Research調査情報

2025年7月16日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(3)

【中世の溝跡とそれに沿う2本の杭列がみつかりました】

 市道町川田大門線南側の15T調査区で、幅約3m、深さ約40cmの中世(鎌倉時代~室町時代)の溝跡がみつかりました。

 この溝跡はほぼ東西に走っており、東から西へ向かって傾斜しています。

 また、溝跡の南側には、2本の杭列もみつかりました。中には打ち込みやすいように先端を加工したものも含まれ(写真下)、深さ1m以上まで刺さっているものもあります。今から500年以上前の人が削った痕だと考えるとワクワクします。

 この溝跡は、川田小学校を中心に広がる川田氏館跡に関連する可能性があります。

15Tでみつかった中世の溝跡(真上から)

15T 溝に沿って並ぶ杭列

(杭を取り上げるために手前を掘り下げてあります)

打ち込みやすいように加工された杭の先端

 

【今年の調査で出土した遺物より】

 羽口は、鉄などを溶かす鍛冶作業に使われる道具の一つで、鞴(風を送る装置)から炉の中に風を送る土製の管で、真ん中に空気が通る穴があります。炉に近い部分は、高熱で変色したり、鉄などが付着することがあります。

(参考) 千曲市清水製鉄遺跡出土 羽口

(長野県埋蔵文化財センター1997『清水製鉄遺跡』)

(参考)鍛冶作業の模式図

(作図:長野県埋蔵文化財センター 佐久市洞源遺跡現地説明会資料より)

 

 川田条里遺跡では、過去に川田保育園(現認定こども園川田)の改築工事に伴う発掘調査で、羽口など鍛冶作業に関わる遺物が出土し、川田氏館跡周辺で、鍛冶作業などの生産活動が活発に行われていたと推定されました。

 出土した羽口は、生産活動がより広い範囲で行われていたことを示す注目の遺物です。

 

【これからの調査の予定】

 市道南側の調査区では、中世の調査が終了し、その下の水田調査を行っています。現在は、奈良時代頃と推定される水田の姿が見え始めてきました。

 地元の皆様方に、今年の調査成果を見ていただく機会も、今後計画していきたいと考えています。

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF: 853KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年7月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(3)

【3つの顔をもつ調査区-①舞台西、②北大原、③南大原-】

 本年度は北西の①舞台西地区、②北大原(舞台東)地区、南東の③南大原地区の3つの調査区で発掘調査を進めています。いずれの地区も同じ南大原遺跡となっていますが、丘となっているリンゴ畑をはさんで西側と東側とにわかれ①舞台西から③南大原の距離は実走で1.4㎞近く離れています。また、標高はおよそ328~333mの間にあります。このため、各地区で遺跡の様相が大きく異なります。

 1つの遺跡でも3つの顔を持っているとでも言えるのではないでしょうか。それでは、南大原遺跡の3つの顔を1つずつ見ていきましょう。

南大原遺跡 全景空中写真(西から)

 

【深いところに平安時代が… -①舞台西地区-】

 今回の調査で最も西にある舞台西地区では、地表面から1.5mよりも深いところで平安時代(今からおよそ1,100年前)の集落がみつかりました。集落の中心は地面を四角く掘って作った複数の竪穴建物跡からなります。まだ竪穴建物跡の調査は始まったばかりですが、石組のカマドが良好に残り、真っ赤な焼土がみられます。このような保存状態の良さは、その後の千曲川による洪水堆積が厚かったので、後世の人為的な改変が及ばなかったためなのでしょう。早く全容を見てみたいものです。

舞台西地区 平安時代の竪穴建物跡調査風景と焼土検出状況

 

【平安時代の“ヒルズ”!?公開-②北大原地区-】

 一方、舞台西地区の東側にあたる北大原地区では、地表面からおよそ30㎝下と浅いところから平安時代の集落がみつかっています。この集落も舞台西地区と同様に竪穴建物跡を中心とし、同時期とみられます。

 竪穴建物跡からはカマド以外に柱穴、敲きしめられた床、割れていない土器など当時の生活を考える手がかりが多くみつかっています。

 北大原地区は、すぐ東隣にあるリンゴ畑から続く高台に位置しており、いわば“ヒルズ”と言ったところでしょうか。

 なお、北大原地区では7月16日(水)・17日(木)の2日間(10時~11時20分、13時30分~14時50分)で現地公開を行います。生の発掘調査の状況を職員の解説つきで見ることができます。ぜひ、ご参加ください。集合場所は南大原遺跡拠点プレハブとなります。当日は各所に案内看板が出ます。

北大原地区 平安時代の竪穴建物跡 調査風景

 

【弥生時代から平安時代まで大集合-③南大原地区-】

 南大原地区は、今回の調査区で最も東側にあり、昨年度調査区の南側にあたります。

 こちらの地区も北大原同様に高台にあり、地表面から浅いところから建物跡やお墓などたくさんの集落の形跡がみつかっています。その密度はほかの2地区をはるかに超えています。しかも平安時代だけでなく、弥生時代(およそ2,000年前) 、古墳時代(およそ1,700年前)など複数の時期のものが重なってみつかっています。このことから、南大原地区は、洪水の影響があまりない安定した土地で、連綿と人が住み続けられたのでしょうか。南大原遺跡の中心であったのかもしれません。

南大原地区 弥生~平安時代の竪穴建物跡調査風景

昨年度調査 南大原地区 

弥生時代の玉作製品(穴をあける道具)※1目盛りは1mm

 

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF: 1024KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年6月18日

高屋遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【高屋遺跡の発掘調査が始まりました】

 長野県埋蔵文化財センターは、国道153号の道路改築事業に先立ち、令和4年度から飯田市高屋遺跡(上郷別府)の記録保存を目的とする発掘調査を実施しています。今年度も4月から作業を開始し。調査は11月末まで実施する予定です。

 高屋遺跡は天竜川右岸の低位段丘上(下段)に立地しています。高屋遺跡の周囲には薮越遺跡や溝口の塚古墳、宮垣外遺跡、国指定史跡の飯沼天神塚(雲彩寺)古墳があります。また、『高屋』の交差点付近には番神塚古墳があったとされています。

遺跡の位置(地理院地図に加筆)

 

 高屋遺跡はこれまで平成8(1996)年から平成11(1999)年にかけて飯田市教育委員会が「高屋」の交差点付近を、令和4(2022)年と令和5(2023)年に当センターが国道153号沿いの調査を行いました。

 令和4・5年の調査では、古墳時代~奈良・平安時代の竪穴建物跡7軒、土坑186基、奈良・平安時代の掘立柱建物跡3棟、弥生時代~奈良・平安時代の溝跡・流路跡が10条みつかりました。また、弥生時代の方形周溝墓とみられる溝跡もみつかっています。

 今年の調査は令和5年度に調査した地区のさらに南側、「高屋」の交差点の北側を調査します。

今年の調査地区の位置

 

【流路跡(SD06)の調査】

今年度調査区の様子

 

 令和5年の調査でみつかった流路跡(SD06)では、多くの土器が出土しました。その中には墨書のある灰釉陶器や、刻書のある須恵器も出土しました。

 このSD06は南北方向に流れており、今年度の調査区にも続いていました。そして、「高屋」の交差点に向かって続いていくと考えられます。平成8~11年の飯田市教育委員会の調査でも、流路跡がみつかっており、SD06とつながる可能性があります。

 今年度の調査では、流路跡から弥生土器の壺や、土師器の甕、土製の勾玉が出土しています。

弥生土器の出土状況

土製勾玉の出土状況

 

高屋遺跡発掘だより2025年度第3号(PDF:865KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,調査情報,高屋遺跡

2025年6月15日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(2)

【川田条里遺跡の発掘調査を行っています】

 川田条里遺跡の発掘調査の開始から約1か月が経過しました。現在、市道町川田大門線南側の14T・15T調査区の発掘を行っています。これまでの調査では、地表面から約80cmほど下で中世(鎌倉時代~室町時代)の遺構が確認されています。調査区に隣接する川田小学校の周辺は、中世の居館跡である川田氏館跡として周知の埋蔵文化財包蔵地に登録されており、今回の調査でみつかった遺構は、館跡に関連する遺構である可能性があります。

上空から見た発掘調査現場(南から)

 

【中世の建物跡を発見!鍛冶工房か?】

 14T調査区では、中世の掘立柱建物跡、溝跡などがみつかっています。そのうち1棟の掘立柱建物跡では、鉄片や、鉄を溶かすために使う坩堝片などが出土しており、鍛冶等を行う工房あったと考えられます。

14T 中世の遺構面

 

 また、調査区内ではかわらけ(小皿)や内耳鍋などといった地元産の土器や、白磁、青磁などといった輸入陶磁器が出土しています。

 さらに、中世の掘立柱建物跡付近を少し掘り下げたところ、鍛冶に関わる遺構がみつかりました。遺構は石を組んで築かれ、内部には炭混じりの土が堆積しています。

 周辺では鉄滓(鍛冶を行う際に出る鉄くず)が出土しており、14T調査区の付近には、中世の鍛冶関連の作業を行う空間が広がっていた可能性が高いと考えられます。

鍛冶関連遺構

 

【東西に走る中世の溝跡を発見】

 15T調査区では、中世の溝跡がみつかっています。溝の規模は幅約3m、深さ約40cm程度で、溝の南側に沿う木杭の列を確認しました。この溝より南側では遺構が検出されておらず、この溝は中世の遺構範囲の南限を示すものと考えられます。

中世の溝跡(西から)

溝跡に沿う木杭の列

 

【これからの調査の予定】

 現在の中世面の調査終了後、さらに下の古代面(古墳・奈良時代)の調査を行う予定です。過去の上信越自動車道部分の調査成果を踏まえると、14T・15T付近は古代の水田が一面に広がっていたと思われ、14Tでは、古代水田の畦畔を構築する木材が一部確認されています。新たな調査成果は改めてお知らせします。古代面では一体どのような発見があるのか、乞うご期待です。

14Tで確認された古代の木材

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第2号(PDF: 1259KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年6月5日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(2)

【遺跡の姿が見えてきました!】

 5月1日から令和7年度の発掘調査を始めました。

 表土の掘削により、弥生時代、平安時代の竪穴建物跡などがみつかっています。

 遺物は、弥生土器、平安時代の土師器、須恵器が出土しています。

 遺物の種類は、生活に必要な、食器や水を貯めておく甕かめの破片が見つかっています。

 そのなかでも、金属を砥とぐための砥石といしが注目されます。

 昨年度の調査で弥生時代の金属加工の工房跡がみつかっているため、今年の調査でも、工房や職人たちの建物跡がみつかるかもしれません。確認された遺構をこれから、人の手で本格的に掘り下げていきます!

発掘調査風景(南大原調査区)

表土掘削でみつかった遺物(南大原調査区)

出土した砥石(南大原調査区)

 

【弥生時代の建物跡】

 左の写真は弥生時代の竪穴建物跡の発見状況です。弥生時代の竪穴建物跡は、丸い形をしているのに対し、平安時代の竪穴建物跡は正方形に近い形をしています。

 昨年度の調査では、弥生時代中期の石器製作工房跡や管玉製作工房跡と考えられる特殊な遺構や遺物がみつかっています。

 今後どれだけの数になるか、わかりませんが特殊な遺構に注意しながら調査を続けていきます。

弥生時代の竪穴建物跡(南大原調査区)

 

【平安時代の建物跡】

 平安時代の建物跡は、一辺の長さが約4m50cmの正方形の形でみつかっています。

 昨年度の調査で、9世紀後半から10世紀ごろの平安時代の竪穴建物跡が7軒みつかっています。

 これらの竪穴建物跡は旧千曲川の流路方向と平行し建てられています。今年度も地形を意識しながらの調査をおこないます。

平安時代の竪穴建物跡(南大原調査区)

 

【番外編・南大原遺跡の展示】

 長野県埋蔵文化財センター(長野市篠ノ井)の展示室では、昨年度の調査でみつかった南大原遺跡の遺物が展示されています。他にも県内で発掘された遺物を展示しています。ぜひ、いらしてください!

埋蔵文化財センター展示室

 

南大原遺跡の遺物展示

 

【公開日:月~金(年末年始・祝日を除く)午前9時~午後5時・無料】

 

南大原遺跡発掘だより2025年度第2号(PDF: 733KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年6月5日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(2)

【発掘を開始してから約1か月、今は?】

 5月に国土交通省が松本波田道路事業用地内の草刈りをおこなったことで、東京ドーム(グラウンド部分)の約1.5倍相当の21,000㎡に及ぶ安塚古墳群の広さが実感できるようになりました。

 発掘調査は、今年度調査範囲のなかでもっとも西側の地区でおこなっています。発掘を開始してから約1か月間の調査の結果、昨年度調査した古墳がつくられた時代とは違う中世の遺構・遺物が発見される成果があがっています。

広いグランドを彷彿させる事業用地

 

【礎石建物跡の発見、お堂か?】

 令和5年度に松本市教育委員会がおこなった試掘調査では、古墳の石室の一部の可能性が高い石列を発見し「第16号古墳」と仮称しました。今回、試掘で発見された石列のまわりを広げて精査したところ、地面よりやや高く方形に盛り上げた場所(以下、「マウンド状の高まり」と呼びます。)から扁平な河原石が複数みつかりました。この河原石は等間隔にならぶことから、礎石建物跡の「礎石」と考えられます。また、建物跡の内側は硬く叩き締められており、そこから中世の内耳鍋と銭貨、刀子が出土しました。礎石建物跡とマウンド状の高まりの時期や性格は、今後の調査で明らかにする予定です。発見された礎石建物跡は、各面が東・西・南・北方向を向くお堂と考えられ、松本市域での発見は珍しく、今後の調査が期待されます。

左:マウンド状の高まり 調査風景

(白色点線:現時点で想定される礎石建物跡のかたち)

右上:内耳鍋の出土状況

右下:3枚重なって出土した銭貨

 

【礎石建物跡は宗教・信仰的な建物か?】

 お堂と考えられる礎石建物跡では、叩き占めた面から焼けた骨や炭の細かな破片が多く出土しています。このことから、お堂は火葬骨の埋納に関係した建物であった可能性があります。今調査している場所は、考古学や墳墓研究でよばれている「葬地」であったと言えます。

骨と炭の出土状況

 

【火葬に関係した遺構を発見】

 現在の遺構検出作業中に、壁が真っ赤に焼け、内部には炭化物が多く埋まる穴が5基みつかりました。これらの穴からは、焼けた骨や銭貨が出土しています。松本波田道路改築に伴う真光寺遺跡と南栗遺跡の調査事例を参考にすると、これらの穴は他界した人を焼いた中世の「火葬施設」もしくは火葬骨を埋納した中世の「火葬墓」と考えられます。

左:火葬遺構の出土状況

右:銭貨と骨の出土状況(緑色:戦果、白色:骨)

 

 

参考文献

狭川真一編2007『墓と葬送の中世』高志書院

狭川真一著2011『中世墓の考古学』高志書院

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第2号(PDF: 672KB)

 
 

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年5月23日

川田条里遺跡 2025年度発掘調査情報(1)

【川田条里遺跡の発掘調査がはじまりました】

 4月30日(水)から、長野市若穂川田地区で川田条里遺跡の発掘調査をおこなっています。この調査は、(仮称)若穂スマートインターチェンジ整備事業に先立っておこなうもので、今年度の調査は11月中旬まで、調査は来年度まで続く予定です。調査は㈱島田組に発掘作業支援業務を委託して実施しています。

令和7年度の発掘調査予定地

 

 期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。

 また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

【川田条里遺跡ってどんな遺跡?】

 川田条里遺跡は、以前から何度か発掘調査がおこなわれています。過去の調査成果を振り返りながら、川田条里遺跡とはどんな遺跡なのか、ご紹介します。

 

【上信越自動車道建設時 2000年前から続く水田跡】

 1989~1990(平成元~2)年に長野県埋蔵文化財センターが上信越自動車建設事業に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期から近世まで各時期の水田跡が重なっていることを確認しました。

 特に古墳時代と奈良時代の小区画水田と、奈良・平安時代の条里型水田の発見は、全国的にも注目されました。

みつかった奈良時代の水田跡

 

 

【川田保育園改築時 室町時代館跡に関係する工作遺構を発見】

 1999(平成11)年、長野市教育委員会は、川田条里遺跡の範囲内に位置する川田氏館跡について、川田保育園(現、認定こども園川田)の改築工事に伴う発掘調査を実施し、15世紀後半の室町時代館跡に関係する工作遺構を発見しました。

 

【令和4年度調査 地層を抜き取って地下の水田を探る】

 地下の状態を知るために、重機を使って地表下4mまで鉄製の枠を打ち込む地層抜き取り調査(ジオスライサー掘削法)を、合計41地点で実施しました。

 その結果、今年度の調査区付近では、地表下4mまでの間に、古墳時代から奈良時代と考えられる水田面が少なくとも2面存在することがわかりました。

ジオスライサーの打ち込み作業

 

【令和5年度調査 鎌倉時代の建物跡や溝跡を発見】

 調査区周辺の現在の地形は平坦ですが、過去は西(川田小学校側)から東(高速道側)に向かって傾斜し、その傾斜地から鎌倉時代の建物跡や溝跡がみつかりました。

 みつかった建物跡は2棟で、その柱穴からは13世紀前半の鎌倉時代のカワラケ(小皿)が出土しています。また、これらの建物跡を取り囲むように溝跡がみつかったため、溝で区画された屋敷地であったと考えられます。

鎌倉時代の掘立柱建物跡

 

【さらにその下からは、古い畦畔の芯として使われた建築部材を発見】

 鎌倉時代の屋敷地のさらに約20cm下から水田跡がみつかり、その畦畔(あぜ)には建物の部材が芯材として再利用されていました。

 中には長さ4mにも及ぶ「造出柱」とよばれる高床建物に使う柱も使われていました。放射性炭素年代測定では今から約1500年前の古墳時代中期頃という結果が出ています。

 川田周辺に高床建物が立ち並ぶムラが存在していたことは間違いありません。

長さ4mの「造出柱」

 

 今年度の調査地点は、鎌倉時代の遺構と室町時代の遺構がみつかった、中間の部分にあたります。

どんな昔の川田の姿を見せてくれるのか。乞うご期待です。

 

川田条里遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 809KB)

 

北信,川田条里遺跡,調査情報

2025年5月20日

正泉寺遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の調査が始まりました】

 座光寺上郷道路の建設に伴い、昨年に引き続き、4月から今年度の発掘調査を開始しました。昨年度の調査区隣接地4区から県道市場桜町線までの間((~8区の調査面積4000㎡を行ないます。これまでの確認調査によって弥生時代から奈良・平安時代の竪穴建物跡や土坑が発見されているので、今年度の調査区でも多くの遺構や遺物がみつかると予想しています。

 近年、遺跡周辺では様々な公共事業に先立つ遺跡の発掘調査が進められています。土曽川が形成した微高地上に広がる正泉寺遺跡や五郎田遺跡、対岸のママ下遺跡では同じ時代の集落跡がみつかっていることから、今後これら集落のまとまりや移り変わりなどを明らかにしていきたいと考えています。

正泉寺遺跡 調査区 (R6年度撮影)

正泉寺遺跡周辺の遺跡 飯田市遺跡地図から

 

【4月の調査のようす】

遺構検出作業

重機を使って表土掘削を行った後、人力で土の表面を削り、土の違いから、土坑(穴)や竪穴建物跡などの遺構をみつけます。

 

遺構精査

8区の北東部分では、奈良・平安時代の竪穴建物跡2軒がみつかりました。後世のかく乱で壊されているため、全体の形状は明らかではありませんが、カマド跡が残っていました。

 

正泉寺遺跡発掘だより2025年度第6号(PDF: 1059KB)

※号数は調査開始時からの通算

南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年5月19日

南栗遺跡2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の発掘調査がはじまりました】

 令和4年度にはじまった発掘調査は4年目を迎えます。今年度は、島立地区に加え、和田地区の調査が新たに始まりました。調査は11月末日までを予定しています。

 調査区内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡を下さい。

 地域の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

令和7年度の発掘調査範囲

 

【判明した集落の規模と時期】

 昨年度の調査では竪穴建物跡が107軒、掘立柱建物跡が5棟みつかりました。

 約40年前の長野自動車道の調査分を含めると竪穴建物跡軒数は520軒以上を数え、松本盆地最大級の古代遺跡であることが判明しました。

 そしてこの集落は、古墳時代の終末期(約1300年前)から平安時代後期(約900年前)のおよそ400年にわたり営まれていたことが判明しました。

3区竪穴建物跡分布状況(四角い形の影が竪穴建物跡)

 

【古代の竪穴建物跡の姿】

 古代の竪穴建物跡は地面を方形に掘り込んで壁と床を作り、床に柱を立て、茅のような植物の束を重ねて屋根を葺いたと考えられます。建物の大きさは1辺が5m前後のものが多いです。

 竪穴建物跡からは土器の破片が出土します。1軒の建物跡から多い時には数百片も出土することがあります。破片は洗浄後に接合作業を行い、器の形を復元します。

発掘調査を終えた竪穴建物跡

竪穴建物跡から出土した土器の破片

復元された竪穴建物跡(立科町大庭遺跡)

八ヶ岳旧石器研究グループ『佐久の古代遺産図録』より

 

【カマドとは?】

 竪穴建物跡の壁からはカマドが発見されました。カマドは、石などを芯材に粘土を貼り付け、壁と天井を作ります。天井に穴を開けて煮炊き用の甕を差し込み、手前の焚口から火を燃やし、煙は壁に掘られた穴を通り外に出る構造になっています。

カマドの発掘調査状況

カマドの復元図

長野県埋蔵文化財センター2005『三角原遺跡』より

 

南栗遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 1145KB)

中信,南栗遺跡,調査情報

2025年5月7日

南大原遺跡 2025年度発掘調査情報(1)

【令和7年度の南大原遺跡の発掘調査がはじまりました】

 本年度は3箇所で発掘調査を同時進行で進めます。4月28日(月)から重機を入れ、5月1日(木)から発掘作業員の皆さんと発掘作業を開始しています。

 この発掘調査は、上今井遊水地整備事業に伴って実施するもので、11月末までを予定しています。期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので、車のすれ違い等十分ご注意ください。

 また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 

【南大原遺跡のこれまでの調査について】

 南大原遺跡では、 2回の学術発掘調査(1・2次調査)と県道三水中野線の改良工事に伴う3回の緊急発掘調査(3~5次調査)が行われてきました。1次調査では縄文時代前期後半の土器(南大原式土器=諸磯a式土器)と竪穴建物跡が確認されました。2次調査の調査地点は特定できていませんが、大きな溝跡の底から弥生時代後期の土器が出土しました。1次調査は弥生時代中期後半の竪穴建物跡の調査を目的とし、2次調査では縄文時代前期後半の竪穴建物跡の調査が目的で学術調査が行われましたが、土の中のことは思うように行かないというところでしょうか。

 一方、3次~5次調査は、工事によって破壊されてしまう遺跡を記録として保存することを目的とした調査でした。この調査では、弥生時代中期後半~古墳時代前期の集落跡の構造の一端が明らかとなりました。中でも、鉄製品を加工したと考えられる工房跡や、祭祀場と想定される環状土坑列の存在は、注目を集めました。

 令和5年度から始まった上今井遊水地整備事業に伴う発掘調査は、6次調査と位置付けられ、3次~5次調査と同様に記録保存を目的とした調査になります。

これまでの南大原遺跡の調査

 

【令和7年度の調査】

 本年度は、事業地内の北大原・舞台地籍と南大原地籍で本格的な発掘調査を、3箇所同時並行で進めていく予定です。

 北大原・舞台地籍では昨年度の確認調査で、平安時代の竪穴建物跡がみつかっています。トレンチ調査では遺構の分布が比較的希薄でしたが、調査区全面での遺構検出で、どんな種類の、どんな時代の遺構がどのくらいみつかるか、期待が高まります。

北大原・舞台地籍の調査地点

 

 南大原地籍では昨年度の確認調査で、弥生時代中期後半・平安時代の竪穴建物跡がみつかっています。また、管玉が1点出土しており、昨年度調査した管玉製作工房跡をはじめとした工房跡群が、本年度調査区まで広がっているのかどうか、明らかにしていきたいと考えています。

南大原地籍の調査地点 

 

 どんな貴重な遺物が埋まっているか、新たな発見があるのか。今後の調査に乞うご期待です。

南大原遺跡発掘だより2025年度第1号(PDF: 790KB)

 

北信,南大原遺跡,調査情報

2025年4月30日

安塚古墳群 2025年度発掘調査情報(1)

【安塚古墳群の発掘調査がはじまりました】

 昨年度に引き続き一般国道158号(松本波田道路)改築に伴う安塚古墳群の発掘調査をこの4月中旬からはじめました。昨年度同様、調査は(株)島田組に発掘支援業務を委託し、用地内にタンポポが広がる季節から11月後半までを予定しています。

 調査の期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

現場に設置したプレハブ

 

【昨年度の調査成果】

 安塚古墳群は、松本市新村・和田地区に分布する7世紀~8世紀の古墳群です。松本波田道路は、遺跡範囲の南端を東西方向に横断し、昨年度末の時点で、用地内に5基の古墳(第12号から16号古墳)が存在することがわかっています。

安塚古墳群の遺跡範囲(黄色塗り)

(松本市文化財課からの提供図に加筆。赤色数字:古墳の番号)

 

 昨年度は、みつかっている5基の古墳の内、1基(第13号古墳)を調査しました。古墳の盛土(墳丘)と墳丘のまわりをめぐる溝(周溝)は確認できませんでしたが、梓川から運んだと考えられる河原石を積む石室が残っていました。石室から時期がわかる土器は出土しませんでしたが、近くにある第15号古墳の検出時に出土した土器から、8世紀中頃の古墳と推測します。今年は、第14号・16号古墳を調査しますので、古墳の姿がさらにわかるものと思われます。

第13号古墳の調査風景

 

用地内での試掘箇所と古墳発見地点(赤星)

(黄色・黒色・緑色・青色箇所:試掘箇所)

 

【今、再び脚光を浴びている安塚古墳群】

 都では、646年(大化2)に葬儀や墓の規模を簡素化することを目的とした「大化の薄葬令」が発布されます。松本市の西部には、7世紀から8世紀に造られた安塚古墳群・秋葉原古墳群(松本市新村)・真光寺古墳群(松本市波田)が分布しています。なぜ古墳時代から古代へ移り変わる過渡期に、この地に数多くの古墳が造られたのでしょうか。

 昨年度、当センターが松本市のキッセイ文化ホールで速報展「掘るしん2025」を開催しました。当センターが安塚古墳群を調査したことを切っ掛けとして、会期中には安塚・秋葉原古墳の先行研究者、古墳研究者、当センター安塚古墳群調査担当者で「奈良時代の信州に古墳はあったのか」と題したパネルディスカッションを行いました。当時の時代背景や、上記3遺跡の古墳群が造られた意義などについて議論し、聴講された一般の方々から注目をあつめました。

 安塚古墳群の調査対象面積は21,000㎡で、東京ドーム(グラウンド部分)の約2倍に及びます。これから数年間に及ぶ発掘調査の成果は、地元在住の方や古墳の研究者など多くの方が関心をもっています。発掘調査により、地域の歴史がより明らかにできることを期待します。

 

安塚古墳群発掘だより2025年度第1号(PDF: 820KB)

中信,安塚古墳群,調査情報

2025年1月24日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(5)

【令和6年度の調査を終了しました】

 4月から開始した発掘調査は12月末をもって終了しました。今年度は、国道153号に接する五郎田遺跡5区と正泉寺遺跡1区、その北西側の2区、3区で発掘調査を行い、さらに県道市場桜町線までの間で確認調査を行いました。1~3区(2,500㎡)の発掘調査では、古墳時代、奈良・平安時代の竪穴建物跡70軒、掘立柱建物跡1棟、土坑196基が後世のかく乱で破壊された部分があるものの、ほぼ全面に重なりあってみつかりました。また、それらの下には弥生時代と考えられる溝跡があり、形状から方形周溝墓の一部と考えています。遺物も多数出土し、古墳時代や奈良・平安時代の土師器、須恵器などはもちろん、縄文土器や弥生土器の破片もありました。他に、打製石鏃、磨製石鏃、打製石斧、磨製石斧、砥石、臼玉などの石器や石製品、金属製品として耳環が3点みつかっています。出土した遺物は、コンテナ69箱分になりました。五郎田遺跡5区(200㎡)では、古墳時代の竪穴建物跡1軒、土坑6基がみつかり、遺物は土器や石器がコンテナ2箱分になりました。

正泉寺遺跡・五郎田遺跡 全景

 

【調査のようす】

竪穴建物跡の床面に集中する土器

 カマドの反対側の壁付近から、坏部と脚部の接合部で割られた高坏10個体や坏、小形の甕、甑がまとまって出土しました。熱を受けた痕跡もあり、屋内儀礼のあり様を推測できる貴重な資料になります。

 

重なりあってみつかった遺構

 飯田地域にカマドが導入された古墳時代中期から、平安時代にかけての竪穴建物跡や掘立柱建物跡、多数の土坑が重複してみつかり、調査はとても困難でした。

 

弥生時代の溝跡

 古墳時代の遺構の下から、弥生時代の方形周溝墓の可能性がある溝跡がみつかりました。弥生時代は墓域であった可能性が考えられます。

 

五郎田遺跡と正泉寺遺跡

 国道153号をはさんだ東側の五郎田遺跡では、古墳時代の竪穴建物跡や土坑がみつかっており、正泉寺遺跡と連続する集落域であると思われます。

 

 

【発掘された飯田~2024年度飯田市発掘速報展~】

 場所:飯田市考古博物館エントランス

 期間:3月4日(月)~5月6日(火)

 出土品を展示します。この機会に、是非ご覧ください。

 

 

 発掘期間中は、ご理解、ご協力いただき、ありがとうございました。

 現在、飯田支所で出土した遺物や写真、図面の整理作業を行っています。

 

正泉寺・五郎田遺跡発掘だより2024年度第5号(PDF:1.00MB)

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2025年1月24日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(6)

【本年度の南大原遺跡の発掘調査が終わりました!】

 6月3日(月)から始まった、中野市大字上今井で行われた南大原遺跡の発掘調査が終了しました。これからは、出土遺物や写真、図面などの整理作業などを行っていきます。

 本年度の発掘調査中にご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。来年度以降も継続して調査を行う予定です。引き続き、皆さまのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

南大原遺跡全景、南から(R6年11月撮影)

 

【今年度の調査のまとめ】

 南大原遺跡調査班は、2年かけて約70万㎡という莫大な事業地のなかに、どれほどの範囲に遺構・遺物が広がっているのか、どのような遺跡なのかを調査しました。その結果、約70万㎡のうち本調査が必要な範囲は約13万㎡にも上ることがわかり、弥生時代中期後半(今から約2,000年以上前)や古墳時代(今から約1,500年前)、平安時代(今から約1,100年前)の人びとが生活していた様子がわかりました。特に注目される成果は、弥生時代中期後半にこの地で玉つくりが行われていたこと(「発掘だより」第6号参照)、また北信濃では初めての発見となった10世紀代(平安時代)の集落がみつかったことです。いくども水害や震災に見舞われた厳しい環境の中、千曲川からもたらされる豊富な資源を糧にして生命活動を続ける、南大原の人びとの力強い営みが感じられました。

 来年度以降は、約13万㎡(旧豊井小学校26校分)を対象に大規模な発掘調査を行います。今年度の本調査範囲は、弥生時代に営まれた集落の中でも、モノつくりに特化したエリアであったことがわかってきました。そこで来年度の調査では、モノつくりエリアがさらに広がるのか、それとも生活の拠点となったエリアがみつかるのか、期待が膨らみます。来年度も新たな発見にご期待いただければ幸いです。

玉つくり工房跡(弥生時代中期後半)

玉つくり関連遺物(弥生時代中期後半)

施溝痕の残る碧玉片(上段・中段左)

玉鋸(中段右)

管玉3点(下段)

 

【南大原遺跡年表2024】

長野県埋蔵文化財センター(長野埋文)と、日本文化財保護協会(日文協)が「南大原遺跡調査団」として一丸となって調査にあたりました。

 

4月1日 南大原遺跡調査班発足!

 新メンバーも加わり心機一転!発掘調査の開始を、今か今かと待ちわびました。

 

6月5日 本格的に発掘調査開始!

 長野埋文5名、日文協5名、作業員10名でスタート!生い茂る草は背丈ほど伸びていて、現場はまるで牧草地、まずは調査する範囲(約167,300㎡)を重機で草刈りしました。

 

7月26日 玉つくり工房跡を発見!

 弥生時代中期後半の竪穴建物跡から、相次いで管玉つくりに関連する遺物がみつかりました。根気強く作業してくれた作業員のみなさん、あっぱれです!

 

8月10日 現地説明会開催!

 猛暑のなか139名の皆さまに来跡いただきました!

 竪穴建物跡や出土品を調査員のアツい解説で見学いただきました。何千年も昔の暮らしぶりは皆さまの瞳にどう映ったのでしょうか。

 地域の方はもちろん、関東や関西など遠方からも多く見学者が訪れ、南大原遺跡の注目度の高さを感じるひと時でした。

 

10月16日 2m下から弥生土器発見!

 調査も終盤に迫る中、地表面から2m以上下から弥生時代の土器が出土しました。

 この土器の発見により、来年度の発掘調査範囲が増大する事態に…!最後まで何が起こるかわからないのが発掘調査ですね。

 

11月15日 来年度の調査区も土器ザックザク!

 今後調査する範囲のうち、どこにどのくらいの遺構があるかを知るために確認調査をしました。すると弥生時代の土器が集中している遺構を発見!今後の調査の期待で、胸がドキ土器!

 

11月29日 今年度の調査終了!

 対象面積167,300㎡の調査を見事に完遂!

 長野埋文6名、日文協16名、作業員49名で華麗なフィニッシュです。お疲れ様でした!

 ありがとうございました!また来年!

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第7号(PDF:850KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年12月20日

南栗遺跡 2024年度発掘調査情報(3)

 5月に開始した今年度の調査も、12月18日に無事終了いたしました。発掘期間中の御協力ありがとうございました。冬季期間は出土した遺物や各種図面・写真の整理作業を長野市の埋文センターで行います。

 また、令和7年の2月から3月にかけて、松本市キッセイ文化ホールにて今年度の調査成果の展示を予定しています。期間中には同ホールにて遺跡報告会も開催する予定です。詳細は当センターHPでご確認ください。皆様のお越しをお待ちいたしております。

 

 

【今年度の調査成果】

 今年度は竪穴建物跡107軒、掘立柱建物跡5軒、溝跡4条、土坑135基を調査しました。南栗遺跡における過去の圃場整備や長野道整備に伴う調査成果を合計すると竪穴建物跡の軒数は525軒を数え、松本市内最大級の集落遺跡となります。時期は古墳時代後期~中世におよび、人々が何世代にも渡り、南栗の地に住み続けてきたことが明らかとなりました。

   

長野道の東側(1区):古墳時代後期中世の遺構

 

【奈良時代の集落を発見】

 栗林神社の南側(3区)では平安時代の集落の真下から奈良時代の集落がみつかりました。竪穴建物跡の軒数は40軒以上あります。地層の観察により、奈良時代の人々が生活していた場所が洪水等で埋没した後に平安時代の人々が新たに集落を作ったことが分かりました。

栗林神社の南側(3区):奈良時代の遺構

 

【大形の掘立柱建物跡を発見】

 長野道の東側(1区)では直径約100㎝、深さ60㎝もある柱穴が、方形に並ぶ範囲を検出しました。穴の中の土層には柱の周囲の土を何回も突き固めて重ねる版築工法が確認でき、奈良時代の所産と推測されます。本遺跡では過去の調査で奈良時代前半に大形の掘立柱建物跡が多くみつかっており、律令制度に関する何らかの公的機関が存在した可能性を示すものと考えられます。

大きな柱穴が方形に並ぶ掘立柱建物跡

掘立柱建物跡の想像図

飯田市教委2015 『「伊那郡衙」のとある一日』より引用

版築工法がみられる土層

 

【底の丸い須恵器が出土】

 栗林神社の南側(3区)では古墳時代末~奈良時代初頭と推測される須恵器の坏が完全な形に近い状態で出土しました。この坏は底の内側が平らで外側が丸くなる特徴があります。

 南栗遺跡の集落の開始は古墳時代後期と考えられています。3区で出土した資料は本遺跡の中でも古い時代の特徴を有しており、集落の成立時期や広がりを推測するのに大変重要です。

須恵器坏出土状況

底が丸いのが特徴

 

南栗遺跡発掘だより2024年度第9号(PDF:722KB)

※号数は調査開始時からの通算

中信,南栗遺跡,調査情報

2024年12月2日

塩崎遺跡群 2024年度発掘調査情報(1)

【塩崎遺跡群の発掘調査が終了しました】

 10月10日から始まった今年度の発掘調査は、11月29日に終了しました。塩崎遺跡群では、2013(平成25)年から2017(平成29)年にかけて、東側(千曲川側)の1区から西側(石川条里遺跡側)の3区に向かって発掘調査を行ってきました。今年度は最後に残された3区東脇の市道下の調査を行い、これをもって発掘調査は全て終了しました。長年にわたり皆さまのご協力をいただき、ありがとうございました。

塩崎遺跡群全体図

(国土地理院電子地形図1/25000を使用)

 

【今年度の発掘成果】

 市道下という狭い調査区でしたが、掘立柱建物跡3棟・溝跡4条・井戸跡1基・土坑14基を検出しました。掘立柱建物跡は3棟とも3間×1間で、約4.5m×3mの規模でした。時期は弥生時代後期~古墳前期頃と考えられます。隣接する2区と3区からも、同時期・同規模の掘立柱建物跡が検出されています。当時の集落の景観は、居住域となる竪穴建物群が西側に向かうにつれてまばらになり、西端には倉庫(掘立柱建物跡)群が建ち並んでいたと考えられます。また居住域の東側には墓域、西側には水田域(石川条里遺跡)が広がっていました。

調査区の幅にピタリと収まって検出された掘立柱建物跡

現在の市道とちょうど同じ方向を向いています!

調査区の壁際で検出された井戸跡

 

【発掘調査のあゆみ】

 塩崎遺跡群では弥生時代前期~中世までの遺構が検出され、多様な遺物が出土しています。発掘調査を通じて、約1,000年間(弥生中期~平安時代前期)にわたり千曲川の自然堤防上に形成された集落の姿が浮かび上がりました。現在はこれらの調査成果をまとめ、報告書の刊行に向けて整理作業を進めています。

 

【2013】 1区南側と2区東側の調査

 ・弥生時代初め頃の墓を発見、土器棺に東海地方の土器が使用されていた。

 ・弥生時代中期のヒスイ勾玉と原石が出土。

 ・弥生時代後期の墓から鉄剣を発見!

 ・遺跡東端で古墳や周溝墓(周りを溝で囲み、低い墳丘を築いた弥生時代の墓)を発見、古墳の周溝からウマの骨が出土。

 

【2014】 1区北側と2区東側の調査

 ・弥生時代中期の墓から小形壺と鉢が出土。

 ・弥生時代中期の玉作工房跡を発見。

 ・飛鳥~奈良時代の竪穴建物跡を多数調査、硯が出土。

 ・中世の溝跡からウマの骨約1頭分が出土‼

 

【2015】 1区北側・南東隅と2区の調査

 ・弥生時代初め頃の墓を複数発見、土器棺に東海地方の影響を受けた土器が使用されていた。

 ・弥生時代初め頃の貯蔵用の穴から石器が出土。

 ・弥生時代中期の墓を多数発見、玉類、石器、小形壺が出土。

 ・弥生時代の竪穴建物跡を多数調査、11mを超える後期の大形竪穴建物跡を発見!

 ・井戸跡を多数調査、底から完形土器が出土。

 

【2016】 3区の調査

 ・平安時代の竪穴建物跡から石製分銅を発見!

 ・水田域(石川条里遺跡)との境界にあたる遺跡西端で各時代の溝跡を検出。

 

【2017】 3区北東隅の調査

 ヒスイ勾玉とヒスイ原石

古墳、周溝墓を望む(西上方から)

合計415軒の竪穴建物跡を調査

溝跡(中世)から出土したウマ骨

礫を敷き詰めた墓(弥生時代)

井戸跡(古墳時代)

石製分銅(平安時代)

土器棺(骨壺に使われた土器(弥生時代)

 

担当職員延べ52名、作業員延べ312名に上る大規模な発掘調査でした。

ご協力、ありがとうございました。

 

塩崎遺跡群発掘だより2024年度第24号(PDF:1.43MB)

※号数は調査開始時からの通算

北信,塩崎遺跡群,調査情報

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