Research調査情報

2024年11月27日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(4)

【遺跡の様子がわかってきました】

 今年度の発掘作業が始まり6ヶ月が過ぎました。8月からは北側の3区の調査も始まり、今年度の調査区(正泉寺遺跡1・2・3区、五郎田遺跡5区)の様子が明らかになってきました。10月末現在で竪穴建物跡約60軒、掘立柱建物跡2棟、土坑約130基を確認しています。

 竪穴建物跡は、古墳時代中・後期、奈良・平安時代のもので、当初から重複した状態であることを想定していましたが、建て替えなどが行われたことなどを含め、予想を超える軒数の竪穴建物跡が造られていることがわかりました。

正泉寺遺跡 1区~3区 空撮写真

古墳時代の竪穴建物跡

古墳時代竪穴建物跡 土器・石斧出土状況

 

 高坏や小形壺などの土器とともに打製石斧が多く出土しました。この時期に打製石斧が多いのは、飯田地域の特徴でもあります。

 

奈良時代の竪穴建物跡

炭化材が竪穴建物内の広い範囲にありました。床面のほかに壁際に多くみられました。

掘立柱建物跡

柱穴が方形に並んでいます。

複数ある土坑の中で、ほかにも掘立柱建物があることが想定されます。

 

 

【現地説明会を行いました。】

 9月14日(土)に、現地説明会を行いました。調査中の遺跡やこれまでに出土した土器や石器のほか銅製の耳環などを公開し、地元をはじめ多くの皆様に見ていただくことができました。

 

正泉寺・五郎田遺跡発掘だより2024年度第4号(PDF:899KB)

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年11月5日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(5)

【南大原遺跡の発掘調査は最終局面!】

 6月3日(月)から始まった発掘調査も現在最終局面をむかえ、多くの新事実がわかってきています。そのなかで今回は、弥生時代の南大原遺跡を特徴づける成果を紹介します。

 発掘調査現場周辺は、大型重機をはじめ大型の車両が出入りします。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

 皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

【ものづくりのムラ玉づくり工房】

 本遺跡は、2011~2013年と2019・2020年に当センターが、県道三水中野線改良工事に伴い発掘調査を実施し、弥生時代中期後半に鉄製品を加工したと考えられる工房跡がみつかり、注目を集めました。

 今回の調査では、同じ時期の竪穴建物跡5軒、大型の土坑5基がみつかり、それぞれに玉管玉・勾玉づくり、石器づくり等のものづくりに関わる遺物が出土しました。

 なかでも、管玉については、北陸地方で製作工程の研究が進んでおり、今回の出土品は、その製作工程それぞれに対応することがわかりました。

管玉の製作工程の一例 (①~⑧は下表と対応)

原石(緑色凝灰岩)

石鋸

研磨未成品⑥(多角柱体)

管玉(碧玉)

南大原遺跡の管玉製作関連遺物(赤字遺物は、実際に出土)

 

【これまでの確認調査の成果】

 これまでの確認調査の結果、下図の①から⑤までの範囲が本格的な発掘調査(面調査)を必要とすることがわかりました。

 ①では、県道三水中野線改良工事に伴う発掘調査で弥生時代中期後半~後期及び古墳時代前期に属する遺構群が調査され、令和5年度の確認調査でも弥生時代中期後半及び平安時代に属する遺構群が検出されました。このため、従前より面調査が必要な範囲と認識されていましたが、今回の確認調査でそれがさらに北へ延びることが確認されました。

 ②からは、縄文・弥生・奈良時代の遺構群が検出されています。

 ③・④では、地表下1~1.5mで古代の遺構群が、④ではさらにその下0.6mから弥生時代後期の遺構がみつかりました。

 ⑤では、古代の竪穴建物跡が8軒みつかりました。遺構が見つかる層位は、西側に行くにつれ深くなり、最大で地表下1.5mを測ります。

遺跡全体図(作業進捗状況図)

 

【千曲川の流路の変遷】

 各地区の堆積土層と検出された遺構の時期や出土遺物を観察した結果、右図のように青赤緑という順で千曲川の流路が変遷していたことが想定されます。弥生中期以前の千曲川の流路(青)は、北大原地籍の崖から大俣側の崖までの間を流れていたことが想定されるとともに、比高差約3mを測る北大原地籍の崖を形成するような流量を誇っていたことが想像されます。その後、弥生後期には流路が定まり(赤)、自然堤防が形成され、安定した土地に人々は生活を営み始めたと考えられます。

想定される千曲川本流の流路の動き

北大原地籍と鍋久保地籍を分かつ崖

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第6号(PDF:0.99MB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年10月29日

飯田市五郎田遺跡 2024発掘調査情報(1)

【2024年度の発掘調査が始まっています】

 2024年7月から重機による表土の掘削作業が始まり 、 中央新幹線建設工事に伴う五郎田遺跡の今年度の発掘調査を開始しました 。 今年度の調査面積は約 1600 ㎡あり 、 場所は 、 2021 ・2022 年度に弥生時代から平安時代の竪穴建物跡 34 軒 、 掘立柱建物跡 5 棟などがみつかった発掘調査範囲の北側 、 2022 ・ 2023 年度に古墳時代から奈良 ・ 平安時代の竪穴建物跡 19 軒などがみつかった発掘調査範囲の南東側に位置しています 。

五郎田遺跡の年度別発掘調査範囲

 表土の掘削作業と並行して遺構を探す作業を開始しました。 その結果 、 竪穴建物跡約 20軒など多数の遺構がみつかりました 。 弥生時代から平安時代までの遺構が多くみつかっている場所の隣接地のため 、 調査前から相当数の遺構が存在することを予想していましたが 、想定を上回る数の遺構がみつかっています 。

遺構の検出作業

遺構の検出状況

 白線で囲われた黒っぽい土の範囲が遺構。写真中央奥の黄色っぽい土は、自然に堆積した土で、遺構はこの黄色っぽい土を掘って作られ、黒っぽい土で埋まっています。

 

【竪穴建物跡から続々と遺物が出土】

 五郎田遺跡が立地する段丘面には、 古代伊那郡の郡役所 伊那郡衙 と推定される国史跡の恒川官衙遺跡や 、 三彩陶器 ・ 円面硯 ・ 銅製帯金具等の出土遺物から恒川官衙遺跡と関係する集落と想定される堂垣外遺跡があります 。 五郎田遺跡は 、 堂垣外遺跡とともに伊那郡衙に関係する大規模集落の一つであった可能性を想定していますが 、 昨年までの調査では官衙に関連する遺物は出土していませんでした 。 今年度の発掘調査で、 「 円面硯 」 という古代の硯が出土しました 。 残っている部分の直径は約11 ㎝ で 、 中央に墨を擦る部分の 「 陸 」 を 、 その周りに墨水を入れる部分の 「 海 」 を確認することができます 。 硯は文字を書くために必須の道具で 、 郡衙に勤めていた役人が仕事をするためには欠かせない道具です 。 恒川官衙遺跡でも多く出土しています 。そのほか「 灯明皿 」 という 、 灯りをともすための器も出土しました 。 食器の転用品と思われ 、 口縁部内側にススが付着しています 。 大きさは口縁部直径が約 10 ㎝ 、 底部直径が約5 ㎝ 、 高さが約 3 ㎝ です 。 今回紹介した円面硯と灯明皿は、 産地や製作年代について今後の検討が必要で 、 伊那郡衙との関係を指摘できる段階ではありませんが 、 今後の調査成果をお楽しみに 。

五郎田遺跡出土の円面硯

五郎田遺跡出土の灯明皿

灯明皿使用イメージ図

五郎田遺跡発掘たより2024年度第1号(PDF:797KB)

五郎田遺跡(新幹線),南信,調査情報

2024年10月25日

南栗遺跡 2024年度発掘調査情報(2)

 5月に開始した今年度の調査も、猛暑の夏を乗り越え、いよいよ終盤に入りました。今年発見した竪穴建物跡は既に80軒を超え、まだまだ増え続けています。

 今年度の調査は12月中旬までを予定しております。発掘の見学を希望する方は、事前にご連絡ください。皆様のご理解とご協力をお願いします。

 

 

【現地説明会を開催しました】

 10月5日(土)に現地説明会を開催しました。地元島立地区の皆様を中心に97名もの皆様にお越し頂き大変ありがとうございました。当日は、発掘中の調査区を回り、竪穴建物跡や遺物の出土状況、現場プレハブでは今年度出土した土器や、鉄生産関連遺物、馬の骨などを見学いただきました。見学者の皆様には大変熱心に見ていただきました。

現地説明会風景

 

【重なり合う竪穴建物跡】

 栗林神社の南側(3区)では竪穴建物跡が60軒以上みつかりました。

 下写真の中の四角い輪郭が1軒1軒の竪穴建物跡です。1辺が3~4m程あります。平安時代にかけて人々が何世代もわたってこの場所に住み続けていたことを示しています。このことから南栗遺跡周辺が居住に適した場所だったことが分かります。

重なり合う竪穴建物跡

 

【緑釉陶器を発見】

 高速道路北東側(1区)の竪穴建物跡から緑釉陶器が出土しました。緑釉陶器は鉱物系の釉薬を用いた緑色の土器です。集落内において一般の人々の居住域で発見されることは少なく、有力者の持ち物とされている希少品です。

 緑釉陶器は竪穴建物跡の床下で出土しましたが、床下からは灰釉陶器や土師器の皿と倒れた須恵器の壺も出土していて、出土状況からみてこれらの容器は何らかの意図を持って埋められた可能性が考えられます。

緑釉陶器

 

灰釉陶器皿(左)、須恵器壺(中央)、土師器皿(右)

 

 

【村の鍛冶屋】

 高速道路の南西側(4区)で調査した竪穴建物跡からは、直径20㎝深さ5㎝程の穴がみつかりました。この穴は壁から底まで赤く焼けており、穴の周囲からは焼土や炭と共に熱した鉄を叩いて鍛える際に飛び散る微細な板状の鍛造剥片や、鉄を溶かす炉に空気を送り込む筒状の羽口、また刃物を研ぐ砥石も出土しました。遺構の状況や出土品からみて、この建物跡では鉄くずなどを溶かして新らしい道具を作る鍛冶作業が行われていたと考えられます。

鍛造剥片

 

砥石

 

南栗遺跡発掘だより2024年度第8号(PDF:698KB)

※号数は調査開始時からの通算

中信,南栗遺跡,調査情報

2024年10月23日

松本市安塚古墳群 2024発掘調査情報(2)

【第13号古墳(石室)の解体】

 第13号古墳は、石室内の調査が終了したため石室の解体調査に入りました。側壁には2~4段の河原石が積まれ、奥壁には3個の石が立っています。側壁の石を上の段から徐々に取り外したところ、上段と下段の石はほとんど接しておらず、隙間に土を入れて積んでいることがわかりました。加工していない河原石が崩れないように積んだ当時のやり方がわかり興味深かったです。ちなみに、もっとも重い奥壁の石は、75kgありました。

 第13号古墳は、石室の内側に石の平坦な面をそろえて設置しています。石は石材から、梓川の河原から採取したと考えられますので、河原では平坦な面がある石を選んで採取したと考えられます。第13号古墳の調査は、石室の石すべて取り外して記録も終了しました。

石室の解体風景

第13号古墳 最下段まで石を取り外した状況(赤丸はピット)

 

【全容を現した第12号古墳】

 安塚古墳群では、令和3年度に松本市教委が行った試掘調査で発見された第12号古墳(石室)の
規模・形状を捉える調査も行いました。石室が発見された場所を拡張して精査したところ、奥壁から開口部(入口)までの長さが約6m、幅約1.5mの規模を有する石室であることがわかりました。今回調査した第13号古墳の約2倍の大きさです。

 安塚古墳群は、昭和53年(1978)に松本市教委により圃場整備に伴う発掘調査が行われ、大小2種類の古墳(石室)があることがわかりました。松本波田道路の用地内にも大小2種類の古墳が複数あることがわかっていて、来年度以降の調査がさらに期待されます。

第12号古墳 精査風景

 

安塚古墳群発掘だより 第4号(PDF:962KB)

安塚古墳群発掘だより 第5号(PDF:1085KB)

 

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年10月23日

長野市長沼城跡 2024発掘調査情報(1)

【長沼城跡の発掘調査が終盤となっています】

 長沼城跡は16~17世紀に、千曲川左岸の平地に築かれた南北約 650m 、東西約 500mという大規模な平城です。 2021 年から発掘調査がおこなわれ、今年の 10 月に調査が終了する予定です。 

 昨年までの調査では、戦国時代から近世初期の礎石建物跡や堀跡、土塁などの遺構が確認されています。そして同時期の土器や陶磁器、鉄砲玉などの遺物も出土しています。

長沼城縄張り想定図

 

【今年度の調査】

 中堀に伴うと思われる石列が出土しており、 約 40 cm の大きな石を支えるように裏込めとして小石が敷きつめられている箇所が見つかっています 。 中堀の杭列は土塁が崩れないように施された土留めと考えています 。昨年までの調査においても石列 、 杭列が見つかっています 。 これらの成果をもとに城郭の構造をあきらかにしていきたいと思います 。

土留めのための杭列

 

【注目!金足物とは】

 遺物としては、戦国時代から近世初めのカワラケ、灯明皿、内耳鍋などの土器や陶磁器類が多数出土しています。また、太刀の鞘の一部である足金物も出土しました。

 金足物は、太刀を腰から吊るす際の固定金具として使われていました。太刀1振に2つあります!

 県内の遺跡からの出土例は少なく、中世、戦国時代の遺跡から出土した類例は、御代田町の前藤部遺跡で1点、佐久市の北山寺遺跡で3点の出土などが確認されています。

長沼城跡出土の金足物

 

長沼城跡発掘たより 第6号(PDF:761KB)

北信,調査情報,長沼城跡

2024年10月23日

松本市真光寺遺跡 2024発掘調査情報(2)

【4年間の発掘作業が終了】

 9月末をもって、今年度予定していた発掘作業が終了しました。今年度は遺跡の北西側を調査し、中世の方形にめぐる溝跡や、中世以降の建物跡と思われる竪穴状の遺構約10基、掘立柱建物跡の柱穴を含む土坑約260基などがみつかりました。遺物としては、中世以降の内耳鍋(土鍋)や陶磁器片、石臼、凹石といった当時の生活道具が多くみつかったほか、近世以降の鞴の羽口や鉄滓が出土するなど、鍛治の存在を思わせるものもみつかりました。

 令和3年度から開始した真光寺遺跡の発掘作業は、今年度ですべて終了となります。今後は、長野市にある長野県埋蔵文化財センターにて、発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を進めていきます。

真光寺遺跡の全景

 

【これまでの調査成果】

〇波田地区ではじめての古墳発見

 7世紀後半から8世紀初頭(飛鳥~奈良時代)頃に造られた古墳が2基みつかりました。石室の時期や造り方は、近くの安塚古墳群や秋葉原古墳群と似ており、梓川右岸地域の古墳築造を考えるにあたり貴重な事例となりました。

真光寺遺跡の古墳石室

 

〇中世の土葬墓、火葬施設跡

 現真光寺お堂の北東では、直径約70cmの円形の土坑が集中し、穴の底面近くでヒトの頭骨の一部や歯がみつかる例が複数確認されました(=中世の土葬墓)。歯の一部を鑑定したところ、埋葬されたのは6歳以下の子どもの可能性が高いことが分かってきました。また、遺体を燃やした「火葬施設跡」も多数みつかりました。

中世の土葬墓

 

〇中世の方形にめぐる溝跡

 遺跡の西側で、幅約2m・深さ0.3~0.6mの溝跡がみつかりました。溝跡はほぼ直角に屈曲する部分が2カ所あり、短辺が50m程の長方形にめぐることが予想できます。溝で区画された内側には竪穴状遺構や柱穴の可能性がある土坑などが多数あります。区画内がどのような場所であったのか、今後明らかにしていきたいと思います。

方形にめぐる溝跡

 

真光寺遺跡発掘だより 第2号(PDF:699KB)

真光寺遺跡発掘だより 第3号(PDF:734KB)

中信,真光寺遺跡,調査情報

2024年10月4日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(4)

【南大原遺跡の発掘調査、終盤戦に突入】

 6月から行われてきた南大原遺跡の調査がいよいよ終盤をむかえています。現在は、弥生時代中期(約2000年前)の遺構が中心となっています。その中で新たな発見がいくつかありましたので、そのいくつかについて紹介させていただきます。

【発見1】 土製紡錘車

 SB110から土製の紡錘車が出土しました。「発掘だより第3号」でお知らせしたように、すでに平安時代の建物内からは鉄製の紡錘車が出土しています。今回は土製の紡錘車です。鉄製と土製、新旧の差を感じます。2点とも穴が貫通せず未製品です。

土製紡錘車出土状況

(裏側に孔をあけかけた痕跡あり)

 

【発見2】 玉づくり用の原石

 同じ建物内からは緑色凝灰岩製の管玉とその原石、そして製作途中の未製品が出土しており、この建物内で玉づくりが行われていた様子を伺うことできます。さらに佐渡産とみられる赤い色の鉄石英の原石も出土しており、同じく玉製品の原石となったものと思われます。

緑色凝灰岩原石の集石

 

【発見3】 木棺墓

 弥生時代の墓が3基見つかりました。この中の1基は、長方形の穴の中で板を組み合わせて棺をつくり、死者を埋葬した木棺墓であることがわかりました。棺の長さは160㎝あり、大人用の棺と考えられます。残念ながら、副葬品は見つかりませんでした。また人骨も残っていませんでした。

木棺墓の調査風景

 

【確認調査の範囲拡大へ】

 発掘調査を実施する範囲を確定すべく、確認調査のピッチもあがってきました。以前から行っていた北大原地籍・鍋久保地籍・舞台地籍・舞台地籍に加えて、10月からは南大原地籍においても調査が始まる予定です。

 南大原地籍の調査は、現在面調査で発掘調査を行っている弥生~平安時代の集落跡の範囲が北側へどのくらい拡がるかを確認するための調査です。

南大原遺跡発掘調査地と南大原地籍確認調査箇所

 

南大原遺跡発掘調査地(手前)と南大原地籍確認調査箇所(白線内)

 

【ふしぎな話】

 先に弥生時代のお墓が3基みつかったと紹介させていただきました。そのなかの1基は、平安時代の竪穴建物の床下でみつかっています。平安時代の人々は弥生時代のお墓のことを知らずに、先祖のお墓の上で生活していたことになります。

平安時代の竪穴建物床下で見つかった木棺墓(左上)

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第5号(PDF:779KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年9月5日

南大原遺跡2024年度発掘調査情報(3)

【浮かび上がる古代の暮らし】

 旧千曲川左岸の緩い斜面地に広がる南大原地区では、今から約2,000年前の弥生時代中期の集落と、今から約1,100~1,200年前の平安時代の集落を調査しています。平安時代の集落は、溝を巡らせて土地を区画し、方向を揃えた竪穴建物跡がみつかりました。区画溝は、集落の境を示している可能性があります。

 
【今日に繋がる日常の軌跡】

 SB102(平安時代の竪穴建物跡)は、一辺約5mの規模を持ち南側隅にカマドを備えています。この竪穴建物跡からは、灰釉陶器の皿を転用した硯や、鉄製紡錘車(繊維を紡ぐ道具)、耳皿がみつかりました。耳皿ざらとは、皿の側縁を対称的に折り曲げるつくりをした土器で、箸置きに使われたと考えられています。大河ドラマ「光る君へ」では、夫の藤原宣孝と主人公まひろ(紫式部)が、食事の際に箸置きとして耳皿を使用していました。

 みつかったお宝は、文房具、食器、箸置きなど現代を生きる私たちにも馴染み深いものばかりです。今から約1,100~1,200年前の人々の日常に思いを馳せていただければ幸いです。

密集する竪穴建物跡

SB102出土の耳皿

 

【広大な大地に眠る遺跡、次々と目覚める】

 南大原地区から微高地(現リンゴ畑)を挟んだ北西側の地域ではトレンチ掘削による確認調査が進んでいます。逆川・北大原・舞台・鍋久保の4地区のうち、現在は、逆川・北大原・舞台地区の調査をしています。

〇逆川地区

 掘削したトレンチの断面を見ると、現在の地形と同じように南東(リンゴ畑を営む微高地)側から北(現千曲川)側へ傾斜する地形が確認できました。洪水層が厚く堆積し、安定した土地ではなかったようです。

 これまで、近世水田の範囲を逆川地区境の市道までと考えていましたが、湧水点が市道の南側で確認され、近世水田が湧水点まで伸びていることが確認できました。

 

〇北大原地区

 逆川地区の北隣となる北大原地区の調査が始まりました。北大原地区は、7月まで北端を調査しており、そこでは平安時代の竪穴建物跡が見つかっています。

北大原地区確認調査風景

 

〇舞台地区

 7月後半から調査を行っています。8月は、北大原地区の西側を調査しています。北西のトレンチからは、竪穴建物跡とみられる凹みを検出しました。凹みのなかからは奈良~平安時代に使われていた土器(土師器)の埦が見つかり、この時期の建物跡と考えられます。

舞台地区土器出土状況

 

【現地説明会を開催しました】

 8月10日(土曜日)、本調査区(南大原地区)の発掘現場において一般公開を行いました。

 現場を一望できる高台から遺跡の全体説明を行った後、弥生時代中期(およそ2,000年前)、平安時代(およそ1,100年前)の竪穴建物跡近くでそれぞれ説明をしました。プレハブでは、出土品の展示・説明も行いました。展示した遺物は、今年と平成の三水中野線関連調査地点での出土品で、弥生土器、土師器、石器、鉄製品など様々なものがあります。見学者は139名にのぼり、関東や関西など遠方からも多く訪れ、南大原遺跡の注目度の高さを感じる説明会となりました。

 今年の調査は、長野県埋蔵文化財センターと日本文化財保護協会とが一緒になって行っており、説明会でも職員がお互いに協力して設営、説明を行いました。

現地説明会の風景

 

南大原遺跡発掘たより 第3号(PDF:1057KB)

南大原遺跡発掘たより 第4号(PDF:966KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年8月23日

正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(3)

 4月から始まった調査も4か月がたちました。暑さ対策をしっかり行いながら調査を進めています。7月31日には、発掘調査区の空撮を行いました。土曽川沿いの微高地に遺跡が広がっている様子がよくわかります。

 国道153号に面している1区の調査では、古墳時代、古代の竪穴建物跡が13軒みつかっています。竪穴建物跡は、重なり合ってみつかっており、長期間にわたりこの場所に人びとが生活していたことが考えられます。

東側から撮影

 

【古墳時代の須恵器が出土しました】

 1区の竪穴建物跡(SB29)の中から須恵器が出土しました。須恵器は古墳時代中期(約1600年前)に中国から朝鮮半島を経由し日本に伝えられた土器で、高温の窯で焼成します。そのため非常に硬く、青灰色をしていることが特徴です。竪穴建物跡から出土した須恵器は、古墳時代中期中頃(約1550年前)のもので、日本に製作技術が伝えられてまもない頃の古い須恵器です。当時の最先端技術で焼かれた土器を手に入れることができる人物が生活していたのかもしれません。

1区 SB29 調査風景

出土した須恵器

有蓋高坏蓋が付く高坏の蓋部分が出土しました。

(田辺昭三1981『須恵器大成』より引用)

 

 調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようにお願いします。調査中であれば、ご説明いたしますので、お気軽にお声掛けください。

 

正泉寺・五郎田遺跡発掘だより2024年度第3号(PDF:1.01MB)

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年7月31日

松本市安塚古墳群 2024発掘調査情報(1)

【安塚古墳群の発掘調査が始まりました】

 6月3日(月)から10月中旬までの予定で、松本市和田蘇我地区の北側で安塚古墳群の発掘調査を行っています。

安塚古墳群 発掘たより第3号(PDF:807KB)

 

【安塚古墳・秋葉原古墳とは】

 松本市の新村地区には、7世紀末から8世紀にかけて築造された古墳が数多く分布しています(安塚古墳群・秋葉原古墳群)。江戸時代の開田で土饅頭のかたちに似た古墳特有の盛土は削られてしまいましたが、圃場整備に先立ち松本市教育委員会が行った発掘調査では、安塚古墳群(1978年発掘)で9基、秋葉原古墳群(1982年発掘)で5基の古墳がみつかっています。

 これらの発掘調査に携わった直井雅尚氏は、この新村地区の一大古墳群は、島立地区に分布する古代集落(南栗遺跡・北栗遺跡・三の宮遺跡など)の墓地と考える重要な指摘をしています。※直井雅尚1994「松本市安塚・秋葉原古墳群の再検討」『中部高地の考古学Ⅳ』長野県考古学会

【昨年度までの調査成果】

 令和4年度には、地中に向けて高周波の電磁波を放射し、その反応で古墳の存在を確認する地中レーダー探査を行いました。令和5年度には、地中レーダーで反応を示した箇所に重機で幅2mのトレンチを碁盤の目のように掘削して、古墳などの遺構や遺物の存在を確認する調査を行いました。その結果、2基の古墳が確認され、松本市教育委員会の試掘調査で確認された古墳を含めると、調査対象地内に5基の古墳があることがわかりました。

 

本年度は、今まで確認された5基の古墳のなかで第13号古墳を調査し、さらに用地内にいくつ古墳が眠っているかを確認する調査を行います。今までの調査で、第13号古墳の石室と、古墳の周りに円形の穴(土坑)がみつかっています。

 これからの調査で、石室の規模や形状、石室の中に副葬された遺物が発見されることが期待されます。

 

中信,安塚古墳群,調査情報

2024年7月12日

飯田市正泉寺・五郎田遺跡 2024年度発掘調査情報(2)

【古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を続々と発見】

 4月の発掘調査開始から3か月ほど経ちました。遺跡は、土曽川左岸の微高地上に広がっています。調査の便宜上、国道153号に接する部分を1区、その北西側を2区、3区と呼び、調査は2区から開始しました。現在、1区へも展開し、1・2区あわせて古墳時代から平安時代の竪穴建物跡を約30軒、土坑を約30基検出し、調査を行っています。
 竪穴建物跡などの遺構は、古い時期のものが埋まった後に、新しい時期のものが掘り込まれ、重なり合ってみつかります。それが繰り返され、自然の地面がないほど密集している様子が分かってきました。

正泉寺・五郎田遺跡 発掘だより第2号(PDF:1002KB)

 

【調査のようす】

 竪穴建物跡の中から、注目される古墳時代の竪穴建物跡(SB4)をご紹介します。この遺構は、飯田下伊那地域にカマドが伝わった5世紀中頃に営まれた建物です。北西壁際では高坏などの土器が集中してみつかっていて、この場所で土器に供え物を盛ってマツリが行われたのではないかと考えられます。このような土器の出土状況は飯田市内の同じ頃の4遺跡ほどでみつかっています。

五郎田遺跡(座光寺上郷道路),南信,正泉寺遺跡,調査情報

2024年7月5日

南大原遺跡 2024年度発掘調査情報(2)

【発掘調査開始から1か月】

 6月3日(月)から始まった発掘調査も、ほぼ1ヶ月が過ぎました。現在は、南大原地区で遺構検出(遺構をみつける作業)がほぼ終了し、逆川・北大原地区では確認調査(トレンチ※による試し掘り)が進んでいます。

(※ トレンチ:細長い溝状の掘り込み)

 この発掘調査は、11月末までを予定しています。期間中、大型重機をはじめ、車両が出入りしますので十分ご注意ください。また、調査区域内には危険な場所もありますので、許可なく立ち入らないようお願いします。発掘の見学を希望される方は、事前にご連絡ください。

 8月10日(土)には、調査の成果を一般公開する現地説明会を予定していますので、ふるってご参加ください!

 皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

R6年度 調査区全体図

 

【弥生時代の集落はどこまで広がっているか?】

 南大原地区では、今から約2,000年前の弥生時代中期後半の栗林式土器が出土しました!

機械掘削で出土した栗林式土器

 

 遺構検出を進めた結果、竪穴建物跡13軒(古代10軒、弥生時代3軒)、掘立柱建物跡2棟、溝跡3条、遺物集中2ヶ所、土坑160基がみつかりました。土坑のなかには、長方形のお墓と思われるものも4基含まれています。古代が中心と思われていたこの場所でも、弥生時代の人びとはしっかりと暮らしていました。上今井橋のたもとに集住していた弥生人の居住域が、旧千曲川に沿って北東方向に約700mにわたり広がっていたことが予想されます。

南大原地区遺構検出状況

(大きな丸い形のものが弥生時代の竪穴建物跡、南西から)

 

【確認調査も進んでいます!】

 南大原地区から微高地(リンゴ畑)をはさんで北西側の地域では、トレンチ掘削による試掘調査が行われています。逆川・北大原・舞台・鍋久保の4地区のうち、現在は、逆川と北大原地区の調査しています。

 

【逆川地区】

 13本のトレンチを掘削しました。掘削したトレンチの断面を見ると、現在の地形と同じように南東側(写真の上方)から大きく落ち込んでいる地形であることがわかりました。人が活動した痕跡を示す遺構や遺物はみつかりませんでしたが、今後、土層を観察し、写真・図面記録をとり、調査を終了します。

逆川地区トレンチ配置図(北から)

 

【北大原地区】

 15本のトレンチを掘削しました。トレンチ内の土層は、微高地の反対側の南大原地区とよく似ており、人が生活した痕跡の発見が期待されました。

 その期待を裏切らず、調査区北側のトレンチを中心として、遺構・遺物が発見されました。北側の1トレンチからは、今から約4,000年前の縄文時代後期の堀之内式土器が出土し、隣のトレンチからは、古代と思われる竪穴建物跡の一部がみつかりました。

北大原地区トレンチ配置図(北西から)

1トレンチ出土の堀之内式土器の深鉢片

14トレンチでみつかった古代の竪穴建物跡(北から)

 

南大原遺跡発掘だより2024年度第2号(PDF:823KB)

北信,南大原遺跡,調査情報

2024年7月2日

飯田市川原遺跡 2024発掘調査情報(1)

 令和4年度から開始した飯田市川原遺跡の発掘作業が今年6月に終了しました。発掘作業の成果を振り返ってみましょう。

<弥生・古墳時代の墓域・集落域の発見と百済土器の出土>

 令和4年度の発掘作業では、古墳時代中期(約1500年前)の竪穴建物跡4軒、掘立柱建物跡1棟、弥生時代後期~古墳時代前期(約1700年前)のお墓である方形周溝墓を5基確認しました。なかでも古墳時代の竪穴建物跡からは、今の韓国西部にあった百済国(くだらこく:4世紀~660年までの間)で作られた「百済土器」の盌(わん)が出土しました。飯田市内で3例目、東日本で5例目の百済土器になります。飯田地域の古墳時代を考えるうえで非常に重要な発見となりました。

百済土器が出土した竪穴建物跡

百済土器 盌

<縄文時代後期の集落・配石遺構を調査>

 令和5年度の発掘作業では縄文時代後期(約4500年前)の集落、配石遺構の調査を行いました。敷石住居跡3軒、配石遺構24基を確認しました。敷石住居跡は当該期の下伊那地域では類例が少なく貴重な資料となりました。また、埋設土器が6基みつかっています。そのなかの一つから青森県を中心に北東北地域に分布する十腰内式土器(とこしないしきどき)に似た土器が出土しました。壺形の土器で出土状況からお墓に使用したと考えています。

敷石住居跡 住居の壁際に石を並べている

弧状に立石を並べた配石遺構

十腰内式土器の影響を受けた土器

 

 川原遺跡は遠隔地との交流を持った遺跡であることがわかってきました。また、遺跡は集落域(縄文時代)→墓域(弥生時代)→集落域(古墳時代)と土地利用が変化したことがわかりました。天竜川の恵みを受けながら人々は生活をしていたことが想像できます。

 今後は発掘作業の成果をまとめ報告書を作成する整理作業を行います。

 

川原遺跡発掘たより 第5号(PDF:1249KB)

南信,川原遺跡・下川原遺跡,調査情報

2024年6月28日

南栗遺跡 2024年度発掘調査情報(1)

<令和6年度の発掘作業が始まりました>

 令和4年度に始まった発掘調査も今年度で3年目になります。

 今年度の調査では、これまでにみつかっている古代集落の広がりと、継続時期を把握すること、昨年度あらたにみつかった中世面の広がりが確認されることを期待しています。

南栗遺跡発掘たより 第7号(PDFデータ:670KB)

<昨年度の調査成果>

 昨年度の調査では古代の竪穴建物跡16軒、掘立柱建物跡1軒などがみつかり、令和4年度に集落の南限と想定した範囲よりもさらに南へ集落が広がることがわかりました。

 調査区の南西でみつかった竪穴建物跡(SB39)からは、炭化した木材や焼けた土が一面に広がって出土しました。また、建物の壁も焼けて赤くなっていることから、この建物は焼失した住居と考えられます。

 また、調査区南端では火葬施設が3基みつかりました。いずれも内部から焼けた土や炭化した木材、焼けた人骨のほか、銭貨が10枚出土しました。そのうちの1枚は「洪武通宝」(初鋳1368年)と判別することができました。このことから、これらの火葬施設は室町時代以降のものと推定しています。

 

中信,南栗遺跡,調査情報

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