Research調査情報

2022年7月12日

西浦遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

【発掘調査が始まりました】

 6月13日(月)から、リニア中央新幹線建設に先立って、西浦遺跡の発掘調査をおこなっています。

 場所は、天竜川右岸の飯田市上郷飯沼地区の、一段高い丘の上です。

 調査は9月いっぱいまで予定しています。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

【西浦遺跡ってどんな遺跡?】

 西浦遺跡は、縄文・弥生・古墳・平安時代、中世・近世の集落跡・その他の墓とされており、遺跡の範囲は南北約400m、東西約250mと広範囲にわたります。

 2019年の飯田市教育委員会による発掘調査では、弥生・古墳・平安時代の集落跡や、弥生時代の墓(方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)・円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ))、7世紀代の古墳=飯沼塚田古墳が発見され、テレビや新聞でも報道されました。

 

【調査成果】

 これまでの調査で、竪穴建物跡6軒、溝跡2条、柱穴状の土坑約100基、そして古墳の周溝を1基発見しました。この古墳ですが、墳丘は平安時代の荘園開発に際して削平されたものと想像され、現在まで存在すら把握されていないものでした。残存する周溝は、全体の1/4程度とみられますが、古墳がこの地に築造されていたことは間違いありません。西浦遺跡周辺には、古墳時代の集落が多数存在しますが、それらの集落との関係性を探る上でも、重要な発見と考えています。

 

西浦遺跡発掘だより第1号(PDF:797KB)

西浦遺跡

2021年12月16日

黒田大明神原B遺跡 2021年度発掘調査(3)

【11月の発掘調査成果】

 黒田大明神原B遺跡の発掘調査は11月30日(火)で終了しました。11月は調査区北側で、縄文時代の竪穴建物跡1軒と弥生時代の竪穴建物跡5軒の調査を行いました。建物跡からは土器や石器などが出土しました。

 今回の調査成果により、この遺跡が栃ヶ洞(とちがほら)川に面した東西に長細い台地上に広がる、縄文時代と弥生時代の集落跡であることがわかりました。

 

【縄文時代の竪穴建物跡】

 建物跡は直径約3mの円形に近い形をしていて、深さは20cm程です。中央には炉があります。土器の形や模様から、縄文時代中期前半の建物跡と考えています。

 

 

 

 

【弥生時代の竪穴建物跡】

 一番大きい建物跡は、5×4.3mの長方形で、深さは40cm程です。柱穴、入口施設のための穴、炉があります。この遺跡の弥生時代の竪穴建物跡の特徴は、遺物の出土が僅かであること、床面が非常に硬く締め固められていることです。この特徴は、弥生時代後期における周辺の集落遺跡の建物跡に共通します。

 

 

黒田大明神原B遺跡 通信第3号

黒田大明神原B遺跡

2021年12月16日

ふじ塚遺跡 2021年度整理作業(1)

 約4万点に及ぶ礫石経の洗浄が終わり、10月からは注記、写真撮影、計測、文字の判読の作業を行っています。

 ふじ塚遺跡発掘たより_No.5

 

【注記】

 礫石経塚での出土場所が分かるように、機械を使って、礫石経1点ずつ注記を行います。

 

 

 

 

 

 

 

 

【写真撮影】

 1点ずつ作業用の写真を撮影します。礫石経の出土量は膨大なので、撮影した写真も使って整理作業を行います。

 

 

 

 

 

 

 

【計測】

 石にお経を書く時に、どのような石を選んでいるのか調べるために計測を行っています。直径約1.5~15cm、扁平な円礫から厚みのある角礫まで様々な形状の石が使われていることがわかってきました。

 

 

 

 

 

 

【文字の判読】

 「佛」「菩」「薩」「釈」「迦」「南」「無」「経」など誰でも読むことができる文字と、消えてしまい不明瞭な文字や墨痕がないものに分けることができます。現在私たちが目にすることがほとんどない旧字や異体字と思われる文字も含まれており、辞書で調べながらの作業になりますが、自分たちでは判読不可能な文字が多数あります。

 

 

 

【立正大学教授 時枝務先生の指導】

 宗教考古学がご専門の時枝務先生に判読の指導を受けました。間違った文字が含まれているので、文字を知らない人も書いている可能性があるようです。約4万点の礫石経を1点ずつ観察する気の遠くなるような作業ですが、ふじ塚遺跡の礫石経塚を解明していく上で重要な作業だと激励されました。

ふじ塚遺跡

2021年11月30日

沢尻東原遺跡 2021年度整理作業(2)

【土器の実測作業】

 沢尻東原遺跡から出土した土器の復元作業はほぼ終了し、実測作業が本格的に始まりました。

 

【土器の写真を撮影する】

 土器の実測には、デジタル技術を活用しています。デジカメで土器を全方向から分割して撮影し、その写真を委託業者が合成して3D実測図を作ります。1点の土器に必要なカット数は土器1点につき200カット程になります。

 

 

 

 

【完成した土器の3D実測図】

 土器の凹凸の細部まで表現されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【断面図の作成】

 土器の断面図は手実測で作成します。この段階で土器の作り方や使用痕などを観察します。

 

 

 

 

 

 

 

【完成した実測図】

 3D実測図と手実測の断面図を合成して、実測図の完成です。報告書には実物の1/4や1/6の大きさで掲載します。

沢尻東原遺跡

2021年11月29日

座光寺石原遺跡 2021年度発掘調査情報(5)

【ナギジリ2号古墳の調査成果】

 直径14mの円墳で、幅3mの周溝が巡ります。石室は床に石が敷き詰められた横穴式石室で、長さ7.2m、最大幅2.2m、入口幅1.4m、最大側壁高約2mを測ります。

 

 

 

 

 

【ナギジリ2号古墳の見学会】

 座光寺公民館・歴史に学び地域をたずねる会・2000年浪漫の郷委員会主催の遺跡見学会を、11月15日に開催しました。参加者は、熱心に古墳や出土遺物の説明に耳を傾けており、遺跡に対する関心の高さを感じることができました。

 

座光寺石原遺跡見学会資料

 

 

【出土した副葬品】

 ナギジリ2号古墳では、須恵器(写真左)や鉄鏃(てつぞく)、鉄刀、耳環(じかん)とよばれる耳飾り(写真右)等の副葬品が出土しています。

  

 

座光寺石原遺跡発掘だより第7号

座光寺石原遺跡

2021年11月29日

黒田大明神原B遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

【集落の周囲を探る】

 県道15号線(通称フルーツライン)から南信州いいだ果実選果場へ向かう市道北側の畑地をトレンチ調査しました。打製石斧が出土した以外に遺構や遺物は見つかりませんでした。この一帯は、西から東へ向かう谷の北東向きの斜面で、古代の人が生活するには不向きだったようです。

 

 

 

【果樹園下に眠る遺構】

 栃ヶ洞(とちがほら)川に面した果樹園一帯を面調査しました。黄色い地山の中に、褐色の不正円形なシミがいくつか見つかり、そこからは土器や石器が出土しています。これらを縄文時代や弥生時代の遺構と考えて、現在調査を進めています。

 

 

 

黒田大明神原B遺跡通信 第2号

黒田大明神原B遺跡

2021年11月17日

沢尻東原遺跡 2021年度整理作業(1)

 昨年度から実施していた土器の復元作業は順調に進み、石膏を入れた土器へ色塗りを開始しました。

 

【絵具を混ぜる】

 何種類もの色(水性アクリル絵具)を混ぜて土器の色を作ります。石膏に塗る色は実際の土器の色と若干異なるようにし、実物の土器が残る範囲と復元した範囲を区別します。

 

 

 

 

 

【復元した土器に色を塗る】

 石膏の範囲に色を塗っています。まず石膏範囲の中央を太い筆で塗り、実物の土器と接する部分は細い筆で慎重に塗ります。

 

 

 

 

 

 

【展示した土器】

 着色した土器は各種展示会等で公開します。

写真は、6~7月に辰野美術館で開催した「掘るしんinたつの」における展示風景です。

沢尻東原遺跡,調査情報

2021年10月6日

黒田大明神原B遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

発掘調査が始まります。

 中央自動車道の座光寺スマートインターから県道15号線(通称フルーツライン)に接続する道路の建設にさきだって、黒田大明神原(くろだだいみょうじんばら)B遺跡の発掘調査を実施します。調査期間は、9月21日(火)から11月30日(火)までを予定しています。隣接地では、飯田市教育委員会も調査を行っています。期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので、ご注意ください。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 

黒田大明神原遺跡とは?

 黒田大明神原遺跡は、おそくとも大正時代には縄文時代や弥生時代の土器片が採取できる場所として知られていたようです。戦後まもなく、西から東に延びる台地の南東端で壁土を採取していた時に、両腕を広げた土偶がみつかっています。1980年代の農道拡幅工事に伴い、縄文時代や平安時代の竪穴建物跡や弥生時代のお墓の跡などが初めて発掘されました。さらに、1990年代に入ると、県道15号バイパス新設工事などに伴う発掘で、縄文時代を中心に弥生時代や古墳時代の集落跡を確認することができました。合計8回の発掘調査の結果、今から約11,000年前の縄文人たちの暮らしの跡が残るB遺跡と、およそ5,000年前に大きな集落を営んだA遺跡が、中央の窪地をはさんで北西と南東に立地し、双方に、弥生時代以降、平安時代まで人びとが断続的に住まいや墓をつくっていたことがわかっています。今回は、どんな発見があるか、楽しみですね。

 写真や図は、これまでの調査で発見された遺構や遺物です。上段・左が縄文時代前期末の土器、右が中期中頃の竪穴建物跡、下段・左が中期後半の土偶、右が中期後半の土器。

   

 

黒田大明神原B遺跡通信創刊号(1023KB)

黒田大明神原B遺跡

2021年8月31日

座光寺石原遺跡 2021年度発掘調査情報(4)

【古墳の調査進む】

 ナギジリ2号古墳は、天井石を残した状態で上空から3D測量のための写真撮影を行いました(写真左下)。この写真を使って平面図を作成します。続いて天井石を取り除いて、石室の上面を露出させました。取り除いた天井石には花崗岩が使われており、大きなものは横幅210センチ余り、重さは約3.2トンあります(写真右下)。今後は、墳丘の裾まで掘削して古墳全体の形状を明らかにする一方で、石室内部を慎重に掘り下げていく予定です。

    

 

 

【9区の調査終了】

 6月に高坏が出土したSK04は、南北の最大長264㎝、最大幅125㎝、深さ26㎝の土坑墓と考えられます。北を頭に埋葬したとすると、足元に古墳時代後期の土師器の坏が5つ置かれ、胸のあたりから鉄鏃が9本出土しています(写真下)。

   

 

座光寺石原遺跡発掘だより第6号(1250KB)

座光寺石原遺跡

2021年8月23日

五郎田遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

【発掘調査開始から4か月がたちました】

 7月末の時点で調査を行った竪穴建物跡は23軒にのぼります。弥生時代から平安時代の竪穴建物跡がはげしく重なり合っており、みつけるのに苦労します。また、柱穴と思われる穴も数多くみつかっており、正確な数はまだわかりませんが、相当数の掘立柱建物跡の存在が予想されます。当初の予想よりも遺構が多くみつかったため、順次作業員さんを増員して、現在は20人体制で発掘作業を行っています。

 

【古墳時代の竪穴建物跡】

 写真は5世紀前半ごろ(約1600年前)と推定する竪穴建物跡です。この竪穴建物跡の中央から北側には、埋土の中から炭化物が集中してみつかり、高坏などほぼ完形の土器も出土しています。竪穴建物跡が廃棄され、埋没する過程で、意図的に火を焚いて土器を投棄していたものと推定しています。

 

 

 

【様々な石器】

 打製石斧(写真左)や石包丁(写真中)など、調査区からは様々な石器がみつかっています。弥生時代の遺構からはもちろん、それ以降の時代の遺構や検出面からも多く出土しており、石製の道具が弥生時代以後も利用されるという飯田地方の特徴をみることができます。

 また、勾玉(写真右)や管玉も出土しています。

  

 

五郎田遺跡発掘だより第2号(559KB)

五郎田遺跡

2021年7月12日

五郎田遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

【発掘調査が始まりました】

 五郎田遺跡は弥生時代からの集落跡と推定されており、飯田市内初のリニア中央新幹線建設に伴う本格的な発掘調査を行っています。

 4月中旬から重機で遺跡を覆う表面の土を除去し、人力で遺構を見つける作業を行った結果、竪穴建物跡と掘立柱建物跡がそれぞれ約20軒、土坑約200基などが重なった状態で見つかりました。

 

【遺跡の立地と周辺の遺跡】

 遺跡は天竜川右岸の東側に向かい緩やかに傾斜する低位段丘面に立地し、遺跡の西南には土曽川(どそがわ)が天竜川に向かって流れています。五郎田遺跡は以前から古代の土器が散布する場所として知られていました。

 五郎田遺跡の土曽川対岸には弥生時代の大集落である丹保(たんぼ)遺跡や方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が発見された橋爪(はしづめ)遺跡、弥生時代から古代にかけて大規模な集落が形成された堂垣外(どうがいと)遺跡・ママ下遺跡などが見られます。

 

 

 

 

【注目される恒川官衙遺跡との関係】

 五郎田遺跡は伊那郡衙(古代伊那郡の郡役所)と推定される国史跡の恒川(ごんが)官衙遺跡や堂垣外遺跡が同一の段丘面にあり、その関係が注目されています。堂垣外遺跡は倉庫と考えられる総柱の掘立柱建物跡や礎石を持つ竪穴状遺構が検出され、三彩陶器や畿内系土師器、円面硯(えんめんけん)、銅製帯金具(おびかなぐ)、馬具などの特殊な遺物が出土しており、地方官衙に関係する集落であったと推定されています。五郎田遺跡からも同様な遺構、遺物が発見されることが期待され、恒川官衙遺跡や堂垣外遺跡とともに、伊那郡衙を支える有力集落であった可能性を想定して調査しています。

 

 

 

 

五郎田遺跡発掘だより第1号(451KB)

五郎田遺跡,調査情報

2021年7月5日

ふじ塚遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

【⑨区の調査】

 北東から南西方向(写真右手から左上)に延びる溝跡が見つかりました。堆積の状況から、流路跡と考えられます。埋土からは黒曜石の破片が出土しただけなので、時期は不明です(写真中の赤い矢印は溝跡の底の傾斜)。




【⑯区の調査】

 重機を使って表土を掘削した後、作業員が精査したところ、土の色が変わった場所が数か所見つかりました。土坑と思われます。




【見つかった土坑を調査すると・・・】

 土坑を掘り下げたところ、そのうちの1基から、底面の中央に小さな穴が見つかりました。この小穴は獣を捕るために木を設置した跡と考えられ、この土坑は落し穴と思われます。落し穴の形状から、縄文時代のものと考えられますが、出土した遺物は黒曜石の破片のみなので、詳しい時期はわかりません。




【⑭区の調査】

 昨年調査した礫石経塚の北側と東側を調査しました(★印が礫石経塚発見地点)。礫石経塚をみつけた場所と同じような土が残っていたため、手作業で丁寧に掘り下げましたが、礫石経塚に関連する施設は確認できませんでした。礫石経塚は、単独で存在していたようです。

 

 

 

ふじ塚遺跡発掘たより_No.4




ふじ塚遺跡,調査情報

2021年7月2日

座光寺石原遺跡 2021年度発掘調査情報(3)

【ナギジリ2古墳発見!!】

 発掘調査で地表直下から巨石が見つかりました。その周りを慎重に掘り進めると、巨石を支える石列が約1.7m間隔に東西2列見つかり、巨石が古墳の天井石であることがわかりました。

 今回発見した古墳の天井石は、出土地点から『下伊那史』に記述のあるナギジリ2号古墳のものであるとわかりました。



【土曽川流域古墳群の性格等を解明すべく、がんばります】

ナギジリ2号古墳は、墳丘裾部の確認と並行して、天井石を記録し、その後天井石を撤去し、石室の掘下げに入ります。さらに、土曽川流域にはナギジリ2号古墳の他、1997年に飯田市教育委員会が調査した6世紀後半築造のナギジリ1号古墳があります。また、今年度の調査範囲にはナギジリ3号古墳や石原古墳の存在も想定され、これらの古墳群の性格等を解明すべく、調査を進めていきます。



座光寺石原遺跡発掘だより第5号PDF(657KB)

座光寺石原遺跡,調査情報

2021年6月25日

座光寺石原遺跡 2021年度発掘調査情報(2)

【11区の調査】

今年度は、11区から調査をはじめました。東西に6本のトレンチを設定して調査を進めましたが、遺構を確認することはできませんでした。



【出土した灰釉陶器の皿】

遺構はありませんでしたが、灰釉陶器の皿のほか、土師器片などの遺物が見つかっています。



【9区の調査】

11区に続き、9区の調査を行いました。東西に2本、南北に1本のトレンチを設定して調査をした結果、土坑が2基見つかりました。左写真の黒い部分が土坑の範囲です。南北約260㎝、東西約100㎝の楕円形になります。



【土坑から古墳時代の高坏が出土】

発見した土坑は深さ15㎝以上あり、中からは古墳時代の高坏が出土しました。



座光寺石原発掘だより第4号 PDFデータ

座光寺石原遺跡,調査情報

2021年5月11日

ふじ塚遺跡 2021年度発掘調査情報(1)

 昨年度に引き続き、ふじ塚遺跡の発掘調査が始まりました。昨年度は、遺跡内に所在した「ふじ塚古墳」が戦国時代~江戸時代初頭の礫石経塚(れきせききょうづか)であることが判明しました。礫石経塚からは、小石に墨でお経を書いた礫石経が約4万点発見され、大きな成果をあげることができました。

 本年度の発掘調査は、調査区が6か所ありますが、礫石経塚発見地点のまわりも調査します。礫石経塚に関係する遺構や遺物が発見されることが予想されます。

 

本年度の調査区



【遺跡遠景】

 ふじ塚遺跡(写真白色矢印)は、諏訪湖の北側(湖北地域)にある南向きの斜面に立地します。遺跡の東側を流れる砥川の対岸には、下諏訪から佐久方面に通じる中山道(現、和田峠)が通っています。



【発掘開始式】

 下諏訪町役場から、しごと創生支援施設「ホシスメバ」の一画をお借りして、現場事務所としています。

 4月20日、埋文センター所長が来跡して開始式を行いました。



【発掘作業の様子】

手作業で表土をはぎ、遺構・遺物を検出している様子です。写真上に下諏訪町と岡谷市の市街地が見えます。



【トレンチの精査で見つかった土坑】

 土坑は直径約80cmの円形で、深さ約70cmです。埋土には直径約10cmの礫が混入しており、一昨年度、ふじ塚遺跡の西側にある一の釜遺跡で調査した土坑によく似ています。



【トレンチ調査の様子】

 手作業でトレンチを掘り、土層の堆積状況や遺構・遺物の存否を確認している様子です。掘り下げる過程で縄文土器片と黒曜石片が出土しました。トレンチ底面の精査で黒色土の落ち込みが見つかりました。今後、重機を使って表土をはぎ、面的な調査を行うことで落ち込みの規模・形状などを捉える予定です。



ふじ塚遺跡発掘たより_No.3 PDFデータ

ふじ塚遺跡,調査情報

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