Research調査情報

2016年9月16日

川原遺跡・下川原遺跡 平成28年度調査情報(1)

天竜川下久堅(しもひさかた)地区築堤護岸工事に伴って、今年度から発掘調査が始まりました。川原遺跡は、天竜川左岸の段丘上にあり、標高382m、天竜川との高低差4mの低位に立地します。飯田市教育委員会による今までの調査では、縄文時代後期から中世の住居跡などが見つかっています。



【南側からの遺跡遠景】

天竜川左岸の低位段丘に遺跡は立地しています。(写真手前が下流)

【開始式のようす】

9月1日から、作業員さん12名、職員3名で始まりました。残暑厳しい時期からの調査となりました。熱中症に留意し、安全第一で作業を進めたいと思います。

【トレンチによる調査】

川原遺跡、下川原遺跡の両遺跡で、重機によりトレンチ(長方形の溝)を掘りました。その結果、砂とシルト層の堆積が確認され、昭和36年災害と昭和58年台風10号による氾濫の砂を深くかぶっている場所と考えています。

 

【トレンチ調査のようす②】

地表から40㎝ほどで、縄文時代中~後期(約3500年前)の土器片などが出土しました。(ビニール袋に入っています。)一定の範囲にまとまっていますので、住居跡などの可能性があります。

【出土した縄文時代中期の土器】

トレンチを掘り下げていくと、深鉢形の土器の大型破片が顔を出しました。このほか、横刃型(よこばがた)石器なども出土しています。

縄文時代のムラの跡の一端をとらえたと考えています。

下川原遺跡

2016年9月16日

川原遺跡・下川原遺跡 平成28年度調査情報(1)

天竜川下久堅(しもひさかた)地区築堤護岸工事に伴って、今年度から発掘調査が始まりました。川原遺跡は、天竜川左岸の段丘上にあり、標高382m、天竜川との高低差4mの低位に立地します。飯田市教育委員会による今までの調査では、縄文時代後期から中世の住居跡などが見つかっています。



【南側からの遺跡遠景】

天竜川左岸の低位段丘に遺跡は立地しています。(写真手前が下流)

【開始式のようす】

9月1日から、作業員さん12名、職員3名で始まりました。残暑厳しい時期からの調査となりました。熱中症に留意し、安全第一で作業を進めたいと思います。

【トレンチによる調査】

川原遺跡、下川原遺跡の両遺跡で、重機によりトレンチ(長方形の溝)を掘りました。その結果、砂とシルト層の堆積が確認され、昭和36年災害と昭和58年台風10号による氾濫の砂を深くかぶっている場所と考えています。

 

【トレンチ調査のようす②】

地表から40㎝ほどで、縄文時代中~後期(約3500年前)の土器片などが出土しました。(ビニール袋に入っています。)一定の範囲にまとまっていますので、住居跡などの可能性があります。

【出土した縄文時代中期の土器】

トレンチを掘り下げていくと、深鉢形の土器の大型破片が顔を出しました。このほか、横刃型(よこばがた)石器なども出土しています。

縄文時代のムラの跡の一端をとらえたと考えています。

川原遺跡

2016年8月29日

小島・柳原遺跡群 平成28年度調査情報(2)

北八幡(きたはちまん)川北側を調査中です。ここでは竪穴(たてあな)住居跡や穴の跡、川の痕跡などが見つかっています。


【深い調査面】

調査するところは地表から1.2~2m位掘らなくてはいけないため、重機もフル稼働です。調査区の真ん中あたりで、穴の跡がたくさん見つかりました。


【竪穴住居跡調査中】

煙道を持つ竪穴住居跡もみつかりました。住居の内部を4つに分けて床まで少しずつ掘下げていきます。


【職場体験】

7月上旬に、長野市立三陽中学校の2年生5名が職場体験に来ました。発掘作業の他に土器洗い、土器収納、オートレベルを使った測量などを体験しました。


【考古学入門】

8月のお盆明けに、市立長野高等学校の2年生2名が選択科目『考古学入門』の授業の一環として、遺跡の調査に参加しました。発掘作業や土器洗い、遺構の平面図の作成などを行いました。この後、学校に提出するレポートを作成するそうです。

小島・柳原遺跡群

2016年8月1日

ひんご遺跡 H28年度調査情報(2)

調査開始からおよそ2ヶ月、次々と縄文時代の集落が姿を現しています。

【作業風景】

遺物包含層(いぶつほうがんそう)の掘り下げの様子です。画面を横断するベルトの高さの分、縄文時代の包含層を掘り下げました。包含層にはたくさんの遺物が含まれています。


【遺跡の層序】

調査区西端の地層です。黒褐色の遺物包含層の上を灰黄白色の水成堆積層が1m以上溜まっています。


【敷石住居跡】

昨年から数えて4軒目の敷石住居跡が見つかりました。炉の部分から画像手前の出入り口部分に石が敷き詰められています。


【敷石住居跡の炉跡】

敷石住居跡の石組み炉。大きな石で四角く組まれています。炉の中には土器が埋められていました。


【炉跡2】

敷石住居跡とは別の住居の炉跡です。こちらは土器は埋められていますが、石はありません。


【配石遺構】

直径50cm程度の扁平で丸い石を小さな石で囲んでいます。周辺には多くの土器片があります。


【土偶】

土偶の胴上半部です。背中を上にして見つかりました。


【土器出土状況】

縄文時代後期の土器の出土状況です。


【石皿】

石皿の出土状況です。裏側には四角い脚がつけられています。1/2程欠けています。


【火焔型土器】

多くはないですが、火焔(かえん)型土器もあります。


【台付土器】

台付きの鉢あるいは深鉢です。

ひんご遺跡

2016年7月21日

塩崎遺跡群 平成28年度整理情報(1)

塩崎遺跡群では平成25~28年度までの発掘調査で、約2,000点の骨が出土しています。大きいものや崩れやすいもの約20点は、発泡ウレタンで周りを固めて土ごととりあげて、センターに運び込みました。現在、ウレタンを取り除いて、中の骨が見える状態に戻し、台帳作成、鑑定等を進めています。

【発泡ウレタンの除去】

もろい出土骨を保護、固定していた発泡ウレタンを取り除きます。

【骨のクリーニング】

出土骨は土ごと取り上げているので、骨が見えるように、まわりの土を少しずつ慎重に取り除きます。

【古代のウマの骨】

きれいに土を取り除くと、古代のウマの肋骨(ろっこつ)が出てきました。このウマの骨は、12世紀頃の溝跡から出土しています。現代のサラブレットが体長約2.0mに比べると体長約1.6mと非常に小柄です。横田河原(よこたがわら)合戦(1181年)で、木曽義仲(きそよしなか)といっしょに活躍したウマもこんなウマだったのかもしれません。

【出土人骨】

動物骨だけでなく、墓を中心に人骨も出土しています。とくに頭蓋骨(とうがいこつ)からは、年齢、性別などの特徴や栄養状態なども推測できます。考古資料だけではわからない情報を多く含んでいるので、学術的にも非常に貴重です。

【計測や写真などの記録】

クリーニングが終わった骨は、大きさの計測、写真撮影などをします。こうした記録を台帳にして整え、保存処理や鑑定に備えます。

【骨の鑑定】

7月11日~13日の3日間にわたって、形質人類学や動物骨の専門の先生方に出土骨の鑑定及び今後の整理方法についてご指導いただきました。非常に貴重な資料が多いとのことで、今後の整理作業も頑張っていかねばならないとの思いを強くしました。

塩崎遺跡群

2016年7月14日

龍源寺跡 平成28年度整理情報(2)

龍源寺跡では、今年度末の報告書刊行に向かい本格整理作業を行っています。現在、発掘調査で出土した遺物の復元・実測と、デジタルトレースにより報告書に掲載する図面を作成しています。


【遺物復元】

発掘時に破片で出土した中世の土器を接合した後、空白部分に石膏を入れて復元している様子です。

【土器実測】

中世の遺構から出土した陶磁器(古瀬戸の平碗)を実測している様子です。

【図面の作成】

報告書に掲載する図面を作成しています。写真は、龍源寺跡とその周辺の地質図を作成している様子です。

龍源寺跡

2016年7月13日

浅川扇状地遺跡群(三輪地区) 平成28年度整理情報(2)

土器実測図のトレス作業や遺物写真撮影のために土器に着色する作業を順調に進めています。



【土器実測図のトレス】

土器の実測図を報告書に掲載できるように製図ペンを使ってトレスしています。この後スキャナーで読み込み、パソコンで版組をしていきます。


【土器の着色】

石膏(せっこう)で補強復元した白色部分に、写真を撮影する時にハレーションをおこさないよう着色をしています。

浅川扇状地遺跡群(三輪地区)

2016年7月13日

浅川扇状地遺跡群(桐原地区) 平成28年度整理情報(2)

今年度の本格整理作業が始まって3か月が過ぎました。
 前回お知らせした遺構図のデジタルトレス作業は順調に進んでいますが、7月からは新たに土器の実測作業が始まりました。

【土器の実測作業】

遺跡から出土した土器の形や文様土器製作時についた器面の調整痕などを正確に方眼紙に写し取っていきます。


【土器実測図】

弥生時代の土器の実測図です。左側は文様など外面の様子、右側は調整痕など内面の様子と土器断面の厚さを表現しています。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2016年7月7日

龍源寺跡 平成28年度整理情報(1)

平成28年6月29日・30日、立正大学教授 時枝 務氏(ときえだ つとむ 専門:宗教考古学)を招へいして龍源寺跡の検出遺構と出土遺物について指導していただきました。
 龍源寺跡からは、3間×3間の礎石(そせき)建物跡が発見されていますが、時枝氏によると、建物の性格は「仏堂(ぶつどう)」と解釈できることと、15世紀の仏堂の調査例はほとんどなく、貴重な調査例になるとの指摘を受けました。

【指導の様子】

調査で記録した図面をもとに、礎石建物跡の礎石の組み合わせや、遺跡が立地する谷状地形内の空間構成について指導を受けている状況です。




【扁平な小礫】

礎石建物跡の検出時には、扁平な小礫が45個出土しました。遺跡が立地する谷状地形には含まれていない石材であることから、礫に炭でお経を書いた礫石経(れきせききょう)の代用品の可能性が高い指摘を受けました。

龍源寺跡

2016年6月30日

出川南遺跡 平成28年度発掘調査情報(3)

4月から開始しました発掘調査も6月末をもって終了となりました。
地表から約1m下の調査では、平安時代の溝跡や鎌倉~室町時代の畑の畝(うね)跡がみつかりました。今回の調査地点は、集落の中心というよりは、川に近い耕作地として利用されていた可能性が考えられます。

 

【2面目の調査】

地面から約1.8m下を調査し、平安時代以前の川が流れた痕跡をみつけました。

【発掘成果の整理】

調査の合間をぬって、出土した土器を洗い、溝跡や穴の形などを計測した図面の整理も行いました。

【器材のかたづけ】

調査終了後には発掘機材の洗浄と収納を行います。

【発掘調査の終了式】

地域の皆様には御理解・御協力いただきありがとうございました。

出川南遺跡

2016年6月23日

ひんご遺跡 平成28年度調査情報(1)

6/1に発掘調査を開始しました。今年度は主任調査研究員2名、作業員21名で9月末まで調査を行う予定です。

 

【表土掘削開始】

最初にバックホーで表土を取り除きました。深いところは2m以上掘り下げます。



【石皿発見】

早速、縄文時代の石皿をみつけました。




【調査の様子】

表土を取り除いた後、黒褐色の遺物包含層を掘り下げています。この地層に大量の縄文土器片が含まれています。



【縄文時代の土器】

縄文時代後期の土器出土状況




【蓋形(ふたがた)土器】

蓋形土器が出土しました。破損していますが、左上に把手(とって)の部分があります。



【土偶】

仮面土偶の頭部(額の上の部分)が出土しました。


 

ひんご遺跡

2016年6月13日

小島・柳原遺跡群 平成28年度調査情報(1)

一般国道18号長野東バイパスの建設に伴って、今年度から発掘調査が始まりました。
 小島・柳原(こじま・やなぎはら)遺跡群は千曲川左岸の自然堤防から後背湿地に広がる遺跡です。長野市教育委員会による今までの調査では、弥生から平安時代の土器や石器等の遺物、竪穴(たてあな)住居跡や溝跡などの遺構が見つかっています。

【今年度の調査区】
今年度は、北八幡(きたはちまん)川をはさんだ南側と北側を調査します。ここは小島・柳原遺跡群の縁辺部にあたると考えられます。どのような遺構・遺物が見つかるでしょうか。

【開始式のようす】
6月8日から、作業員さん約20名、調査研究員2名で始まりました。暑くなってからの調査開始なので、熱中症には特に注意して安全に調査を進めたいと思います。

【トレンチによる調査】
北八幡川の南側に、最初のトレンチ(長方形の溝)を掘りました。その結果、数基の土坑(どこう)と平安時代から中世の土器の破片が見つかりました。

小島・柳原遺跡群

2016年6月10日

「ねごや遺跡」報告書刊行しました

書名:琵琶島(びわじま)遺跡 壁田(へきだ)城跡 ねごや遺跡

副書名:一般県道豊田中野線建設事業埋蔵文化財発掘調査報告書―中野市―

シリーズ番号:112

刊行:2016年(平成28年)3月

 ねごや遺跡は壁田城跡の東側山裾部~低地部に立地し、平安時代前半期の土器が集中して出土しました。同時期の土のプラント・オパール分析をした結果、水田の存在は確認できませんでしたが、集落が存在する可能性は残りました。

【調査区遠景】

調査地点は、ねごや遺跡の南端部にあたり、新田(しんでん)と呼ばれている地区になります。壁田城跡の本丸から見ると南東側の位置になります。

【平安時代の土器】

低地部の遺物集中から、内面を黒くした土器(黒色土器)が出土しました。近くに、平安時代の集落跡が残っている可能性があります。

【縄文土器と弥生土器】

山すそ部からは、縄文時代早期の楕円押型文土器、弥生時代後期の壺の口縁部も出土しています。平安時代より古い時代の人びとの生活を知る手がかりとなります。

ねごや遺跡

2016年6月10日

「壁田(へきだ)城跡」報告書刊行しました

書名:琵琶島(びわじま)遺跡 壁田城跡 ねごや遺跡

副書名:一般県道豊田中野線建設事業埋蔵文化財発掘調査報告書―中野市―

シリーズ番号:112

刊行:2016年(平成28年)3月


 壁田城跡は千曲川右岸の丘陵上に立地します。トレンチ調査を行いましたが、中世および近世の山城にかかわる遺構・遺物は検出できませんでした。当初、中世山城に関連すると考えた平らな面は、桑や果樹を栽培するために造成した畑地であることが確認されました。



【調査区中央遠景】

今回の調査は、壁田城の本丸から南へ約650mの地点にトレンチを入れました。

【丘陵頂部のトレンチ】

丘陵頂部をほぼ南北に走るトレンチでは、固い地山層の上に表土層が堆積(たいせき)していました。


【斜面部のトレンチ】

丘陵東側斜面部には、何段かの平らな面はありましたが、すべて近・現代の桑畑等の畑地造成にかかわる跡と考えられます。


壁田城跡

2016年6月10日

「琵琶島(びわじま)遺跡」 報告書刊行しました

書名:琵琶島遺跡 壁田(へきだ)城跡 ねごや遺跡

副書名:一般県道豊田中野線建設事業埋蔵文化財発掘調査報告書-中野市-

シリーズ番号:112

刊行:2016年(平成28年)3月


 琵琶島遺跡は千曲川左岸の河岸段丘上に立地します。縄文時代草創期~後期前半、弥生時代中期後半、古墳時代前期~中期、平安時代の遺物が出土し、とくに弥生時代中期後半は栗林1式土器だけでした。栗林式土器のなかから、花序(かじょ:花のついた茎)で文様をつけた土器、破片の割れ口を再利用した土器片を抽出しました。

 

【琵琶島遺跡のかたち】

千曲川が最も大きく曲がる部分に遺跡は所在しています。河岸段丘上の遺構は、千曲川に沿う形で並んで見つかりました。



【周溝跡】

遺構では、竪穴(たてあな)住居跡2軒のほか、円形・馬蹄(ばてい)形の周溝跡3基を調査し、北陸地方との関係をつかむ要素が加わりました。

*解説

周溝跡は、中野市栗林遺跡、長野市松原遺跡等にも報告例がある「平地建物跡」(地表面と同じ高さの床面を持ち、周囲に溝が掘りこまれる特徴をもつ建物跡)に類似します。

【栗林式土器の壺】

琵琶島遺跡出土の遺物は、ほとんど弥生時代中期後半の栗林式土器です。完全な形に復元できる土器は多くありませんが、古い段階の栗林1式のほぼ単純型式の土器群です。

【ハンノキ属雄花序(ゆうかじょ)の冬芽の文様】

栗林1式土器の甕(かめ)・壺(つぼ)には、6種類の「刻み」文様がみられ、そのなかの5片の土器に「ハンノキ属雄花序の冬芽」を施した文様が見つかりました。(平成27年度整理情報(1)参照)


【ロクロガンナ出土!】

古墳時代中期の墓跡からは、県内で初めての「ロクロガンナ」が出土しました。木器の加工に使用したものと考えられます。(平成27年度整理情報(2)参照)

 

琵琶島遺跡

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