Research調査情報

2020年12月15日

ふじ塚遺跡 2020年度 調査情報(3)

ふじ塚遺跡内にある「ふじ塚古墳」の調査を9月から本格的に行いました。墳丘部分にトレンチを掘ったところ、礫石経(れきせききょう:経文が書かれた石)がみつかりました。このことから、「ふじ塚古墳」は古墳ではなく「礫石経塚」であることがわかりました。

ふじ塚遺跡の今年度の調査は12月11日で終了しました。ご協力いただき、ありがとうございました。



【礫石経塚の発見】

盛土や礫を取り除くと、礫石経塚のつくられた当初の姿が明らかになりました。規模は約8m×5mで、縁には石列がありました。



【礫石経】

礫の大きさや書かれている文字の字体から、礫石経塚は、戦国時代の終わり頃から江戸時代の初め頃に作られたと考えられます。県内で調査事例は少なく、経塚の作られ方や礫石経の埋納方法が分かる今回の調査は貴重な事例になりました。



【出土した和鏡】

礫石経塚の中央から和鏡(銅製、径約8㎝)とほぼ完全な形のかわらけが出土しました。礫石経塚の建設時に仏教儀礼が行なわれていたと考えられます。

ふじ塚遺跡

2020年11月13日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(4)

弥生時代の鉄製品の新知見!

 

 

 2か年の調査(2019・2020年)で出土した鉄製品2点のX線撮影を行ったところ、錆で覆われて見えない部分の観察から、新たな発見がありました。

 一つは木器加工に使用するような小さな鉄製工具、もう一つは小さな鉄製品の未成品の可能性が高まったことです。



【鉄製工具か(弥生時代中期)】

 X線写真では逆L字状の段が観察できる(赤丸部分)。この部分は刃部と茎(※)を分ける関(まち)に当たると想定されます。写真上が刃部、下が茎と考えられます。※茎(なかご:柄に装着する部分)

 

 長さ49×幅9×厚さ8mm、重さ6.7g。

 弥生時代中期後半の竪穴建物跡出土。



【鉄製品の未成品か(弥生時代後期)】

 薄い木の葉状に加工されている。

 写真赤丸部分を拡大して(下画像参照)観察すると、端部に面があることから、鉄素材から切り離したままの可能性があります。

 

 長さ33×幅19×厚さ8mm、重さ4.3g。

 弥生時代後期前半の竪穴建物跡出土。



【上の鉄製品端部の拡大写真】

 今後、X線CT検査等のより詳細な分析を進めた後、錆取りや樹脂含侵等の保存処理を行います。



 南大原ムラでは、従来の石器では難しい、木器加工に用いる鉄製工具を製作していたようです。近年、日本海沿岸で、木器加工を専門に行っていたと思われる集落遺跡が、発見されています。最新の文物が入るシナノの玄関口として、いち早く先端技術を手に入れていたのかもしれません。

南大原遺跡

2020年11月10日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(6)

沢尻東原遺跡の発掘調査成果報告会が開催されました

 

 

11月8日に辰野町教育委員会主催による発掘調査成果報告会に講師として参加しました。

70名もの参加者があり、町内の多くの方に関心をもっていただけました。



【講演風景】

 竪穴建物跡や土器の出土状況などの写真やイラストを使い、縄文人が沢尻東原ムラでどんな生活をしていたのかを説明しました。「黒曜石の原石は遺跡内で出土するのか」、「縄文人はムラの中に墓を作るのか」といった質問が会場から飛び出し、自分たちも縄文時代の理解を深めなければと身が引き締まりました。

【遺物・パネルの展示】

昨年の発掘で出土した遺物や、調査状況の写真パネルを展示しました。土器の文様や土偶の顔などを間近にみることができ、大変喜んでいただけました。

【当センターの遺跡の調査情報も紹介していただきました】

会場の受付では、当センターHPで公開している沢尻東原遺跡の調査情報も紹介していただきました。

現地説明会資料(2019年9月21日開催)

現地説明会資料(PDF1.8MB)



講演会当日の様子も放映されています

LCV「ねっとde動画」 辰野町「沢尻東原遺跡」発掘調査報告会

沢尻東原遺跡,調査情報

2020年10月20日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(5)

遺構図面のデジタルトレースを開始しました

 

 

今年度の室内作業では土器の接合と復元のほかに、遺構図面の整理も進めています。今回は現場における記録をデジタル化して、どのように報告書の資料にするかを紹介します。

 

【埋甕炉を発見】

竪穴建物跡から土器を囲炉裏に使った埋甕炉(まいようろ)が発見されました。

現場では形や使い方がわかるように、様々な角度から記録写真を撮ります。

 

 

 

 

 

 

【実測図を書く】

写真撮影の後は、正確な記録を残すための図面を作成します。
発見した遺構を、真上や真横からミリ単位で測り、方眼紙に記録します。

 

 

 

 

 

 

 

 

【手書きの実測図】

この埋甕炉は1/10の縮尺で記録しました。図面に記された数字は、基準点(海抜703.514ⅿ)からの高低差を示しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

【図面のデジタルトレース】

ここからが室内整理作業です。現場の図面をスキャンして、画面上で清書(デジタルトレース)します。

 

 

 

 

 

 

 

 

【完成したトレース図】

手書き実測図をデジタルトレースして、ようやく報告書に掲載できる資料となります。

沢尻東原遺跡,調査情報

2020年10月20日

沢尻東原遺跡 2020年度 整理情報(4)

篠ノ井東中の生徒が職場体験を行いました

 

 

9月24日に篠ノ井東中の2年生3名が当センターにおいて職場体験を実施しました。沢尻東原遺跡の作業室では土器の接合を行いました。

 

【土器を接合する】

たくさんの土器片が並ぶのをみて最初は戸惑いましたが、真剣に取り組み、破片同士がつながるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【縄文土器の特徴を学ぶ】

担当職員から縄文土器の特徴について説明を受けました。当センターでの職場体験では、このほかに図書の整理も実施しました。

沢尻東原遺跡,調査情報

2020年9月28日

南大原遺跡 2020年度 整理情報(3)

歴史遺産を未来に残すために ~整理室より~

遺跡から出土した貴重な資料は、埋蔵文化財センター内の整理室に運び、整理と分析を行って、南大原遺跡という歴史遺産を未来に継承するための調査報告書を作成しています。
これからの仕事を紹介します。

 

【一つひとつ、記録化する】

 ペットボトルなどにある賞味期限の印字を見たことがありますか?それと同じ方法で土器1点1点に出土データを記録します。

遺跡名や出土位置の出土データが印字されます。

【土器に残された情報を読み取る】

 土器の表面に描かれた文様を寸分違わない精度で図面に写しとります。こうして作成された実測図は全国各地で出土した土器と比較検討する大切なデータとなります。


【遺跡の痕跡を図として保存する】

 二千年前の弥生人たちが大地に刻んだ生活の痕跡である建物やお墓の記録を、パソコンを使って合成していきます。


【調査記録や成果を1冊に】

 発掘現場と整理室で蓄積された遺跡の記録と成果を、皆さまにご覧いただけるように調査報告書を刊行します。現地には残せない遺跡の記録となる報告書もまた、大切な歴史遺産の一つです。


【先人の生き方を共有する】

 
出土品は博物館等で大切に展示保管されます。現在もセンター展示室で代表的な出土品や写真パネルを展示しています。土器や石器は先人たちが我われ現代人と同じ大地に生きた証しです。




南大原遺跡発掘調査情報(2)(pdf 1.0MB)





 

南大原遺跡

2020年9月23日

座光寺石原遺跡 2020年度発掘調査情報(1)

 座光寺石原遺跡は、飯田市座光寺地区の土曽川(どそがわ)左岸にあります。リニア中央新幹線の(仮)長野県駅と中央自動車道座光寺スマートインター(建設中)を結ぶ座光寺上郷(ざこうじかみさと)道路の建設に伴い、発掘調査を実施しています。過去の調査記録では、いくつかの古墳の存在と、石室(せきしつ)から馬具(ばぐ)や鉄鏃(てつぞく)などが出土したことが報告されています。古墳の痕跡を探求することも、今回の調査目的の1つと考えています。


【寒冷紗(かんれいしゃ)の下で】

 猛暑の日には寒冷紗を張り、日影の中で調査しました。熱中症にならないように、注意しながら掘り下げを進めました。



【石器が出土しました】

 縄文時代や弥生時代とみられる打製石斧(だせいせきふ)4点、横刃形(よこばがた)石器4点、砥石(といし)1点が出土しました。これらの石器は、遺跡周辺で採取できる石材を使って製作されています。


【 集石炉(しゅうせきろ)を検出】

 焼けた石や炭がたくさん詰まった集石炉がみつかりました。現在のところ、遺物が出土していないので詳しい時期や性格はわかりませんが、これからの調査で明らかにしていきたいと思います。

 

座光寺石原遺跡発掘だより第1号(pdf456KB)

座光寺石原遺跡

2020年9月23日

南大原遺跡 2020年度 発掘調査情報(2)

2年間大変お世話になりました。


昨年4月から実施した南大原遺跡の発掘作業も、この9月をもちまして無事終了いたしました。昨年10月には台風19号の影響で調査の一時中断もありましたが、地域の皆様には日頃からご理解ご協力をいただき、改めてお礼申し上げます。
 


【千曲川と共に生きた弥生人】

 調査区を善光寺平方面から見ると、左に現在の千曲川の流れ、右に明治時代以前の旧千曲川の痕跡がはっきりとわかります。弥生時代の人々が暮らした二千年前、この一帯はどのような環境だったのでしょうか。


【堆積学による遺跡環境の復元】

 遺跡環境を復元するため、土壌堆積学を専門とする信州大学理学部の研究室に調査をお願いしました。住居跡内に堆積した土や遺跡が立地する基盤層が土壌サンプルとして採取されました。その分析によって千曲川べりに暮らした弥生人の生活環境を解明することが期待されます。




【発掘ゲンバってなんだ?】

 中野市立豊井小学校6年生が元気に訪ねてくれました。「本物の土器に触れるのはきっと一生に一度の機会。校長先生もきっと今日初めて触るはずだよ」と話しかけると、皆「えー!」。順番に恐る恐る土器を触ってみて、「弥生土器は薄くてザラザラしてる」、「持ってみると思ったより軽いよ」と色んな声が聞こえきました。発掘現場でしか味わえないワクワク、ドキドキする“生の歴史”を感じてくれたようでした。



南大原遺跡

2020年8月31日

ふじ塚遺跡 2020年度発掘調査情報(2)

  7月から発掘調査を開始し、今年度の調査範囲のうち、西側部分がほぼ終了しました。9月からは東側部分を中心に、古墳の調査を本格的に開始します。


【村絵図】

 
享保18年(1733)に描かれた、村絵図:

『諏訪藩一村限村地図』(すわはんいっそんかぎりむらちず)(諏訪史談会1956『諏訪史蹟要項10』)には、現在のふじ塚遺跡の位置に「藤塚と申す処」と書かれています。江戸時代にも、古墳の存在は知られていました。




【黒曜石製の石鏃】

 これまでに縄文時代・古代・中近世の土器・石器、陶磁器の破片などがみつかっています。完全な形の黒曜石製の石鏃も発見されています。



ふじ塚遺跡発掘たより№1(pdf1.25MB)

ふじ塚遺跡

2020年8月31日

沢尻東原遺跡 2020年度整理情報(3) 

7月28、29日に沢尻東原遺跡の整理作業について、県文化財保護審議委員の早稲田大学高橋龍三郎教授より指導を受けました。


【土器を細かく観察する】

 土器には変色したり、器面がすり減ったり、焼けた部分や煮炊きの焦げ痕など、たくさんの情報が残っています。こうした観察から土器が何に使われたのかを探ります。


【沢尻東原遺跡の評価について】

 沢尻東原遺跡は縄文中期の集落を丸ごと調査し、集落の構造がわかるだけでなく器形や文様の残りが良い土器がたくさん出土しており、長野県の縄文時代を考えるうえで大変貴重な遺跡であるとの評価を頂きました。 


(参考)沢尻東原遺跡概要(pdf1.07MB)

    長野県宝「信州の特色ある縄文土器」長野県教育委員会HPへ



沢尻東原遺跡

2020年8月21日

沢尻東原遺跡 2020年度整理情報(2) 

【土器の接合・復元作業】

 進行中
沢尻東原遺跡では、土器の接合と復元作業を進めています。



【復元した土器】

 沢尻東原遺跡では、今から5,000年前(縄文時代中期)の土器が多く出土しています。上伊那地域のオリジナルな土器のほか県内外の様々な地域のものが出土しています。現在20個体以上の土器が復元できました。


【勝坂式(かつさかしき)土器(井戸尻式(いどじりしき)土器)】

 粘土紐で立体的な装飾をするのが特徴です。神奈川県相模原市の勝坂遺跡や長野県富士見町の井戸尻遺跡を標識とし、中期中葉に西関東~長野県中部まで幅広く分布しています。


【梨久保(なしくぼ)B式土器】

 細い粘土紐を貼り付けたり、胴体に縦横の直線を描くのが特徴です。長野県岡谷市の梨久保遺跡を標識とし、中期後葉に諏訪・松本を中心に分布しています。


【台形土器】

 土器を作る時の工作台という説があります。山梨県で多く発見されています。


【夏休み考古学教室での展示】

 8月7・8日に実施した、夏休み考古学教室で接合作業の公開と復元した土器の展示を行いました。複雑な土器の文様をみて見学者の方も大変感動していました。




沢尻東原遺跡

2020年8月19日

南大原遺跡 2020年度発掘調査情報(1)

【発掘調査 最終段階です】

 
6月下旬から発掘調査を再開しました。昨年10月の台風19号による千曲川氾らんなどの影響で調査ができなかった部分を対象に、9月半ばまで実施します。今回の調査をもって県道改築工事に伴う発掘調査は全て終了します。


【弥生時代の竪穴(たてあな)建物跡を発見】

 略円形の竪穴建物跡1軒がみつかりました。過去の調査も含め本遺跡25軒目です。竪穴建物跡は当時人々が暮らした住居と考えられます。調査の積み重ねによって2100年前の弥生ムラの全容が明らかになりつつあります。


【雨ニモ 夏ノ暑サニモマケズ】

 例年になく雨の日が多かった梅雨が明けた途端、記録的な酷暑が続いています。農家の皆様と同じく、私たちの仕事も天気に大きく左右されます。近隣の野菜畑や果樹園を参考に、発掘現場を遮光シートで覆ってみました。 日差しを遮り、風通しが良く体感気温は外気より数度低く感じられ、熱中症予防や地面の乾燥予防に効果は抜群です。


【弥生土器の復元】

 
発掘調査と並行して、センター復元室では昨年度出土したバラバラになった土器のかけらを組み合わせて、足りない部分を石こうで埋めていく復元作業をすすめています。

 南大原遺跡の弥生土器は薄くもろいため、慎重な作業が続いています。


【復元された弥生土器】

 二千年の眠りから覚めた弥生土器。壺や甕などのバラエティーに富んでいます。

 

【南大原遺跡の出土品が長野県立歴史館で展示されます】

 前回の県道改築工事に伴う発掘調査で2013年に発見された弥生時代の鉄製品が、この秋、県立歴史館企画展に出展されます。信州の弥生時代を語る上で外せない重要な出土品です。柳沢遺跡出土の弥生時代の銅製品(中野市博所蔵)など県内資料も多数集まる、見ごたえのある展示会です。

〇県立歴史館秋季企画展『稲作とクニの誕生-信州と北部九州-』 

 1.会期 9/15(火)~11/29(日)

 2.場所 長野県立歴史館 企画展示室(千曲市大字屋代科野の里歴史公園内)

 3.問い合わせ 長野県立歴史館 電話026-274-2000 


南大原遺跡調査速報(1)(pdf 1.48MB)


南大原遺跡

2020年8月3日

ふじ塚遺跡 2020年度発掘調査情報(1)

 7月から発掘調査を開始しました。ふじ塚遺跡では過去、町道拡幅に伴う発掘調査を町教育委員会が行っていますが、ごく狭い範囲の調査であったため、遺構・遺物は確認されませんでした。本格的な発掘調査となる今回の成果が期待されます。

 遺跡のなかには、ふじ塚古墳があります。ここから富士山がみえることから、「富士塚」と呼ばれるようになったとも考えられています。古墳であるか、中世の塚であるか、発掘で明らかにしたいと思います。


【 遠景】

 ふじ塚遺跡は標高835mほどで、眼下に諏訪湖や下諏訪町の市街地が見渡せます。

 遺跡の周辺には西側に昨年度調査を行った一の釜遺跡、北西側に武居林遺跡(下諏訪社中学校)、南側に地獄久保遺跡(下諏訪北小学校)が分布しています。


【開始式】

 下諏訪町のしごと創生支援施設「ホシスメバ」の一画を現場事務所としてお借りしています。
7月6日に開始式を行いました。



【表土掘削】

 重機を使った表土掘削を始めに行います。地表面から30~50cmほど掘り下げたところで、黄褐色の土に変わりました。

次にジョレンや両刃鎌、移植ごてを使って、人力で地面を平らに削り、遺構をみつけます。黒曜石や土器の破片が出土しています。



【遺構検出】

 地面を平らに削っていくと、黒褐色をした楕円形の部分がみつかりました。まず半分だけ掘り下げて、穴の断面形や土の埋まり方を確認しながら、遺構の調査を進めていきます。


ふじ塚遺跡

2020年7月28日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(6)

【発掘作業は終盤ですが・・・】

 7月一杯で発掘作業を終了します。連日の雨で現場はご覧のとおり水没しています。今月は、丸一日作業ができたのは、たったの3日。今年の梅雨はもう少し続きそうです。



【洗浄作業】

 遺物についた泥をブラシで洗い落します。土器の破片は、ゴシゴシこすると傷めてしまうため、小刻みにトントントンとブラシの先を当てるように洗うのがコツです。

【注記作業】

 洗浄した遺物は、乾燥させて再びポリ袋等に収納し、台帳に登録します。そして、「注記マシン」という機械を使って、遺物一点一点に遺跡記号や出土遺構名等を、マーキングします。


【土器の接合作業】

 土器片を出土場所ごとに広げて、接合作業をおこないます。ジグソーパズルに似ていますが、すべてのパーツが必ずそろうわけではない点が、土器接合の難しいところです。

うじがみ遺跡ニュースvol.6 2020年7月発行(PDF1.45MB)



氏神遺跡

2020年7月13日

氏神遺跡 2020年度 調査情報(5)

【 穴99個発見! 何に使った?】

 遺跡からは、たくさんの穴がみつかっています。これまでにみつかった穴は99個。場所や組合せ、形や大きさ、土の埋まり方、出土遺物など、さまざまな要素を手がかりにして、私たちは穴の用途を考えていきます。今回はそのなかのいくつかを紹介します。


【遺跡のはずれでみつかった深い穴(落とし穴)】

 遺跡の西側と南のはずれで、直径が約1mの円形で、深さが約1.2mの深い穴がみつかりました。(深い穴は、作業の安全に配慮して、半分に割って調査します。)


【逆茂木(さかもぎ)の跡】

 穴の下の方は長方形で、底には直径3㎝、深さ10~15㎝の小さな穴が4か所あります。この穴は、底に杭(逆茂木)を立てた縄文時代の動物をつかまえるための落とし穴と考えられます。



【埋土の中から】

 落とし穴の埋土からは、約5500年前の縄文土器の小さな破片が出土しました。


【貯蔵穴(ちょぞうけつ)】

 縄文時代の竪穴建物跡の近くからは、直径約1mの円形で、深さ約60㎝の、断面が袋状の穴がいくつかみつかっています。穴の大きさや形から、木の実などを保存した穴(貯蔵穴)と考えられます。


【黄色矢印の穴の断面】

 貯蔵穴と考えられる穴は、直径72㎝、深さ60㎝、容量が約245ℓとなります。

【穴を掘る道具】

 狭くて深い穴を掘るのは一苦労なので、移植ごてや両刃鎌は言うに及ばず、おたまやスプーンなど、さまざまな道具が使われます。



【打製石斧(だせいせきふ)】

 縄文人は、穴を掘る道具の打製石斧を棒の先にくくりつけ、硬い土を根気よく突いてほぐし、手のひらなどですくい上げ、穴を掘り進んでいたのでしょう。

 



うじがみ遺跡ニュースvol.5 2020年7月発行(PDF1.0MB)

氏神遺跡

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