4月から開始した調査も8月4日をもって終了しました。約3ケ月の発掘調査で、この千代里地区の山間部にも、平安時代の集落が営まれていたことがわかりました。今回の調査では竪穴住居跡から多量の土器とともに、墨書土器や鉄製品が見つかりました。耕地面積が狭く、しかも冷涼な山間部に、墨書土器や鉄製品を所有する集落が営まれたのか、解明すべき課題が確認されました。
墨書土器の一部です。墨書の文字は「井」・「左」でしょうか
見つかった鉄製品です。上は鎌、下は刀子(小刀です。
掘立柱建物跡を南側から見たようすです。人が立っている位置に建物の柱があります。中世の建物だと思われます。
(2)-1区からは幅約1.5m、長さ約6mの須恵器(すえき)を焼いたと思われる窯跡が、見つかりました。
調査区の東側から見た須恵器窯跡です。試し掘りの細長い溝を掘っています。
同じく、須恵器窯跡を西側から見たところです。窯跡の埋まり方を観察するための土壁をベルト状に一部残して掘っています。
北側から見たところです。手前に灰原(はいばら)があります。灰原には窯からかき出された失敗作品などがたまっています。
灰原から見つかった須恵器です。左はつまみのない蓋、右は高台付きの皿です。うつわの特徴から、奈良時代の須恵器と分かりました。
上滝・中滝・下滝遺跡は、滝川左岸の段丘上に細長く延びている遺跡です。一昨年度の遺跡南側の確認調査では遺構は見つかりませんでしたが、本年度の調査ではこれまでのところ、縄文時代の住居跡1軒、土坑1基、古墳時代と古代の竪穴住居跡8軒、古代の溝1条などが見つかっています。
古墳時代前期(約1,700年前)の竪穴住居跡です。住居内からは焼けて炭化した材が多数みられ、焼失した可能性があります。
平安時代の初め(約1,200年前)の竪穴住居跡です。北壁中央にカマド(写真上)がありますが、手前を最近掘られたごみ穴に壊されていました。
平安時代の竪穴住居跡の中には、大きな石で築かれた立派なカマドもあります。
東海地方で作られた灰釉陶器(かいゆうとうき)という壷(つぼ)(瓶(へい))の底の部分です。直径40cmほどのだ円形の穴の上面で見つかっています。
北裏遺跡群は、虚空蔵山(こくぞうさん)の北側台地上から片貝川が流れる低地にかけて広がっています。今年度は昨年度調査した低地の上にあたる台地上の調査を行っています。
今年度の調査予定面積は10,180㎡で、台地の落ち際の北から、丘陵裾の南に向かって調査を進めています。およそ2,500㎡の表土剥ぎが終わり、弥生時代中期と古代の竪穴住居跡が20軒以上見つかっています。遺構の密度が高いことから、かなり大きな規模の集落があったことが分かってきました。
虚空蔵山物見台から北に向かって手前から北裏遺跡群、佐久平、浅間山を望みました。
調査区南西側から見た調査風景です。写真手前左側の土が黒い部分には竪穴住居跡がありそうです。
河原石を敷詰めた上に木製の棺を設置する弥生時代の墓跡、礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)と思われます。
古代の竪穴住居跡内にあるカマド付近の掘り下げをしています。たくさんの土器が見つかっています。
竪穴住居跡の調査風景
弥生時代の竪穴住居跡の調査風景
弥生時代の磨製石斧(ませいせきふ)です。
弥生時代中期初頭の土器です。信州の弥生文化が始まったころの土器です。
古代(平安時代)の土器片です。
弥生土器と石鍬
縄文時代中期初頭の土器片です。
奥日影遺跡の発掘調査は平成20年度に開始され、昨年度は中断していましたが、この春4月12日から再開されました。これまでの調査では中世と思われる掘立柱建物跡や溝跡、小穴が見つかっています。また古墳時代から古代の土器、中世の陶磁器も見つかっています。
今年度調査区南部分の(2)-2区を北東側の土山の上から見た様子です。土のうが置いてある所に小穴があります。
(2)-2区を南側から見たところです。小穴を発掘しています。掘立柱建物跡もありそうです。
(2)-2区の東側の(2)-3区の南端です。写真上側に見える現在の町道に並行して溝(SD08)が走っています。溝の深さを調べるために試し掘りをしているところです。幅2m、深さ1mほどありました。まだ遺物が見つかっていないので詳しい時期はわかりません。