Research調査情報

2022年11月7日

五郎田遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

五郎田遺跡の発掘調査を実施しています

 8月から来年1月までの予定で、土曽川左岸に位置する縄文時代から近世の散布地である飯田市五郎田遺跡の発掘調査を実施しています。

 調査期間中は、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分にご注意ください。また、調査区内は危険なため、許可なく立ち入らないようにお願いします。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

リニア中央新幹線地点

 この地点は、昨年度も調査を実施しており竪穴建物跡31軒(弥生時代後期3、古墳時代17、古代11)などを確認しています。今年度は、その東西両隣を調査しています。

 西側のA区は、土曽川に流れていた流路跡が見つかりました。

 東側のB区は、遺構の遺存状態が悪いものの、多くの遺構と多量の弥生土器、土師器、須恵器、灰釉陶器片が出土しています。

 

国道153号拡幅地点

 これまでに竪穴建物跡1軒と土坑約50基、溝跡1条が見つかっています。出土した遺物から、竪穴建物跡は平安時代の遺構と考えています。古墳時代の遺物がまとまって出土した土坑もあります。同じような形状の土坑が並ぶ場所もあり、掘立柱建物跡の可能性もあります。

     

 国道153号拡幅地点の調査風景       土坑の中から見つかった土器の様子

 

五郎田遺跡発掘だより(PDFデータ:1013KB)

五郎田遺跡,南信

2022年11月1日

藪越遺跡 2022年度発掘調査情報(2)

弥生時代の集落跡を発見

 6月末から発掘調査を開始した、飯田市上郷にある藪越遺跡は、今年度の調査を終了しました。

 古代の集落跡がみつかった第1面に引き続き、第2面の調査では新たに弥生時代後期の集落跡(竪穴建物跡2軒、土坑4基、溝跡3条)がみつかりました。

 

弥生時代の家を掘る!

 弥生時代後期(約1800年前)と推定する竪穴建物跡(SB5)の中央部東側からは甕や壺、高坏などの土器片や、石包丁、砥石、台石などの食料生産活動に係る道具が出土しました。炉跡は中央よりやや南側にあり、土器が埋設されていました。

 

藪越遺跡発掘だより№2(PDFデータ:1696KB)

南信,藪越遺跡

2022年10月28日

西浦遺跡 2022年度発掘調査情報(2)

古墳時代前期(約1600年前)の集落跡が明らかに

 下図に示した遺構のうち、SB107・SM101を除いた遺構は、すべて古墳時代前期と考えています。この集落は「塀」などと考えられる溝跡(SD103~105)が同じ方向に構築され、竪穴建物跡(SB)や掘立柱建物跡(ST)も溝跡と方向が揃っています。集落の中で建物を建てる際に、何らかの規制や計画性があったことが考えられ、一般の集落とは異なることを印象付けます。

 

古墳の周溝からガラス製の勾玉と小玉が出土

 ガラス製の勾玉・小玉は、首飾りを構成していた装飾品です。何らかの祭祀に伴い、古墳の周溝に埋納されたと考えられます。

 

和鏡が竪穴建物跡から出土しました

 平安時代末期(11世紀後半)の竪穴建物跡から青銅製の和鏡が出土しました。古代の和鏡が発掘調査で出土するのは、飯田市内では初のことです。

 和鏡は、直径約8.4㎝で、中央の丸い突起(紐)にひもを通す穴が確認できました。また、周縁に6か所等間隔に、内側に折り曲げたような細工が観察でき、六弁の輪花形(六花形)を指向していたのかもしれません。

 

西浦遺跡発掘だより№2(PDFデータ:756KB)

 

南信,西浦遺跡

2022年10月28日

座光寺原遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

発掘調査がはじまりました

 「座光寺原式土器」という弥生時代後期前半の下伊那地方を代表する土器の標式遺跡である、座光寺原遺跡の発掘調査を8月25日から開始しました。

 

方形周溝墓がみつかりました

 弥生時代後期~古墳時代前期に造られた、「方形周溝墓」が3基みつかりました。大きさは1号周溝墓と2号周溝墓が8×8mほど、3号周溝墓は11.5×11.5mほどです。人が埋葬された主体部は、いずれも削平等の影響で残っていませんでした。この遺跡一帯は、方形周溝墓が複数造られた墓域であったようです。

     

     方形周溝墓の検出状況          方形周溝墓の調査風景

 

座光寺原遺跡発掘だより№1(PDFデータ:724KB)

座光寺原遺跡

2022年9月12日

座光寺石原遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

発掘調査3年目

 座光寺石原遺跡は、土曽川中流域の谷部に東西700mにわたって展開する遺跡です。

 令和2(2020)年に発掘調査を開始し、3年目となる今年は時期不明の土坑数基と、縄文時代から近世の土器・石器が少量見つかりました。

座光寺石原遺跡遠景(令和3年撮影)

 

ナギジリ2号古墳の石室内の土から、玉を発見

 令和3年度調査で発見したナギジリ2号古墳から、首飾りなどの装身具であったと考えられるガラス小玉が32個、土製丸玉が119個見つかりました。

 

      ガラス小玉             土製丸玉

 

座光寺石原遺跡発掘だより第8号(PDFデータ:999KB)

座光寺石原遺跡

2022年9月9日

藪越遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

藪越遺跡の発掘調査がはじまりました

 6月末から国道153号線の道路改築事業に先立ち、藪越遺跡の発掘調査を実施しています。

 遺跡は、天竜川右岸の低位段丘上に立地し、南側には栗沢川が流れ、北側へ緩やかに傾斜するやや小高い場所に広がっています。

※地図をクリックすると拡大表示されます。

 

 

流路跡から続々と遺物が出土

 地表下60㎝ほどで、住居跡や流路跡、直径30㎝ほどの土坑が見つかりました。特に流路跡からは奈良時代から平安時代の土師器の甕や壺、高坏、須恵器の坏などが数多く出土しました。

※写真をクリックすると拡大表示されます。

 

 

藪越遺跡発掘だより№1(PDFデータ:1214KB)

藪越遺跡

2022年7月12日

川原遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

【発掘調査が始まりました】

 県道飯田富山佐久間線の建設に伴う発掘調査を、4月から開始しました。発掘現場のすぐそばには天竜川が流れ、対岸には風越山がそびえています。

 当センターでは、2016年度にも、川原遺跡を調査しており、その時には、縄文時代中期後葉から後期前葉の集落が見つかりました。

 

【土器や石器、土偶が出土】

 今年度の調査で、溝跡と土坑が見つかり、それらの遺構から縄文土器、弥生土器の他、土師器や須恵器といった古代の土器など、さまざまな時代の土器が出土しています。

 さらに、縄文時代の土偶が3点出土しています。一般的に土偶は、女性を表現した土製の人形で、呪術的な意味を持っていたといわれています。この土偶を作った人々はどのような祈りをこめたのでしょうか。

  

 

川原遺跡発掘だより№1(PDF:606KB)

 

川原遺跡・下川原遺跡

2022年7月12日

真光寺遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

【2022年度の調査がはじまりました】

 5月16日(月)から、松本市波田三溝の真光寺遺跡の発掘調査を開始しました。昨年度は、波田地区初の古墳調査を実施し、中世の火葬施設なども見つかっています。

              「昨年度の調査の様子」

 

 

【2基めの古墳発見か】

 今年度の調査で、礫層を掘りこむ黒色土の落ち込みがみつかり、礫層には見られない大形の川原石も並んでいたことから、真光寺遺跡2基めとなる古墳の可能性があります。

 その他、昨年に引き続き、火葬施設とみられる炭化物・焼土・焼骨片が混じる黒色土の落ち込みが見つかっており、今後の調査に期待がふくらみます。

 

真光寺遺跡発掘だより通巻3号(PDF:1550KB)

真光寺遺跡

2022年7月12日

西浦遺跡 2022年度発掘調査情報(1)

【発掘調査が始まりました】

 6月13日(月)から、リニア中央新幹線建設に先立って、西浦遺跡の発掘調査をおこなっています。

 場所は、天竜川右岸の飯田市上郷飯沼地区の、一段高い丘の上です。

 調査は9月いっぱいまで予定しています。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

【西浦遺跡ってどんな遺跡?】

 西浦遺跡は、縄文・弥生・古墳・平安時代、中世・近世の集落跡・その他の墓とされており、遺跡の範囲は南北約400m、東西約250mと広範囲にわたります。

 2019年の飯田市教育委員会による発掘調査では、弥生・古墳・平安時代の集落跡や、弥生時代の墓(方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)・円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ))、7世紀代の古墳=飯沼塚田古墳が発見され、テレビや新聞でも報道されました。

 

【調査成果】

 これまでの調査で、竪穴建物跡6軒、溝跡2条、柱穴状の土坑約100基、そして古墳の周溝を1基発見しました。この古墳ですが、墳丘は平安時代の荘園開発に際して削平されたものと想像され、現在まで存在すら把握されていないものでした。残存する周溝は、全体の1/4程度とみられますが、古墳がこの地に築造されていたことは間違いありません。西浦遺跡周辺には、古墳時代の集落が多数存在しますが、それらの集落との関係性を探る上でも、重要な発見と考えています。

 

西浦遺跡発掘だより第1号(PDF:797KB)

西浦遺跡

2022年6月9日

長沼城跡 2022年度発掘調査(1)

【2年目の発掘調査がはじまりました】

 戦国時代(16~17世紀)に千曲川沿いに築城された武田信玄ゆかりの城とされる、長沼城の2年目の発掘調査が、4月上旬から約30名の体制ではじまりました。二の丸推定地や北三日月掘推定地等の調査を行い、城内の遺構の規模や時期を解明したいと考えています。

 

【二の丸推定地の調査】

 二の丸推定地からは、カワラケや16世紀中~後半頃の瀬戸焼の丸皿、火を受けて赤くなった壁材などが多く出土しており、屋敷地や建物跡だった可能性が考えられます。

詳しくはPDF版の発掘たよりをご覧ください。

 

長沼城跡発掘だより№1(PDFデータ:910KB)

 

長沼城跡

2022年6月6日

南栗遺跡 2022年度発掘調査(1)

【南栗遺跡の発掘調査がはじまります】

 中部縦貫自動車道松本波田道路の建設に先立ち、南栗遺跡の発掘調査がはじまりました。期間は5月9日から11月末まで、7か月間を予定しています。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

【長野自動車道建設時の発掘調査】

 南栗遺跡は長野自動車道を建設する際に、発掘調査を実施しています(1985~86(昭和60~61)年度)。この時の調査で、7世紀後半から12世紀までの竪穴建物跡322軒、掘立柱建物跡104棟のほか、お墓や水路などを調査し、古代から中世にわたる大規模な集落であったことが明らかになりました。

 

 今年度の調査では、集落の広がりや、そこに暮らす人々の生活を支えた水田や畑地、遺跡近傍に立地する安塚古墳群との関係などを解明したいと考えています。

 

南栗遺跡発掘たより_創刊号(PDFデータ:1270KB)

南栗遺跡

2021年12月22日

長沼城跡 2021年度発掘調査(1)

 長野市長沼城跡で、令和3年12月6日(月)・7日(火)に、地元のみなさんを対象とした現地公開を実施しました。2日目はあいにくの雨模様でしたが両日合わせて138名にご来場いただきました。

 今年度は3月まで調査を継続します。堀跡の深さや形を調べたり、二の丸の建物跡などのこん跡を確認したりする予定です。

 来年度は調査範囲をさらに拡大し、長沼城跡の築城から廃城、そして今に至るまでの歴史を、詳しく解明したいと思います。

長沼城跡現地公開資料

 

【発掘作業の公開】

 発掘調査を理解していただくために、通常の作業を行っている平日に開催しました。

 二の丸推定地では焼土や炭化物が広い範囲に分布する様子を紹介しました。

 

 

 

 

 

【長沼小学校の見学】

 地下に眠るお城のあとに興味津々です。気になる場所は持参したタブレット端末でパシャリと画像に収めていました。

 

 

 

 

 

 

【城跡でみつかった品々】

 「土の中からきれいなお皿やすり鉢といった生活道具がたくさんみつかったんだよ。」

 「この白っぽい玉は鉛でつくられた鉄砲の玉だよ。」

 「へー、じゃあ火縄銃もみつかるかなぁ」

 

 

 

 

【主な出土品 その1】

 内堀推定地からみつかった唐津焼の皿です。遠く九州の佐賀県や長崎県の生産地から、日本海を北前船によって運ばれてきたものと考えられます。

 

 

 

 

 

 

【主な出土品 その2】

 二の丸推定地からみつかった鉛玉です。火縄銃に用いる鉄砲の玉と思われます。直径は1㎝程と小さく、周囲は劣化して白っぽく変色しています。

長沼城跡

2021年12月16日

真光寺遺跡 2021年度発掘調査(3)

【中世の遺構を調査し、無事終了しました】

 9月からは掘立柱建物跡や火葬施設跡、柵列跡、東西方向の溝跡とそれに沿うように並ぶ土坑などを調査しました。

 今年度調査区の西側となる現在の真光寺に近い場所では、中世と考えられる遺構が集中的に発見されました。

 

【掘立柱建物跡】

 掘立柱建物跡の柱穴は、約1.8mの間隔で並び、現在のところ1間×1間の建物跡となることが確認されました。穴はさらに来年度の調査区に伸びる可能性が考えられます。

 

 

 

 

 

【東西方向の柵列跡、溝跡、土坑列】

 東西方向に伸びる溝跡に柱穴を伴う遺構は、検出面で幅約20cm、深さ約10cmで溝内には約0.7m~1.8m間隔で柱穴が並び、柵列跡と考えられます。柵列跡は、「永楽通寶」(1411年~)が出土した土坑と同じ規模、同じ埋土となる土坑に切られていることから、「永楽通寶」が使用された時期、あるいはそれ以前の遺構と考えられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

【火葬施設跡(SX13)から出土した炭化物、焼土、焼骨】

 火葬施設跡は7基発見されました。平面形は隅丸方形や円形で焼土、炭化物、焼骨が出土しました。特にSX12とSX13とした火葬施設は、使用時の状況を良好に残していて、遺構の性格を考えるうえで貴重な発見となりました。

 

 

 

 

 

【火葬施設跡(SX12)の 銭貨3枚の出土状況】

 SX12からは6枚の銭貨が出土し、内3枚は重なり付着して出土しました。最上位の銭文の残存が悪いため、肉眼では読み取ることができませんが、「寛永通寶」(1631年~)以前の銭貨と考えられます。

 

 

 

 

【調査終了式】

 12月8日(水)、発掘現場プレハブにて、令和3年度の真光寺遺跡発掘調査終了式を行いました。副所長と調査部長が来跡し、作業員にお礼を申し上げました。

 

 

 

 

 

真光寺遺跡 発掘たより№2

真光寺遺跡

2021年12月16日

黒田大明神原B遺跡 2021年度発掘調査(3)

【11月の発掘調査成果】

 黒田大明神原B遺跡の発掘調査は11月30日(火)で終了しました。11月は調査区北側で、縄文時代の竪穴建物跡1軒と弥生時代の竪穴建物跡5軒の調査を行いました。建物跡からは土器や石器などが出土しました。

 今回の調査成果により、この遺跡が栃ヶ洞(とちがほら)川に面した東西に長細い台地上に広がる、縄文時代と弥生時代の集落跡であることがわかりました。

 

【縄文時代の竪穴建物跡】

 建物跡は直径約3mの円形に近い形をしていて、深さは20cm程です。中央には炉があります。土器の形や模様から、縄文時代中期前半の建物跡と考えています。

 

 

 

 

【弥生時代の竪穴建物跡】

 一番大きい建物跡は、5×4.3mの長方形で、深さは40cm程です。柱穴、入口施設のための穴、炉があります。この遺跡の弥生時代の竪穴建物跡の特徴は、遺物の出土が僅かであること、床面が非常に硬く締め固められていることです。この特徴は、弥生時代後期における周辺の集落遺跡の建物跡に共通します。

 

 

黒田大明神原B遺跡 通信第3号

黒田大明神原B遺跡

2021年12月16日

ふじ塚遺跡 2021年度整理作業(1)

 約4万点に及ぶ礫石経の洗浄が終わり、10月からは注記、写真撮影、計測、文字の判読の作業を行っています。

 ふじ塚遺跡発掘たより_No.5

 

【注記】

 礫石経塚での出土場所が分かるように、機械を使って、礫石経1点ずつ注記を行います。

 

 

 

 

 

 

 

 

【写真撮影】

 1点ずつ作業用の写真を撮影します。礫石経の出土量は膨大なので、撮影した写真も使って整理作業を行います。

 

 

 

 

 

 

 

【計測】

 石にお経を書く時に、どのような石を選んでいるのか調べるために計測を行っています。直径約1.5~15cm、扁平な円礫から厚みのある角礫まで様々な形状の石が使われていることがわかってきました。

 

 

 

 

 

 

【文字の判読】

 「佛」「菩」「薩」「釈」「迦」「南」「無」「経」など誰でも読むことができる文字と、消えてしまい不明瞭な文字や墨痕がないものに分けることができます。現在私たちが目にすることがほとんどない旧字や異体字と思われる文字も含まれており、辞書で調べながらの作業になりますが、自分たちでは判読不可能な文字が多数あります。

 

 

 

【立正大学教授 時枝務先生の指導】

 宗教考古学がご専門の時枝務先生に判読の指導を受けました。間違った文字が含まれているので、文字を知らない人も書いている可能性があるようです。約4万点の礫石経を1点ずつ観察する気の遠くなるような作業ですが、ふじ塚遺跡の礫石経塚を解明していく上で重要な作業だと激励されました。

ふじ塚遺跡

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