Research調査情報

2012年6月15日

兜山遺跡 平成24年度調査情報(1)

-横穴式石室をもつ古墳-

兜山遺跡は、千曲川西岸、佐久市大沢地籍にあり、八ヶ岳連峰から東に伸びる丘陵の南斜面に立地しています。平成20年度に実施した確認調査(トレンチ調査)では、竪穴住居跡などは確認されなかったものの、未周知の古墳の存在が明らかになりました。昨年度に石室外側と周辺のトレンチ調査を行い、本年度、いよいよ石室の発掘調査に着手しました。

本古墳は、遺体を納める施設として横穴式石室を有しています。横穴式石室は長方形の一方の壁に出入口を設けた石室で、ふさいだ出入口を開けて二回三回と、新たな遺体を運び込むこと(追葬)ができる点が大きな特徴です。佐久地域では6世紀後半からつくられるようになります。

本古墳は、墳丘はすでに失われ、石室も半分崩壊していて、残り具合は良好ではありませんが、佐久地域の古墳時代~古代の歴史を考える上で貴重な資料になることが期待されます。

なお、7月14日(土)には、古墳の現地説明会を計画しています。


 

【発掘開始前の様子(東から)】

斜面に築かれた本古墳は、墳丘がすでに失われ、横穴式石室が露出していました。南側に出入口を設けた横穴式石室ですが、出入口側(写真左側)は大きく崩壊しています。最奥部のみ残る東側壁(そくへき)石はほとんどむき出しの状態です。出入口側にある、とりわけ大きな三つの石は崩れ落ちた天井石の一部と考えられます。


 

【発掘開始前の様子(北から)】

手前の大きな石(苔が生えている)が奥壁で、その右に西側壁の一部が見えています。天井石がなくなったために、上部の壁体石や裏込め石(壁体石の外側に詰めた小形の石)が崩壊し、石室内を埋めています。


 

【石室内の掘下げ】

石室内をいくつかの区画に分け、堆積した土石層の記録(断面図や写真等)を取りながら掘り下げていきます。床面まではあと1m近くあるでしょう。


 

【石室の様子(北から)】

40㎝ほど掘下げたところです。石室の状態が次第にわかってきました。石室の幅は奥壁付近で約1.3mあり、長さは、西側壁が約4m、東側壁が約1.5m残存しています。石室全体の規模は明らかではないものの、奥壁付近の幅1.3mという点からすれば、佐久地域でも小形の部類に属する石室といえそうです。


 

【天井石】

本来、この順番で並んでいたか明らかではないのですが、天井石と思われる三つの巨石を並べてみました。個々の石は、石室幅より若干広い幅1.4mほどあり、奥行きは約1mです。したがって、あと一つないし二つはあったとみてよいでしょう。


兜山遺跡

2012年5月29日

高尾A遺跡 平成24年度整理情報(1)

-沢沿いに残されたキャンプ跡(旧石器時代)-

平成24年度は、平成23年に発掘調査がおこなわれた旧石器時代の遺物や遺構の整理作業をおこないます。石器の実測・トレース・接合などの遺物整理、遺物分布図や全体図などの図面や遺構の整理をすすめます。

 

【石器の実測】

石器を実物大で図に描きます。石器が打ち割られた順序や石材を表現しながら描きます。


 

【遺構図面のデジタルトレース】

発掘現場で描かれた遺構の図面を、スキャナーで読み取り、パソコン上でトレースをします。

高尾A遺跡・高尾5号墳

2012年5月18日

森平遺跡ほか 平成24年整理情報(1)

中部横断自動車道建設に伴う発掘調査を平成16~19年度に実施した森平遺跡、寄塚(よせづか)遺跡群、今井西原(いまいにしはら)遺跡、今井宮の前(いまいみやのまえ)遺跡の本格整理作業を始めました。これら4遺跡は、佐久市横和・今井地籍に所在し、1冊の報告書にまとめることになります。現在は森平遺跡の遺構図の整理、土器の接合などを行っています。

 

【森平遺跡の全景(平成17年度)】

平成17・18年度に発掘調査を実施しました。千曲川の支流である湯川右岸の低位段丘面に遺跡がありました。写真は平成17年度に調査した調査区の全景です。


 

【森平遺跡の竪穴住居跡】

弥生時代中期後半の竪穴住居跡が約20軒みつかりました。遺物の出土量も多く、今後の接合・復元作業の成果が期待されます。


 

【森平遺跡の古代の溝】

弥生時代の竪穴住居跡、環壕(かんごう)、土坑などのほかに、古代の溝も発見されています。


 

 

森平遺跡ほか

2012年5月18日

台ヶ坂遺跡 平成24年度整理情報(1)

台ヶ坂遺跡は、佐久市臼田に位置し、片貝川に向かって東に流れる小河川(相沢川)の右岸の段丘上に立地します。旧臼田町教育委員会による遺跡の分布調査では、縄文時代の打製石斧と黒曜石、古墳~平安時代の土師器が採集されています。平成20年度に確認調査を行いました。ごくわずかの遺物が出土しましたが、遺構はみつかりませんでした。

 

【平成20年度の確認調査】

確認調査では12本のトレンチ(試し掘り)を掘削し、遺構や遺物があるかどうか確認をしたり、土層の観察をおこないました。その結果、
打製石斧1点と縄文土器や時期不明の土器が出土しましたが、遺構はみつかりませんでした。


 

【図面作成作業】

現在、調査で作成した図面資料を報告書に掲載するため、図面の作成を行っています。


 

【表作成作業】

写真データや台帳の確認など、報告書掲載のための表を作成しています。

台ヶ坂遺跡

2012年4月27日

馬越下遺跡 平成24年度調査情報

-本年度の発掘調査は終了しました-

馬越下遺跡は八ヶ岳東麓から伸びる丘陵上にあり、東側は千曲川、北側は大石川に浸食を受けた段丘崖上に位置しています。遺跡内の地形は、西側の尾根状部、東側の谷状部、その間の緩やかな斜面部から成っています。平成22年に当センターが実施した発掘調査では、斜面部で平安時代の竪穴住居跡3軒・土坑15基等が確認されました。
今年度は230㎡の小範囲の発掘を行いましたが、残念ながら遺構は確認されず、遺物も表土から中世の焼物片が1点出土したのみです。今回の発掘部分は、谷状部にあたり、集落の居住域から外れていると考えられます。

 

【遺跡の全景】

写真左側で重機が埋め戻している所が今回の発掘部分。重機の背後に左から右に下る尾根状部が見えていますが、平成22年の発掘では、ここで平安時代の集落がみつかっています。

 

【発掘の様子】

湧水に悩まされつつ、精査しましたが、遺構は確認されませんでした。

馬越下遺跡

2012年4月25日

奥日影遺跡 平成24年度整理情報(1)

奥日影遺跡は、平成20・22年度に発掘調査をおこないました。今年度はいよいよ本格整理作業を始めます。遺物の接合や実測、パソコンでの遺構図面作成やデータの整理などの作業をおこなっていきます。

 

【金属器管理カードの作成】

錆びて脆くなった金属器の現状を写真撮影して、保存処理に向けての管理カードを作成しています。

 

【遺構図面の作成】

パソコンを使って、発掘調査で記録された手書き図面をトレースし、デジタル図面を作成しています。

奥日影遺跡

2012年4月24日

「濁り(にごり)遺跡 久保田遺跡 西一里塚遺跡群」報告書刊行

書名:濁り遺跡 久保田遺跡 西一里塚遺跡群

副書名:中部横断自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書4 -佐久市内4-

シリーズ番号:106

刊行:2012年(平成24年)3月

 

佐久市塚原・平塚・岩村田地籍に所在する3遺跡を収録した報告書『濁り遺跡 久保田遺跡 西一里塚遺跡群』を3月に刊行しました。中部横断自動車道建設に伴う発掘調査では最初の報告書刊行となります。

濁り遺跡と久保田遺跡は隣接し、一連の遺跡と考えらます。掘立柱建物跡2棟、溝などからなる9世紀後半の集落跡が発見されました。遺物では墨書・刻書土器や木製品が出土しています。

西一里塚遺跡群では弥生時代中・後期の集落跡、墓跡および平安時代から近世以降の水田跡が発見され、佐久地方では調査事例の少ない低地利用の様子が明らかとなりました。弥生時代の遺物では人形土器や鉄釧・鉄剣などの稀少遺物の他、建築部材や農具などの木製品が出土したことが特筆されます。

 

【刻書土器】

濁り遺跡からは墨書・刻書土器が破片資料も含めて計57点出土しました。「人」(あるいは「入・「∧」)と書かれた墨書が最も多いですが、写真の「有」や「南」といった刻書土器もみられました。

 

【弥生時代の建築部材】

西一里塚遺跡群では木製品が約230点出土しています。写真は弥生時代後期の木材溜まりから発見されたもので、建築部材の破風板です。長さ約123㎝の大形品です。

 

【もうひとつの人形土器】

写真は、西一里塚遺跡群から出土した弥生時代の人形土器です。顔の一部のみですが、以前整理情報で紹介したものを含め、2点の人形土器が発見されたことになります。

西一里塚遺跡群ほか

2012年3月6日

西一里塚遺跡群ほか 平成23年度 整理情報

西一里塚遺跡群・濁り遺跡・久保田遺跡
報告書刊行へ向けて整理作業進む!

 

平成21年度から整理作業を進めてきた、佐久市西一里塚遺跡群・濁り遺跡・久保田遺跡は3月の報告書刊行へ向けて最終段階に来ています。
これら3遺跡は、佐久平駅の南の濁川右岸に位置しており、23,000年前の浅間山を構成する黒斑山の噴火による塚原土石なだれの残丘(流れ山)と低地、微高地という多様な地形の上に営まれていました。
濁り遺跡と久保田遺跡は隣接し、一連の遺跡と考えられます。掘立柱建物跡2棟と溝1条と土坑が発見され、9世紀後半の集落跡であることがわかりました。
西一里塚遺跡群は微高地と流れ山上には弥生時代中・後期の集落域と墓域が展開し、低地では平安時代以降の水田跡が計4面も発見されました。

 

【木棺墓からみつかった鉄釧】
西一里塚遺跡群の弥生時代の墓跡には、方形周溝墓、円形周溝墓、木棺墓、土器棺墓があります。円形周溝墓の1基からは鞘付の鉄剣が、木棺墓の1基からは鉄釧がみつかりました。鉄釧には絹の繊維が付着していたことがわかりました。

 

【人形土器】 
西一里塚遺跡群の墓域からは、ほぼ全体像がわかる人形土器(ひとがたどき)の出土がみられたことも調査成果のひとつです。全長約28cm、弥生時代後期の遺物と思われます。頭部は平成16年、左腕部は平成17年度、胸部以下は整理作業でみつかり、全体像がわかりました。

 

【弥生時代の農具:鍬身】
西一里塚遺跡群出土。佐久地方では調査事例が少ない低地から、木製品が約240点出土しました。弥生時代の木製品は珍しく、なかでも農具(鍬身・鍬柄・木鎌など)や建築部材(破風板など)の出土が注目されます。

 

【弥生時代の農具:鍬柄】

 

西一里塚遺跡群ほか

2012年3月2日

周防畑遺跡群 平成23年度 整理情報

周防畑遺跡群は、JR佐久平駅の北方から西方、佐久市長土呂と塚原の両地籍にまたがる弥生時代と奈良・平安時代の複合遺跡です。平成18・19・21年度の3ヶ年にわたって発掘調査され、平成23年度から整理作業が始まっています。

整理が進むにつれて、奈良・平安時代の遺物には、一般集落とはやや様相の異なるものが見られることが分かってきました。古代の佐久郡の役所である佐久郡衙(さくぐんが)の中心部分は未発見ながら、周防畑遺跡群にも佐久郡衙に関わる人々の住まいがあったことが窺えます。

 

【祭祀に使われた土器 SK60遺物出状況】
掘立柱建物群(2間×2間~3間×3間の7棟ほどのまとまり)の北側に位置する2つの土坑、SK59、SK60からは、土師器や黒色土器の椀、灰釉陶器の碗や皿がまとまって出土しています。これらの土器をよく見ると、SK59には「井」?と書かれた土師器椀や、灯明具に使われたと思われる灰釉陶器碗、SK60には「夲」(=本)と書かれた灰釉陶器輪花碗(縁の輪郭が花弁形の碗)があり、SK60のそのほかの灰釉陶器の碗や皿も輪花であるという特徴があります。地鎮のために埋納された土器と思われますが、どうしてこのような土器を選んで埋めたのかは謎です。

 

【特殊な土器】
郡衙では、大領(だいりょう)以下の正式な役人のほかに、郡書生などの郡雑任(ぐんのぞうにん)と呼ばれる様々な人が働いていたことが『類聚三代格(るいじゅさんだいきゃく)』所収の太政官符(だじょうかんぷ)などの資料で知られています。周防畑遺跡群では、薬壺(やっこ)と呼ばれる須恵器短頸壺がSB80、僧侶の持つ鉄鉢(てっぱち)形の土師器がSB72といった竪穴住居跡から出土しています。国府における国医師に相当する人や、郡衙付属寺院に勤める僧侶が住んでいたことも考えられます。また、当時の一般的な器である土師器や須恵器のほかに、やや高級な灰釉陶器が多く、より高級な緑釉陶器や中国から輸入した青磁も出土しています。


周防畑遺跡群

2012年3月1日

近津遺跡群ほか 平成23年度 整理情報

中部横断自動車道は、昨年度末に上信越自動車道と接続する佐久小諸JCTから佐久南IC間が開通しました。現在、この間で調査された遺跡の整理作業が進められています。この近津遺跡群他の整理作業の状況を紹介します。

 

田切りの縁につくられた村

 

【近津遺跡群調査区全景(西から)】
遺跡の周辺は浅間山麓に厚く堆積した火砕流を河川が浸食した「田切り地形」が特徴的に見られます。近津遺跡群はこの田切りの谷に沿った台地縁辺に立地する古墳時代と平安時代の集落跡です。写真の左側に帯状に見える水田部分が田切り谷で、遺跡の広がる台地とは15m以上の比高差があります。
調査では古墳時代と平安時代の小規模な集落跡が発見されました。古墳時代では前期の住居跡29軒が、延長700m程の調査地区内に数箇所のまとまりを持つように検出されています。
佐久地域では広い台地上に形成された弥生時代後期の大規模集落が、古墳時代に継続せず、河川や田切りの縁などに分散・小規模化することが知られていて、近津遺跡群や隣接する小諸市鎌田原遺跡群はこうした状況を示す遺跡といえます。

 

【近津遺跡群出土の土器】
近津遺跡群ほか2遺跡の整理作業は、今年度から本格的に実施しています。整理作業では、出土遺物の分類、接合・復元作業を行い、現在実測作業を進めています。
出土遺物の詳細な検討はこれからですが、近津遺跡出土の古墳時代前期の土器は、弥生時代からの影響を残した土器に、器台等の新しい器種が加わって構成されている様子がわかってきました。
来年度は報告書刊行に向けて、出土遺物と検出された遺構との関係や周辺遺跡との比較・検討などにより、佐久地域における古墳時代前期の様相の一端が明らかにされるよう整理作業を進めていきます。

近津遺跡群

2012年1月20日

兜山遺跡 平成23年度調査情報(2)

今年度の発掘調査は11月7日に終了しました。
盛土や羨道部は見つかりませんでしたが、石室の奥は残っていることが分かりました。今年度は遺物がほとんど出土しませんでしたが、石室内部にはまだ多くの遺物が残されているかもしれません。

【トレンチ調査風景】

【埋め戻し完了状況】

兜山遺跡

2012年1月20日

大沢屋敷遺跡 平成23年調査情報(1)

本年度の調査では、16基の土坑がみつかりました。そのうち8基は、直径5m強の円形に並んでいて、竪穴住居の柱穴である可能性も考えられます。これらの土坑は、縄文時代後期の土器が出土していることから、その時期の所産である可能性が高いと考えています。遺物包含層の土器には割れ口がシャープなものもあって、遠方から長期にわたって流れてきたとは考えにくいため、今回の調査地からさほど離れていない上流部に、集落跡などが存在することが推測されます。

【西から見た遺跡遠景】
遺跡は、東に向かって流れる大沢川(写真中央)が形成した扇状地の扇央部に位置しています。

【円形に並ぶ土坑群】
調査区の北端部で見つかりました。炉跡や床は遺存していなかったものの、竪穴住居跡の柱穴である可能性も考えられます。

大沢屋敷遺跡

2012年1月20日

滝ノ沢遺跡 平成23年度調査情報(1)

今回は、来年度の本調査に備えて、坪掘りやトレンチを用いた確認調査を行いました。今回確認調査を行った地区では遺構は検出されませんでしたが、縄文時代~古代、中近世の土器・陶磁器の破片、石器などが表土層から出土しました。このことから、周辺にはそれらの時期の遺構が存在することが考えられます。

【人力による坪掘の作業風景】
遺物が数点出土しています。

【木陰の中での坪掘作業】
遺物は表土層から出土しましたが、遺構は見つかりませんでした。

滝ノ沢遺跡

2011年12月28日

小山の神B遺跡 平成23年度調査情報(2)

平成23年度の発掘調査は12月21日をもって終了しました。
今年度の調査では竪穴住居跡が14軒、土坑が128基、溝跡が5条、焼土跡が1基見つかりました。遺跡は縄文時代前期のムラが中心で、前期初頭の住居跡が8軒、前期後半の住居跡が6軒と混在しています。また竪穴住居跡の周辺には、貯蔵に使用されたと考えられる土坑もセットで見つかりました。今回の調査から縄文時代の集落は、尾根の先端、および南側へさらに広がっているのではないかと考えられます。

【南東方向から見た遺跡の全景】
尾根の付け根(写真左)の方向に蓼科山、写真右上方向に浅間山があります。

【遺跡風景】
調査区全体を清掃し、撮影の準備をおこなっているところです。
11月18日にラジコンヘリを使って空中写真撮影を行いました。

【縄文時代前期の住居跡】
南東方向から見た遺跡の様子です。人が立っているところに住居跡があります。

【縄文時代前期の土坑】
竪穴住居跡の周辺に見つかった土坑です。上面で直径80cm、底面では1.2m、深さ約1mの大人がすっぽり入れる大きな穴です。底のほうが膨らんでいるので「袋状土坑(ふくろじょうどこう)」と呼ばれています。ドングリなどの食料などを入れておいた貯蔵のための穴ではないかと考えられます。

小山の神B遺跡

2011年10月31日

兜山遺跡 平成23年度調査情報(1)

兜山遺跡は佐久市南部の千曲川左岸にあります。ここでは2008年度の調査で横穴式石室をもつ古墳の存在が確かめられました。今年度は横穴式石室外側と周辺を調査しています。
 
【遺跡遠景(南西から)】
遺跡は尾根の南斜面にあります。斜面下部の南に入口を持つ横穴式石室があります。横穴式石室とは遺体を納めた部屋のことです。

【横穴式石室の清掃】
石室は大きな石を用いてつくられていましたが、現在は天井が失われています。

【トレンチ調査】
石室や古墳の状況を調べるために掘った調査用のトレンチです。奥に見えるのが石室です。

【石室の調査】
石室の奥の壁の裏側には川原石がたくさん詰め込まれていました。

【石室の調査】
調査を進めると地面をかなり深く掘り込んで石室が築かれていることがわかりました。

兜山遺跡

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