鍬

縄文時代中期初頭の土器片です。

北裏遺跡群,東信,調査情報

2010年5月13日

奥日影遺跡(1)~遺跡紹介

奥日影遺跡の発掘調査は平成20年度に開始され、昨年度は中断していましたが、この春4月12日から再開されました。これまでの調査では中世と思われる掘立柱建物跡や溝跡、小穴が見つかっています。また古墳時代から古代の土器、中世の陶磁器も見つかっています。
 
今年度調査区南部分の(2)-2区を北東側の土山の上から見た様子です。土のうが置いてある所に小穴があります。

(2)-2区を南側から見たところです。小穴を発掘しています。掘立柱建物跡もありそうです。

(2)-2区の東側の(2)-3区の南端です。写真上側に見える現在の町道に並行して溝(SD08)が走っています。溝の深さを調べるために試し掘りをしているところです。幅2m、深さ1mほどありました。まだ遺物が見つかっていないので詳しい時期はわかりません。

奥日影遺跡,東信,調査情報

2009年12月28日

近津遺跡群(3)~最新遺跡情報

発掘調査が終了しました。
 
3年間にわたって調査を行ってきましたが、12月8日をもってすべて終了しました。高速道路の工事はもうすぐ隣まで来ています。

東信,調査情報,近津遺跡群

2009年12月28日

周防畑遺跡群~最新遺跡情報

発掘調査が終了しました。
 
水田地帯の調査は9月から開始しましたが、地下水位が高く、水との戦い。弥生時代の竪穴住居跡などを調査しました。

周防畑遺跡群,東信,調査情報

2009年12月28日

地家B遺跡(3)~最新遺跡情報

発掘調査が終了しました。
 
調査も終盤になって、中世の寺院「長命寺」に関係が深そうな礎石建物跡や石を床にめぐらせた建物跡(写真)などの発見が相次ぎました。来春から調査を再開します。

地家遺跡,東信,調査情報

2009年12月28日

満り久保遺跡(2)~遺跡紹介

発掘調査が終了しました。
 
中部横断道路の関係では今年度一番南の遺跡です。11月30日に調査は終了しました。
1万5000年ほど前の旧石器時代に黒曜石の石槍を作っていました。

東信,満り久保遺跡,調査情報

2009年12月28日

鬼釜遺跡(4)~最新情報

発掘調査が終了しました。
 
トレンチという溝を何本も掘って、遺跡の時代や内容の確認調査を行いました。

南信,調査情報,鬼釜遺跡・鬼釜古墳

2009年11月9日

鎌田原遺跡(1)~遺跡紹介

遺跡は小諸市東南部、御影新田地籍にあります。佐久市との境に位置し、隣接する佐久市近津遺跡群とは行政区が異なるため、遺跡名は別になっていますが、同じ湧玉川左岸の田切り台地にひろがる一連の遺跡と考えられます。
中部横断自動車道建設に伴う鎌田原遺跡の発掘調査は、平成13・14年度に次いで2回目となり、今回は4,500㎡が対象となりました。あわせて14,300㎡の調査を行ったことになります。
前回の調査でみつかった竪穴住居跡は古墳時代前期のもの8軒と古墳時代後期のもの2軒でしたが、今回は平安時代後期の竪穴住居跡3軒が発見されました。11月初旬で発掘調査は終了しました。
 
平安時代の竪穴住居跡を掘り下げています。この付近では、1万数千年前の浅間山の噴火により流下した火砕流(浅間第1軽石流)が基盤層となっています。

人が入っている穴が柱の立っていた跡です。カマドは北東隅のコーナーにつくられています。

カマドは大変残りが良く、石組みがそのまま残っていました。

石組みの様子を、図面に記録しながらカマドの調査を進めました。

東信,調査情報,鎌田原遺跡

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