Research調査情報

2020年5月18日

氏神遺跡 2020年度調査情報(3)

【村長さん 教育長さん 来跡】

発掘作業もひと月が過ぎ、縄文時代や平安時代のさまざまな遺構・遺物がみつかっています。

朝日村の小林村長さんと百瀬教育長さんに御多忙の中、視察していただきました。次々に発見される村の新たな歴史を目の当たりにして、感激された様子でした。


【遺跡に なぞの格子目模様】

黄色っぽい地層上面で遺構を検出していると、格子目模様が現れました。長イモづくり経験者にお聞きしたところ、トレンチャー※で作付け用に最初は南北溝にしたけれど、水が溜まってしまい具合が悪く、水が流れて長イモ の生育が良くなるように東西溝に変更した結果だとわかりました。

※【トレンチャー】

伸びたツノのような部分が回転し、溝状に土を掘る機械【川辺農業産業株式会社HPより】

【次から次へと縄文土器が出土】

竪穴建物跡(たてあなたてものあと)と思われる半円形の黒っぽい土を取り除いてみると、縄文土器が次々と出土しました。土器はいずれも床より高い位置から出土しています。この集落で暮らしていた縄文人は、埋まりかけた竪穴建物跡のくぼみを不燃物の廃棄場所に利用していたようです。おかげで、この竪穴建物が縄文時代の中期中頃(約5,300年前)に放棄されたことがわかりました。

【縄文時代中期中頃(約5300年前)の土器】





 

うじがみ遺跡ニュースvol.3 (PDF1.07MB) 2020年5月発行

 

氏神遺跡

2020年4月20日

氏神遺跡 2020年度調査情報(2)

【8名の精鋭も加わって!】

4月13日から、発掘作業員さんも参加して、本格的に調査を開始しました。まずは、調査範囲の壁削り。遺跡の堆積状況を調べるため、土層断面を精査しています。


【氏神遺跡の地形】

氏神遺跡は、鎖川(くさりがわ)に向かって北へ流れる内山沢(うちやまざわ)左岸の段丘上にあります。 東へ緩やかに傾斜していて、陽当たりはとても良いところです。

【土の中の落としもの】

遺跡の堆積状況です。

3層:黒褐色の土の中から、平安時代(約1100年前)の土器がみつかりました。

4層:茶褐色の土の中から、縄文時代中ごろ(約5500年~5000年前)の土器も姿をあらわしました。


うじがみ遺跡ニュースvol.2(1.13MB)2020年4月発行

氏神遺跡

2020年4月17日

氏神遺跡 2020年度調査情報(1)

【調査開始しました!】

朝日村向陽台(こうようだい)団地の第3期造成工事に伴って、西洗馬の上組にある氏神遺跡の発掘調査を行うことになりました。7月末までの短い期間ですが、よろしくお願いします。


【氏神(うじがみ)遺跡って、なに?】

氏神遺跡は、戦後まもなく塩尻市の平出(ひらいで)遺跡で総合調査がおこなわれた頃、國學院(こくがくいん)大学の大場磐雄(おおばいわお)博士の指導のもと、地域の有志の皆さんが発見した歴史ある遺跡です。
『朝日村誌』によると、今から約12,000年前につくられた黒曜石(こくようせき)製の有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)をはじめ、縄文中期の土偶(どぐう)など、さまざまな時代の人びとの営みを証明する遺物が、採集されているようです。

 

【縄文時代や平安時代の土器発見!!】

氏神遺跡で正式な発掘調査がおこなわれるのは、今回がはじめてです。
4月6日(月)から、バックホーをつかって表土の掘削をはじめました。調査範囲の東寄りにある住まいの跡らしき部分から、土器のカケラが出土しています。これから、どんな宝物が出てくるやら、楽しみですね。

 

うじがみ遺跡ニュースvol.1(PDF1.01MB)2020年4月発行

 

 

氏神遺跡

2018年5月16日

山鳥場遺跡 平成30年度整理情報(1)

昨年度、発掘作業が終了した朝日村山鳥場遺跡の本格的な整理作業を実施しています。作業内容は土器の接合・復元や、遺構図のデジタルトレースなどです。


【土器の接合作業】

遺跡でみつかった縄文土器の破片を、パズルのようにつなぎ合わせていきます。


【つながった土器】

山鳥場遺跡の住居跡からみつかった縄文土器です。土器の上から下まで、ほぼ完全に残っていました。


【土器の復元作業】

接合作業でつながった土器を、元の形に戻す作業を行っています。牛乳パックで作った支えなども利用して、土器の丸みを復元します。


【遺構図のデジタルトレース】

山鳥場遺跡でみつかった土器が敷かれた炉跡の図を、パソコンを使ってトレースしています。石や土器の位置を1点1点確認しながら、図を完成させていきます。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年11月16日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報(4)

4月に開始した山鳥場遺跡の発掘作業は、10月末で終了しました。2年間の調査で、縄文時代中期後半から後期の竪穴建物(たてあなたてもの)跡16軒と柱跡などの穴が約120基みつかりました。朝日村をはじめ多くの皆様にご協力をいただき、誠にありがとうございました。



【縄文時代中期後半(約4,500年前)の集落跡】

遺跡は内山沢扇状地上にあります。写真で白く見える部分は内山沢から流れてきた砂礫です。洪水などで堆積した土の上に、ムラが営まれていました。(赤○印の部分は竪穴建物跡です。)



【建物の出入り口に埋められた土器】

出入り口部分に土器が埋められている竪穴建物跡が2軒ありました。こうした土器は、乳幼児などを埋めた祭祀施設であるという説があります。


【土器が敷かれた炉を発見】

3軒の竪穴建物跡で、炉の底に土器片が割り敷かれており、土器を外すと地面が焼けていました。
【土器が敷かれた炉を発見

3軒の竪穴建物跡で、炉の底に土器片が割り敷かれていました。土器を外すと地面が焼けている例もありました。


【炉にたまった土を洗う】

炉にたまった土を洗ったところ、炭化物や焼けた骨が混ざっていました。炭化物の中にはクルミの殻と思われる破片がみつかりました。

【炉からみつかった炭化物(クルミの殻と思われる破片)】

みつかった炭化物は今後分析に出し、当時の植物利用を検討していきたいと思います。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年10月5日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報 (3)

発掘で出土した縄文時代中期後半(約4500年前)の土器を観察したところ、表面や裏面、割れ口に凹みが残るものがありました。凹みにシリコンを注入し、固まったシリコンを取り出して走査型電子顕微鏡で観察した結果、その凹みがダイズ、アズキ、エゴマの種の跡であることがわかりました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ダイズの跡(長さ8.84mm、幅5.08mm)と電子顕微鏡の写真(右)】

野生種よりも大きく、栽培された可能性があります。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【アズキの跡(長さ6.72mm、幅3.60mm)と電子顕微鏡の写真(右)】

野生種と栽培種の中間の大きさで、栽培された可能性があります


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【エゴマの跡(直径2~3mm)が多く見つかった土器(左)と電子顕微鏡の写真(右)】

写真の土器をⅩ線撮影したところ土器の中にエゴマの可能性がある881点の凹みがあることがわかりました。この土器はエゴマを多く混じった粘土で作られたと言えます。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年7月5日

出川南遺跡 平成29年度整理情報 (2)

整理作業も3ヵ月が経ち、遺物の様子がしだいに明らかになってきました。

出土した土器は、「台付甕(だいつきがめ)」という古墳時代前期を代表する器形が多いようです。現在は、土器片の接合・復元、住居跡など遺構の図面のトレース、表の作成といった作業を主に進めています。


【「台付甕」とは】

甕の底に台を付けた(煮炊き用の)土器のことです。東海地方西部に起源をもち、北部九州から関東地方まで広い範囲で出土しています。左の写真は、台を下から見た状態です。


【土器の復元】

土器片をセメダインなどで接合し、破片が足りないところには石膏を入れて補強します。薄くてもろい土器なので、慎重に作業を進めています。


【図面のトレース】

発掘現場で作成した図面を、パソコンに取りこんでトレースします。左が現場で作成した手描きの原図、右がトレースした図です。一日中パソコン画面に向かうので、根気が必要な作業です。

出川南遺跡

2017年6月29日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報(2)

山鳥場遺跡の発掘作業を開始しました。山鳥場遺跡は昨年度からの継続調査です。今年度の調査では縄文時代の遺物包含層(土器や石器を含む地層)の広がりを確認しました。現在、包含層の上面から徐々に掘り下げる作業を進めています。この地層の下から縄文時代中期の竪穴(たてあな)建物跡も確認されています。


【遺跡の土層断面】

矢印の部分に黒味の強い地層が堆積しています。縄文時代中期(約4500年前)~後期(約4000年前)を中心とした土器や石器が多く含まれています。



【遺物包含層を掘り下げる】

調査区を4m四方の方眼に区切り、土器や石器の出土量や分布状況を記録しながら掘り下げていきます。



【土偶の顔を発見】

縄文時代中期(約4500年前)に作られたと考えられます。土偶は完全な形で出土するものが少なく、完全な形の土偶をバラバラにして捨てる風習があったのかもしれません。


【縄文時代の「刃物」?を発見】

昨年度、遺跡からは石を薄く割った破片がたくさん出土しました。これらを観察したところ、破片の一端が刃先のように鋭く、その一部が摩耗しているものもありました。縄文人が石の破片を刃物代わりに使用した可能性があります。

 

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年4月27日

山鳥場遺跡・三ヶ組遺跡 平成29年調査情報(1)

県道御馬越塩尻(おんまごえしおじり)(停)線の改築に伴う調査です。山鳥場遺跡は昨年度に引き続き調査を行いますが、現在は、昨年の調査で竪穴(たてあな)建物跡から出土した土器の接合作業を進めています。三ヶ組遺跡は今年度からの調査です。遺跡の確認調査をしました。


【三ヶ組遺跡の確認調査1】

 三ヶ組遺跡は今まで発掘された記録がないため、本調査前に確認調査を行いました。


【三ヶ組遺跡の確認調査2】

 調査予定地に東西方向にトレンチを入れたところ、耕作土直下で基盤となる黄色い地層が出てきて、遺構は確認できませんでした。近代の圃場(ほじょう)整備で、遺跡が削られた可能性があります。


【三ヶ組遺跡で発見された縄文時代の石器】

写真左は打製石斧(だせいせきふ)の一部、右は石鏃(せきぞく)です。


【山鳥場遺跡の土器接合作業】

昨年度の調査で、竪穴建物跡から大小さまざまな大きさに割れた土器が出土しました。この中から文様や色合いの同じ破片を集めてつなげていきます。


【接合して形が明らかになった土器】

縄文時代中期(約4500年前)の深鉢(ふかばち)形土器です。高さ約50㎝、胴回りは約40㎝もある大形品です。粘土ヒモを貼付けたり棒状の工具で線を引いて文様を描いてあります。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年4月26日

出川南遺跡 平成29年度整理情報(1)

センターでは、平成26年から昨年まで出川南遺跡の発掘調査を行ってきました。今年度は、これまでの調査成果をまとめる本格整理作業を進めています。松本市教育委員会が実施した平成25年発掘分も含めて整理し、来年3月には報告書を刊行する予定です。


【遺構図面の点検】

遺構図面の点検を行いました。

平成26・28年に調査を行った溝跡は何本も重なり合いながら複数の調査区にまたがっていて、点検するのにとても苦労しました。


【土器の接合】

平成26年調査で出土した土器から、接合作業を開始しました。古墳時代前期から中期の土師器(はじき)が多いようです。出川南ムラに暮らした人々の様子が見えてくるかもしれません。どれだけ形になるか今から楽しみです。

出川南遺跡

2016年10月28日

山鳥場遺跡調査情報(2)

7月から始まった発掘調査も中盤を過ぎたころです。縄文時代中期(約5000年前)の集落跡の全貌が少しずつ見えてきました。

【縄文時代中期の竪穴(たてあな)住居(じゅうきょ)跡群】

矢印の部分が竪穴住居跡です。9月までの調査で5軒みつかりました。朝日村では山鳥場遺跡とほぼ同じころの集落である熊久保(くまくぼ)遺跡が調査されています。山鳥場遺跡から西へ1.8㎞程離れた場所にあり、ムラ同士の交流を予想することができます。


【発掘中の7号住居跡】

調査開始直後から土器が大量に出土したため、土器のある部分を残して掘り下げています。

【7号住居跡土器出土状況】

住居跡の中央付近から土器が集中的に出土しています。


【土器出土状況を近くで見る】

出土した土器の一部です。破片が多いですが、元の形を残した土器も出土しています。土器群の間からは石も一定量出土しており、土器と一緒に捨てられたと思われます。


【7号住居跡 完掘状況】

形は不整円形で直径は6m程です。手前に入口、中央やや奥に炉があります。住居の輪郭に沿って柱穴が並びます。壁際には板壁の痕跡とみられる穴が並びます。炉の周囲は石で四角く囲んでいたと思われますが、一辺を残して抜きとられた状態でみつかりました。


【土偶(胴体部分)】

7号住居跡からは、土器群とともに土偶も出土しました。胸の表現から、女性を象(かたど)ったものと思われます。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2016年6月30日

出川南遺跡 平成28年度発掘調査情報(3)

4月から開始しました発掘調査も6月末をもって終了となりました。
地表から約1m下の調査では、平安時代の溝跡や鎌倉~室町時代の畑の畝(うね)跡がみつかりました。今回の調査地点は、集落の中心というよりは、川に近い耕作地として利用されていた可能性が考えられます。

 

【2面目の調査】

地面から約1.8m下を調査し、平安時代以前の川が流れた痕跡をみつけました。

【発掘成果の整理】

調査の合間をぬって、出土した土器を洗い、溝跡や穴の形などを計測した図面の整理も行いました。

【器材のかたづけ】

調査終了後には発掘機材の洗浄と収納を行います。

【発掘調査の終了式】

地域の皆様には御理解・御協力いただきありがとうございました。

出川南遺跡

2016年5月30日

出川南遺跡 平成28年度発掘調査情報(2)

【調査区をすべて掘り上げた状況】

写真中央に見える細長い筋が何本も平行に見えるのが畑の畝跡(うねあと)と考えられます。畝跡の脇(写真右端)には幅のある溝が発見されました。畑への水路や土地境の区画である可能性があります。



【溝と柱穴の列を発見】

溝は調査区内でほぼ東西方向に延びます。溝の脇には柱穴(ちゅうけつ)が並んでいます。溝の脇に柵のようなものが立っていたかもしれません。




【出土した土器】

溝跡の周辺からは平安時代(約1000年前)の土器片が見つかっています。
左端は大きな甕(かめ=液体を貯める容器)の破片、中央と右端のものは食器の破片です。



出川南遺跡

2016年4月27日

出川南遺跡 平成28年度発掘調査情報(1)

出川双葉線(街路)建設事業に伴い、平成26年度から出川南遺跡の発掘調査を継続して実施しています。今年度発掘する場所は昨年度調査地点の北側にあたります。
これまでの調査から鎌倉~室町時代(約600年前)や平安時代(約1000年前)以前の人たちが生活した痕跡がみつかると予想しています。

発掘調査は4月6日から始まり、6月末で終了予定です。

【今年度の調査地点】

今年度の調査地点は松本市南部公園の東側です。長さ32m、幅12m程の道路に沿った細長い範囲を調査します。


【鎌倉~室町時代の地層を確認】

地表下約1mで薄赤褐色の地層を確認しました。昨年度の調査では、鎌倉~室町時代(約600年前)の溝跡や穴跡がみつかっています。


【地面をていねいに削り、生活の痕跡を探す】

薄赤褐色の地層面をていねいに削るとわずかに色や土質の違う範囲が現れてきました。


【発見した溝や穴の跡】

薄赤褐色の地層上にやや青灰色の範囲がみつかりました。細長い溝が縦に並行に走る部分は、畑の痕跡、丸い穴は柱の穴の可能性があります。

出川南遺跡

2015年5月21日

出川南遺跡 平成27年度調査情報(1)

地表下約80cmの深さにある第1調査面の調査を終了し、現在、第2調査面の調査を行っています。

 

【第1調査面全景(北東から)】

長さ約22m、幅約7mの調査区。向かって左の東側からは、柱跡と推定される穴が検出され、ほぼ中央にある溝跡から西側では、小さな穴や凹凸がみつかりました。

 

【第1調査面東側の柱穴など】

直径10~15cm程の丸い穴が、東西・南北に並んでいます。掘立柱建物跡の柱穴と考えられます。時期を示す焼き物などがありませんが、遺構の形状やこれまでの調査から、中世頃の遺構と推定されます。

竪穴状遺構、溝跡、耕作痕の可能性がある凹凸などもみつかりました。

 

【古墳時代後期竪穴状遺構】

第1調査面の約20cm下から、古墳時代後期の土器が入った竪穴状遺構がみつかりました。遺構は東西約1.5m、南北2m以上の隅丸長方形で、深さは15cmほどです。土器は壺形の須恵器と考えられます。平成26年度調査地点では、古墳時代後期の遺構・遺物はみつかっていませんが、松本市教育委員会による発掘調査では、隣接地で多くの竪穴住居跡がみつかっています。

出川南遺跡

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