Research調査情報

2018年11月2日

尾垂遺跡 平成30年度整理情報(1)

 2013~2015(平成25~27)年度に調査を行った、佐久市尾垂遺跡・尾垂古墳の報告書作成に向けた整理等作業を行っています。
尾垂古墳は平成26年に新しく見つかった古墳で、石室からは人骨や直刀(ちょくとう)・鉄鏃(てつぞく)などの副葬品が出土しています。今年度は石室内に堆積していた土を洗ったところ、ガラス小玉が発見されました。


【直刀、鉄鏃、ガラス小玉を出土した石室】

石室は、残存部で長さ2.3m、幅1.6m、高さ0.8mです。天井などの上部は失われていました。


【直刀】

石室残存部の西側床面では、全長約56.5cmの直刀が出土しました。刀身の長さは約46㎝、幅は最大で2.5㎝です。


【鉄鏃】

直刀が出土した位置より、さらに奥の側壁寄りの床面上では、長さが約5.5(残存長)~14㎝の鉄鏃が19本出土しました。


【ガラス小玉】

41個のガラス小玉が見つかりました。
大きさは直径4.8~3.2㎜、厚さ3.9~1.3㎜で、重さは0.12~0.03g、色は紺色です。

尾垂遺跡

2018年9月28日

浅川扇状地遺跡群 平成30年度発掘調査情報(1)

9月から12月中旬の予定で、桐原地区で発掘作業を開始しました。今年度の調査地は、調査対象範囲の最南端にあたります。平成26・27年度に調査した北側の地区では、古墳時代前期の竪穴(たてあな)建物跡などがみつかっています。今回の調査では集落が南のどこまで広がっているのか確認したいと思います。


【溝跡の調査】

まず西側地区から調査を開始しました。
幅約30cmの溝跡がみつかりました。地形の傾斜に沿って、北西から南東方向へ延びています。溝跡の断面を写真撮影しているようすです。


【足跡発見】

明褐色をした、直径10cmほどの丸い落ち込みがいくつもみつかり、足跡と考えられます。周辺からは、土器などの遺物がほとんどみつかっていないため、溝跡や足跡がついた時期ははっきりしません。全体に広がるのではなく、集中したり帯状に分布するようすが観察できます。 


【ウシの足跡】

丁寧に表面を検出すると、写真のような形がみえてきました。2つに割れた蹄(ひづめ)の特徴から、これはウシの足跡と考えられます。10月以降、隣接する東側の調査を行う予定なので、足跡の広がりや水田、あるいは畑などの遺構の発見、時代が特定できる土器などの遺物がみつかることを期待しています。

浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2018年9月14日

出土銅鐸の再現

銅鐸レプリカの完成ー中野市柳沢遺跡出土の銅鐸の再現ー(行事・お知らせページ)へ

 

柳沢遺跡

2018年9月6日

石川条里遺跡 平成30年度 発掘調査情報(1)

国道18号坂城更埴バイパス改築工事に伴う発掘調査を現在、石川条里遺跡で行っています。県道長野上田線西側に隣接する7a区の調査で特筆される成果を紹介します。

【弥生水田跡の全景】

昨年度、県道長野上田線東側の調査で弥生時代の水田跡を確認しましたが、今回、県道西側の調査区(7a区)でも発見しました。
水田一筆の形は一定していません。方形や短冊形があり、場所によって違いがあります。


【泥炭層に被覆された弥生水田跡】

弥生水田跡は地表下約2.5mで確認され、黒色の泥炭層で被覆されていました。水田が使われなくなった後は湿地化したものと推測しています。

【畦の検出状況】

泥炭層は、水田面直上では約5cmの厚さで堆積していますが、畦の直上は極めて薄いか、もしくはない状況でした。泥炭層を薄く削り、畔を検出しました。


【水田跡の精査】

水田跡の全景写真を撮影するために、畔に白色ロープを張っている状況です。水田一筆の大きさがわかるものは3m~5m四方で、場所によって大きさに違いがあります。


【遺物出土地点の精査】

畦の検出時には、水田層から弥生土器片が出土しました(白色荷札が遺物出土地点)。水田跡から遺物が出土することは少ないので、水田の時期を決める重要な遺物です。


【水田跡の記録風景】

検出した畔と水田面の地形は、電子平板を使って記録します。

石川条里遺跡

2018年9月6日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(3)

小島・柳原遺跡群の発掘調査が、8月30日(木)に終了しました。

約3年間の調査で竪穴建物(たてあなたてもの)跡35軒、溝跡25条、土坑685基、墓跡66基などがみつかり、出土した遺物はコンテナ約200箱になりました。 

今後は、出土品などの整理作業を行い、報告書を作成していきます。 


【南上空からみた今年の調査区】

 今年度は長野市道柳原117号線をはさんだ両側を調査しました。若干の土器が出土したものの、遺構は検出されず、集落域が広がらないことがわかりました。(今年度の調査区)

【終了式】

 最終日に発掘調査の終了式を行いました。例年にない猛暑のなか、調査を支えて頂いた作業員の皆さんに感謝します。

 

小島・柳原遺跡群

2018年8月20日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(2)

8月1・2日(水・木)に小島・柳原遺跡群の遺跡調査指導委員会が開催されました。委員の先生方から遺跡の調査や塔鋺形合子(とうまりがたごうす)等の出土物の整理について、ご指導・ご助言をいただきました。


【調査の報告】

 初日は、塔鋺形合子をはじめとした小島・柳原遺跡群の調査について報告後、今後の調査についての検討を行いました。報告内容は、遺跡の調査から、塔鋺形合子のX線CT観察、類例調査、鋳型、付着繊維の分析と多岐にわたりました。


【遺物の見学】

 2日目は、長野市内から出土している古代の仏教関連遺物の見学をしました。長野市埋蔵文化財センター様のご協力をいただき、塼仏(せんぶつ)や瓦、塑像(そぞう)など貴重な品々を熟覧し、委員の先生方からご意見をいただきました。

小島・柳原遺跡群

2018年6月20日

小島・柳原遺跡群 平成30年度調査情報(1)

平成30年度の長野東バイパス改築工事に伴う発掘調査を4月から開始しました。

今年度の調査地点は昨年度調査を行った地点の北側で6月19日(火)に、遺跡の状況を信州大学教育学部の教員・学生のみなさん9名が見学にみえました。


【昨年度までの調査地点】

塔鋺形合子(とうまりがたごうす)に関心がある方もあったので、一昨年度出土した地点を見ながら、遺跡の概要や出土した時の様子を説明しました。


【昨年度出土骨のクリーニング】

昨年度までに出土した人骨を丁寧にクリーニングしているようすも見学いただきました。こうした地道な作業の上に、歴史の研究が成り立っていることを、改めて認識された方もいたようです。

小島・柳原遺跡群

2018年5月24日

長谷鶴前遺跡群 平成30年度調査情報(1)

平成30年度の坂城更埴バイパス改築工事に伴う発掘調査が4月より開始しました。今年度の調査地点は昨年度調査が行われた長谷鶴前遺跡群(はせつるさきいせきぐん)と石川条里遺跡(いしかわじょうりいせき)の続きとなり、長谷鶴前遺跡群の発掘調査は今年度で最後となります。


【発掘作業開始式】

4月に作業開始式を行い、今年度の発掘調査が始まりました。5月現在では長谷鶴前遺跡群は一部の調査を残しておおむね終了し、石川条里遺跡の発掘調査に着手しています。 

【砂に埋もれた水田跡(1区)】

昨年度の発掘調査で確認した平安時代の水田跡の続きを今年度も確認し、あぜは東西南北に沿ったもの(白線)と、軸方向が斜めにずれたもの(黄線)がみつかりました。軸方向が斜めにずれたほうの水田には泥炭(でいたん)(植物が十分に分解されていない土)が薄くたい積していたため、耕作されていなかった可能性があります。


【厚くたい積していた洪水砂(1区)】

平安時代の水田を覆う砂は、西暦888(仁和4)年に起きた大災害≪仁和(にんな)の洪水≫によって運ばれてきたものであるとみられ、最大で50㎝ほどたい積していました。当時の人々の生活に大きな被害を与えた災害でしたが、結果的に平安時代の水田がきれいに保存された形となりました。


【洪水砂の中から出土した土器(1区)】

水田は生産の場所であるため、通常遺跡の発掘調査でみられるような生活道具(土器など)はほとんど出土しません。今年度は小形の甕(かめ)とみられる土師器(はじき)が1点出土しましたが、洪水によって運ばれてきたものであると考えられます。

長谷鶴前遺跡群

2018年5月16日

山鳥場遺跡 平成30年度整理情報(1)

昨年度、発掘作業が終了した朝日村山鳥場遺跡の本格的な整理作業を実施しています。作業内容は土器の接合・復元や、遺構図のデジタルトレースなどです。


【土器の接合作業】

遺跡でみつかった縄文土器の破片を、パズルのようにつなぎ合わせていきます。


【つながった土器】

山鳥場遺跡の住居跡からみつかった縄文土器です。土器の上から下まで、ほぼ完全に残っていました。


【土器の復元作業】

接合作業でつながった土器を、元の形に戻す作業を行っています。牛乳パックで作った支えなども利用して、土器の丸みを復元します。


【遺構図のデジタルトレース】

山鳥場遺跡でみつかった土器が敷かれた炉跡の図を、パソコンを使ってトレースしています。石や土器の位置を1点1点確認しながら、図を完成させていきます。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

2018年4月25日

浅川扇状地遺跡群 平成30年度整理情報(1)

浅川扇状地遺跡群は、調査を開始して8年目となりました。今年度も引き続き本格整理作業を進めていきます。現在、古代・中近世の土器の実測や保存処理の済んだ金属製品の実測をおこなっています。また、未調査地区の発掘作業も再開する予定です。


【保存処理の済んだ銭】

中世の溝跡の埋土から見つかったものです。

「元豊通寶(げんぽうつうほう)」(初鋳1078年、北宋銭)と読めます。




【拓本作業】

銭の拓本をとっているところです。まず銭に和紙をかぶせ、水を含ませた筆で和紙をぴったり貼りつけます。ちょうどよい具合に乾いたところへ、タンポを使い墨を和紙の表面にのせていきます。


【完成(左が表面、右が裏面)】

和紙を銭からはがして皺を伸ばし、拓本ができあがりました。コピーをとり、用紙に貼って完成です。表面の文字が浮かびあがりました。




浅川扇状地遺跡群(桐原・吉田地区)

2018年4月13日

川原・下川原遺跡 平成30年度整理情報(1)

―天竜川に一番近い遺跡の探究― 

平成28、29年度に発掘作業が終了した、飯田市川原・下川原遺跡の本格整理作業を行っています。今年度末の報告書刊行にむけて、土器の実測作業、下川原遺跡の遺構図デジタルトレース作業が始まりました。地域の歴史に新知見が加えられるよう探究していきたいと考えています。 
 

【土器の実測作業】

縄文時代の深鉢を観察しながら、遺物実測機器を用いて、実寸大の大きさで形や文様を描いていきます。土器実測図は、文様の描かれた順番を表現することも大切です。
 

【土器の把手の実測】

縄文時代の鉢の上部に付けられた把手の実測図を作成しています。土器の正面を決めて図化するとともに、右側に断面図も描きます。
 

【遺構のデジタルトレース】

下川原遺跡で調査した「石を伴う土坑」の遺構平面図のデジタルトレースをしています。できあがった図は、報告書の図版として活用していきます。
 

下川原遺跡,川原遺跡

2018年3月14日

地家遺跡 平成29年度整理情報(2)

 地家(ぢけ)遺跡から出土した中世の資料は、葬送・祭祀(さいし)・供養に関わるものが多いことが特徴で、今回紹介する板碑もそのひとつです。板碑は、死者を供養するために、また、自分たち自身の生前供養のために立てられた石塔の一種です。13世紀~16世紀に多く造立され、全国に広く分布していますが、特に関東地方に濃密です。

 

【板碑①】

緑色片岩製、長89.3㎝、幅29.2㎝、厚2.7㎝、重14.5㎏。

上端部の左隅を若干欠くほかは、ほぼ完形の板碑です。上半部に蓮座(れんざ)を伴う梵字(ぼんじ)3字を、下半部に紀年銘を刻んでいます。下端から20㎝ほどは風化が進行していないので、この部分を地中に埋めて立てていたことが推測されます。 


【板碑①模式図】

上に阿弥陀如来(あみだにょらい)を表す梵字、向かって右下に観音菩薩(かんのんぼさつ)、左下に勢至菩薩(せいしぼさつ)を表す梵字を配する、阿弥陀三尊形式で刻まれています。

紀年銘は、磨滅のため読みづらいのですが、現在のところ、中央に

「□□二年三月」、その右に「己」、左に「卯」、

年号□□の文字は「厂」あるいは「广」を含むと考えています。年号に「厂」や「广」を用い、干支が己卯(きぼう、つちのとう)の年は、13~16世紀では、暦應(りゃくおう)2年(1339年)が該当します。いわゆる南北朝時代の初頭にあたります(暦應は北朝の年号)。 


【板碑②】

緑色片岩製、長47.6㎝、幅18.5㎝、厚1.9㎝、重3.3㎏。

板碑①より小型の板碑です。梵字は阿弥陀如来を表す1字。下端部には、素材石片の凹凸をならすために、ノミで横に押し削った痕跡がみられます。地中に隠れる部分であるため、不格好な整形痕を残したままなのでしょう。


【板碑③】

緑色片岩製、現存長45.3㎝、幅18.1㎝、厚1.6㎝、現存重2.3㎏

上部を欠損していますが、梵字の位置から②とほぼ同じ長さと考えられます。梵字は阿弥陀如来を表す1字で、蓮座を伴っています。下端から10㎝ほどは風化の進み具合が弱く、板碑①と同じように、この部分を地中に埋設していたと考えられます。





地家遺跡

2017年12月25日

下川原遺跡 平成29年度調査情報(2)

今年度の発掘調査が、12月8日で終了しました。集石(しゅうせき)を伴う土坑(どこう)10基、小土坑14基、畑跡、水田跡の調査を行いました。
地元をはじめ多くの皆様に御理解、御協力をいただき誠にありがとうございました。


【調査区全景】

 今年度は昨年度の調査結果を踏まえ、微高地部では平安時代後期~中近世の遺構検出、川寄りの低地部では洪水により埋没した水田等の調査を主な調査課題として作業を進めました。


【集石を伴う土坑の調査】

 天竜川に向かって東から西へ延びる尾根状の微高地では、集石を伴う土坑10基、小土坑14基を確認しました。集石を伴う土坑からは中世の内耳土器(ないじどき)、陶磁器片が出土しています。


【最大の集石を伴う土坑】

 長径約2.5mの楕円形で、東側に2つの立石状の大きな花崗岩(かこうがん)が置かれ、壁に沿って平らな花崗岩が並べられていました。
土坑内には、集石や炭化物粒子がみられ、火を焚くような行為があった可能性が考えられます。


【砂に覆(おお)われた畑跡の調査】

 地表から深さ約4mまで、堆積した砂を徐々に取り除きました。結果、昨年度近世の水田跡と推定されていた面は、畝を伴う畑跡とわかりました。

 畑跡を覆う砂からは、中近世の陶磁器の他にビニール片や丸釘なども出土したことから、この畑跡は昭和期の洪水により埋もれたと考えています。

下川原遺跡

2017年12月22日

小島・柳原遺跡群 平成29年度調査情報(5)

今年度の発掘調査が、11月30日で終了しました。竪穴(たてあな)建物跡15軒、土坑304基、溝跡15条、墓跡43基の調査を行いました。
地元をはじめ多くの皆様に、御理解、御協力をいただき本当にありがとうございました。


【平安時代の竪穴建物跡】

 この建物跡は一辺約6mと大型で、主柱穴以外に壁際に柱穴(図中)があります。遺跡内の他の建物跡とは大きさも構造も異なる建物であった可能性があります。昨年度、塔鋺形合子(とうまりがたごうす)が出土した竪穴建物跡も同じ特徴を持っています。


【古代瓦】

 奈良時代ころに製作された古代の平瓦(ひらがわら)の破片が出土しました。こちら側(製作時の外側)には、格子目叩きがわずかに残っています。


【古代瓦】

 同じ瓦の反対側(製作時の内側)です。全体に布の痕が残っているのがはっきりとわかります。

小島・柳原遺跡群

2017年11月16日

山鳥場遺跡 平成29年度調査情報(4)

4月に開始した山鳥場遺跡の発掘作業は、10月末で終了しました。2年間の調査で、縄文時代中期後半から後期の竪穴建物(たてあなたてもの)跡16軒と柱跡などの穴が約120基みつかりました。朝日村をはじめ多くの皆様にご協力をいただき、誠にありがとうございました。



【縄文時代中期後半(約4,500年前)の集落跡】

遺跡は内山沢扇状地上にあります。写真で白く見える部分は内山沢から流れてきた砂礫です。洪水などで堆積した土の上に、ムラが営まれていました。(赤○印の部分は竪穴建物跡です。)



【建物の出入り口に埋められた土器】

出入り口部分に土器が埋められている竪穴建物跡が2軒ありました。こうした土器は、乳幼児などを埋めた祭祀施設であるという説があります。


【土器が敷かれた炉を発見】

3軒の竪穴建物跡で、炉の底に土器片が割り敷かれており、土器を外すと地面が焼けていました。
【土器が敷かれた炉を発見

3軒の竪穴建物跡で、炉の底に土器片が割り敷かれていました。土器を外すと地面が焼けている例もありました。


【炉にたまった土を洗う】

炉にたまった土を洗ったところ、炭化物や焼けた骨が混ざっていました。炭化物の中にはクルミの殻と思われる破片がみつかりました。

【炉からみつかった炭化物(クルミの殻と思われる破片)】

みつかった炭化物は今後分析に出し、当時の植物利用を検討していきたいと思います。

山鳥場遺跡・三ケ組遺跡

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