Research調査情報

2018年8月20日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(2)

8月1・2日(水・木)に小島・柳原遺跡群の遺跡調査指導委員会が開催されました。委員の先生方から遺跡の調査や塔鋺形合子(とうまりがたごうす)等の出土物の整理について、ご指導・ご助言をいただきました。


【調査の報告】

 初日は、塔鋺形合子をはじめとした小島・柳原遺跡群の調査について報告後、今後の調査についての検討を行いました。報告内容は、遺跡の調査から、塔鋺形合子のX線CT観察、類例調査、鋳型、付着繊維の分析と多岐にわたりました。


【遺物の見学】

 2日目は、長野市内から出土している古代の仏教関連遺物の見学をしました。長野市埋蔵文化財センター様のご協力をいただき、塼仏(せんぶつ)や瓦、塑像(そぞう)など貴重な品々を熟覧し、委員の先生方からご意見をいただきました。

小島・柳原遺跡群

2018年6月20日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(1)

平成30年度の長野東バイパス改築工事に伴う発掘調査を4月から開始しました。

今年度の調査地点は昨年度調査を行った地点の北側で6月19日(火)に、遺跡の状況を信州大学教育学部の教員・学生のみなさん9名が見学にみえました。


【昨年度までの調査地点】

塔鋺形合子(とうまりがたごうす)に関心がある方もあったので、一昨年度出土した地点を見ながら、遺跡の概要や出土した時の様子を説明しました。


【昨年度出土骨のクリーニング】

昨年度までに出土した人骨を丁寧にクリーニングしているようすも見学いただきました。こうした地道な作業の上に、歴史の研究が成り立っていることを、改めて認識された方もいたようです。

小島・柳原遺跡群

2018年5月24日

長谷鶴前遺跡群 平成30年度調査情報(1)

平成30年度の坂城更埴バイパス改築工事に伴う発掘調査が4月より開始しました。今年度の調査地点は昨年度調査が行われた長谷鶴前遺跡群(はせつるさきいせきぐん)と石川条里遺跡(いしかわじょうりいせき)の続きとなり、長谷鶴前遺跡群の発掘調査は今年度で最後となります。


【発掘作業開始式】

4月に作業開始式を行い、今年度の発掘調査が始まりました。5月現在では長谷鶴前遺跡群は一部の調査を残しておおむね終了し、石川条里遺跡の発掘調査に着手しています。 

【砂に埋もれた水田跡(1区)】

昨年度の発掘調査で確認した平安時代の水田跡の続きを今年度も確認し、あぜは東西南北に沿ったもの(白線)と、軸方向が斜めにずれたもの(黄線)がみつかりました。軸方向が斜めにずれたほうの水田には泥炭(でいたん)(植物が十分に分解されていない土)が薄くたい積していたため、耕作されていなかった可能性があります。


【厚くたい積していた洪水砂(1区)】

平安時代の水田を覆う砂は、西暦888(仁和4)年に起きた大災害≪仁和(にんな)の洪水≫によって運ばれてきたものであるとみられ、最大で50㎝ほどたい積していました。当時の人々の生活に大きな被害を与えた災害でしたが、結果的に平安時代の水田がきれいに保存された形となりました。


【洪水砂の中から出土した土器(1区)】

水田は生産の場所であるため、通常遺跡の発掘調査でみられるような生活道具(土器など)はほとんど出土しません。今年度は小形の甕(かめ)とみられる土師器(はじき)が1点出土しましたが、洪水によって運ばれてきたものであると考えられます。

長谷鶴前遺跡群

2018年5月16日

山鳥場遺跡 平成30年度整理情報(1)

昨年度、発掘作業が終了した朝日村山鳥場遺跡の本格的な整理作業を実施しています。作業内容は土器の接合・復元や、遺構図のデジタルトレースなどです。


【土器の接合作業】

遺跡でみつかった縄文土器の破片を、パズルのようにつなぎ合わせていきます。


【つながった土器】

山鳥場遺跡の住居跡からみつかった縄文土器です。土器の上から下まで、ほぼ完全に残っていました。


【土器の復元作業】

接合作業でつながった土器を、元の形に戻す作業を行っています。牛乳パックで作った支えなども利用して、土器の丸みを復元します。


【遺構図のデジタルトレース】

山鳥場遺跡でみつかった土器が敷かれた炉跡の図を、パソコンを使ってトレースしています。石や土器の位置を1点1点確認しながら、図を完成させていきます。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2018年4月25日

浅川扇状地遺跡群 平成30年度整理情報(1)

浅川扇状地遺跡群は、調査を開始して8年目となりました。今年度も引き続き本格整理作業を進めていきます。現在、古代・中近世の土器の実測や保存処理の済んだ金属製品の実測をおこなっています。また、未調査地区の発掘作業も再開する予定です。


【保存処理の済んだ銭】

中世の溝跡の埋土から見つかったものです。

「元豊通寶(げんぽうつうほう)」(初鋳1078年、北宋銭)と読めます。




【拓本作業】

銭の拓本をとっているところです。まず銭に和紙をかぶせ、水を含ませた筆で和紙をぴったり貼りつけます。ちょうどよい具合に乾いたところへ、タンポを使い墨を和紙の表面にのせていきます。


【完成(左が表面、右が裏面)】

和紙を銭からはがして皺を伸ばし、拓本ができあがりました。コピーをとり、用紙に貼って完成です。表面の文字が浮かびあがりました。




浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2018年4月13日

川原・下川原遺跡 平成30年度整理情報(1)

―天竜川に一番近い遺跡の探究― 

平成28、29年度に発掘作業が終了した、飯田市川原・下川原遺跡の本格整理作業を行っています。今年度末の報告書刊行にむけて、土器の実測作業、下川原遺跡の遺構図デジタルトレース作業が始まりました。地域の歴史に新知見が加えられるよう探究していきたいと考えています。 
 

【土器の実測作業】

縄文時代の深鉢を観察しながら、遺物実測機器を用いて、実寸大の大きさで形や文様を描いていきます。土器実測図は、文様の描かれた順番を表現することも大切です。
 

【土器の把手の実測】

縄文時代の鉢の上部に付けられた把手の実測図を作成しています。土器の正面を決めて図化するとともに、右側に断面図も描きます。
 

【遺構のデジタルトレース】

下川原遺跡で調査した「石を伴う土坑」の遺構平面図のデジタルトレースをしています。できあがった図は、報告書の図版として活用していきます。
 

下川原遺跡,川原遺跡

2018年3月14日

地家遺跡 平成29年度整理情報(2)

 地家(ぢけ)遺跡から出土した中世の資料は、葬送・祭祀(さいし)・供養に関わるものが多いことが特徴で、今回紹介する板碑もそのひとつです。板碑は、死者を供養するために、また、自分たち自身の生前供養のために立てられた石塔の一種です。13世紀~16世紀に多く造立され、全国に広く分布していますが、特に関東地方に濃密です。

 

【板碑①】

緑色片岩製、長89.3㎝、幅29.2㎝、厚2.7㎝、重14.5㎏。

上端部の左隅を若干欠くほかは、ほぼ完形の板碑です。上半部に蓮座(れんざ)を伴う梵字(ぼんじ)3字を、下半部に紀年銘を刻んでいます。下端から20㎝ほどは風化が進行していないので、この部分を地中に埋めて立てていたことが推測されます。 


【板碑①模式図】

上に阿弥陀如来(あみだにょらい)を表す梵字、向かって右下に観音菩薩(かんのんぼさつ)、左下に勢至菩薩(せいしぼさつ)を表す梵字を配する、阿弥陀三尊形式で刻まれています。

紀年銘は、磨滅のため読みづらいのですが、現在のところ、中央に

「□□二年三月」、その右に「己」、左に「卯」、

年号□□の文字は「厂」あるいは「广」を含むと考えています。年号に「厂」や「广」を用い、干支が己卯(きぼう、つちのとう)の年は、13~16世紀では、暦應(りゃくおう)2年(1339年)が該当します。いわゆる南北朝時代の初頭にあたります(暦應は北朝の年号)。 


【板碑②】

緑色片岩製、長47.6㎝、幅18.5㎝、厚1.9㎝、重3.3㎏。

板碑①より小型の板碑です。梵字は阿弥陀如来を表す1字。下端部には、素材石片の凹凸をならすために、ノミで横に押し削った痕跡がみられます。地中に隠れる部分であるため、不格好な整形痕を残したままなのでしょう。


【板碑③】

緑色片岩製、現存長45.3㎝、幅18.1㎝、厚1.6㎝、現存重2.3㎏

上部を欠損していますが、梵字の位置から②とほぼ同じ長さと考えられます。梵字は阿弥陀如来を表す1字で、蓮座を伴っています。下端から10㎝ほどは風化の進み具合が弱く、板碑①と同じように、この部分を地中に埋設していたと考えられます。





地家遺跡

2017年12月25日

下川原遺跡 平成29年度調査情報(2)

今年度の発掘調査が、12月8日で終了しました。集石(しゅうせき)を伴う土坑(どこう)10基、小土坑14基、畑跡、水田跡の調査を行いました。
地元をはじめ多くの皆様に御理解、御協力をいただき誠にありがとうございました。


【調査区全景】

 今年度は昨年度の調査結果を踏まえ、微高地部では平安時代後期~中近世の遺構検出、川寄りの低地部では洪水により埋没した水田等の調査を主な調査課題として作業を進めました。


【集石を伴う土坑の調査】

 天竜川に向かって東から西へ延びる尾根状の微高地では、集石を伴う土坑10基、小土坑14基を確認しました。集石を伴う土坑からは中世の内耳土器(ないじどき)、陶磁器片が出土しています。


【最大の集石を伴う土坑】

 長径約2.5mの楕円形で、東側に2つの立石状の大きな花崗岩(かこうがん)が置かれ、壁に沿って平らな花崗岩が並べられていました。
土坑内には、集石や炭化物粒子がみられ、火を焚くような行為があった可能性が考えられます。


【砂に覆(おお)われた畑跡の調査】

 地表から深さ約4mまで、堆積した砂を徐々に取り除きました。結果、昨年度近世の水田跡と推定されていた面は、畝を伴う畑跡とわかりました。

 畑跡を覆う砂からは、中近世の陶磁器の他にビニール片や丸釘なども出土したことから、この畑跡は昭和期の洪水により埋もれたと考えています。

下川原遺跡

2017年12月22日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(5)

今年度の発掘調査が、11月30日で終了しました。竪穴(たてあな)建物跡15軒、土坑304基、溝跡15条、墓跡43基の調査を行いました。
地元をはじめ多くの皆様に、御理解、御協力をいただき本当にありがとうございました。


【平安時代の竪穴建物跡】

 この建物跡は一辺約6mと大型で、主柱穴以外に壁際に柱穴(図中)があります。遺跡内の他の建物跡とは大きさも構造も異なる建物であった可能性があります。昨年度、塔鋺形合子(とうまりがたごうす)が出土した竪穴建物跡も同じ特徴を持っています。


【古代瓦】

 奈良時代ころに製作された古代の平瓦(ひらがわら)の破片が出土しました。こちら側(製作時の外側)には、格子目叩きがわずかに残っています。


【古代瓦】

 同じ瓦の反対側(製作時の内側)です。全体に布の痕が残っているのがはっきりとわかります。

小島・柳原遺跡群

2017年11月16日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報(4)

4月に開始した山鳥場遺跡の発掘作業は、10月末で終了しました。2年間の調査で、縄文時代中期後半から後期の竪穴建物(たてあなたてもの)跡16軒と柱跡などの穴が約120基みつかりました。朝日村をはじめ多くの皆様にご協力をいただき、誠にありがとうございました。



【縄文時代中期後半(約4,500年前)の集落跡】

遺跡は内山沢扇状地上にあります。写真で白く見える部分は内山沢から流れてきた砂礫です。洪水などで堆積した土の上に、ムラが営まれていました。(赤○印の部分は竪穴建物跡です。)



【建物の出入り口に埋められた土器】

出入り口部分に土器が埋められている竪穴建物跡が2軒ありました。こうした土器は、乳幼児などを埋めた祭祀施設であるという説があります。


【土器が敷かれた炉を発見】

3軒の竪穴建物跡で、炉の底に土器片が割り敷かれており、土器を外すと地面が焼けていました。
【土器が敷かれた炉を発見

3軒の竪穴建物跡で、炉の底に土器片が割り敷かれていました。土器を外すと地面が焼けている例もありました。


【炉にたまった土を洗う】

炉にたまった土を洗ったところ、炭化物や焼けた骨が混ざっていました。炭化物の中にはクルミの殻と思われる破片がみつかりました。

【炉からみつかった炭化物(クルミの殻と思われる破片)】

みつかった炭化物は今後分析に出し、当時の植物利用を検討していきたいと思います。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年10月24日

柳沢遺跡 平成29年度調査情報(5)

4月10日に開始した本年度の発掘調査が終了しました。B・C・D区の3か所の調査を行い、縄文時代中期の炉跡(B区)、弥生時代中期の竪穴建物跡(D区)や水田用水路と思われる溝跡(C区)、弥生時代と平安時代の土器がまとまって出土した場所(C区)がみつかりました。


【H29年度調査区遠景】

柳沢遺跡は千曲川と夜間瀬川の東側に広がっています。今年度も築堤地点の隣接地を発掘調査しました。

 調査の詳細は

 現地公開資料PDF(231KB) をご覧ください。


【弥生時代の溝跡(南から撮影)】

平成18年の調査でみつかった弥生時代中期水田の用水路(次の写真参照)の続きと思われる溝跡です。水田の畔跡は確認できませんでしたが、溝を埋めていた土の中からは弥生時代後期の吉田式の土器の破片が数点出土しました。弥生時代中期に掘られた用水路は弥生時代後期には埋没してしまった可能性があります。


【弥生時代水田と用水路(北から撮影)】

平成18年に調査した弥生時代中期の水田跡です。人が立っているところが水田で、その左側に用水路が南北にのびています。長野県内では、柳沢遺跡のほかに、中野市川久保遺跡、長野市川田条里遺跡、千曲市更埴条里遺跡・屋代遺跡群などで弥生時代の水田や水路が確認されています。

柳沢遺跡 

2017年10月11日

浅川扇状地遺跡群 平成29年度整理情報 (3)

今年度の整理作業も折り返し地点を越えましたが、引続き古墳時代の土器実測を中心に作業を進めています。また、実測と並行して土器一覧表の作成や古代以降の土器の観察と選別作業なども行っています。


【土器一覧表作成作業】

報告書に掲載する土器の出土位置や時代、壺や甕といった器種等を一覧表にしていきます。表現に違いがないか等細部まで確認しながら作成していきます。 


【土器の実測作業】

引続き古墳時代の竪穴建物跡や墓跡から出土した土器の実測を行っています。終了後は、古代の土器の実測作業に入っていきます。


【「和同開珎」の保存処理が終了しました!】

県立歴史館による応急的な保存処理が終了し、肉眼ではっきりと「和同開珎」の文字が読み取れるようになりました。センター展示室に展示してありますので、ぜひ足をお運びいただき、実物をご覧いただけたらと思います。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2017年10月5日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報 (3)

発掘で出土した縄文時代中期後半(約4500年前)の土器を観察したところ、表面や裏面、割れ口に凹みが残るものがありました。凹みにシリコンを注入し、固まったシリコンを取り出して走査型電子顕微鏡で観察した結果、その凹みがダイズ、アズキ、エゴマの種の跡であることがわかりました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ダイズの跡(長さ8.84mm、幅5.08mm)と電子顕微鏡の写真(右)】

野生種よりも大きく、栽培された可能性があります。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【アズキの跡(長さ6.72mm、幅3.60mm)と電子顕微鏡の写真(右)】

野生種と栽培種の中間の大きさで、栽培された可能性があります


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【エゴマの跡(直径2~3mm)が多く見つかった土器(左)と電子顕微鏡の写真(右)】

写真の土器をⅩ線撮影したところ土器の中にエゴマの可能性がある881点の凹みがあることがわかりました。この土器はエゴマを多く混じった粘土で作られたと言えます。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2017年9月15日

長谷鶴前遺跡群 平成29年度調査情報(1)

4月から調査を進めている本遺跡は、千曲川左岸の自然堤防西側の後背湿地(地元で蓮田(はすだ)と呼ばれる湿地)と、それに接するように南北に連なる山麓の緩やかな斜面の部分にあります。
長谷窯(はせがま)〈慶応3(1867)年から明治29(1896)年ごろまで操業〉推定地に近接する場所にあたり、明治時代前半期の窯関係の道具や焼き損じ品等が多数出土しました。 


【調査のようす】

窯関係の道具や焼き損じ品等が多数出土している場所の調査の様子です。


【出土した“ひょうそく”の蓋】

“ひょうそく”は、灯明具(とうみょうぐ)の一種で、油に灯芯(とうしん:ろうそくの中心のひもと同じ役割)を浸して、灯火(ともしび)をともす容器です。写真の上段は素焼きのもの、下段は釉薬(うわぐすり)をかけたものです。釉薬をかけているということから、出荷する製品であったことがうかがえます。


【円錐形の窯道具】

“円錐ピン”と呼ばれる窯道具の一つです。窯で焼く時に製品同士が釉薬でくっつかないようにするために、器と器との間に入れて使用していたものです。


【灯明具・窯道具出土のようす】

左が灯明具、右が焼台(しょうだい)で、焼き物の下に敷いたと思われる窯道具です。

【工房跡】

窯に付属していた工房があったとみられる場所から、四角の穴が開けられた2つの石が出土しました。他地域の事例から、製品を作る時に使用された轆轤(ろくろ)を固定するための石ではないかと考えられます。
“轆轤台石(だいいし)”または“轆轤心石(しんせき)”と呼ばれるもので、全国的にみても、設置された当時の状態で確認された例は少なく、貴重な資料となります。

長谷鶴前遺跡群

2017年9月12日

下川原遺跡 平成29年度調査情報(1)

―下川原遺跡の発掘調査が始まりました。―

昨年に引き続き、天竜川下久堅地区築堤護岸工事に伴い、8月下旬から下川原遺跡の発掘調査を開始しました。
今年は、昨年縄文時代や古代の土器が出土した微高地の面的調査と、近世に埋没したとみられる水田の調査を継続して実施する計画です。
天竜川左岸の低位段丘から天竜川に向かって伸びる微高地上で、人びとがどんな営みをしていたか、どんな土地利用をしていたか、日々の発掘作業で明らかにしていきたいと考えています。 


【微高地の広がりを確認する】

重機を使って深い溝を掘り、昨年遺物が検出された微高地の広がりを確認していきます。 


【発掘作業開始式】

9月1日、11名のベテラン発掘作業員が集まりました。「下川原遺跡2年目の調査が始まります!」調査部長の声にも期待が込められています。


【天竜川べりの水田調査】

天竜川の洪水で埋もれた水田の調査のため、堆積した砂層と水田層を断面で確認し、調査する面を決定していきます。

下川原遺跡

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