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2020年8月3日

ふじ塚遺跡 令和2年度発掘調査情報(1)

 7月から発掘調査を開始しました。ふじ塚遺跡では過去、町道拡幅に伴う発掘調査を町教育委員会が行っていますが、ごく狭い範囲の調査であったため、遺構・遺物は確認されませんでした。本格的な発掘調査となる今回の成果が期待されます。

 遺跡のなかには、ふじ塚古墳があります。ここから富士山がみえることから、「富士塚」と呼ばれるようになったとも考えられています。古墳であるか、中世の塚であるか、発掘で明らかにしたいと思います。

【 遠景】

 ふじ塚遺跡は標高835mほどで、眼下に諏訪湖や下諏訪町の市街地が見渡せます。

 遺跡の周辺には西側に昨年度調査を行った一の釜遺跡、北西側に武居林遺跡(下諏訪社中学校)、南側に地獄久保遺跡(下諏訪北小学校)が分布しています。

【開始式】

 下諏訪町のしごと創生支援施設「ホシスメバ」の一画を現場事務所としてお借りしています。 7月6日に開始式を行いました。

【表土掘削】

 重機を使った表土掘削を始めに行います。地表面から30~50cmほど掘り下げたところで、黄褐色の土に変わりました。

次にジョレンや両刃鎌、移植ごてを使って、人力で地面を平らに削り、遺構をみつけます。黒曜石や土器の破片が出土しています。

【遺構検出】

 地面を平らに削っていくと、黒褐色をした楕円形の部分がみつかりました。まず半分だけ掘り下げて、穴の断面形や土の埋まり方を確認しながら、遺構の調査を進めていきます。

カテゴリ:ふじ塚遺跡

2020年7月28日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(6)

【発掘作業は終盤ですが・・・】

 7月一杯で発掘作業を終了します。連日の雨で現場はご覧のとおり水没しています。今月は、丸一日作業ができたのは、たったの3日。今年の梅雨はもう少し続きそうです。


【洗浄作業】

 遺物についた泥をブラシで洗い落します。土器の破片は、ゴシゴシこすると傷めてしまうため、小刻みにトントントンとブラシの先を当てるように洗うのがコツです。

【注記作業】

 洗浄した遺物は、乾燥させて再びポリ袋等に収納し、台帳に登録します。そして、「注記マシン」という機械を使って、遺物一点一点に遺跡記号や出土遺構名等を、マーキングします。


【土器の接合作業】

 土器片を出土場所ごとに広げて、接合作業をおこないます。ジグソーパズルに似ていますが、すべてのパーツが必ずそろうわけではない点が、土器接合の難しいところです。

うじがみ遺跡ニュースvol.6 2020年7月発行(PDF1.45MB)



カテゴリ:氏神遺跡

2020年7月13日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(5)

【 穴99個発見! 何に使った?】

 遺跡からは、たくさんの穴がみつかっています。これまでにみつかった穴は99個。場所や組合せ、形や大きさ、土の埋まり方、出土遺物など、さまざまな要素を手がかりにして、私たちは穴の用途を考えていきます。今回はそのなかのいくつかを紹介します。

【遺跡のはずれでみつかった深い穴(落とし穴)】

 遺跡の西側と南のはずれで、直径が約1mの円形で、深さが約1.2mの深い穴がみつかりました。(深い穴は、作業の安全に配慮して、半分に割って調査します。)

【逆茂木(さかもぎ)の跡】

 穴の下の方は長方形で、底には直径3㎝、深さ10~15㎝の小さな穴が4か所あります。この穴は、底に杭(逆茂木)を立てた縄文時代の動物をつかまえるための落とし穴と考えられます。



【埋土の中から】

 落とし穴の埋土からは、約5500年前の縄文土器の小さな破片が出土しました。

【貯蔵穴(ちょぞうけつ)】

 縄文時代の竪穴建物跡の近くからは、直径約1mの円形で、深さ約60㎝の、断面が袋状の穴がいくつかみつかっています。穴の大きさや形から、木の実などを保存した穴(貯蔵穴)と考えられます。

【黄色矢印の穴の断面】

 貯蔵穴と考えられる穴は、直径72㎝、深さ60㎝、容量が約245ℓとなります。

【穴を掘る道具】

 狭くて深い穴を掘るのは一苦労なので、移植ごてや両刃鎌は言うに及ばず、おたまやスプーンなど、さまざまな道具が使われます。



【打製石斧(だせいせきふ)】

 縄文人は、穴を掘る道具の打製石斧を棒の先にくくりつけ、硬い土を根気よく突いてほぐし、手のひらなどですくい上げ、穴を掘り進んでいたのでしょう。

 



うじがみ遺跡ニュースvol.5 2020年7月発行(PDF1.0MB)

カテゴリ:氏神遺跡

2020年6月9日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(4)

【縄文時代の竪穴(たてあな)建物跡完掘!】

竪穴の中からみつかった柱穴や溝の跡の位置、大きさや深さ、埋まった土の特徴などから、この竪穴はからへ、からへというようにつくりかえられた竪穴が2軒重なっていることがわかりました。
【掘立柱建物跡と四角い竪穴建物跡】

長方形に並んだ黒土で埋まった円い穴がみつかりました。これらは掘立柱建物跡の柱穴です。柱穴の中から内面黒色の土器片が出土しました。 左隣には、一辺4mほどの四角い竪穴建物跡がみえます。

【四角い竪穴建物跡】

この四角い竪穴建物跡は、煙出しがついていることから、室内にカマドがある建物跡であることが確認できました。灰の釉薬(うわぐすり)をかけた陶器や、羽釜(はがま)などの遺物から、この竪穴建物は平安時代中期、およそ1,000年前のものであることがわかりました。



竪穴の奥に見える出っ張り部分を精査してみると、土器片や割れた川原石、崩れた粘土のかたまりが出てきました。

川原石を芯材にして粘土をアーチ状に被せたカマドがあったと考えられます。

【カマドのイメージ】

(『三角原遺跡』長野県埋文2005より)

うじがみ遺跡ニュースvol.4 2020年6月発行(PDF1.12MB)

 



 

カテゴリ:氏神遺跡

2020年5月28日

おくまんのん遺跡 2020年度調査情報(1)

リニア中央新幹線の建設工事に伴い、下伊那郡喬木村おくまんのん遺跡の発掘調査を実施しました。 縄文時代の遺物散布地として知られていましたが、これまで調査履歴がなく、詳しいことは分かっていませんでした。 今回は、遺跡の西端にあたる部分450㎡の調査を行いました。

【調査開始】

遺跡は、天竜川左岸の低位段丘面上に位置し、標高494~520mの城原(じょうばら)台地の直下にあります。 トレンチを重機で掘削して調査を行いましたが、大量の水が湧いてきて大変でした。排水作業をするたびに、たくさんのイモリや沢ガニに出会いました。

【土砂の堆積】

トレンチ壁面の観察から、調査地は谷にあたり、山からの土砂が運ばれて堆積した場所と考えられます。 昭和36年6月に伊那谷を襲った大水害「三六災害」の時にも、この谷を土石流が下っていったそうです。

【土器や石器を発見!】

堆積していた土砂の中から、弥生時代や古代の土器・石器がみつかりました。城原台地上では、弥生時代後期の住居跡がみつかっているので、そのような周辺の遺跡から運ばれてきたものかもしれません。

【記録、そして埋め戻しへ】

掘削後は図面や写真などで記録を取り、埋め戻しを行いました 約1ヶ月の発掘作業は終了しましたが、これから調査成果をまとめる整理作業が始まります。

おくまんのん遺跡はっくつだより 2020年5月発行(PDF823KB)

 

カテゴリ:おくまんのん遺跡

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