Research調査情報

2011年5月10日

鬼釜遺跡 平成23年調査情報(1)

鬼釜遺跡の発掘調査が始まりました。平成21年度の確認調査では玉川沿いに延びる自然堤防上で縄文時代、平安時代、中世(?)の遺構が確認されました。
本年度の調査では、現在のところ平安時代の竪穴住居跡が2軒検出されています。
【鬼釜遺跡調査区遠景】
風張遺跡から鬼釜遺跡を臨む。写真中央で重機が見える場所が調査区。
写真をクリックして拡大すると調査区がわかります。

【発掘作業開始】
重機で表土を除去した後、ジョレンと両刃で遺構の形を確認したり、遺物を探します。

【竪穴住居跡発見】
重機での表土剥ぎで、平安時代の竪穴住居跡が確認された様子。写真中央、正方形の色が黒いところが竪穴住居跡。その後の調査で平安時代の竪穴住居であることが明らかになりました。

【打製石斧発見】
縄文時代の打製石斧が出土し、石器を傷つけないよう竹べらで掘っています。

南信,調査情報,鬼釜遺跡・鬼釜古墳(2016年刊行)

2011年5月10日

柳沢遺跡 整理情報(1)

 現在開催中の速報展「長野県の遺跡発掘2011」にて、このたび保存処理が終了した銅戈の特別公開をしています。
  ※特別公開は終了しました。
 【青銅器埋納坑出土の銅戈】
 
特別公開期間 
平成23年4月23日(土)~5月15日(日)
 ※休館日 5月9日(月)
公開時間
午前9時~午後5時 (入場は4時30分まで)
公開場所
千曲市長野県立歴史館 企画展示室
 千曲市屋代清水260-6
 Tel 026-274-200
公開内容
中野市柳沢遺跡出土青銅器(弥生時代)
   銅戈8点(実物)を一堂に公開

北信,柳沢遺跡(2012年刊行),調査情報

2011年5月10日

浅川扇状地遺跡群 平成23年度調査情報(1)

長野電鉄桐原駅の近くの住宅街で発掘調査を開始しました。長野市埋蔵文化財センターの確認調査により、調査地点は古墳時代後期から平安時代の集落跡であったことが判明しています。
現在のところ平安時代と思われる竪穴住居跡が15軒ほど確認されています。
 
【発掘開始】
調査区の周りにフェンスを張りめぐらし、重機で表土の除去を開始しました。

【調査風景】
1区と呼んでいる調査区の調査の様子です。
これまでのところ、1区で15軒の竪穴住居跡が確認されています。

【道路際の発掘調査】
地表からの土層の堆積状態を観察するために、調査区の壁をきれいに削っています。

【竪穴住居跡のかまど】
平安時代の竪穴住居跡のかまど周辺の土器の出土状況です。
土器の左右に大きな石が並んでいます。これはかまどをつくるときに芯材(しんざい)として用いたものです。

北信,浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)(2021年刊行),調査情報

2011年3月29日

下村遺跡 整理情報

(中世)
下村遺跡(鶯ヶ城跡:うぐいすがじょうせき)

―天竜川左岸の戦国時代の城―
 下村遺跡(鴬ヶ城跡)は、名勝天竜峡にほど近い飯田市千栄字下村にあります。遺跡からは眼下に天竜川で浸食された断崖が望め、その後方には長野県と岐阜県との間に連なる木曽山脈を臨むことができます。遺跡とその周辺は、風光明媚で、静けさが漂う場所です。
 
 鴬ヶ城跡では、県内でも調査事例が数少ない中世山城の全面発掘を行いました。その結果、城兵がこもる曲輪(くるわ)や人工の岸である切岸(きりぎし)、堀(ほり)といった敵から守るために築いた施設が発見されました。また、岐阜県の瀬戸・美濃地方で焼かれた陶磁器(皿・すり鉢など)や内耳土器(ないじどき)が発見され、これらの遺物から、鴬ヶ城跡が戦国時代(15・16世紀)につくられていたことがわかりました。
 山城の築城は、山の樹木を伐採し、裸になった山を切り盛りするという大土木工事(普請:ふしん)でした。今のような大型機械がない当時、大変な仕事であったことに間違いありません。
 
 中世の城は、築城者によって規模や形に違いがあります。城郭の研究では、鴬ヶ城跡のような小さな城は、城のまわりを領有した土豪(どごう)がつくったものと考えられています。天正10年(1582年)に書かれた文書には、竜東(天竜川の東側)に存在したムラが書かれており、そのなかに「下村」があります。鴬ヶ城跡は「下村」を領有した土豪が、領内の民衆を動員してつくったものと考えられます。
 
  堀の調査風景

下村遺跡(鶯ヶ城跡)ほか(2012年刊行),南信,調査情報

2011年3月11日

東條遺跡 平成22年度 整理情報(2)

古代
 千曲市八幡に所在する東條(ひがしじょう)遺跡は、古墳時代後期に集落がつくられ、平安時代の中期まで続きました。その後、10世紀ころから13世紀ころまでの東條遺跡の様子ははっきり分かっていませんが、鎌倉時代後期に再び集落がつくられ、室町時代には大きく発展しました。この時期の集落づくりが、今日まで続く町の原形をつくったと考えられます。

 
【大規模なムラが登場】~古墳時代後期
 古墳時代後期に新たにつくられた集落は、7m以上ある大きな竪穴式住居を中心に、いくつもの住居がまとまってムラをつくっていたようです。東條のムラは、おそらく八幡地区では最大規模の集落であったと考えられます。この時期に使われていた食器(土師器や須恵器)が住居跡から大量に出土しています。

 
【ムラの変貌】~奈良時代
やがて奈良時代になると、集落は短期間のうちに規模が小さくなります。律令(りつりょう)が定められ、新しい中央集権の国づくりが進むと、東條ムラは地域社会を担う生産集落として、再編成されたようです。大形の住居がなくなり、かつて古墳時代の前半には権威の象徴であった鏡(小形珠紋(しゅもん)鏡)も捨てられてしまいます。住居は6mに満たない中形やさらに小形のものが中心となります。東條遺跡の近くには古代信濃国10郡のひとつ、更級郡(さらしなぐん)の役所である郡衙(ぐんが)が設置されたと推定されます。想像をたくましくすれば、郡衙を支え、さらには地域社会を支える農業集落として生まれ変わったかのように思われます。

 
【農業のムラ】~平安時代
奈良時代に形づくられた集落は、平安時代になっても農業生産を続けていったと考えられます。それまで数軒の住居がまとまり、生活そして生産の単位をつくっていたようですが、この時代には、そうしたまとまりが、寄り集まるというよりは、少し間隔をおいて作られます。日常の食器にも黒色土器のような地域的な特色が強く現れ、量産される様子は、農民の経済的な自立性が反映されているかのようです。

北信,東條遺跡ほか(2012年刊行),調査情報

2011年2月28日

東條遺跡 平成22年度 整理情報(1)

中世
―修復後初公開の中世漆器―
東條(ひがしじょう)遺跡は千曲市大字八幡にあり、姨捨の棚田で知られる急傾斜地の麓に位置します。遺跡の一帯は山側からの土石流や河川の氾濫などによる土砂で形成されています。遺跡では1mほど掘り下げると地下に浸透していた水が湧き出します。このため一般に土中では残りにくい中世(鎌倉~室町時代)の漆器を含む木製品が出土しました。
 
 発掘調査は平成14(2002)年度から19(2007)年度にわたります。その経過は過去の速報展でも紹介し、木製品を水浸け状態で公開してきました。今回は木製品のうち保存修復を済ませた漆器を初公開します。
 
漆器の保存修復
漆器は長期間にわたり湿潤な地中に埋もれていたため、取上げ後から乾燥による劣化が進みます。劣化には木地と漆膜との収縮率の違いによるひび割れや、漆膜の剥奪、木地の変形が考えられます。これらの進行を防ぐために、漆器の保存修復を行いました。 保存修復には「高級アルコール法」を採用しました。方法は木地の水分を特殊なアルコールに入れ替えて、乾燥させます。この高級アルコールは非水溶性で非吸湿性なので、外気の湿度に影響されることはほとんどありません。漆器を常温・常湿の室内で保管できますので、今回、展示が可能となりました。

 
遺跡から出土した木製品の総数は約5,000点におよびます。製品には、漆器・櫛・さじ・下駄・絵馬状木製品・曲物(まべもの)・祭祀具(刀形・陽物(ようぶつ)・琴柱(ことじ))・杓子(しゃくし)・樹皮製品・栓・鞘(さや)・塔婆・柄・編物・木簡・木釘・建築部材・井戸枠など、多種類確認できました。
このうち漆器は破片を含めて150点ほど出土しています。このなかで比較的残りが良い椀・皿など15点を保存修復しました。椀・皿のほとんどが外面内面とも黒漆塗りで、内面には朱漆で草花の植物文様や鶴などの文様が描かれています。

 
漆器は「japan」
漆器は木や紙に漆を塗り重ねてつくる器です。漆は「ウルシノキ」からとった樹液で、東アジアでしか栽培されていません。漆器は英語で「japan」と呼ばれているほど、日本の伝統工芸品として知られています。遺跡では縄文時代早期(約9,000年前)から漆が使われています(※北海道垣ノ島B遺跡で早期の漆製品出土)。漆器には黒漆や朱漆が用いられ、中世以降、蒔絵(まきえ)・螺鈿(らでん)・漆絵などの製作技法が用いられ、伝統工芸品として現代に受け継がれています。

北信,東條遺跡ほか(2012年刊行),調査情報

2011年1月20日

北裏遺跡群(6)~最新遺跡情報

発掘調査が終了しました。

調査の最終段階で、弥生時代後期の木棺墓が発見されました。木棺は大きさ150cm×55cmほどの長方形です。壺・甕などの土器がほぼ完全な形で出土しています。焼土の塊も確認されるなど、当時の埋葬事例として貴重な発見となりました。

北裏遺跡群(2020年刊行),東信,調査情報

2011年1月20日

西東山遺跡~最新遺跡情報

発掘調査が終了しました。
 
 北裏遺跡群と隣接する遺跡です。同遺跡群より一段高い段丘上で、弥生時代末頃の竪穴住居跡や掘立柱建物跡などがみつかりました。両遺跡の関係に興味が持たれます。

東信,西東山遺跡(2020年刊行),調査情報

2011年1月20日

地家遺跡(4)~最新遺跡情報

発掘調査が終了しました。
 
 大きな五輪塔の最下部(地輪)が、並んで出土しました。時期は中世と考えられます。地輪の大きさは1辺50cm、高さ40cmで、推定される塔の総高は150cmを超えます。地家遺跡では他にも多数の五輪塔が見つかっていますが、ひと際高く目立った存在で、この墓地の被葬者の中でも有力者の供養のため建てられたと考えられます。五輪塔は後世に動かされてしまうことも多く、今回のような当時の位置をとどめている例は珍しく、当時の墓の様子を考える上で、貴重な発見となりました。

地家遺跡(2020年刊行),東信,調査情報

2011年1月20日

和田遺跡 和田1号墳 平成22年調査情報

発掘調査が終了しました。
 
 トレンチという調査のための溝を何本も掘って、どのような内容を持つ遺跡か確認しました。その結果、住居跡と考えられる遺構の一部を3か所で検出しました。

和田遺跡・和田1号塚(2019年刊行),東信,調査情報

2011年1月20日

小山寺窪遺跡(3)~最新遺跡情報

発掘調査が終了しました。
 
5月から調査を開始し、12月2日に調査を終了しました。昨年度検出されていた古代の大溝のほか、掘立柱建物跡や竪穴建物跡、井戸、柱穴群、溝などをともなう中世の集落跡が検出されました。雨が降るとぬかるみ、晴れると土はすぐ堅くなってしまうので、調査は大変でした。

小山寺窪遺跡(2020年刊行),東信,調査情報

2010年12月3日

小山寺窪遺跡(2)~最新遺跡情報

【竪穴建物跡の調査状況】

・調査も、ずいぶんと進んできました。写真は、竪穴建物跡が3棟も重なって発見されたケースです。構築の新旧関係を確認し、記録するために土層観察用の畔を残して調査します。

・土層観察用の畔をはずした状態です。写真の手前は深さのある建物跡で、確認面からは1mほどの深さになりました。

【中世の井戸跡】
・大きさは直径約3m、深さは1m以上にもなります。
中央の黒い部分はまだ掘り下げることができ、最終的にはどのくらいの深さになるのか。この分だと、3m近くなりそうです。

【溝跡の調査状況】

・中近世の溝跡の調査も進んできました。写真奥に見られるのは、溝を埋めるときに入れた、バスケットボールぐらいの大きさの石です。

小山寺窪遺跡(2020年刊行),東信,調査情報

2010年11月24日

奥日影遺跡(5)~最新遺跡情報

【須恵器窯跡の調査】
・ 奈良時代の須恵器窯跡の調査をしています。この写真は、崩落した窯体(ようたい)の天井をはずしたところで、底面から須恵器がまとまって見つかっています。

・窯跡の中は燃焼で熱を受けており、地磁気の分析を行うことで年代が測定できる場合があります。慎重に分析資料を採取しています。

・須恵器窯跡がほぼ掘りあがり、その状態を平面図として記録しています。

・掘りあがった状態を、高所作業車を使い上方から撮影します。図面や写真などの記録が終わり、最終的な調査確認を済ませ、遺跡の調査を終了させます。

奥日影遺跡(2020年刊行),東信,調査情報

2010年11月12日

北裏遺跡群(5)~最新遺跡情報

発掘調査も終盤に入りました。方形周溝墓や中世の竪穴建物は完掘にいたり、調査区南で発見された弥生後期土器の集中出土については現在調査を進めています。また10月には、これまで遺構の存在が不鮮明であった縄文時代について、中期初頭と考えられる土坑を発見しています。
 
【調査地区の遠景】
 ・弥生時代後期の遺構検出状況です。南側に隣接する西東山遺跡より撮影しています。

【方形周溝墓】
 ・弥生後期から古墳時代前期と考えられる周溝墓です。雨や出水に悩まされながらも、ようやく完掘にいたりました。

【竪穴建物跡】
 ・中世のものと考えられる建物跡です。一辺は3mほどあり、床面には柱の礎石と考えられる石が置かれていました。

【弥生後期土器の集中出土】
 ・西東山遺跡に近い丘陵の裾部より、壺や鉢などがまとまって出土しています。現在周辺も含め調査中です。

【縄文時代の土坑】
 ・中期初頭と考えられる直径1m、深さ40cmの土坑が発見されました。底面に近いところからこぶし大の円礫が、上部からは縄文土器片が出土しています。まだ調査中ですが、土坑断面はフラスコ形のようです。

北裏遺跡群(2020年刊行),東信,調査情報

2010年11月9日

家浦遺跡(1)~調査情報

家浦遺跡は、佐久市南西部の湯原地区に所在します。中部横断自動車道路建設にともない
2010年10月に遺跡の調査に入りました。
 
【遺跡の遠景】 
 遺跡は蓼科山麓の低丘陵に挟まれた低地部にあります。現在は大部分が水田になっていますが、これまでの調査で古代の集落遺跡が存在することが分かっています。

【調査区の近景】
 見渡す限りの水田地形ですが、少し高い部分があり、そこに古代の集落が営まれていたと考えられるため、調査を始めました。

【調査開始】
 重機を使い住居跡などの遺構を確認していきます。今回の調査では、耕作などにより遺構が存在していたと考えられる部分の土が削りとられていることが分かりました。

家浦遺跡(2019年刊行),東信,調査情報

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