Research調査情報

2019年5月23日

石川条里遺跡 2019年度発掘調査情報(1)

洪水で埋まった平安時代の水田跡を調査中 !


4月12日に開始した石川条里遺跡の発掘調査では、長谷鶴前(はせつるさき)遺跡群に接する12区で平安時代の水田跡がみつかりました。この水田跡は、地表面からおよそ2m下にあり、千曲川の氾濫(はんらん)と考えられる厚い洪水砂で埋まっていました。このため、水田面は非常によく残っていました。

【小畦の調査状況】

 

12区の水田跡には、いくつかの特徴がみられます。一般的に、平安時代になると畦(あぜ)は東西南北の正方位に延びるようになりますが、12区の畦は、かなり不規則でした。蛇行(だこう)する大畦や畦が直角に交差しない小畦がありました。


また、水田面の状況は、大きく3つに分かれます。①足跡が残り、場所によっては歩行列が確認できる水田面、②田面の凹凸が著しく、明瞭な足跡が確認できない水田面、③足跡や凹凸がない水田面です。この違いは、洪水直前の水田耕作の状況がすべての区画で一様に進んでいなかったからだと考えられます。

【洪水で水田が埋まった場所での人々の復旧痕跡】

平安時代の水田は、洪水で埋まることで耕作ができなくなります。この状況で、人々は何を行ったか。
洪水後の復旧を物語る2種類の痕跡がみつかりました。

ひとつは、畦の直上で確認した土坑もしくは溝跡と思われる落ち込みです。この落ち込みは、大畦と小畦にあり、平面的にとらえることができた場所もあります。この落ち込みは、その位置から、畦の場所を探すために掘った穴と考えられます。千曲川の氾濫で見渡すかぎり洪水砂で埋もれた場所で、人々がまず行ったことは洪水前の「畦探し」でした。


もうひとつは、平安水田の畦と洪水後に復旧された水田の畦の位置が、ほぼ同じであることです。畦は土地の境界や耕作者を示す重要なものであるため、水田の大きさやかたちは踏襲されたのです。
昔の人々も、今と同じことを考えていたことがわかります。

 



石川条里遺跡

2019年1月9日

長谷鶴前遺跡群 平成30年度調査情報(2)

平成29年度から進めてきました坂城更埴バイパス改築工事に伴う長谷鶴前(はせつるさき)遺跡群の発掘調査は、平成30年度の12月をもちまして無事にすべての調査が終了し、平安時代から明治時代にわたる多くの成果を得ることができました。
地域の皆様のご理解とご協力に感謝いたします。
今年度は、4・5月に平安時代の水田跡の続きを低地側(蓮田)でも確認し、良好な状態の水田が一帯に広がっていることがわかりました。10~12月には、昨年度に調査が行われた2区と3区の間の市道部分の調査を行い、中世の道路跡や、水田跡、居館の堀跡とそれに伴う石列などがみつかりました。


【中世の道路跡】

昨年度も、中世期につくられた平行する2条の溝跡(側溝)を備える道路跡がみつかりましたが、今年度確認された道路跡はそれよりも古いもので、幅2.3m、高さ50㎝ほどの土手状の高まりもつものでした。土手状の高まりの周囲は水田跡であるため、水田に沈み込まないようにするために土が高く盛られたと考えています。


【中世の居館の堀跡と石列(2区市道部分)】

調査区の北端で、最大幅約2.5m、深さ約1.5mの南北方向に伸びるV字状の堀跡と、堀跡の南端に堀跡と同じ時期に作られた東西方向に密集する石の列もみつかりました。堀跡からは木製品が複数出土し、動物とみられる骨もまとまってみつかりました。


【平安時代の水田と畦(2区市道部分)】

昨年度確認していた平安時代の水田跡と畦の続きを確認しました。山ぎわまで水田耕作の範囲が及んでいたと考えますが、わずかに泥炭がたい積しているのが確認できました。おそらく、仁和(にんな)の洪水(仁和4年(888年)に起きた千曲川の大洪水)が起きる直前は、部分的に休耕していた可能性があります。

長谷鶴前遺跡群

2018年11月6日

石川条里遺跡 平成30年度発掘調査情報(2)

国道18号坂城更埴バイパス改築工事に伴う石川条里遺跡の発掘調査では、県道長野上田線西側(ホクエツ信越長野工場の西側)で、平安時代の水田跡を発見しました。今回は平安時代の畔の内部から出土した木材(芯材)について紹介します。 


【芯材の出土状況】

東西方向にのびる畔を解体したところ、内部から多量の木材が出土しました。木材のなかには、田下駄と思われる遺物や、建築部材の一部と思われる遺物がありました。畔の構築に際し、廃材となっていたこれら木材を芯材として利用したものと思われます。 


【芯材とともに出土した土器】

芯材を精査していたところ、畔のなかからほぼ完形の須恵器の坏が出土しました。 


【田下駄の写真】

田下駄は、水田での農作業の際に着用したはき物で、足が沈み込むのを防ぐため歯はついていません。
写真は、長野市長谷鶴前(はせつるさき)遺跡群の平安水田から出土したものです。長さ約40cm、幅約20cmで、
鼻緒を通した穴が空いています。


石川条里遺跡

2018年11月2日

尾垂遺跡 平成30年度整理情報(1)

 2013~2015(平成25~27)年度に調査を行った、佐久市尾垂遺跡・尾垂古墳の報告書作成に向けた整理等作業を行っています。
尾垂古墳は平成26年に新しく見つかった古墳で、石室からは人骨や直刀(ちょくとう)・鉄鏃(てつぞく)などの副葬品が出土しています。今年度は石室内に堆積していた土を洗ったところ、ガラス小玉が発見されました。


【直刀、鉄鏃、ガラス小玉を出土した石室】

石室は、残存部で長さ2.3m、幅1.6m、高さ0.8mです。天井などの上部は失われていました。


【直刀】

石室残存部の西側床面では、全長約56.5cmの直刀が出土しました。刀身の長さは約46㎝、幅は最大で2.5㎝です。


【鉄鏃】

直刀が出土した位置より、さらに奥の側壁寄りの床面上では、長さが約5.5(残存長)~14㎝の鉄鏃が19本出土しました。


【ガラス小玉】

41個のガラス小玉が見つかりました。
大きさは直径4.8~3.2㎜、厚さ3.9~1.3㎜で、重さは0.12~0.03g、色は紺色です。

尾垂遺跡

2018年9月28日

浅川扇状地遺跡群 平成30年度発掘調査情報(1)

9月から12月中旬の予定で、桐原地区で発掘作業を開始しました。今年度の調査地は、調査対象範囲の最南端にあたります。平成26・27年度に調査した北側の地区では、古墳時代前期の竪穴(たてあな)建物跡などがみつかっています。今回の調査では集落が南のどこまで広がっているのか確認したいと思います。


【溝跡の調査】

まず西側地区から調査を開始しました。
幅約30cmの溝跡がみつかりました。地形の傾斜に沿って、北西から南東方向へ延びています。溝跡の断面を写真撮影しているようすです。


【足跡発見】

明褐色をした、直径10cmほどの丸い落ち込みがいくつもみつかり、足跡と考えられます。周辺からは、土器などの遺物がほとんどみつかっていないため、溝跡や足跡がついた時期ははっきりしません。全体に広がるのではなく、集中したり帯状に分布するようすが観察できます。 


【ウシの足跡】

丁寧に表面を検出すると、写真のような形がみえてきました。2つに割れた蹄(ひづめ)の特徴から、これはウシの足跡と考えられます。10月以降、隣接する東側の調査を行う予定なので、足跡の広がりや水田、あるいは畑などの遺構の発見、時代が特定できる土器などの遺物がみつかることを期待しています。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2018年9月14日

出土銅鐸の再現

銅鐸レプリカの完成ー中野市柳沢遺跡出土の銅鐸の再現ー(行事・お知らせページ)へ

 

柳沢遺跡

2018年9月6日

石川条里遺跡 平成30年度 発掘調査情報(1)

国道18号坂城更埴バイパス改築工事に伴う発掘調査を現在、石川条里遺跡で行っています。県道長野上田線西側に隣接する7a区の調査で特筆される成果を紹介します。

【弥生水田跡の全景】

昨年度、県道長野上田線東側の調査で弥生時代の水田跡を確認しましたが、今回、県道西側の調査区(7a区)でも発見しました。
水田一筆の形は一定していません。方形や短冊形があり、場所によって違いがあります。


【泥炭層に被覆された弥生水田跡】

弥生水田跡は地表下約2.5mで確認され、黒色の泥炭層で被覆されていました。水田が使われなくなった後は湿地化したものと推測しています。

【畦の検出状況】

泥炭層は、水田面直上では約5cmの厚さで堆積していますが、畦の直上は極めて薄いか、もしくはない状況でした。泥炭層を薄く削り、畔を検出しました。


【水田跡の精査】

水田跡の全景写真を撮影するために、畔に白色ロープを張っている状況です。水田一筆の大きさがわかるものは3m~5m四方で、場所によって大きさに違いがあります。


【遺物出土地点の精査】

畦の検出時には、水田層から弥生土器片が出土しました(白色荷札が遺物出土地点)。水田跡から遺物が出土することは少ないので、水田の時期を決める重要な遺物です。


【水田跡の記録風景】

検出した畔と水田面の地形は、電子平板を使って記録します。

石川条里遺跡

2018年9月6日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(3)

小島・柳原遺跡群の発掘調査が、8月30日(木)に終了しました。

約3年間の調査で竪穴建物(たてあなたてもの)跡35軒、溝跡25条、土坑685基、墓跡66基などがみつかり、出土した遺物はコンテナ約200箱になりました。 

今後は、出土品などの整理作業を行い、報告書を作成していきます。 


【南上空からみた今年の調査区】

 今年度は長野市道柳原117号線をはさんだ両側を調査しました。若干の土器が出土したものの、遺構は検出されず、集落域が広がらないことがわかりました。(今年度の調査区)

【終了式】

 最終日に発掘調査の終了式を行いました。例年にない猛暑のなか、調査を支えて頂いた作業員の皆さんに感謝します。

 

小島・柳原遺跡群

2018年8月20日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(2)

8月1・2日(水・木)に小島・柳原遺跡群の遺跡調査指導委員会が開催されました。委員の先生方から遺跡の調査や塔鋺形合子(とうまりがたごうす)等の出土物の整理について、ご指導・ご助言をいただきました。


【調査の報告】

 初日は、塔鋺形合子をはじめとした小島・柳原遺跡群の調査について報告後、今後の調査についての検討を行いました。報告内容は、遺跡の調査から、塔鋺形合子のX線CT観察、類例調査、鋳型、付着繊維の分析と多岐にわたりました。


【遺物の見学】

 2日目は、長野市内から出土している古代の仏教関連遺物の見学をしました。長野市埋蔵文化財センター様のご協力をいただき、塼仏(せんぶつ)や瓦、塑像(そぞう)など貴重な品々を熟覧し、委員の先生方からご意見をいただきました。

小島・柳原遺跡群

2018年6月20日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(1)

平成30年度の長野東バイパス改築工事に伴う発掘調査を4月から開始しました。

今年度の調査地点は昨年度調査を行った地点の北側で6月19日(火)に、遺跡の状況を信州大学教育学部の教員・学生のみなさん9名が見学にみえました。


【昨年度までの調査地点】

塔鋺形合子(とうまりがたごうす)に関心がある方もあったので、一昨年度出土した地点を見ながら、遺跡の概要や出土した時の様子を説明しました。


【昨年度出土骨のクリーニング】

昨年度までに出土した人骨を丁寧にクリーニングしているようすも見学いただきました。こうした地道な作業の上に、歴史の研究が成り立っていることを、改めて認識された方もいたようです。

小島・柳原遺跡群

2018年5月24日

長谷鶴前遺跡群 平成30年度調査情報(1)

平成30年度の坂城更埴バイパス改築工事に伴う発掘調査が4月より開始しました。今年度の調査地点は昨年度調査が行われた長谷鶴前遺跡群(はせつるさきいせきぐん)と石川条里遺跡(いしかわじょうりいせき)の続きとなり、長谷鶴前遺跡群の発掘調査は今年度で最後となります。


【発掘作業開始式】

4月に作業開始式を行い、今年度の発掘調査が始まりました。5月現在では長谷鶴前遺跡群は一部の調査を残しておおむね終了し、石川条里遺跡の発掘調査に着手しています。 

【砂に埋もれた水田跡(1区)】

昨年度の発掘調査で確認した平安時代の水田跡の続きを今年度も確認し、あぜは東西南北に沿ったもの(白線)と、軸方向が斜めにずれたもの(黄線)がみつかりました。軸方向が斜めにずれたほうの水田には泥炭(でいたん)(植物が十分に分解されていない土)が薄くたい積していたため、耕作されていなかった可能性があります。


【厚くたい積していた洪水砂(1区)】

平安時代の水田を覆う砂は、西暦888(仁和4)年に起きた大災害≪仁和(にんな)の洪水≫によって運ばれてきたものであるとみられ、最大で50㎝ほどたい積していました。当時の人々の生活に大きな被害を与えた災害でしたが、結果的に平安時代の水田がきれいに保存された形となりました。


【洪水砂の中から出土した土器(1区)】

水田は生産の場所であるため、通常遺跡の発掘調査でみられるような生活道具(土器など)はほとんど出土しません。今年度は小形の甕(かめ)とみられる土師器(はじき)が1点出土しましたが、洪水によって運ばれてきたものであると考えられます。

長谷鶴前遺跡群

2018年5月16日

山鳥場遺跡 平成30年度整理情報(1)

昨年度、発掘作業が終了した朝日村山鳥場遺跡の本格的な整理作業を実施しています。作業内容は土器の接合・復元や、遺構図のデジタルトレースなどです。


【土器の接合作業】

遺跡でみつかった縄文土器の破片を、パズルのようにつなぎ合わせていきます。


【つながった土器】

山鳥場遺跡の住居跡からみつかった縄文土器です。土器の上から下まで、ほぼ完全に残っていました。


【土器の復元作業】

接合作業でつながった土器を、元の形に戻す作業を行っています。牛乳パックで作った支えなども利用して、土器の丸みを復元します。


【遺構図のデジタルトレース】

山鳥場遺跡でみつかった土器が敷かれた炉跡の図を、パソコンを使ってトレースしています。石や土器の位置を1点1点確認しながら、図を完成させていきます。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2018年4月25日

浅川扇状地遺跡群 平成30年度整理情報(1)

浅川扇状地遺跡群は、調査を開始して8年目となりました。今年度も引き続き本格整理作業を進めていきます。現在、古代・中近世の土器の実測や保存処理の済んだ金属製品の実測をおこなっています。また、未調査地区の発掘作業も再開する予定です。


【保存処理の済んだ銭】

中世の溝跡の埋土から見つかったものです。

「元豊通寶(げんぽうつうほう)」(初鋳1078年、北宋銭)と読めます。




【拓本作業】

銭の拓本をとっているところです。まず銭に和紙をかぶせ、水を含ませた筆で和紙をぴったり貼りつけます。ちょうどよい具合に乾いたところへ、タンポを使い墨を和紙の表面にのせていきます。


【完成(左が表面、右が裏面)】

和紙を銭からはがして皺を伸ばし、拓本ができあがりました。コピーをとり、用紙に貼って完成です。表面の文字が浮かびあがりました。




浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2018年4月13日

川原・下川原遺跡 平成30年度整理情報(1)

―天竜川に一番近い遺跡の探究― 

平成28、29年度に発掘作業が終了した、飯田市川原・下川原遺跡の本格整理作業を行っています。今年度末の報告書刊行にむけて、土器の実測作業、下川原遺跡の遺構図デジタルトレース作業が始まりました。地域の歴史に新知見が加えられるよう探究していきたいと考えています。 
 

【土器の実測作業】

縄文時代の深鉢を観察しながら、遺物実測機器を用いて、実寸大の大きさで形や文様を描いていきます。土器実測図は、文様の描かれた順番を表現することも大切です。
 

【土器の把手の実測】

縄文時代の鉢の上部に付けられた把手の実測図を作成しています。土器の正面を決めて図化するとともに、右側に断面図も描きます。
 

【遺構のデジタルトレース】

下川原遺跡で調査した「石を伴う土坑」の遺構平面図のデジタルトレースをしています。できあがった図は、報告書の図版として活用していきます。
 

下川原遺跡,川原遺跡

2018年3月14日

地家遺跡 平成29年度整理情報(2)

 地家(ぢけ)遺跡から出土した中世の資料は、葬送・祭祀(さいし)・供養に関わるものが多いことが特徴で、今回紹介する板碑もそのひとつです。板碑は、死者を供養するために、また、自分たち自身の生前供養のために立てられた石塔の一種です。13世紀~16世紀に多く造立され、全国に広く分布していますが、特に関東地方に濃密です。

 

【板碑①】

緑色片岩製、長89.3㎝、幅29.2㎝、厚2.7㎝、重14.5㎏。

上端部の左隅を若干欠くほかは、ほぼ完形の板碑です。上半部に蓮座(れんざ)を伴う梵字(ぼんじ)3字を、下半部に紀年銘を刻んでいます。下端から20㎝ほどは風化が進行していないので、この部分を地中に埋めて立てていたことが推測されます。 


【板碑①模式図】

上に阿弥陀如来(あみだにょらい)を表す梵字、向かって右下に観音菩薩(かんのんぼさつ)、左下に勢至菩薩(せいしぼさつ)を表す梵字を配する、阿弥陀三尊形式で刻まれています。

紀年銘は、磨滅のため読みづらいのですが、現在のところ、中央に

「□□二年三月」、その右に「己」、左に「卯」、

年号□□の文字は「厂」あるいは「广」を含むと考えています。年号に「厂」や「广」を用い、干支が己卯(きぼう、つちのとう)の年は、13~16世紀では、暦應(りゃくおう)2年(1339年)が該当します。いわゆる南北朝時代の初頭にあたります(暦應は北朝の年号)。 


【板碑②】

緑色片岩製、長47.6㎝、幅18.5㎝、厚1.9㎝、重3.3㎏。

板碑①より小型の板碑です。梵字は阿弥陀如来を表す1字。下端部には、素材石片の凹凸をならすために、ノミで横に押し削った痕跡がみられます。地中に隠れる部分であるため、不格好な整形痕を残したままなのでしょう。


【板碑③】

緑色片岩製、現存長45.3㎝、幅18.1㎝、厚1.6㎝、現存重2.3㎏

上部を欠損していますが、梵字の位置から②とほぼ同じ長さと考えられます。梵字は阿弥陀如来を表す1字で、蓮座を伴っています。下端から10㎝ほどは風化の進み具合が弱く、板碑①と同じように、この部分を地中に埋設していたと考えられます。





地家遺跡

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