Research調査情報

2016年1月12日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(6)

4月から行ってきた発掘調査が11月末で終了しました。今年度の調査では、弥生時代後期から平安時代までの竪穴住居跡18軒や、古墳時代前期の墓跡3基、古墳時代から中世までの溝跡や土坑などが確認されました。なかでも3基並んでみつかった古墳時代前期の墓跡や、中期の竪穴住居跡から出土した石製模造品は、古墳時代の桐原地区の人びとの暮らしや他地域との交流を考える上で貴重な発見となりました。

 

【遺跡遠景(北側上空より)】

中央手前が今年度最後の調査地区。画面中央付近を斜めに横切るのが北長野通り。

 

【石製模造品】

古墳時代中期の竪穴住居跡の床面付近から、直径2㎜程の玉や鏡・勾玉などの形をした石製模造品(左上)と製作途中の玉類(左下)、製作中に出た滑石のかけら3,857点がみつかりました。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2016年1月8日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(8)

11月は、9月・10月に引き続き旧付属幼稚園園舎跡地の調査をおこない、4月から開始した長野県短期大学構内の発掘調査は、11月末をもって全て終了しました。今回の調査で、竪穴住居跡17軒、掘立柱建物跡1棟、墓跡3基、溝跡10条、土坑300基などや、同時期の土器や石器などの遺物(コンテナ約50箱)がみつかり、弥生時代後期や平安時代の集落跡であることがわかりました。

 

【弥生時代後期の竪穴住居跡】

住居の大きさは一辺約7m×5mで四隅の丸い長方形をしています。床面までの深さは調査面から約60cmほどあり、床面からは4本の主柱穴、棟持柱の穴、出入口施設に伴う穴、炉跡などが良好な状態で検出されました。

 

【床面でみつかった片口土器】

弥生時代後期の住居跡の床面でみつかった、ほぼ完全な形の片口土器です。現在のお椀に近いような形に注ぎ口をそなえています。

 

【平安時代の大きな溝跡】

5月に調査をおこなった北側から続いていて、ゆるやかに東西に蛇行しています。土器の破片や歯骨片、木製品が出土しました。

 

【調査区全景】

北西上空からみた調査区全景です。今後は、当センターで調査した遺構や出土した遺物の整理作業をおこないます。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年12月25日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(6)

今年4月に始まった調査は、11月30日(月)をもって無事に終了しました。今回は、調査終盤での成果とようすをお伝えします。

 

【弥生時代後期の溝】

調査区の南西端で弧状に巡る、断面V字形の溝が発見されました。ムラを区切る溝のようです。

 

【棒状鉄製品出土】

弥生時代後期~古墳時代初頭の墓穴から、長さ34cmほどの棒状鉄製品が出土しました。詳細については、今後調査します。

 

【弥生時代後期の大型竪穴住居跡】

長軸が11mもあり、大勢の人が集まるような特別な住居と思われます。

 

【今年度最後の空撮】

今年度の発掘では、竪穴住居跡226軒、墳墓33基、井戸61基を調査しました。冬期には、これらの遺構の記録や出土品の整理作業を行います。

塩崎遺跡群

2015年12月24日

ひんご遺跡 平成27年度調査情報(3)

11月13日に今年度の調査が終了となりました。

敷石住居跡3軒、竪穴住居跡18軒、配石遺構5基、粘土採掘坑1基、土坑167基、土器集中11カ所、焼土跡5カ所と多くの遺構が発見され、これまで知られていなかった縄文時代後期の集落跡の存在が明らかとなりました。

発掘調査は来年度もおこなわれる予定で、さらなる発見も期待できます。

 

【竪穴住居跡】

縄文時代後期の竪穴住居跡です。掘り込みが1m以上と深く、中央には石組の炉がみつかりました。

 

【石を込めた柱穴跡】

地面に穴を掘り、石を込めた中央に柱を立てた跡が複数みつかりました。建物があったかはっきりしませんが、かなり大きな石が使われてます。

 

【粘土採掘坑】

粘土を採掘した跡がみつかりました。

 

【調査区遠景(東より)】

縄文時代の地層まで掘り下げると、画像左にある千曲川に下る斜面が姿を現します。この斜面の落ち際から竪穴住居跡や土坑がみつかりました。来年度は画像奥の黄色い重機の下を調査する予定です。

ひんご遺跡

2015年11月30日

琵琶島遺跡 平成27年度整理情報(2)

―報告書作成も終盤戦に突入!―

年度末の報告書刊行にむけて、遺跡のまとめ作業も佳境に入ってきています。ねごや遺跡の発掘調査も10月末で終了し、壁田城跡と併せて3遺跡を1冊の報告書にまとめます。ここでは、整理作業を行うなかでわかってきた2つの遺物の情報をお伝えします。

 

【土器片のリサイクル】

栗林式の壺破片の1か所に磨痕が観察できました。壺の胴部破片の1側面を横方向に磨っています。出土した多くの土器片のなかから、磨痕がある壺の胴部破片3点と片口鉢の口縁部破片1点をみつけました。

 

【土器器面調整具】

破片は、指で摘まむのに適当な大きさであること、横方向の磨痕が残存すること、磨痕面がやや湾曲しているという特徴があります。これらのことから、破片を工具と仮定した場合、身近な対象としては、土器の器面を平滑にするための道具が考えられそうです。

 

【県内初出、古墳時代中期のロクロガンナ】

本例は、先端の形、柄(身)の長さ、幅から「ロクロガンナ」の可能性が高い製品です。木工用「ロクロ」は、弥生時代から使用されていたと考えられています。古墳時代には確実にその仕掛けはあり、木地を削る工具として「ロクロガンナ」が使用されていました。西日本には出土例が確認されていますが、長野県内では初出です。この発見により、古墳時代中期には、ロクロを使用した木工技術が長野県北部に存在した根拠が高まりました。長さは28.5cmあります。

琵琶島遺跡

2015年11月27日

尾垂遺跡 平成27年度調査情報(2)

4月から開始した調査も7か月が過ぎました。今までに調査した遺構は、平安時代の集落跡から竪穴住居跡が17軒、土坑150基、溝跡2条などがあげられ、同時期の遺物が多量に出土しています。

現在は、中世の礎石建物跡1軒と、7~8世紀ごろの遺物が出土している古墳を調査しています。

 

【古墳のようす】

古墳は耕作地の造成などにより破壊されていますが、墳丘や周溝が残存し、内部の横穴式石室も確認できました。

墳丘の裾近くには石列がめぐり、この裾の石間の長さから復元直径は約11mの円墳と考えられます。

南に出入り口を設けた横穴式石室の玄室(げんしつ)(遺体を安置する部屋)は、長さが4.3m、幅は奥壁部分で1.6mです。高さは天井をはじめ上部が失われているため0.8mしか残っていませんでした。

 

【玄室から出土した刀】

玄室中央部の西側床面では、全長約56㎝の直刀が出土しました。刃部の長さは約46㎝、幅は最大で2.5㎝です。土砂の間から、ハバキ(刀のさやを固定する金具)や、足金物(あしかなもの)(刀を腰に付けるための金具)などもみえはじめています。

 

【玄室から出土した鉃鏃】

直刀が出土したさらに奥の側壁寄りの床面では、長さが約13~14㎝の鉄鏃が、現在のところ19本出土しています。

尾垂遺跡

2015年11月10日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(7)

9月、10月は旧付属幼稚園園舎の跡地を調査しました。弥生時代の竪穴住居跡1軒、墓跡1基、掘立柱建物跡1棟、平安時代の竪穴住居跡5軒などがみつかりました。また5、6月の園舎北側の調査でみつかっていた古墳時代や古代の溝跡の続きもみつかりました。

 

【平安時代の竪穴住居跡】

カマドは北東の壁中央(写真左側)にあります。埋土の中からは甕などたくさんの土器片がみつかり、中には完全な形をした坏が3枚重なった状態のものもありました。

 

【弥生時代の墓跡】

2つめの土器棺墓がみつかりました。以前みつかったものは直径約80cmありましたが、今回は約30cm程度で甕を使用しています。土器の大きさの違いはどんな理由なのでしょうか。

 

【古墳時代の溝跡】

以前は完形に近い小型丸底土器がみつかりましたが、今回は土器片だけでした。

 

【古代の溝跡】

ゆるやかに蛇行しているようすが検出でわかりました。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年10月30日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(5)

10月19日(月)から、今年度調査予定最後の地区となる鐘鋳川(かないがわ)南側の調査を開始しました。すでに調査が終了している北側の地区から続く古墳時代中期の溝跡を検出して、埋土を掘り下げています。溝の底部付近からは、土器の破片が多数みつかっていますが、中には完全な形に近い土器も出土しています。

 

【検出作業風景】

地面を少しずつ平らに削っていき、溝跡など遺構の形を探します。

 

【トレンチ掘り下げ作業】

溝の形を確認したら、溝の中に堆積している土の様子を観察するために、一部分だけ先行して掘り下げます。

 

【古墳時代中期の溝から出土した土器】

溝の底に近い場所から、砂利や拳大の礫に混ざって土器片が多く出土しています。

 

【完全な形に近い状態で出土した土器】

溝の底に近い場所から、完全な形に近い土器がみつかっています。底の丸い小形の壺で、器台などの上に載せて祭祀の場などで使われていたと考えられている土器です。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年10月30日

ねごや遺跡 平成27年度調査情報(2)

-ねごや遺跡の発掘調査終了-

9月から始まった中野市ねごや遺跡の発掘調査が終了しました。

「ねごや」という地名は、中世の山城に関わる地名として知られています。隣接する壁田城に関わるものが発見されることが期待されましたが、壁田城に関係する遺構や遺物は発見されていません。また今回の調査では、平安時代の土器が調査区南端からまとまって出土したことから、この時代の集落跡が付近に存在する可能性が高くなりました。

 

【調査区遠景】

写真右側の山が壁田城跡です。山裾の破線の範囲が調査地点です。

 

【調査のようす】

山から出水するため、調査区の壁際に溝を掘って、調査を進めました。

 

【遺物の出土状況】

黒色粘土層から平安時代の土器片が出土しました。平安時代の水田跡の可能性も考えられますが、詳細は不明です。

 

【出土遺物】

遺物は小破片のものが多い。中でも器形がわかる大形の破片は少なく、土師器甕(左4点)、土師器杯(右上)、須恵器甕(右下)などがあります。

ねごや遺跡

2015年10月14日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(5)

塩崎遺跡群では、いろいろな時代の住居跡がみつかっていますが、時代によって形や特徴が異なりますので、簡単に紹介したいと思います。

 

【弥生時代中期】

住居跡の平面形が小判形(楕円形)をしています。この住居跡からは土器片が一面に広がって見つかりました。住み替える時に捨てていったのでしょうか。

 

【弥生時代後期】

住居跡の形は隅が丸い長方形になります。この住居跡からは炭化した材が見つかっています。火事にあったものと思われます。

 

【奈良時代】

隅丸ですが、ほぼ方形になっています。画面の奥側の壁の中央にカマドがあり、煙を出す煙道が住居跡の外にのびています。

 

【カマド】

上の画像の住居跡のカマドです。焚口(土が焼けて赤くなっているところ)の両側に石を立て、カマドの壁の芯材としたようです(袖石)。焚口には、土器がたくさん出土しています。

塩崎遺跡群,調査情報

2015年10月1日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成27年度調査情報(6)

8月、9月は旧駐車場下の調査をおこないました。弥生時代の竪穴住居跡2軒、平安時代の竪穴住居跡5軒、弥生時代の墓跡2基などがみつかっています。

 

【弥生時代の土器棺墓】

2つの壺を合わせた形をしていました。今回の調査では2基が発見されましたが、中から骨や歯はみつかっていないので、大人用か子ども用かわかりません。今後、内部の土をふるい、玉類を探したり、土壌の分析をしてリン・カルシウムの濃度や花粉の有無などを詳しく調べる予定です。

 

【弥生時代の竪穴住居跡の炉】

壺の頸部を床に埋め、炉として使っていました。

 

【平安時代の竪穴住居跡】

カマドは壊れた状態で、周辺にはカマドの構築材と思われる礫が散らばっていました。坏や甕、壺の破片がみつかりました。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2015年9月30日

塩崎遺跡群 平成27年度調査情報(4)

【焼失住居跡】

火事で焼けた南北約8m×東西約5mの弥生時代後期の住居跡が出てきました。

 

【焼け焦げた建築材】

黒く焼け焦げた細長い材が散乱していますが、いずれも弥生時代の住居の上物(屋根など)の建築部材と考えられます。

 

【古代の溝】

奈良時代の溝がみつかっています。当初別々の2本の溝跡と考えて調査していましたが、なんと1本につながって、上空からみるとL字形になることがわかりました。

 

【L字形の溝の意味】

長さ東西約31m、南北約14m、幅1~1.5m、深さ0.5m前後、かなりしっかりした溝跡です。埋土の土層の観察からは、水が流れていたような痕跡は見つかっていません。何かを囲むような溝のようにも思えます。

塩崎遺跡群

2015年9月30日

浅川扇状地遺跡群 平成27年度調査情報(4)

9月18日(金)、桐原地区清林寺南西の調査区が終了しました。今年度の調査は、遺跡全体として主に古墳時代の遺構調査が続きましたが、この地区では弥生時代後期から中世にいたるまでの竪穴住居跡や溝跡など、幅広い時代の調査を行いました。

 

【調査区全景(北から)】

工事用道路部分を今年度調査しました。細長い調査区内に、弥生時代後期から中世の遺構が重なり合って確認されました。

 

【調査のようす(北から)】

時代が新しい中世の遺構から、順々に調査していきます。弥生時代後期では竪穴住居跡が確認されました。

 

【出土土器の測量作業】

弥生時代後期の竪穴住居跡の壁際から完全な形に近い状態で高坏が出土しました。その位置を電子データで記録していきます。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2015年9月18日

ひんご遺跡 平成27年度調査情報(2)

【調査区全景】

調査区東側の様子。第一面は縄文後期の敷石住居跡、配石遺構を調査しました。


 

【敷石住居跡】

調査区のほぼ中央部分で立派な柄鏡形敷石(えかがみがたしきいし)住居跡が発見されました。写真中央の石組が柄鏡形住居跡の柄の部分にあたります。


 

【敷石住居跡と列石】

写真右側、円形状の石組が柄鏡形ではない敷石住居跡です。その奥の壁側には(写真の左)、大きな河原石を並べた配石がありました。


 

【土偶の顔】

土偶の顔の部分が出土しました。遺跡では「ひんごさん」と呼んでいます。

ひんご遺跡

2015年9月18日

ねごや遺跡 平成27年度調査情報(1)

9月1日に中野市壁田に所在する「ねごや遺跡」の発掘調査が始まりました。

 

【開所式の様子】

「古代の人々が触れた遺物を実際に手にとって古代のロマンを十分に楽しんでください。また、交通安全、体調管理に十分注意し、コミュニケーションをよくとり、成果が出せるよう班長を中心に頑張りましょう。」調査部長からの挨拶に胸が高鳴ります。

 

【調査開始】

重機でトレンチを入れて、遺跡内容を慎重に確認していきます。

 

【調査の様子 その1】

バケツやポンプで水を汲み出しながら、ぬかるみの中、トレンチ北側で遺構や遺物を追求します。

 

【調査の様子 その2】

前回の内容確認調査で、土器が集中してみつかった地区に続く場所を確認しています。これから発見される遺構の内容を考える糸口がみつかるかもしれません。

ねごや遺跡

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