―「古代信濃の動物事情」西近津遺跡群のホネのある話…。―
今も農村風景の残る長野県ですが、人家近くの川辺や土手でウシやウマが草をはむ姿はすっかり見られなくなりました。そして最近では市街地にシカやイノシシ、クマ、サルといった野生動物が出没することの方が多くなっています。では原始古代の人々と動物の関わり合いはどうだったのでしょうか。それを教えてくれるのが遺跡に残された動物たちの骨です。
佐久平を代表する大集落遺跡、西近津遺跡群では古くは1,800年以上前の弥生時代から中世鎌倉時代まで、800点もの動物骨が出土しました。人骨も平安時代の墓跡からみつかりました。
弥生時代の骨角器製作工房か
弥生時代後期の竪穴住居跡から、骨角器と共にシカやイノシシの骨がたくさんみつかりました。骨角器を製作していた工房の可能性があります。
【骨で作られた矢じり】
骨で作られた矢じり、またはヤス先と考えられます。動物の種類は不明ですが、前足か後ろ足の真っ直ぐな部分を使用しています。先端は折れています。全体を金属器で削ってから磨き上げられています。
【加工途中の骨片 1】
シカの角を加工する途中の破片です。下の部分を鋭利な刃物で切り取った痕があります。
【加工途中の骨片 2】
シカの後ろ足の骨を縦に割って細長く加工してあります。先端部には細かな削り痕があります。矢じりやヤス先の未製品です。
【シカの頭骨】
左が弥生時代のシカ頭骨です。成獣で性別はわかりません。右の現生標本と比べてみました。頭骨は中央から2分割にされています。角は根元から鋭利な刃物で切り取られています。
【角を切り取った痕跡】
根元には加工跡がはっきりと残っています。角は生活に必要な道具に加工されたのかもしれません。
溝と牛馬の関係
それまでの集落は鎌倉時代で途絶え、その後土地を区画するような大規模な溝が幾筋も巡らされています。その溝からウマやウシの骨が大量に見つかりました。骨は解体されて、頭と胴体がバラバラになっていることが多いです。「一体なぜここに大量の骨が出土するのか。」この疑問を解決するには出土骨の種類や個体数、年齢などを調べる必要があります。
骨から得られる情報は非常に多いのですが、考古学分野では詳しい分類や計測ができません。そこで発掘現場や整理作業で専門の研究者の方々をお呼びして指導や鑑定をお願いしています。
【2007年8月。真夏の現場にて】
茂原信生先生(京都大学名誉教授)に出土した状態を見ていただきました。出土した中世のウシの下顎骨(かがくこつ)と樹脂製の標本とを比較して、骨の左右や大きさを記録します。こうした観察記録が廃棄の様子や個体数の復元に役立ちます。
専門の道具で骨を計測する茂原先生(右)。
【2012年11月。整理室にて】
室内ではクリーニングされた骨や歯を分類し、細かな計測を行います。それによって、どの位の大きさの何歳くらいの個体が多いのか、バラつきがあるのかなどが分かります。最近は骨から抽出したコラーゲンを分析する研究もあります。コラーゲンからは年代がわかるだけでなく、どんな食べ物を食べていたのか、どの地域で成長したのかまで分かる場合があります。将来、こうした科学分析によって地元産なのか、若年期まで別の場所で飼育してから移動してきたのかなど、今まで目に見えなかった情報を得ることができるのではないかと期待されています。
ウマの骨を分類する櫻井秀雄先生(右・獨協医科大学技術員)と本郷一美先生(中央・総研大准教授)